〜 Side Gourry−2 〜
リナが姿を消して………二年が経ってしまっていた。
手がかりは、どこにもない。
何の味もしない食事を無理矢理飲み込む。
リナがいなくなってから、全てのものが色を失っていた。
何を見ても。
何を食べても。
何も感じない。
リナ。
リナ。
お前は……今どこにいる。
元気でいるのか?
ちゃんと食べてるか?
辛い思いをしてないか?
怪我したりしてないか?
泣いてないか?
………俺は辛くて堪らない。
お前に………会いたい。
「お口に合いませんか?」
「……?」
ふとかけられた声に、顔を上げる。
このレストランのウェイトレスが、トレイを片手に立っていた。周囲の客が、何故か揃って顔を引きつらせているのがちらりと視界の隅に映ったが……?
「いや、別に」
「そうですか?何だか不味そうに食べているように見えたんですが」
不味いのではない。味が感じられないのだ。
似たようなものかもしれないか。
………リナがいないから。あの日以来、何を食べても何の味も感じられない。ただ、それでも何かを口にしなければ、リナを探すことさえ出来なくなる。
リナを探す為……その為だけに、機械的に物を飲み込んでいるだけだ。
けれど、それをこのウェイトレスに言っても仕方ないだろう。
「お客様、この後どうなさるんです?」
「……別に」
リナを探すだけだ。
何も言わずに、姿を消してしまった………彼女を。
見つけて、黙っていなくなったりしたことを怒って、そしてまた一緒に旅をするんだ。
「もし、ご用がないのなら、ここで少し待っていて下さいませんか?」
「どういうことだ?」
「お話ししたい事があるんです。ダメですか?……ガウリイ=ガブリエフ」
知るはずのない俺の名、それに微妙にウェイトレスの口調が変わったのに気がつき、俺は初めて彼女と視線を合わせた。
ショートカットの女性。その表情は逆光のためよく分からない。
だが、彼女の強い眼差しだけが感じ取られた。それは、いなくなったリナに、とても良く似ているものだった。だが、突きつけられる威圧感は比べ物にならない。
「…………分かった」
「ありがとうございます♪それでは、もうちょっとで仕事が終わりますのでここでお待ち下さいねv」
頷いた瞬間、恐ろしいほどの圧迫感は嘘のように消えていた。
にっこり微笑み、例のウェイトレスはすたすたと奥に引っ込んでしまった。
訳が分からないまま、水を飲もうとグラスに手を伸ばした時。
「…………あんた、何したんだ?」
「え?」
引きつった声に振り返ると、客の一人が青ざめた顔で俺を見ていた。
「あのルナさんに目をつけられるなんて………」
「ハンサムな方なのに………明日はお葬式ですね」
葬式!?
不吉なことを言う、他のウェイトレス。
無言で祈りを捧げる、神官らしい服装の客。
「“リアランサーのルナ”を知らないとは…このにーちゃん、よそ者か」
店内にいきなり広がった雰囲気に、俺は呆気にとられるしかなかった。
この……レストラン『リアランサー』と、謎の発言を残したウェイトレス……一体全体なんだって言うんだ??
俺に出来たのは、ただ言われた通り待つことだけだった。
「お待たせしました」
待つこと数時間。いい加減待ちくたびれてきた俺に、涼やかな声がかけられた。
まだ宿も決めていなかったし、本当は帰ろうと思ったんだが……周囲の客やウェイトレス達に必死で止められた。
「あのルナさんが待ってろって言ったんだ。命が惜しければ大人しくここで待ってた方がいい」と。
あまりにも真剣な表情で言われたので、つい頷いてしまった。それに、ルナ、という名に引っかかるものがあった。
………どこかで、聞いたことがあったような………??
