〜 Side Gourry−1 〜
いつもと同じ、変わらない日常。
それがずっと続くのだと………信じていた。
あんなに簡単に、崩れ去ってしまうものだとも知らずに………
「ちょっとぉ……なにすんのよぉ」
「あのなぁ……いくら何でも飲みすぎだぞ」
グラスを掴んで放そうとしないリナの手から、何とかそれを取り上げることに成功し、俺はほっと息を吐いた。
どうやら完全にアルコールが回って、手に力が入らないらしい。恨めしそうな目でテーブルに突っ伏したままリナが俺を見上げた。
「がうりいばっかずるいー……」
「そういうセリフは、もうちょっと上手に飲めるようになってから言ってくれ」
「むぅ…またこどもあつかいするぅ」
「やれやれ」
口ではまだ飲むと言うが、身体はついていかないらしい。
すっかりくたんっとなってしまっているリナに、思わず溜息が漏れた。
こいつときたら、一体いつになったら……
「ほら、もう行くぞ」
「ひとりであるくぅ」
「立てもしないくせに、何言ってるんだ」
代金をテーブルにのせる。苦笑混じりに見ていたマスターが頷いたのを確認し、俺はリナを抱きかかえて酒場を後にした。
「……一体、どうしたんだ?」
返事はない。当たり前だ。
酒場を出て間もなく、リナは俺の背中で眠ってしまったのだから。
「お前さん、あれからずっとどこか様子がおかしかったな」
月明かりに照らされた、小さな寝顔に呟く。
……この町に辿り着く前。
俺とリナは、森の中で休憩をとっていた。
「あぁもう!いつになったらこの森を抜けられるのよおおぉぉっっ!」
「ほら、リナ」
「むぐむぐむぐ……こんなに深い森だなんて聞いてなかったわよ」
携帯用の保存食を囓りながらリナがぼやいた。俺はリナの愚痴を聞き流しつつ荷物の中を漁った。
目当ての物を見つけ、リナに差し出す。
「…どうしたの、これ」
「前に買ってたやつが残ってたんだよ」
差し出された焼き菓子を見つつ、リナが上目遣いに俺を見た。
「………いいの?」
「じゃなきゃ出してないって」
「それもそーねvんじゃいっただきvv」
満面の笑顔で、リナが焼き菓子を口に入れた。
ドライフルーツと洋酒をたっぷり使った焼き菓子は保存が利く。お腹を空かせたリナが暴れ出さないようにと、こっそり用意しておいた物だったが、どうやらリナの機嫌を良くするのに役立ったようだ。
嬉しそうにそれを囓っているリナを眺めていた俺は、ふと近づいてくる気配を感じ取った。
「……?」
リナがちらりと俺に視線を向けた。
「敵意はないようだ」
「ふぅん……」
それっきりリナは何も言わず、黙々と菓子を頬張った。
やがて、足音がはっきりしてくる。
「………リナ=インバースさんに、ガウリイ=ガブリエフさん…ですね」
森の中から姿を現したのは、金髪の男。背は俺より低いくらいで白い妙な服を着ている。見たところ、20代後半から30代前半…といった感じか。
だが、妙に冷たい目をしている。
視線が向けられているのは………リナ。
内心警戒を強めると、男はふわりと微笑んで見せた。
「あんた誰?」
「あぁ、申し遅れました。私はパート。ミルガズィアと同じ、黄金竜ですよ」
「ミルガズィアさんの知り合い?」
「えぇ。彼からあなた方のことは聞いていますよ」
リナが警戒心を緩めるのが感じられた。が……
俺の中で何かが声を上げる。
こいつに気を許すな。
リナを近付けるな。
「実は、私は神官を務めておりますが……リナさんに折り入ってお話ししたいことがありまして……」
パートがちらりと俺に視線を向けた。
………俺がいては話せない、ということか。
「席を外せばいいんだな」
「すみません。すぐに済ませますので」
心底申し訳ない、という顔で言う。
妙な感じはしたが……今ここでリナに危害を加える気はないらしい。リナからも無言で促され、俺はそこから距離を取るしかなかった。
「ガウリイ、お待たせ」
「リナ」
暫くして、ひょっこりとリナが顔を出した。
「………何?」
「何の話だった」
リナは俺の顔を見て、肩を竦めた。
「……釘を差されただけ。あの呪文のことで」
あの呪文。
つまり……リナだけが使える禁呪。
俺の顔が険しくなったのを見て、リナが小さな笑みを浮かべた。
「やぁねぇ。そんな顔しないでよ」
「なんて言ってきたんだ」
「大したことじゃなかったわ。用は危険だから絶対に使うな…ってことよ。今更だと思うけどねぇ」
