<<その1 長男坊・ガルの場合>>
「あ、ガルー!
いいトコに来たっ」
「なにさ、母ちゃん?」
「ちょっとおつかい頼むわ。
じーちゃんの店まで行って来て」
「いーよ」
台所の前を通りかかった長男坊に、渡りに船とばかりにリナが声をかけたのは――昼下がりのこと。
夕食のメニューを決めていたらしく、調理台の上には山盛りの食材が乗せられている。
「じゃあ、トマトピューレを2瓶、よろしくね」
「うん、お金は?」
「じーちゃんのトコだから、後払いでいいわよ」
「そっか、じゃあ行ってくる」
「気を付けてね〜」
駆け出していった長兄を見たレイナが、リナの元にやってきた。
「おかーしゃん、ガルおにーしゃん、どこいったの?」
「おつかいよ」
「『おつかい』ってなーに?」
「頼んだ用を足してきてくれるってコト」
「おとーしゃんが、おじーしゃんのおみしぇでしてるみたいなの?」
「そーそー、あんなモンね」
ガブリエフ家の主・ガウリイは、傭兵仕事がない時には、リナの実家のインバース商会のご用聞きなどをしているのだが――。
「おにーしゃん、かわいしょー」
「……なんで?」
「だってぇ、おとーしゃん、いっつもおつかいしゅんだあと、おじーしゃんにぱしぱしたたかれてるんだもん。
おにーしゃんもかえってきたら、おかーしゃんにたたかれるんでしょ?」
「………………それ全然違ってる、レイナ」
元々物忘れには定評があるガウリイのこと、原因はわかりすぎている。
しかし、不思議そうに小首を傾げる末娘に、その理由をどうやって説明したらいいもんだか。
亭主が帰ってきたら、娘にそういう誤認をさせた罪状で叩いてやろうと誓うリナであった。
いつもながら元気一杯のガルデイは、オリジナルルート――平たく言えば近道を驀進していた。
「おー、ガル!
今日は一人かー?」
「ああー! ちょっとおつかいでさっ」
すっかり敷地を通り道にされている家々も、今さらという感じで全く気にもしていない。
さすがは豪気がウリのゼフィーリアの国民気質と言うところだろう――か?
「よー、マイバっ。
元気かー?」
ばうばうっ!
「今いそいでっから、また後でなっ!」
わぉんっ!!
――当然、犬も馴染みらしい。
「よー、スポットー!
ひさしぶりじゃん!」
唯一、ここにいた。
ガブリエフ一家の構成員に会うと、脱兎のごとく逃亡を図る住人が。
たっくる!
「はっ、離せっ!!」
インバース家の裏庭で8歳の少年に押し倒されて、情けなくもがいているのは――伯母ルナのペットである、ディルギア。
けれど、ここでは誰一人としてその名で呼んだ試しがない。
「何で逃げんだよー!? スポットっ」
「だから、俺は『スポット』じゃないって言うのに!」
「飼い主のルナおばちゃんが、そー呼んでいいって言ってんだから、そうなんだろ?
丈夫でこわれないから、全力で遊んでいいってさ」
「勝手に決めるなぁぁ!」
「そんなでっかいずうたいしてんのに、こまかいヤツだなぁ」
芝生に座り込んで、ガルデイが頭をかく。
その仕草や表情は、ディルギアことスポットのよく知っている某人物に生き写しである。
「――おまえ、ほんっとに親父そっくりだな」
「そっか?
父子だから、別におかしかないだろ?
それより、ずいぶん長く見かけなかったじゃん?
レイナが会いたがってたぞ」
びびくうぅぅっっっ!!
思いっきり硬直する、スポットという名の定着してしまったトロルと狼のハーフ。
「そ、それがイヤで、姐さんの用足しに出かけてたってのに――」
どうやら彼にとって、無敵の末姫は鬼門であるらしい。
ガルデイは自分よりはるかに大きな獣人を見上げて、呆れた顔をする。
「今さらなーに言ってんだか。
まだ赤ん坊だったレイナに押し倒されて、無条件降伏したヤツが―――
………あーーーーーっ!」
ようやく本来の目的を思い出したらしく、また慌てて駆け出すガルデイ。
「何だよ!? おいっ!」
「おつかいわすれてたんだってっ!
