『選び取りし奇跡』

−あり得たかもしれない一瞬−(−Form Vol.00 and Vol.11−)



―― たとえ誰にも許されないことでも 想いが全てを越えるなら
   たとえ思い出すことはできなくても 確かに魂は覚えている
   たとえ一瞬のものでも 真実はすべて自分の中にあるのだから ――



「おいリナ、なんだそれ?」
 街道沿いの宿屋に腰を落ち着け、隣の部屋に行った時、リナは荷物の整理の真っ最中だった。
 袋の中からベッドの上に転がり出たモノに、不意にオレは目を引かれた。
 リナのイヤリングより二周りほど小さい、乳白色の真球の珠。
「これ?
 珍しいわね、あんたがお宝に興味示すなんて」
「――だってよ。
 ずいぶんと不思議な光出してないか、それ?」
「へえ、ガウリイにもわかるんだ」
 リナは苦笑して、それを持ち上げた。
「それも『魔法の品』ってヤツか?」
「うん。それも絶品よ」
 オレは脇の椅子に陣取って、あらためて眺める。
 なんでだろう。
 ほんのり暖かな優しい光に、やたらと惹かれてしまう。
「――なあ、リナ。
 それ、くんないか?」
 自分の口から出た言葉に、オレ自身が驚いた。
 当然リナも、それでなくても大きな栗色の瞳を、思いっ切り見開いている。
 おい、何でこんなこと言ったんだ、オレっ!?
 だけど―――
「あ、いや、だから、その、な」
 焦るオレに、リナは意味深な表情で、珠を両手で包み込むように隠した。
「あげないわよ。
  とっても大事なモンなんだからっ」
 ――そりゃそうだろう。
 このリナが、逸品のお宝を離すはずがない。
 だが、次に出てきたセリフは意外なモノで。
「いつの間にか持ってたんだんだから、何なのか、あたしにもまだわかんないんだもん。
 いくらガウリイだって、絶対にダメ」
 ?
「どういうイミだ?
 いつものようにおまえが作ったとか、誰かからぶんどったとかじゃないのか?
 だいいち、何だかわかんないのに、なんで大事だってわかるんだよ」
 リナは困ったような顔をしながら、そっと手を開いて珠を見つめた。
「んー、理屈じゃないの。
 これを持ってると、何だか安心出来るのよ。
 とっても優しい感じがするっていうか。
 それにね………」
 本当にそんな力があるんだろう。
 いつになく、リナの表情が穏やかになっている。
 オレは何だか、愛しいような、淋しいような気分になり。
 自分が抱きしめて、そんな表情をさせてやりたい――そんな風に思っていた。
 もちろん、リナはオレがそんなことを考えているなんて、知りもしないだろうが。
「どうしてだか、持ってなきゃいけないような気がするのよ。
 ――絶対手放しちゃいけないような……」
 ――そっか。
 オレがさっきとらわれたのも、そんな感覚だった。
 これは、必要なモノなんだ、と。
 オレは立ち上がって、リナの頭を撫でた。
「ガウリイ?」
「やっぱりおまえが持ってた方がいい。
 オレだと、どこかに入れて忘れちまうかもしれんしな」
 くすっと苦笑いしたリナは――、ゆっくりと緊張したような顔つきになった。
「――いよいよ明日、だしね」
「ああ。明日だから、な」
 オレ達は静かに見つめ合った。



 ――オレの恩人・ネイムが殺されてからの一連の事件。
 その犯人と目される暗殺団の一味のアジトは、もうすぐ近くまで来ていた。
 明日、全ての決着が付くだろう――きっと。
 ―――そうしたら……オレは……














 オレが意識を取り戻した時、目の前は血の海だった。














「………リ……ナ………?」
 声が、それ以上出てこない。
 そのおびただしい流血の主は―――




「リナっ!!」
 自分の動きが、恐ろしく緩慢に感じた。
 手を伸ばせば届きそうな所にいるのに。
 気持ちだけはとうに、倒れ伏したリナの元へ届いているというのに――現実の距離はもどかし
いほどに縮まってくれなかった。

