By りょーさん
その日は、なんだかすごくいいお天気で。空は蒼く澄み渡って、少し涼しげな風も気持 ちいい、とっても気分のいい日だった。あたしもガウリイも、ゆったりした気持ちで街道 を歩いていた。 あたしたちが今歩いているのは、ゼフィーリア公国の国境から王都ゼフィール・シティ に向かう街道。収穫期にはゼフィーリア名物の葡萄と葡萄酒を載せた馬車が行き交う、「 葡萄街道」と呼ばれる路。街道の左右には、見渡す限りの葡萄畑が広がっている。丁度、 今は取り入れどきで、あちこちで葡萄を収穫する人が見える。 この街道をあと数日進めば、あたしの実家に着く。久しぶりに見る故郷の風景はやっぱ り懐かしく。あたしは知らず知らずのうちに足取りが弾んでいるような気がした。けど、 なんだか気が晴れきらないこともあって・・・・ 「たまには里帰りもいいだろ。丁度、葡萄の季節だし」とガウリイに言われて決めたあ たしの実家への旅だけど・・・・こいつ、ほんとはどんなつもりで言ったんだろ? 何も 考えてないクラゲなんだか、わかったうえで言ってるんだか、わけわかんないヤツだから。 ちらちらとガウリイを眺めてみるけど、なんだかぽけぇっと上の空で歩いてるし。 あ〜あ・・・なんとなく溜息が出そうになったとき、あたしの耳に聞き馴染みのある歌 声が微かに聴こえた。 ばふっ。 「あ痛っ。もう、どこ見て歩いてんのよっ?」 「あ、悪い悪い。お前さんが突然立ち止まるから・・・」 ちょっと耳を澄まして立ち止まると、ぼうっと歩いてたガウリイに後ろからぶつかられ た。ったく、もう。 「うん、ちょっとね・・」 短く答えると、あたしは音の出所を捜すために目を閉じて耳を澄ました。 「なあリナ、いったいどうしたんだ?」 「ちょっと黙って!」 ガウリイを一喝して黙らせると、あたしは自慢の耳をフルに機能させた。微かな音だけ ど、確かに聴こえる。 「ガウリイ、聞こえない?」 「何がだ?」 「歌よ」 視力だったらあたしよりずっといい----と言うより、人間離れしている----けど、聴力 はあたしほどじゃないんだ、ガウリイって。それでも、何か音が聞こえてるってことくら いはわかったみたい。 「行こ」 あたしは聞き耳をたてたまま、先に歩き出した。ガウリイも静かに付いてくる。街道を 少し進むと、歌声の出所がわかった。街道の傍の葡萄畑の中に建った、小さな集会所。そ こから歌が聴こえている。 あたしの横に立って、ガウリイも耳を澄ましているのがわかった。小刻みに頷いている ところを見ると、一応、歌だとはわかっているんだろう。 「『寿ぎの歌』よ」 どうせガウリイは知らないだろうけど・・・・そう思いながら言ったあたしに、やっぱ りガウリイはあっさりした返事を返した。 「ふ〜ん。よくわからんけど、気分のいい歌だな」 ま、そりゃそうでしょうよ。 「結婚式の祝いの歌よ。あんたの国じゃ歌わないの?」 結婚式という単語を口にするのに、あたしはなぜか緊張してしまった。ガウリイがそれ に気付いたかどうか、気になったけど。 「さぁ? 俺、そーゆーのに興味持ったことないからさ」 ええ、ええ、どうせそうでしょうねっ。わかってはいたけど、あんまりにもあっさりし た返事に思わずむっとしてしまう。 けど。なんだかガウリイ、妙に歌に聞き入ってるみたい見えるんだけど・・・・どうし たんだろ? こーゆー歌が珍しいのかな、単に。 ちょっと迷ったけど、あたしは集会所に向かって歩き出した。 「どこ行くんだ、リナ?」 不思議そうに問い掛けるガウリイに、内心どきどきしながら、何気ない素振りで、 「折角だから、結婚式のぞいて行かない?」 そう言ってみた。ガウリイのヤツ、きょとんとした顔をしてる 「ガウリイ、見たくないの?」 あ。声がなんだか刺々しくなっちゃったかもしれない。 「あ? いや、そんなことないぞ」 あたしが機嫌を損ねたことに気付いたからだろうか。軽く応えて、ガウリイも歩き出し た。 集会所の前に立つと、『寿ぎの歌』のラストが響くところだった。 「♪空よ 若きふたりを寿ぎたまえ 陽と雨の恵み とこしえに降り注がせたまえ ♪地よ 若きふたりを寿ぎたまえ 豊かなる実り とこしえに与え育みたまえ 」 子どもの頃から何度も聞いた歌。ゼフィーリアの人間なら誰でも知ってる歌だけど。こ んなに暖かい響きだったんだと、今、初めて気付いた気がする。 歌声が止み、集会所の中から花を抱えた人たちが出てきた。