『手桶 no 奇談』

〜 第2夜 〜



 ガウリイが身支度をしている間に、リナはボリューム満点の朝食を作ってくれました。
「おおっ、うまそう!
 いっただきまーすっ!」
 目をキラキラさせてテーブルに着くやいなや、すごい勢いで食べ始めます。
「おまえさん、料理上手いんだなー!」
 ガウリイの食べっぷりは父親から聞いていたのか、さして驚く様子も見せなかったリナですが、この賞賛にようやくにっこり笑いました。

 たっぷり置かれた料理は、またたく間にガウリイのお腹に姿を消し。
 後片づけを手伝おうとする彼に、リナは『はたき』を差し出しました。
「一人で大丈夫。
 それより、これから居間の掃除にかかるんだから、あんたは先に高い所のホコリはらってて」
「わかった」
「あ、ねぇ。これ、例の『桶』なんでしょ?
 どうやって使ったらいいの?」
 リナは大きな水瓶の脇に置かれていた、小さな桶を持ち上げました。
 くだんの魔法の品とやらは、一見何のへんてつもない、古びた桶にしか見えません。
 水が湧き出すどころか、汲んだ側から下から漏れてきそうです。
「気合いを入れて『言葉』を言えばいいんだ」
「なんて?」
「んーっと、ちょっと見ててみな」
 ガウリイはリナの脇に立ち、桶を流しに置いて両手でつかむと、ゆっくり息を吸って――
「『水よ!』」
 空だった桶の中に、見る見るうちに澄んだ水が満たされていきます。
「へー」
 思わず感嘆の声を上げたリナに、ガウリイは面白そうに笑いかけ。
「な、簡単だろ?
 桶一杯分だけ出すだけならこんな風に置いたまま、たくさん出したい時は傾けて言うんだ。
 その水瓶や風呂桶なんかに溜めたいなら、傾けたまま突っ込んで何回か繰り返せばいい」
「わかったわ」

 天井のクモの巣などはらいながら、さりげなくガウリイは手伝い人の様子を見守っていました。
 最初こそ桶の扱いに戸惑っていたものの、リナはすぐに慣れたようです。
 ほこり取りが終わった頃には、洗い物もすっかり片付いていました。
「次はどうする?」
 今度出てきたのは、固く絞った雑巾。
「棚の上を拭いて」
 リナの方は、床に濡らした香茶ガラを撒き始めました。
「どーすんだ? そんなの」
「こうするとホコリを立てないで、ゴミを集められるでしょ?」
「???」
「ほうきで履いてホコリが舞い上がると、あんたがキレイにしたトコにまたのっちゃうでしょーに」
「おお、なるほどなっ」
 ようやく合点がいったガウリイ。
 あらためて、リナが家事に精通しているという黒髪の言葉が納得出来たのでした。
 
 ガウリイが家具を動かし、リナが隅々までゴミを履き出し。
 汚れた敷物やカバー類を洗い、床を磨き。
 ランプのススをはらい、窓も拭いて。
 すっかり居間が綺麗になったところで昼食となりました。
 今度はリナもご相伴しましたが、食べっぷりはどっこいどっこい。
「おまえさん、どこにそんなに入るんだぁ?」
「ほっといてよっ!」
 牽制しながらもガウリイは、女の子らしくないとか、そんなに食うなとはまったく言いません。
 むしろ、リナの食欲が嬉しそう。
 リナもその様子に、思う存分楽しく食べるコトが出来たのでした。
 
 午後からは掃除の続きです。
 とは言っても、でかい主が住んでいるワリには、こじんまりしているこの家。
 あとはもう台所とバスルーム、それと寝室くらい。
「――ったく。洗濯モノ溜めるのって、男のサガなのかしらね」
 リナは換え終わったばかりのベッドカバーを、ガウリイに押しつけました。
「溜めたくて溜めてるわけじゃないんだけどなぁ」
 バツ悪そうにぼやきながらも、バスルームへ運搬していきます。
「それに今はいっぺんに洗濯したら、水が足りなく――」
 言いかけたリナ、ふっと思い出して。
「そっか――、水汲みに行く必要ないんだもんね、あんたは」
「なんだー?」
 リナは思わず飛び上がりました。
 ほんの小さな呟きなのに、バスルームにいて聞こえたのでしょうか。
「な、何でもないわよっ!」