「リナ! しっかりしろ!!」
 力を失ったリナの華奢な身体は、自分の血で真紅に染め上げられていた。
 満月の光の蒼さのせいなんかじゃなく、顔色は蒼白だ。
 口の端から血が流れている。
 右側のショルダーガードが砕けているということは、肺が傷ついているのかも知れない。
 焦れながらも、そっとリナを抱き起こす。
 ぼたぼたとイヤな音を立てて、血が続けて滴り落ちた。
 オレの手にも、瞬く間に幾筋もの紅い流れが伝って来る。
 血はまだ全然固まってない。
 ケガしたのはたった今だろう。
「リナi! リナっ!!」
 オレの必死の呼びかけに、瞼がようやく少し動いた。
「リナ!」
 ほんの少しだけ開いた瞳は、昏く濁っている。
「リナっ! オレがわかるか?!」
 失血のせいだろうか、唇も紫だ。
「………ガ……ウ………」
 その口から、声とは呼べないような空気の漏れる音がした。
 かなり呼吸が辛いようだ。
「いい。
 無理してしゃべるんじゃない」
 リナが切なそうな表情を浮かべ。
 震える左手が、オレの髪に伸びて――ようやく一房を掴まえる。
 不安なのか?
 オレは出来る限り動揺を抑えて、優しく言った。
「心配するな。
 オレはここにいるから。
 もう絶対にどこにも行ったりしない。
 ずっとおまえの側にいる」
 少しでも安心出来るように、額に口づけ。
 本当なら唇にしたいとこだが、息がしにくい時にそんなことは出来ない。
 リナの顔に、ようやく安堵したようなかすかな笑みが浮かんだ。
 励ますように、微笑み返してやる。
「もう少し我慢しろよ。
 今すぐ医者に連れて行くから――」
 片手でリナのマントで外し、傷を縛ろうとして、オレは初めて気付いた。
 真っ二つに砕けた右のショルダー・ガードの下にあったのは―――
 肩口から鎖骨を断ち切り、胸まで届いている一直線の深い傷。
 鮮やかなほど鋭利な刀傷。
 これは―――


 背中に冷たいモノが流れる。
 絶対にそんな覚えはない。
 そんなはずがない。
 ――けれど。
 周囲を見渡しても、あるのはただ鬱蒼とした夜の森だけで。
 月明かりに照らされた細い街道には、オレ達以外には誰の気配もない。
 そして、さっきまでオレがいた場所の後方に転がる――血飛沫をまとった一振りの抜き身の剣。
 それが何かは――考える必要もなかった。
 ごくり、と喉がなった。
「――まさ――か………?」
 ――オレがリナを!?!?!?
 誰よりも大切に想っている存在を!?!?!?
 この世の何に誓っても、そんなコトをするはずがない!
 ――だが。
 敵はどこへ行った?
 オレはなぜ意識を失ってた?
 その間に、リナに何が起こったんだ?
「…………じゃ……な……い……」
 呆然としたオレの表情で、何を考えているかわかったのかもしれない。
 リナが消え入りそうな声で囁いた。
「リナ!?」
「……あな…た……じゃ………」
 ごぼっ。
 嫌な音を立てて、リナの口から血が溢れる。
「リナっ!!」
 それが精一杯だったのだろう、そのまま再び気を失ってしまった。
「リナ!」
 呼びかけても、もう反応はない。
 ―――そうだ。
 とにかく今は、何があったかを考えるより、リナを医者に運ぶ方が先だ。
 リナさえ助かれば、すべてははっきりするだろう。
 そう、リナさえ無事なら……
 オレは必死で動揺を抑えて、傷口を縛りにかかった。
「……うっ…」
 思わず声が漏れる。
 長いこと傭兵なんかやっていると、否応なく致命傷とそうでないモノの区別は、大方付くよう
になってしまう。
 このリナの傷は―――
 心臓が強く締め付けられる。
 動悸が激しく、身体中に響いてくる。
「リナ! しっかりしろ! 負けるんじゃないぞっ!」
 オレはリナを抱き上げると、全てを振り払うように駆け出した。




 鮮血が流れ続ける。
 リナの生命を、身体から運び去っていくように――。
 止めようのない流れは、オレの手から服に染み込み、ズボンまで届き始めていた。
 その生暖かさ、血を吸っていく布の感触がたまらなかった。
 それとは逆に、リナの顔色はどんどん失われ、身体は冷えていく。
「リナ、逝くんじゃない、オレをおいて逝くな……!」
 まるでリナをつなぎ止める呪文のように、必死で繰り返す。
 かなり走ったはずなのに、まだ家の明かりは全く見えない。
 月明かりに照らされた景色の中、何も変わることなく、生きているモノはオレ達だけだった。



 ――ついさっきだったはずだ。
 おまえをこの腕に抱いて、唇に触れたのは。
 そして、誓ったはずだろう。
 二度と離れないって。
 何があっても、オレ達は一緒なんだって……!
 約束を破ることは許さない。
 オレが絶対に護らせてみせる。
 一人でなんか逝かせてたまるか……!!





