〜 Side Gourry−3 〜
「どうだ?ここは…」
背後からかけられた声に振り返ると、ゼルガディスがゆっくりと近づいて来ていた。
あちらこちらと手当たり次第に世界中の遺跡を飛び回る俺につきあって、一緒にいるゼルガディス。だが、俺にとってゼルは単なる“友人”ではなかった。
ゼルガディスは、俺と同様ルナさんから“鍵”を預かった、リナ救出に欠かすことの出来ない仲間だ。
「ビンゴ、だ」
「………間違いないんだろうな」
「あぁ」
「そうか。なら………いよいよだな」
呟き、ゼルガディスは自分の右手に目を向ける。
頷き返し、俺は知らず知らずのうちに堅く右手を握りしめていた。
気がつくと、いつも誰かの姿を探している自分に気がついた。
栗色の長い髪を見ると、何かが俺の中で暴れ出す。
会いたい。
その想いで頭が埋め尽くされる。
焼け付くように右手が熱くなり……抱き続けた想いを呼び覚ます。
探して探して…見つからなくて。落胆のうちにどれほどの時が過ぎていったことか。
すでにあの世界は消えて久しい。
魔法も、ほとんどが消え失せた。
魔族も神族もエルフも人間もいる。だが、かつてのような関係ではなくなった。
……犯罪には、元魔族が関わる事が多いが。
あの頃と比べると、信じられないような世界。
その中で、彼女だけが取り残されている。
旧世界が抱いた、怨念と恐怖に縛られて。
「ガウリイさん、ゼルガディスさん、ここにいたんですか」
ぱたぱたと軽い足音を響かせ、アメリアが顔を覗かせた。彼女もまた、長く共に行動してきた大事な仲間だった。
実際、俺がこうやって彼女を捜し続けることが出来るのも、アメリアがずっと資金面で援助してくれていたからだ。そうでなければ、探すための資金繰りでほとんどの時間がつぶれていただろう。
最も、それだけが理由じゃない。
アメリアも、ゼルガディス同様彼女を救うために欠かせない存在だった。
「やっぱりここでした?」
「あぁ」
頷くと、彼女は満面に笑みを浮かべた。
「じゃあ、じゃあ、やっと会えるんですね!?」
アメリアがそっと壁に右手で触れた。
「やっと……良かったですね!ガウリイさん!」
「あぁ。ありがとう、アメリア」
嬉しそうに微笑み、アメリアが俺の手を引っ張った。
「そうと決まれば、しっかりご飯を食べなきゃ!もう用意が出来てますよ。
決行は、明日なんでしょう?しっかりご飯食べて、力を蓄えなくちゃ!ですよね?ゼルガディスさん」
「そうだな」
滅多に見せない、穏やかな微笑みを浮かべて、ゼルガディスが俺の肩を叩いた。
「お前がビンゴと言うのなら、間違いはない。焦る必要はない」
「……そう、だな」
「とは言っても、待ちきれないか?」
「あぁ。早く会いたい」
正直に答えると、アメリアが目を輝かせた。
「長き時を越え、引き裂かれた恋人達が再会する………
これこそ、ヒロイック・サーガの王道!それを手助けできるなんて、アメリア一生の思い出ですvv」
あ。
まずい。アメリアに火をつけちまった。
そーーっと隣を見ると、ゼルガディスがジト目で俺を睨んでいた。アメリア、一度この状態になると戻ってくるまで時間が掛かるからなぁ……
結局、俺達が夕食にありつけたのは、それから1時間後のことだった。
翌日の早朝。俺達は例の遺跡に集合した。
ふと右手を見る。
「それじゃ、始めるぞ」
「あぁ」
俺が頷いたのを確認し、アメリアが右手を遺跡の壁画に向けた。
「じゃ、いきます!
