『手桶 no 奇談』

〜 第1夜 〜



 ある日、ある所に、ガウリイ=ガブリエフという、でっかい上にやたら長い金髪のにーちゃんがおりました。
 職業は一応傭兵だったりするのですが、今はある山の中腹あたりに住みついて、木こりのような暮らしをしています。
 別に腕が悪くて、雇い手がいないというわけではありません。
 失職の原因は、ここしばらく近隣の国々が戦〈いくさ〉どころではなかったからなのです。

 と、言うのも。
 現在は夏の始めなのですが、ずっと雨が降っていないのでした。
 今はまだ井戸の底が見える程度ですんでいますが、このまま真夏をむかえれば、いわゆる干ばつによる飢饉という、ありがたくもない図式になるのは目に見えています。
 各国の国王や領主達はその対策に忙しく、それでなくても財力と人手のいる戦争など、あえて起こす余裕などなかったのでした。
 
 で、このガウリイ。
 生来なのか後天的なのかはともかく、やたらと呑気で欲のない性格だったので。
「オレ達がヒマなのは、世の中平和だってことだよな」
 なんて、とても戦が商売な生業〈なりわい〉とは思えないようなセリフをはいて、山を駆け回っていたのでした。
 まあ、わざわざ不便な山に住んで木こりなんかしているのは、もしかしたら日々の鍛錬の意味もあるのかもしれませんけど。
  
 さらに。
 彼には、妙な噂がありました。
 何でも、あの伝説にもある光の剣を始めとして、いろいろな魔法の品を持っているとかいないとか。
 真偽のほどはわかりませんが、こういう危機的心理が働く状況になってくると、まことしやかな噂なんぞが流れて行くモノです。
 その中に、不思議な『手桶』の話がありました。
 元々、ガウリイの住みついている山の頂上には、水竜王の守護する聖なる泉がある――なんて、ありがちな伝承があったのですね。
 そして、その加護にあやかろうとする好奇心の強い無鉄砲な人々もまた、ちっとも絶えませんでした。
 ただ、その湖はとてもとてもけわしい崖の上にあったので、今まで誰一人として辿り着けた者はありません。
 それでも今はこんなご時世ですから、トライする人々の数がいつもより増えているというのも、まあ無理はないでしょう。
 で、その挫折した人々の中に、ガウリイからたくさんの水を分けてもらった者がいるというのです。
 何でも、聖なる泉にたどり着いたガウリイが、ご褒美として『いくらでも水の湧き出る手桶』を授かったのだとかなんとか。
 なぜか当事者達は口が固く、あえて公言する者はいませんでしたが、こういう情報はいくら隠してもどこからか漏れるもの。
 それを耳にした一人の男が、ある行動を起こしたのでした――。


「おーい、天然っ!! 起きてねぇのか!?」

 ある朝、ハデなノックでたたき起こされたガウリイ。
 眠い目をこすりながらドアを開けると、何だか見覚えのある美形な黒髪の男が立っていました。
「よ、おはよ」
「…おはよう。
 ……あんた誰だっけ?」
 黒髪の男は、思わずドアに頭をぶつけそうになりました。
 そうです。
 このガウリイ、黒髪の男と対を張るくらいの美形なのですが、いかんせん、物覚えという面に関しては壊滅的なのでした。
「ふもとのインバース商会の主〈あるじ〉だっ!
 てめぇも時々買い物に来てるだろうがっっ!!
 ――ったく、相変わらず天然だぜ」
「あんただって、オレの名前覚えてないじゃないか」
「俺のはわざとだ」
「……何の用だ?」
 ストレートにして単純明快な思考回路を持つガウリイが、商売を生業とする黒髪の男に口でかなうはずもありません。
「おまえ、『桶』持ってるか?」
 いきなりな切り出しに、ガウリイはきょとんとするばかり。
 あまりの反応の鈍さに、黒髪の男は仕方なく説明を始めます。
 