記憶に引っかかりを覚え、思わず考え込みそうになった俺に、彼女はにっこりと微笑んだ。
「それじゃ、ついて来て下さいますか?」
俺の返事を待たず、彼女はすたすたと歩き出す。俺もその後に続いて歩き出し。
……彼女が足を止めたのは、町外れの丘だった。
「一体、俺に何の用なんだ」
足を止めた彼女は、俺に背を向けたまま。
「用があったんじゃ……!」
咄嗟に後ろに飛ぶ。
ついさっきまで俺がいた場所を、銀色の光が薙いでいた。
「……何のつもりだ」
「ただの、ご挨拶よ。アレをくらうような腕じゃ、用がないから」
微笑みを浮かべ、ルナは俺に剣を向けた。
「………一応、最初の試験は合格ね」
「何の真似だ」
固い声で尋ねる俺に、ルナはどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「知りたいだけよ。貴方のことを。………姉として」
姉?
浮かんだ疑問を考える暇はなかった。矢継ぎ早に繰り出される攻撃は、一つ一つが確実に急所を狙ってくる。しかも重い。とても細い女性の腕から繰り出されるものではなかった。
息が上がる。信じられないことに、俺より小柄な女性に俺は追いつめられていた。しかも、驚いたことに彼女の方は息一つ乱していないし、汗もかいていない。
それに………
俺を見据える眼差し。毅然として、前だけを見つめる……それは俺にとって、馴染み深く懐かしいものだった。
そう。この眼差しは………
「まさか、あんたは」
「あら、今頃気がついたの?」
間合いの外で、心外という表情でルナが微笑んだ。
「えぇそうよ。私がリナの姉、ルナ=インバース」
リナが恐れまくっていた、“故郷の姉ちゃん”。
………確かに、ただ者じゃない。レストランの客や、ウェイトレスが青ざめていたのはこのせいか………
剣をひいた俺に、ルナが苦笑を浮かべる。
「リナの姉とは戦えない、とでも言うの?」
「その前に、訊きたいことがある」
「私も、貴方に言わなければならない事があるわ」
でも、と言いながら、ルナは俺に剣を突きつけた。
「それは、貴方の腕と想いがどれほどのものか……確かめさせてもらってからだわ」
「………分かった」
剣を構えた俺に、満足そうにルナは微笑んだ。
夕闇が迫る丘の上に、激しい剣戟が響き渡った。
跳ね飛ばされた剣が、大地に突き刺さる。
「大した腕ね。私とここまでやり合えたのは、貴方が初めてよ」
痺れた手をさすりながら、俺は身体を起こした。
ルナは突き刺さった俺の剣を手に、近づいてくる。
「斬妖剣……ね。あらこれ、切れ味を鈍らせてあるのね」
「分かるのか」
「もちろん。………付き合ってくれてありがとう。どうぞ」
手渡されたそれを鞘に収める。
リナと共に見つけた、彼女を守る為の剣。今となっては、俺とリナを繋ぐ唯一の物。
「気が済みましたか」
「そうね。ま、合格かしら」
そう言ったルナの表情が曇った。つきかけた溜息を飲み込み、まっすぐに俺と視線を合わせる。
「………リナのこと、だったわね」
「あぁ」
「あの子は……もうこの世界のどこにも存在しないわ」
言ったことが、理解できなかった。
リナが………いない?
この世界のどこにも………?
「死んだ……のか………?」
自分の声が、ひどく遠くに感じられる。
俺の問いかけに、ルナは曖昧な表情を浮かべた。
「そうとも言えるし、違うとも言えるわ」
「どういう事なんだ!どうして……どうしてリナが!」
「………“恐怖”よ」
激高する俺に対し、ルナはあくまでも静かだった。
「あの子の持つ力に対する恐怖………それが全ての原因」
「恐怖だと?何を恐れるって言うんだ」
「知っているでしょう?貴方は………“金色の魔王”の存在を」
全身から、血の気が引いた。
リナが姿を消す寸前に現れた、黄金竜の神官。そいつはリナに何を話したと言っていた?