 不意に。
 全身をぞっとするような感覚が貫いた。
 反射的にオレの足は止まって――
「………リ……ナ……?」
 覗き込んだリナの顔色は、すでに白を通り越していた。
 身体が小刻みに震えているコトに気付かないまま、そっと顔を近づけてみる。
 ――――――!!
 そのまま、膝が崩れた。

「リナ! リナ!! リナっっ!!」
 必死に呼びかけ、身体を揺さぶっても、リナは何も反応しない。
 覆い被さってくる昏い死の影の濃さが、はっきり感じられた。
 頭を支えて、息を吹き込む。
 さっき触れた時は、暖かくて柔らかだった愛しい唇は、すでに冷えかかっていた。
 必死に繰り返しても、呼吸は戻ってこない。
 かすかに触れる脈も、今にも止まってもおかしくない程で……。
どんなに優れた剣があっても、死の影は切れない。
 ――今のオレにはもう打つ手がない――のか?


 ――このままリナを失う?
 そんなことは、絶対にさせない。
 やっと再会して、ようやくお互いが何より大切な存在だと、確かめ合ったばかりなのに。
 どんなものにだって、奪い取られてたまるか…!
 何か。
 何か、リナを救う方法はないのか!?
 誰か、リナを救える手段を持ってるヤツはいないのか!?
 オレに出来ることなら、何でもする!
 何かを代償に差し出せと言うなら、惜しいモノなど何もない。
 生命や存在そのものでも、くれてやるから。
 リナを、オレの一番愛しい存在を助けてくれ……!!
 オレは無意識に、救い手を求めていた。
 ―――誰か、誰か、誰か、
 
誰かーーーーーー!!!!








 ――どのくらい時間が経ったのか。
 様々な人の顔が浮かんでは消えていく。
 今はもういない、大切な人達―――
 護れなかったという強い遺恨だけが、胸を締め付ける。
 ――リナもそうなるのか……?
 オレはまた、大事な人間を護りきれないのか……!?


 不意に、見覚えのない姿が浮かびあがった。
 ―――誰―――だ―――?
 知らないはずなのに、なぜか知っているという気がする。
 長い蜜色の髪に、幸せそうな微笑み。
 ――誰かに似ている…?
 ――そうだ……
 表情や雰囲気は全く違うが。
 金色の魔王に憑依された時のリナに――。
 誰なのかを考える前に、強い想いが胸の奥からわき上がってきた。
 リナへの想いとは全く違う、なのに、同じほど強い感情――。



 突然、まばゆい光が、リナから放たれた。
 瞼まで貫いて、直接頭の中まで白く染め上げる。
 今までのしかかっていたひどく重い圧迫感と、何かが解き放たれて行くような開放感、相反する強い力同士が、交錯して弾けたような感じがした。
 目を開けると、光は、リナのベルトに付いていた小さな革袋から出ていた。
 手を突っ込んで掴み出すと、 月よりはるかに明るい光が放っていたのは――。
 ――これは――確か、リナが大事にしていたモノじゃなかったか?
 宿屋での出来事が甦る。
『持ってなきゃいけないような気がするのよ。
 ――絶対手放しちゃいけないような……』
 リナが言ってたこと、オレが感じたものは、このことだったのか???
 強くて暖かな光が、絶望の中、唯一の希望のように見えた。


 オレは、右手でその珠を握りしめた。
 いったいどんなモノが、これに込められてるかはわからない。
 オレが望むような類いの力じゃないのかもしれない。
 だが、これが最初で最後のチャンスのような気がする。
 魔法など全然知らないオレには、使い方の見当すらつかないが。
 もう迷っている時間はない。

 ――頼む…!
 オレに力を貸してくれ!
 オレに出来ることなら、何でもする!
 たとえ、オレの生命をリナにやるなんてのでもかまわないから。
 とにかく、リナを…
 リナを救ってくれっ!!




 ぱしんっっっっ…!




 小さな音を立てて、手の中で珠が砕け散った。
 ――失敗したのか!?
 焦るオレをヨソに、細かに分かれたカケラは光になって、オレ達の周りを螺旋を描くように飛
び交い、また一つに集まった。
 そして、すっぽりと包み込むように、ゆっくりと膨れ上がって――
 全身を、暖かなモノが満たしていく。
 白に包まれる視界に、不思議なイリュージョンが浮かび上がった。



 いつもとは違う――エプロン姿で楽しそうに笑うリナ。
 その両脇でまとわりつく、赤茶色の髪のそっくりな男の子が2人。
 膝に触れる感覚に視線を落とすと、リナと同じ髪の色をした男の子がいた。
 ――おまえ、誰かによく似てないか…?
 さらに、今までリナを抱いていたはずの左腕には、幸せそうな笑顔を向ける蜜色の髪の、ひと
きわ小さな女の子―――。
 再び、胸の奥から強い感情がわき上がる。
 理屈はなく、ただ、ひたすら純粋な想いが。
 愛おしくて愛おしくて、何に変えても護ってやりたい、幸せにしてやりたい。
 涙が出そうな程、切なくて、愛しくて――。
 唐突に、その幼い女の子が笑顔はそのままに、初めて合った頃のリナより少し小さい位の姿
――先ほど見えた少女――に変わった。