「――つーわけで、そんな便利なモンを持ってるなら、ちょっくら借りてぇと思ってな」
「借りるって、…それであんただけ楽しようってのか?」
 さすがにいくらガウリイといえど、いきなり朝早くから押し掛けられて、一方的に大事なモノを貸せと言われても、そう簡単に承伏出来るワケはありません。
 しかしそれは予想の範囲だったらしく、黒髪の男は人差し指を立てると、ちっちっと言うように振って見せます。
「違うんだな、それが。
 いいか?
 ずっとこんな天気続きで、みんな水には困り果ててる。
 おまえはそれを解消できる便利なモノを持ってるんだから、活かさないという法はねぇだろ?
 だけど年寄りなんかじゃ、とてもここまで登ってこれねぇ。
 だから、俺の店で代行してやろうって思ってよ」
 ガウリイはちょっと考え込んでいるようでしたが、不意に気付いたように問いました。
「――とか言って、荒稼ぎとかしたりするんじゃないのか?」
 黒髪の男は、両手を振って否定します。
「しねぇって。
 だが、俺のトコで瓶詰めなんかする手間や瓶代くらいは、受け取ったっていいだろ?
 第一、タダじゃありがたみもないじゃないか」
「…まあ、それくらいなら…。
 だがよ、あんたのトコに持ってかれちまったら、オレも困るんだがな」
 ちょっと傾いてきているガウリイに、黒髪の男が一気にたたみかけます。
「そりゃわかってる。
 だから、夜の間だけ貸してくれるってのはどうだ?」
「…まあ、な。
 ――なら、毎日届けに行かなきゃならないのか?」
「こっちが頼んで借りるってのに、そこまで勝手は言わねぇって。
 礼と言っちゃあなんだが、こいつを手伝いがてら取りに寄越すから。
 おーい、リナ!」
 外を振り返った黒髪の男の声で、ドアの陰から一人の少女が姿を現しました。
 小柄で華奢な身体つき、栗色の髪に栗色の大きな瞳が印象的です。
「ウチの下の娘だ」
「あんたの?
 見たことないと思うんだが…?」
 訝しそうな表情をするガウリイを、リナはじっと見つめています。
「そりゃ無理もねぇや。
 ずっと遠くに、行儀見習いも兼ねて奉公に行ってたんだ。
 メシの仕度でも、掃除でも、家事なら何でもこいだぞ。
 おまえも野郎の一人暮らしだ、何かと行き届かないトコもあるんじゃないのか?」
 言いながら黒髪の男がぐるっと家の中を見渡すと、確かに隅々に汚れが目立ちます。
 バツ悪そうに、頭をかくガウリイ。
「まあ、とりあえず、今日一日何かやらせて様子を見てくれ。
 気に入ったら、夕方に桶持たせて帰してくれればいいから。
 じゃな!」
 一方的に言い放つと、黒髪の男は娘を残してさっさと帰って行ってしまいました。
 
 
 しーーーーーん。
 
 
 まだ状況のよくわかっていないらしいガウリイと、置いていかれてしまったリナは、しばらくそのまま立ち続けていました。
 でも、ずっとそうしていても、話はちっとも進みません。
 先に口を開いたのは、リナの方でした。
「――あのー、…とりあえず、あたしは何をしたらいいんでしょう?」
「何か……って言われても……何が出来るんだ?」
 がくっ。
 脱力するリナ。
「さっき、父が言ったと思うんですけど……?」
「そうだっけ?」
 がくがくっ。
「い、一応、家事全般なら……」
 ガウリイはしばらくリナを見つめてから、苦笑いしました。
「いや、やっぱいいよ」
 がくがくがくっ。
「い、いいって……?」
「いくらオレが家事が得意じゃないからって、おまえさんみたいな子供をこきつかおうとは思わないからさ」
 むかっ。
「あ、あたし、もう16なんですけど……」
「いいから、いいから。
 おっさんに無理に連れてこられたんだろうけど、オレはそこまで不自由してないし……」
 ぶちぶちっ。
 
 すっぱかーーーーーんっ!!

 狭い家の中に、軽やかな殴打音が響きました。
 いつの間にか、入口の所にあった室内履きで、リナがガウリイをひっぱたいたのです。
「さっきから聞いてれば、好き勝手なことばっかり言って!!
 あたしが無能かどうか、確かめてから断りなさいよっっ!!」
 さっきまでの大人しげな礼儀正しさはどこへやら、見事なタンカであります。
 しばらくきょとんとしていたガウリイ、やがて大きな声で笑い出しました。
 予想外の反応に、今度はリナの方が、きょとんとしてしまいます。
「悪かったよ、えーと――」
「リナ、よ」
「そっか、リナ。
 オレはガウリイ、よろしくな」
 どうやらガウリイ、このリナを気に入ったようです。
 
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
 
 
 
 こうして、二人の奇妙な契約関係が始まりました。
 ただ、これですんでしまえば物語にはなりません。
 この一件、何かありそうな気配。
 けれどまったく気付くはずもない、お気楽ガウリイ。
 さて、どうなりますことやら。
 それはまた、次回ということで――――
 

 



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