玄関の左右に整列して、こ れから新郎新婦を通す「祝福の道」を作るのだ。 抱えきれないほどの花をもった婆ちゃんが、あたしたちに近づいてきた。すごく満ち足 りた、幸せが零れそうな笑顔の婆ちゃん。 「あんた方、旅の人かね?」 「ええ。通りかかりに歌声が聞こえたので、つい」 そう答えたあたしに、婆ちゃんが花を差し出した。 「孫娘の結婚式なんだよ。通りかかったのも何かの縁じゃし、あんた方も祝ってやって くれんかね」 「ええ、喜んで」 花を受け取って、あたしは列に並んだ。ガウリイにも花を半分渡す。こんなこと男は嫌 がるものかと思ったけど、ガウリイは何も言わずにあたしの横に並んだ。 やがて。清廉な鈴の音が響き、扉が再び開いた。現われたのは、純白のウエディングド レスに身を包んだ花嫁と、同じ純白のスーツを着込んだ花婿。列に並んだ人たちが、口々 に祝いの言葉を投げかけた。 花嫁が紅潮した顔で嬉しそうに微笑んだ。ドレスも、ヴェールも、取り立てて高価なも のではないのだろうけど。でも、彼女は誰よりも輝いて、誰よりも綺麗だった。あたしが あんなに綺麗になれるときは、あるんだろうか。 花婿が花嫁を抱え上げた。皆、わっと歓声をあげて囃し立てる。ひょろりとした花婿は ちょっとよろけて見えたけど、でもすぐに立ち直った。花嫁を抱き抱えた姿は、まるで世 界で一番の宝物を手に入れたかのように誇らしげに見える。 ・・・・ガウリイだったら、きっと軽々と抱き抱えるんだろうな。鍛え上げた逞しい腕 で、あたしなんかひょいって・・あ、あた、あたし、あたしって、ちょっとリナ!? 変な想像をしちゃったせいで、あたしは隣にいるガウリイが急に気になった。ガウリイ は、どんな顔をして結婚式を眺めてるんだろう。どんなことを考えてるんだろう。そっと、 ガウリイの顔を見上げてみた。・・ふぅ・・ん。意外、だな。こいつ、なんだか真剣な顔 で見てるんだ。 不意に、ガウリイがあたしを見下ろした。視線が合って、あたしは不意に口走りそうに なった。・・・・あんたは何を考えていたの? 勝手に動きかけた口を、必死で押し留め る。ガウリイの唇も動きかけて・・でも、何も言わずに閉じてしまった。 ガウリイ。あんたは何を考えていたの? あたしに何を言おうとしたの? 花婿と花嫁が「祝福の道」を通り過ぎ、結婚式は終わった。 「祝ってくれてありがとうねえ」と笑顔で言う婆ちゃんに手を振って、あたしたちはま た街道を歩き出す。 黙ったまま、あたしたちは歩いた。ガウリイがどんな気持ちで結婚式を見ていたのか。 どんなつもりで、今、あたしの実家に向かっているのか。聞きたいことはあったけど、口 に出すのはなんだか怖かったから。黙って、あたしは歩いた。 突然、ガウリイがうんっと伸びをした。ああ、そうか。ガウリイには、ただ肩が凝るだ けの時間だったんだ・・・・ 「そんなに退屈だったの?」 あたしの声、きっとヤな響きだろうな。 「いや、別に」 やけに簡単なガウリイの返事。あたしは、ふうん、と鼻先だけで応えた。腹が立ってい るのか、哀しいのか、自分でもよくわからない気持ちだった。 いきなりガウリイが伸びやかな声で言った。 「さっきの花嫁、綺麗だったな」 びっくりした。思わず、小さな声であたしは答えた。 「うん」 言葉を噛み締めるようにして、ガウリイが続けた。 「ふたりとも、幸せそうだったな」 「うん」 急に照れ臭くなって。あたしはそっぽを向いたまま、返事をした。 「もうすぐ・・」 言いかけて、ガウリイがふと口をつぐんだ。もうすぐ? もうすぐ、何て言おうとした の? そっとガウリイを見ると、なんだか頬が赤い。 「もうすぐ、おまえの実家に着くな」 今、ガウリイってば何かを誤魔化した。なんとなく、そう思った。ほんとは違うことを 言おうとして、でも照れ臭くて誤魔化したんだ。だから、あたしも短く答えた。 「うん」 ほんとに言おうとしたことをガウリイが言ってくれるまで、あたしだって答えてはやん ないんだ。 ガウリイが言おうとしたことがなんだったのか、想像してあたしはまた頬が熱くなった。 そのまま、あたしたちはまた黙って歩き続けた。 その日は、なんだかすごくいいお天気で。空は蒼く澄み渡って、少し涼しげな風も気持 ちいい、とっても気分のいい日だった。あたしたちは黙って、頬を熱くしながら歩いてい た。あたしの実家まで、あと数日の旅の日を。 |