やべー! 母ちゃんに殺されるっっ!!」
ディルギアは座り込んだまま、呟いた。
「――どこまでも、まんまだな、ありゃ」
「じーちゃん、じーちゃんっ!」
店先に勢いよく駆け込んできたガルデイに、数人いた客は度肝を抜かれたようだ。
「おう、ガルじゃないか。
他のはどーした?」
さすがは元傭兵、インバース商会の店主だけは、品物の入った箱を持ったまま落ち着いて尋ねた。
「アレくれよ、アレっ!!」
「――『アレ』じゃあわからんだろうが。
ちゃんと品物の名前で言え」
「あ〜、ごめんっ。
えーと、『トマト……』………」
息を整えながら、思い出そうとするガルデイ。
「『トマト………』」
「ケチャップ?」
「ジュース?」
なかなか出てこない名詞に、客達が連想ゲームを始めてしまう。
「トマトソースは?」
「案外後に付いて、ホールトマトとか」
「いや、単なるトマトがいくつ、なんじゃないか?」
祖父は思い出しやすいように、トマトに関する品物をレジの前に並べて見せる。
「さあ、どれだ?」
「じーちゃん、2コだよ、2コ」
不満そうな顔で、ガルデイが祖父に言う。
「個数を思い出す前に、品物を思い出せ!
おめえは親父かっ!?」
普段は孫にメロメロ気味の店主だが、ガルデイに関してだけは、いまだに尖ってしまう婿を彷彿とするのか、時々ツボに入ってしまうらしい。
「えーと………………えーと………ぉ………。
………『トマトパン』?」
「んなのあるかぁっ!!」
「――で? 何なの、これは?」
「だからさぁ、じーちゃんがとりあえずもってけって」
ふたたびガブリエフ家の台所。
リナとガルデイは、お持ち帰りされた『トマト』と名の付く品々を挟んで対峙していた。
「一通りもってけば、どれかがあたってるだろーって」
「………そりゃあそうだけど………、何も全部持って来るこたぁないでしょーに!
それに、あたしは2個って言ったでしょ?」
「それは忘れてないってば。
そーしたら、『どーせいらないのは持ち帰ってくるんだから、その時にもう一つ持っていけ』って」
そう言う父の姿が容易に想像できて、リナは大きくため息を吐いた。
「で? どれがそーだっけ?
じーちゃんトコに返してくるから、早くえらんでくれよ、母ちゃん」
「すっかり忘れ去っておいて、えらそーに言うんじゃないぃっ!!」
すっぱかぁぁぁんっ!!
「――あー、おかーしゃん、うしょついた〜」
今度は不要な品物を抱えて走り出ていくガルデイを、また子供部屋から見ながらレイナが呟く。
「はあ?」
話の見えていない次男坊・バクシイがヘンな声をあげる。
「だって〜、おかーしゃん、『おつかい』ってたたかれるもんじゃないよっていったのに〜。
ガルおにーしゃん、たんこぶできちゃってたよ?」
妹の話に、双子の兄達は顔を見合わせて吹き出した。
「そりゃー、兄ちゃんがオマヌケなんだってば」
「どーいうこと? バークおにーしゃん」
いつものごとく、三男坊のラグリイが解説役を受ける。
「つまりさ、『おつかい』ってのは、ちゃんと言われた通りのコトをしてはじめて、きちんとできたってことになるんだよ」
「――じゃあ、ガルおにーしゃんやおとーしゃんは、ちゃんとできなかったから、たたかれてるの?」
『そーいうコト』
双子の声がハモった。
「しょっかー、『おつかい』って、しゅっごくたいへんなんだぁ〜」
びっくり顔のまま、こくこくと頷く末姫。
この世にまた、騒動のタネが一つ生まれたのを、誰も知るよしもなし。