そうあれは……リナだけが使える禁呪の話……
「禁呪……」
「そう。
彼らは恐れたのよ。あの子が、大切な者を失った時、感情の赴くままにそれを使ってしまうのではないか、と。そして、それを狙った魔族の行動を」
ルナの顔から、一切の表情が消えていた。
「俺のため……か」
「すでに、一度その事態は起きている……そうでしょう?」
俺が魔族に囚われた、あの事件。
確かに、あの時リナは禁呪を唱えた。俺を助けたい一心で。
あの時は、様々な事柄となによりあの存在の気まぐれで助かった。だが……
奇跡は、二度と起こらない。そう言われる。
「だから………」
聞きたくない。
「彼らは消すことにした。世界を滅ぼす力を持つ者を、この世界から」
止めろ。
「その知識と力……そして魂を」
「この世界から、この世界の未来から。
この世界を守るため、永久に、戻ってくることが出来ないように」
………リナを生きたまま、棺に入れ、亜空間へ追放した………
どれだけの時が流れたのか。
ふと気がつくと、もう夜の闇が全てを覆い尽くしていた。
……リナは、脅されたのだ。
俺の命を盾に取られて。
奴らに言われるまま、大人しく棺に入り、亜空間へ追放されるか。
リナの弱点になり得る存在―つまり俺を、先に消しておくか。
どちらか好きな方を選べ、と。
リナは言ったらしい。
「ガウリイを殺せば、その場であたしがあの呪文を唱えるとは思わないの」と。
それに対し、奴は言った。
「その前に、貴女の魔力は封じられる」と。そして、「リナは、精神世界からも拘束を受けることになる」と。
………世界を滅ぼす猛毒が、存在して良い訳がないと。リナがどうしてもこの世界で生きたいと言うのなら、俺を殺す、と。
リナは何も言わなかった。
そして………
リナは、この世界から…………
不意に何かが俺の上に掛けられた。
「風邪、ひきますよ」
「………かまわない」
「そういう訳には、いかないんです」
掛けられた毛布を剥ぎ取ると、ルナが黙ってそこに立っていた。
「私は、あの子を守ってやれなかった……」
ぽつりとした呟き。
「ただの……病的な恐れでしかないと、分かっていたのに……私はあの子を守ってやれなかった」
伝わってくる、無力感。
大切な者を守れなかった者が抱える……言いようのない絶望。
「“赤の竜神の騎士”なんて大層な名で呼ばれても、たった一人しかいない妹さえ守ってやれない……
ガウリイさん、貴方にこれを渡して置くわ」
ルナが俺の右手に自分の手を重ねた。
「!」
灼熱感を伴い、何かが俺の中に浸透する。
至近距離で、ルナが俺を見ていた。
「……見つけだして。リナが閉じ込められた棺を」
ルナに抱きしめられながら、囁きが耳に届いた。
「!?」
「あの子が封じられた場所は、私にも分からない。いえ、分からないように隠されたわ。私が……あの子の姉だから。
私に出来たのは、あいつらの目を盗みあの子の棺の鍵に、細工をすることだけ」
右手の灼熱感は治まっていた。
手の中には何もない。が、何かが確かにある。それだけが分かる。
「それは鍵。あの子を閉鎖された世界から解き放つための。でも貴方一人では開けられない。後二つ、鍵を持つ人を見つけだして」
「二人…?」
「そう。見つからないようにするには、鍵を分けるしかなかった。そして覚えておいて。鍵を使えるのは一度きり。失敗すれば、あの子は二度と戻ってこられない」
「二度と……」
「えぇ。それはあの子のいる空間を引き寄せる唯一の方法。無くしてしまえばそれで終わりよ」
「………わかった」
「いつか、どこかで。あの子の棺を見つけだせたならそれで……」
「…………必ず、見つけてみせる」
例えそこがどんな場所であったとしても。
どれだけの時間がかかっても。
どれだけの犠牲を伴おうとも。
必ず、リナを探し出す。そして、この腕に取り戻す。
俺から体を離し、ルナが悲しげな笑みを浮かべ深々と頭を下げた。
「あの子を……リナを、お願いします……」
彼女には、分かっていたのだろう。
自らリナを失ったこの世界が………やがて辿る定めを………