〜桶と娘をとりかえた男のはなし〜
むかし、ひとりの男がおりました。
この男、見た目は良いくせに怠け者で、
仕事は全部奥さんに任せ、毎日ぶらぶらしている甲斐性なしではありましたが、
それでも二人の娘をたいそう可愛がっておりました。
ある日のこと。
男は娘らに将来なにか宝となるようなものを残してやりたいと
唐突に思い立ちました。
しかしそこはそれ。なにぶん怠け者の考えることですから、
「よ〜っし!
こーゆー時は神さんか仏さんにお願いするのが一番手っ取り早ぇーよな!」
この程度の発想しかできません。
父親の思いつきを知ったしっかり者の上の娘などは、
「ふしんじんのくせに、こまったときだけかみだのみしたって
だれもきいちゃくれないわよ、とーさん。
それより、じみちにはたらいたら?」
と冷たく言い捨て、さっさと妻の実家の店を手伝いに行ってしまいました。
しかたなく男は、まだ幼い下の娘の手を引いて、
近所の観音堂、通称“L様観音”へお参りに出かけたのでした。
お堂に着くと、男は大きな声で呼ばわりました。
「おーい観音さーん! ちょっと頼みたいことがあるんだ!
出てきてくれねーかぁー!?」
「‥‥なんの用よ一体っっ!!」
ちょうどお昼ご飯の最中だったL様こと観音様はかなりお腹立ちのご様子。
しかし男はそんなことお構いなく、にっこり笑って切り出しました。
「実はうちの娘らになんか宝になるよーなもんをやりたくてな。
相談に来たんだが‥‥」
「地道に働きなさい!」(きっぱり)
「それが出来りゃー神頼みなんかしやしねーよ!」(さらにきっぱり!)
「ったく近頃の人間ときたら‥‥。
まぁいいわ。 あんたの家族とはまんざら縁がないわけじゃなし。
‥‥ほれ!」
ぶつぶつ言いながらも、
L様はどこからか男の背丈ほどもある巨大な壺を取り出しました。
「‥‥おい、どっから出したその壺‥‥?」
「細かいことは言いっこなし!!
とりあえずこの壺を持って帰って、いっぱいになるまで水を入れてみなさい。
壺がいっぱいになる頃には、あんたの娘には宝が授かっているはずよ」
「おおっ、ほんとか!? そいつぁ〜ありがてぇ♪」
「ってことで‥‥ 特別限定価格、銀貨10枚で、どやっ!?」
ずるっ☆
「‥‥あんたはアヤシイ訪問販売員かっ!?
タダでくれるんじゃねーのかよっ!!」
「だって最近お賽銭が少ないんだも〜ん。
いーじゃない。将来のための先行投資だと思えば♪」
「う〜〜ん‥‥」
男は悩みましたが、自分の方から頼んだことでもあり、
結局、なけなしの小遣いをはたいてその壺を買い取りました。
家に帰り着くと、男は買ってきたばかりの大きな壺を庭先にでん!と据え、
下の娘の頭を撫でてこう言いました。
「待ってろよ〜、リナ。
とーちゃんがすぐにこの壺をいっぱいにしてやるからな!
そしたらお前の人生、もう勝ったも同然だぜ!!」
幼い娘は父親がなにを言っているのかも知らず、ただニコニコと笑っています。
「よし! そんじゃ〜早速仕事にかかるとするか!
え〜と、桶、桶‥‥ 桶はどこだ?」
しかし男がいくら探しても桶は見つかりません。
その日はあいにく奥さんが実家で使う用があって持ち出していたのです。
困り果て、頭をガリガリ掻いていた男がふと顔を上げると、
偶然家の前の通りを隣家の倅がすたすた歩いていく姿が目に入りました。
彼が手にしていたものは‥‥。
「お〜〜い、天然!! 今お前が持ってるそれは、桶じゃねーか!?」
「そーだけど‥‥?」
“天然”と呼ばれて気を悪くしたのか、
隣家の次男坊(当年とって10歳)は無愛想に返事をしました。
もちろん、彼のそんな不機嫌な態度など意に介するような男ではありません。
「ちょーど良かったぜ♪ ちょっとそいつ貸してくれや!」
ずかずかと近づいていき、手を差し出します。
「へ? いいけど、でも‥‥」
「だあああっ! つべこべ言ってねーでとっとと貸せって!!
‥‥あ、それからな、天然。
俺の仕事が終わるまで、こいつの相手しててやってくれ!
いーか、泣かすんじゃねーぞ! わかったなっ!?」
言うが早いか、男は少年の手から桶を引ったくり、
川へ向かって駆け出しました。
「あああ、おっさん!! ちょっと待っ‥‥!!」
少年は慌てて止めようとしましたが、
なにかにシャツを、くん!と引っ張られて、振り返りました。
見ると、小さな女の子が少年の顔をまじまじと見上げています。
人差し指を口にくわえ、反対の手で彼のシャツの裾をぎゅっと握りしめて。
そのつぶらな紅い瞳をしばしの間見つめていた少年は、
やがて、はぁっとひとつ溜息を吐き、
「‥‥ま、いっか‥‥」
と呟いたのでした。
桶を手にするやいなや、男は早速家の裏手を流れる小川から水を汲んできて、
壺を満たし始めました。
ざぶん! しゅたたたた‥‥ ぴちゃん!
ざぶん! しゅたたたた‥‥ ぴちゃん!