シルフィールからとっくに神託を聞いているんだし…と、何事もなかったように笑ってみせるリナ。
そんな素振りが、やけに気になった。
「大体、そうそうあの呪文を使うような事態が起きるかしらねぇ」
「……………………………」
「だから………そんな顔しないでよ」
………よほど俺は心配そうな顔をしていたのだろう。リナは苦笑を浮かべ、俺の背をぽんぽんと軽く叩いた。
「さ、行きましょ。いい加減美味しいご飯を食べて、ふかふかのベッドで寝たいわ。あたし」
さっさと歩き出したリナを追い、隣に並ぶ。
「……………」
何を言っていいか分からず、仕方なくぽんぽんと、いつものようにリナの頭に手をのせる。
自分の中に生まれた、言いようのない不安を消してしまいたくて。
その時リナは………
いつものように、止めろとは言わなかった。
ぐっすり眠っているリナを、そっとベッドに横たえる。
と。
「………………………………………………………………う゛」
青い顔で、リナが不意に起きあがった。
「リナ?」
「………気持ち悪い………」
「ちょ、ちょっと待てっ」
慌てて俺は、部屋の中にあった手洗い用の桶を差し出した。
「うぅ……飲みすぎたぁ………」
吐くだけ吐いたら少し落ち着いたらしい。しかしまだ起きているのは辛いようでぐったりとベッドに横たわっている。
リナがここまで飲むのは珍しい。ちゃんと自分が酒に強い質でないのは分かっているのに……
こういう時は、理由がある。
飲まずにはいられない……辛い事が。
………言ってしまえば、少しは楽になれると思うのだが、そういう時ほど、リナは言葉を飲み込んでしまう。
俺に出来るのは、ただ傍にいることだけ。
ずっと変わらずに。
「まったく……どうしたんだ?リナらしくない」
「……………別に…………」
答えようとしない、リナ。いつも強い光を放っている瞳が、どこか頼りなげに揺れていた。
「あいつに、やっぱり何か言われたんだな」
「別に何もっ」
途端にリナは飛び起きた。
……どうやら、図星らしい。あいつ、リナに何を言ったんだ?
リナをここまで思い悩ませるなんて……今度会ったらただじゃおかん!
「じゃあ、何なんだ?」
顔を覗き込む。
リナは、俺と目を合わせようとしない。どこか思い詰めたような表情で、下唇を噛んでいた。
………布団を握りしめた手が、小さく震えている。今これ以上訊くことは、リナを追いつめることにしかならないようだ。
「………いいよ。リナが言いたくなった時に聞くから」
「ガウリイ」
ほっとしたような、さらに不安が増したような。そんな表情をリナが浮かべた。
「落ち着いたなら、もう寝ろよ。疲れてるんだろ?それに、この分じゃ明日は二日酔い決定だな」
軽い口調で言いながら、腰掛けていたベッドから立ち上がろうとした時、くい……と服の裾が引っ張られた。
「……リナ?」
「もうちょっと………ここにいて」
普段なら絶対見せないような、小さな声。真っ赤な顔で、俯いたままリナが俺の服を握っていた。
「あぁ、分かった。ここにいるよ」
リナを横にならせ、髪を撫でる。
少しでもリナが安心できるように………ありったけの思いを込めて。
「ちゃんとリナの傍にいる。だから、安心しろ」
「………うん」
大人しくリナが目を閉じる。
やがて規則正しい寝息が聞こえてきても、俺はずっとリナの髪を撫で続けていた。
「ん……………………………………?」
窓から差し込む明るい光に、目が覚める。
そうか………いつの間にか、眠ってしまったのか………って!?
「!?」
がばっと跳ね起きる。
いくら何でも、リナと同じ部屋で一晩過ごしてしまったのだ。どんなお仕置きをされることか……?
「………って、あれ?」
ベッドには、誰の姿もない。
床に落ちているのは、一枚の毛布。どうやらここで寝ちまった俺に掛けられた物らしいが……
首を傾げながら室内を見回し、俺は異変に気がついた。
リナの荷物が………ない。
「リナ?」
慌てて隣の部屋を覗く。俺が泊まるはずだった部屋。俺がここで眠っているのを見て、移動したとも考えられる。
………だが。
そこにあったのは、置きっぱなしの俺の荷物と………小さな袋が一つ。それは、リナが管理している俺達の旅の資金が入った物だった。
しかも、全額。
朝食もとらず、俺は宿を飛び出した。リナの姿を求め、町中を駆け回り……
だが。
俺がリナの姿を見つけだすことは………
二度と、なかった。