「……おまえ…は……」
 その瞬間、まるでフラッシュバックのように、画像が頭の中で弾けた。
 悲しそうに涙を浮かべている顔。
 抱き寄せた時の嬉しそうな微笑み。
 強力な呪文を唱える意志の強い表情。
 動物達に囲まれ楽しそうな笑顔。
 様々な顔が、一瞬のうちに交錯した。
 そして――別れ際の切なげな表情が―――
『これをあげるね。
 どうしても必要な時に、一度だけ使えるようにしてあるから』
 そうだ。
 あの珠はあの時に―――



 オレの中でも、何かが弾けた。

 ―――全て、判った。
 どうしてこんなに愛おしいのかも。
 知っているはずがないのに、確かに知っている者。
 オレと愛しい少女
〈リナ〉の血に連なる者。
 まだいるはずのない――なのに、確かに出会っている者。
「―――おまえ――が―――助けてくれる――のか―――」
 オレはゆっくりと呟いた。
 少女の姿が、嬉しそうにうなずいた。



 つうっ、と涙が一筋流れる。
 どうして忘れていたのかも、判った。
 あれは許されない出会い。
 覚えていれば、全ては歪みに向かうから。
 小さな歪みでも、やがて、修復出来ない不整合を引き起こす可能性がある。
 最悪に転べば、おまえ達も生まれて来れないかもしれない。
 なのに。
 来てくれたのか。
 刻
〈とき〉に逆らい、何もかもに逆らい、オレ達のために。
 幻は、出会った時の姿のまま、切なそうに呟いた。
『―――おとーさんだけじゃないの。
 もう一人、とっても強い力のあるヒトが、呼んだから来れたの』
 それが誰かは判った。
 そのイミも、オレは知っている。
 時空をねじ曲げる程の力を持つ存在を内包した者。
 『奴』と戦うオレ達の姿が、一瞬よぎる。
 ――それもまた、一つの可能性。
 あり得たかもしれない瞬間。
 だが、選び取るのはいつでも自分だから。
 現実に、あいつの大切な者は、 はるか先に存在する少女――オレの大切な『娘』――に救われている。
 どういう作用なのかは判らない。
 けれど、確かに望みはかなったのだ。
『でもね。これがせいいっぱい。
 この後は、おとーさんが、おかーさんを護ってあげてね…』
「ああ、わかってる。
 任せておけ」
 オレは2度と間違わない。
 決して大切な人間を失ったりはしない――。
「この瞬間が過ぎたら、また忘れなきゃならないんだな」
 泣き虫の娘が、小首をかしげると、また泣き笑いする。
『すぐ会えるよ』
「ああ、すぐだな」
 静かに、白い闇の中に、華奢な姿が溶けていく。
『大好きだよ、おとーさん。おかーさんも……』
 オレはその言葉を噛みしめながら、ゆっくりと言った。
「オレもだ。―――
レイナ―――」



 それがキーワードだったのか。
 全ての感覚がなくなった。
 視覚も聴覚も触覚も。
 ただ、『空
〈くう〉』が満ちる空間。
 そして、『否定』の意志だけが、オレを貫いた。
 あまりに強烈な、抗うことすら許さない、何かの『力』のようだった。
 それが多分、刻の修復力なのだろう。
 オレが、レイナが、本来あるべき姿と場所に戻るための―――





 光が治まった時、全ては元のままだった。
 オレはしばらく、ぼんやりとしていた。
 どうやらリナを抱きかかえたまま、街道に座り込んでいたらしい。
「…何…か…あったの…か……?」


「……ん……」
「リナ?!」
 腕の中の微かな声に我に返ったオレは、リナを抱き寄せた。
 顔を近づけると、顔色は変わっていないものの、息は戻っている。
 それに――はっきり確信は出来ないが、出血も止まっているようだった。
「リナ、もうちょっと我慢してくれよ…!」
 立ち上がりかけて、オレは自分の頬に伝わっているモノに気付いた。
「―――――」
 その理由を考えようとすると、どういうワケか胸が疼く。
 無性に、誰かの名を呼んでやりたかった。
 リナにその名を伝えてやりたかった。
 けれど、どうしても出てこなくて。
 ――出てこなくていいんだという気が――した。
 いつか判るような確信があった。
 リナさえ助かって、オレ達が一緒に生きてさえいれば。




 オレは再び全速力で、街に向かって走り出した。






―― 一途な強い想いは 時に 様々な『事象』を引き起こす
   『場所』を越え 『刻』すらも越えて
   その理屈を越えたものに ヒトは『奇跡』という名を冠する ――



<<END>>






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