 掃除と夕食が終わった頃には、もう陽が傾いていました。
「じゃあ、今日はこれで」
「ああ。送ってくよ」
「い、いいわよっ!」
「何言ってんだ、夜の山道は危ないんだぞ。
 途中で何かあったらどうする」
 リナの抗議もどこ吹く風、さっさとブーツを履き始めています。
「――あたしがそんなヤワに見えるわけ?」
「足滑らせるのに、ヤワもへったくれもないだろ」
「心配しないでも、持ち逃げしたりしないわよ」
「――? 何だ、それ?」
 あまりに意外な表情をされたので、言ったリナの方が焦ってしまいました。
 ガウリイの瞳には、疑いのカケラも見えません。
 本当にリナのコトを心配してくれているのでしょう。
 もうリナには拒む理由を見つけられませんでした。
 
 夜道は危ないと言ったわりには、ガウリイはランプすら持っていません。
 それなのに、リナの先に立って、何の迷いもなく降りて行くのです。
「ちょ、ちょっとっ! そんなにずかずか歩いて大丈夫なの?」
「オレ、夜目がきくんだ」
 リナは絶句してしまいました。
 今夜は新月、明るさはほとんどありません。
 さっきの耳といい、やたらと人間離れした身体能力の持ち主なのでしょうか。
「もう少しゆっくりの方がいいか?」
 のんびりした声に、リナはむっとして答えます。
「お気遣いなくっ!」
 意地を張ったものの――、長い金色の髪を見失わないように、後を付いて行くのが精一杯でした。
 
 ようやく道がなだらかになり、家の灯りが見えて来ました。
「ここでいいわ」
「そっか?」
「――その――」
「ん?」
「――送ってくれて――ありがと」
 宵闇ではっきり見えませんが、ガウリイは照れくさそうに頬をかいているようです。
「あーー、おまえさんこそ、お疲れさま――だな」
 リナの手に桶が渡され。
「明日も返しに行かなきゃね」
「ああ、待ってる」
 どちらも何だか楽しそうな声色に聞こえるのは、気のせいでしょうか。
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
 歩き始めたリナが途中で振り返ると、ほのかな金色の灯りのように、ガウリイの髪が浮かんで見えました。
 動いていないと言うことは、多分リナを見送ってくれているのでしょう。
 どこまでも子供扱いされているのか、そんなに深く心配してくれているのか――。
 どうにも複雑な心地で、リナは家路に付いたのでした。
 
「おお、帰ったか!」
 玄関先でブーツの泥を落とす間もなく、家の中から黒髪の男こと父親が出迎えました。
「どうだった? 首尾は?」
 桶を差し出すリナ。
「おお、でかしたぞ!」
 喜色満面で受け取った父は、興味深そうに桶をしげしげと見つめ――。
「もうひと仕事、頼んだぞ」
「――わかってるって」
 居間から今度は別な人物が現れました。
「おかえりなさい」
「ただいま、姉ちゃん」
 そのまま姉のルナは、二人の様子をじっと見ています。
 世に聞こえた『赤の竜神の騎士』の名はダテではなく、それだけでも威圧感十分でした。
「ど、どうした?」
「『花も折らず実も取らず』よ、父さん」
「――何だって?」
「自分で考えるのね」
 いつもクールなルナですが、今日は特に、冷ややかな含みがあるようです。
 親父殿は形勢不利と思ったのか、そそくさと桶を持って台所方面に退場してしまいました。
 一方、まだ室内履きに替えている最中だったリナは、逃げようもなく。
「父さんの企み、あんたが煽ってどうするの」
 いつも姉のカミナリやお仕置きにビビっているリナですが、今日は珍しく反論しました。
「そんな考えなしに見えるわけ?」
 しばし重たい沈黙の後――
 予想に反したルナの穏やかな声が、こう言いました。
「後悔しないようにね」
 そのまま背を向けて去っていく姉の姿を見送りながら、リナはまたしても複雑な想いに囚われたのでした。
 
 
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
 
 
 
 やっぱりこの一件、何かありそうです。
 でも、いつの場合も、誤算を呼ぶのはヒトの心。(笑)
 どう転ぶか、リナちん?
 このまま平和に家事描写だけで終わ――ってどうする。(^◇^;)
 それでは、また次回ということでっ。
 
 ☆『花も折らず実も取らず』と言うのは、ことわざです。
 知らないヒトは調べてみましょう。(笑)
 よく知られている同義語もあるんですが、あえてこちらを使ってみました〜。



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