我が右手に宿りし、過去の力よ。今こそ本来の姿に戻り、閉ざされし門を我が前に現せ!」
「我が右手に宿りし、現在の力よ。今こそ本来の場所に戻り、門に眠る扉を現せ」
アメリアに続き、ゼルガディスも右手を向ける。
二人の手から放たれた真紅の光が壁画を紅に包み込む。消えかけた文字や模様が凄まじい勢いで再生されていく。
描き出されたのは、巨大な魔法陣。
「我が右手に宿りし、未来の力よ!」
ルナさんが、遠い昔俺達に委ねた赤の竜神の力。
今こそ、あの時の約束を果たす。
「全ての力よ、我が元に集まり、今こそ封じられた扉を開け!」
右手が、まるで炎の中に突っ込ませたように熱い。
灼熱の中から、何かが形を為していく。
「あれは、剣?」
アメリアの声がした。
この剣は……覚えている。そうだ。彼女と二人で見つけた、彼女を守るための………
斬妖剣(ブラスト・ソード)。
現れた剣を掴み、俺は目の前の魔法陣を真っ二つに断ち切った。
切り裂かれた魔法陣。
その間から、異様な空間が姿を現した。
その空間で生きられるものは何一つ無い、死の空間。
………そして。
「いた………」
喉がからからに渇いていた。
結界によって、外部から切り離されこの空間に放逐された“棺”。その中で膝を抱えてうずくまる一人の少女。
長い栗色の髪が、小さな背中を覆っている。彼女は俯いたまま、ぴくりとも動かない。
斬妖剣を構え、少女のいる空間に突き立てる。するとまるで毛糸を解くように空間と剣がほどけ、小さな穴が出来た。
「気をつけろ。落ちたら終わりだぞ」
あらかじめ左手に巻き付けておいたロープを握るゼルガディスが、小さな声で言った。俺は頷き、空いた穴の中に手を差し入れた。
「起きろ。目を覚ませ」
少女は動かない。
この状態は、あまり長く持たない。閉じてしまう前に彼女が俺の手を取ってくれなければ、助け出すことは出来ない。
この空間の中では時は止まっていると聞いた。だが、たった独りでこんな所に閉じ込められていた少女の精神が、はたして今も正常に機能しているか……
崩壊している可能性を、俺は否定できない。
……ま、それならそれで、彼女のいるあの場所に飛び込むだけだが。
それでも、信じている。
彼女は、俺の声に答えてくれると。
伸ばしたこの手を、掴んでくれる、と。
「起きるんだ……頼むから」
ぴくりと少女の肩が震えた。
ゆっくりと伏せていた顔が上げられる。
………変わり果てた姿に、俺は息を呑んだ。
俺の夢に出てくる少女は、いつも明るく笑ってくれていた。その澄んだ紅の瞳は、いつも強く優しい光を放っていた。なのに……
今の彼女に、あの時の光は微塵もなかった。
虚ろな瞳は、ぼんやりと俺を見ていた。いや、もしかしたら見ていても俺と認識していないのかもしれない。
「やっと見つけた」
「誰?」
聞きたいと願い続けた声は、小さく掠れていた。
さらに身を乗り出し、彼女を誘うことしか今は出来ない。
「おいで」「………なぜ?」
「迎えに、来たよ」
「むかえ……?」
「あぁ。…………出ておいで、リナ」
やっと呼べた名前。
でも少女―リナは、ただぼんやりと差し伸べた手を見ている。
その時。どこからともなく声がした。
………オ前ハ、ココニイナケレバナラナイ………
………オ前ハ、世界ヲ滅ボス者ダカラ………
おそらくこれは、リナをここに閉じ込めた者達の仕業だろう。リナがここから出たいと思わないようにする為に。繰り返し、繰り返し。
リナの心に、呪いを吐き続けた。
これは棺。
これは棺桶。
そしてこれは……壊さなくてはならない物。
過去の呪い。
こんな物に、これ以上縛られる理由はない。
それでも躊躇う少女に、俺は畳み掛けた。
「壊してしまえばいい」
「いい、の?」
「こんな所に、いる必要はない」
「………」
リナは答えない。無言のまま、ぼんやりと俺の手を見ている。
「帰ってきてくれないか……?
お前を守れなかった俺だけど、今度こそ……守るから」
もう二度と、こんな真似はさせない。
もう二度と………絶対に。独りにしたりしない。
だから、帰ってきてくれ。俺の所に。
「帰る………」
「あぁ」
「帰りたい……」
おずおずと差し出された小さな手。それが触れると同時に、俺はその手を思い切り引き寄せた。
腕の中にすっぽりと収まる、小さく華奢な身体。
遠い昔に失った、俺の半身。
彼女を取り戻した拍子に尻餅をついた俺の目の前で、リナがいた空間が粉々になっていった。
ゆっくりと、空間が閉じていく。残されたのは真っ二つに断ち切られた魔法陣のみ。どこにも、あの空間があった証拠は無い。
腕の中の温もりだけが、夢でも何でもなく、確かに彼女を取り戻したのだと教えてくれた。
「お帰り、リナ」
「…………ガウリイ」
腕の中で、リナが俺を呼んでくれた。ずっと呼んで欲しかった、俺の名前を。
腕の力を緩め、リナの顔を覗き込む。
罪悪感に囚われた表情のリナ。まだあの呪いが影響しているのか。リナをこんな目に遭わせた連中に、改めて怒りを感じる。
だが、もう。
あいつらはいない。
自ら最後の砦となったはずの少女を、こんな目に遭わせた連中は、あの世界が終わりを迎えた時に滅び去ったから。
自分たちのしでかした罪に、恐れおののきながら。
「あたしは……壊してしまった………」
苦しそうに呟くリナに、俺は首を振った。
リナと視線を合わせ、ゆっくりと言い聞かせる。
「かまわない。あんなもの、壊れなくちゃいけないものだ」
「壊れなくちゃ、いけない……?」
「あれは過去の遺物。必要のない物。
………もう自由になっていいんだ。棺の中から。閉鎖された世界から」
あれは棺。
あれは棺桶。
あれに入るべきなのは、死者のみ。
生きているリナが入る物ではない。
髪を撫でる。何度も何度も繰り返し。
リナが、ここにいることを感じたくて。
リナに、俺がいることを感じさせたくて。
ずっと昔、俺のすぐ傍にいた存在。
そして、失ってしまった………
俺を見上げる紅の瞳が、ふと伏せられる。
ゆっくりと開かれた瞳が、俺を見て細められた。
浮かぶ、小さな微笑みと、零れ落ちた透明の雫。
「………ただいま………ガウリイ」
言葉は形にならず、俺はただずっとリナを抱きしめていた。