けれど、午後いっぱい休みもせずに頑張ったというのに、
水は大きな壺の底にほんのちょっぴり溜まったにすぎません。
「ふぅ‥‥ やっぱお宝を手に入れるためにゃ、
多少の苦労もいるってことか〜。 やれやれ‥‥」
くたびれた男は、とりあえず今日はもう作業を終えることにして、
隣家に預けていた娘を迎えに行きました。
手をつないで一緒に家に帰る道すがら、娘はまわらぬ舌で男に訊ねました。
「とーしゃん、おしごと、もうすんだの?」
「いや〜、それがまだなんだ。
いくら観音さんとの約束でも、そう簡単にはいかねーみてーだな」
「ふ〜ん、そお。 がんばってね、とーしゃん」
「おうっ、任せとけっ♪♪♪」
娘に応援されると男はたちまち元気を取り戻し、上機嫌で胸をドン!と叩きました。
そして、
「リナはあれからなにしてたんだ?
まさかあの天然、お前にいじわるなんかしなかったろーな?」
父親の問いかけに、娘はふるふると首を振って答えます。
「ううん、がうりい、やさしーよ。
きょうね〜、おはなつんでくれたんだよ♪」
それを聞いて男はひと安心。
翌日もまた娘を隣の少年に預け、自分は水汲みに精を出したのでした。
次の日も、その次の日も、男の作業は続きました。
男が水汲みにかかるたびに娘は隣に預けられ、
隣家の方でも娘を家族ぐるみでかわいがってくれていました。
そうして何日も、何週間も、何ヶ月もが過ぎ、
とうとう5年の歳月が過ぎた頃、
壺の中にはようやく3分の1ほど水が溜まりました。
「今日はなにして遊んだんだ、リナ?」
いつものように帰り道、男が娘に訊ねます。
すると娘は答えました。
「んとね、せっせっせ♪とか、むすんでひらいて♪とか」
無邪気な娘の答えに男は、
「ふっ‥‥。 まだまだ子供だな」
と、笑いました。
そしてまた月日は流れ、壺の3分の2が水で満たされた頃。
いつも通り、男は娘に訊ねました。
「リナ、今日はなにをして遊んでた?」
娘はにっこり笑って答えます。
「あのね、お医者さんごっこ♪」
ずべっ☆
「とーちゃん、大丈夫!?」
「い‥‥いやなに。ちょっと滑っただけだ! ははは‥‥!!」
「もう、とーちゃんったらそそっかしいんだから。 うふふ♪」
「あっははははは‥‥!!
‥‥た、ただのガキの遊びだ、遊び‥‥ふ、はは、はははは‥‥‥(汗)」
しかしなんとなく不吉な予感が働いたのか
翌日から男の作業スピードはぐん!と上がり、
壺の残り3分の1が満たされるのに、3年とかかりませんでした。
「うおおおおっっっ!!! リナ、ついにやったぞ〜〜〜っっっ!!!!
これでお前の将来は安泰だっ!!!!
さぁ、早く帰って祝杯をあげよーぜっっ♪♪♪」
もはや用の無くなった桶を振り回し、男は喜び勇んで隣家に駆け込んでいきました。
ところが娘は申し訳なさそうに、彼にこう言ったのです。
「ごめん、父ちゃん‥‥。 あたし、もう家には帰らない。
ここの家の娘になるの」
「!!‥‥なんだってっ!? そりゃどーゆーことだ、リナ!?」
愕然とする男に、娘は頬を染めて答えました。
「だって‥‥‥ できちゃったんだもん♪」
ちゅどーーーーーんっっっ!!!!!
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「こら〜っ、観音っ!! 出てきやがれ、この悪徳商法菩薩っ!!
おい聞こえねーのかよっ!! おらおらおらあぁぁぁっっっ!!!!」
だんだんだんだんだん!!!!
「やかましいわねっ!! 誰っ、この忙しい時にっ!!?」
騒ぎを聞きつけ、観音様がエプロン姿で現れました。
晩ご飯の支度の真っ最中だったL様観音は相当ご立腹のご様子。
堂守の部下Sなど、手にされた出刃包丁を見ただけで失神してしまいましたが、
完全に逆上している男はそれどころではありません。
「てめぇっ!! あの時、壺が水でいっぱいになったら宝が手に入るなんて
いいかげんなことをぬかしやがった挙げ句、
人から銀貨10枚もふんだくっといてっ!!
この結末は一体なんなんだっ!!?」
食ってかかる男に、L様はしれっと答えました。
「あら。宝ならちゃ〜んと授かったじゃないの」
「なに‥‥?」
「だから、子宝が♪」
「‥‥‥そーゆーオチかい‥‥っ!!!」
男はすっかり打ちひしがれ、とぼとぼと引き返して娘に訊ねました。
「なぁ、リナ。 ひとつだけ教えてくれ。
あいつがお前に最初に手を出したのはいつだ?
お医者さんごっこの時か? せっせっせ〜の時か?
それとも‥‥ お花摘みの時かっ!?」
「それは秘密でぃす♪」
「‥‥‥‥‥‥(滂沱)」
その後、娘は隣りの次男坊の許へ嫁いでゆき、
翌年の初めには可愛い赤ん坊が生まれました。
とても仲睦まじい夫婦でしたので、
二人の間にはそれからもたくさんの子供が授かり、
今やお祖父さんとなった男は、孫達の良い遊び相手になりました。
男は孫達を集めては、
『働かざる者食うべからず』とか
『幸せは己の手で掴むもの』とか
『安物買いの銭失い』
『後悔先に立たず』
『泣いてどうなるものでもない』などといった
とてもためになる話を、たびたび聞かせていました。
孫達が男の話を聞いて、皆立派な大人に成長したことは言うまでもありません。
だって良いお手本がいつも目の前にいたのですから。
・・・・・おしまい☆