8.相棒の 知らぬ横顔 見たようで(その5)
結局、お子ちゃまの視認が可能なレベルまでには、かなりのスピードダウンを必要として。
なのに、鞘から抜いた剣が円弧を描いて収まるまで、軌跡が全然ブレやしないのはさすがと言うか。
これだけの腕がないと、使いこなせないシロモノってかい。
それでも相当な集中力を必要とするのには変わりなく、ガウリイの頬に汗が伝ってきていた。
今は体力温存方向で行って欲しいのはヤマヤマなれど、極一方向の天才に理論説明しろなんぞ圏外のコト、脳クラッシュでぶっ倒れるだろうしなぁ……。
最後はトゥールに握りと抜き方をやらせて、レクチャーは終了となった。
「これでもう大丈夫か?」
「うん、すごかったよ! おとーさんみたいだ!」
「隊長の教え方がうまかったんだよ」
「ぼくもこんなふうになれるかな?
おとーさんにおしえてもら……」
再び、誰もが息を呑んだ。
刻が空回りしているような沈黙。
――ぽふっ。
不意に――ガウリイがトゥールの頭に手を置いた。
「――ガマンしなくて――いいんだぞ」
意外な言葉に、最初は見開いていた少年の瞳に、大粒の涙が浮かび――
「……ぼくは男…だから、おかーさんと……ハルティをまもんなきゃ……」
零すまいと小さな肩が震える。
「そうだな。
だけど、それはちゃんと悲しんでからでもいい」
優しく撫でるガウリイ。
トゥールは次第にしゃくりあげ始め。
「……泣いちゃ……いけない……から……」
「大事な人を亡くした時だけは、いいんだ」
頬を撫でたガウリイの腕に導かれるように胸にすがり付くと――号泣した。
あまりの激しさに、後ろにいたトリスティが呆然としている。
――こんな小さな子がずっと堪えてたんだ。
父を失って悲しむ母を、まだ幼すぎる妹を護るのは自分なのだと思い詰めて。
まだほんの少ししか生きていない子供にとって――あまりに重い枷。
大好きな父親を突然奪われた痛みを溜め込んでしまうには、この身体は小さすぎる――。
「おとーさん、おとーさんっ、おとぉさぁんっっ!!!」
鳴き声に混じる切ない叫びを、ガウリイは包み込むように抱きしめ――背中を撫でて。
「――よく頑張ったな。
いい子だ――トゥール。
お父さんの自慢の息子だ、誇っていいぞ――」
その声は優しくて――本当に優しすぎて。
あたしには――ガウリイも泣いているように見えた。
泣き疲れてぐったりしてしまったトゥールを、ガタイのでかい近衛のおっさん――すっかりもらい泣きしてら――に預けて、あたしはガウリイと一緒にベランダから直接、剣をしまいに戻ることにした。
息子に付いて行きかけたトリスティが、こちらを振り返った。
「…どうもありがとうございました」
ガウリイが目を細めて笑みを返し。
「隊長の自慢の家族だ」
すでに十分もらい泣きしている彼女なのに、またぽろぽろと涙を零して。
「――あなたも――そうですわ」
今度はガウリイの方が切ない瞳になる。
「ありがとう……」
手入れされた芝生に波を作る風が、長い金髪を巻き上げ――振り払うように家に向かって歩き出す。
あたしは、黙ってその背中を追いかけた。
やっぱりまだ身体がしんどいのか、ガウリイの歩みはやたらゆるやかで。
まっとーな判断をするなら、剣はあたしがしまいに行くから部屋で休んでろ、というところなのだろうが――。どうしても理屈抜きに、そうしちゃいけない気がして――。
あたしのジレンマをヨソに、とうとう階段の途中で止まってしまった。
荒い息を吐きながら、左手で脇腹――骨盤の上辺りを撫でるのを見て、思わず冷や汗が出る。
「ちょ…! 言わんこっちゃない…!」
右足を一段上にかけて前屈みで横から覗き込んだあたしと、視線を合わせないまま――
「――騒がなくていい」
ガウリイが堪えているように囁く。
「何をノンキに…!」
「――古傷なんだ」
――――!?
「この剣で――薙がれた」
何を言っているのか、とっさにわからなかった。
この剣を扱えて、ガウリイとタメ張る腕って――
それって――それって、
つまり――ネイムに斬られた――ってこと!?
「トゥール達には――言うなよ」
呆然としているあたしを置き去りにして、また階段を上り始めてしまう。
反射的に追いながらも――アタマはすっかり混乱していた。
ネイムがガウリイにあの剣を向けるって――教えてくれたって時?
ううん、さっきの感じじゃ、立ち合って教えた際に誤って、なんてのではなかろう。
――それなら別に口止めする必要なんかない。
トリスティが強固に隠した、二人が袂を分かった理由?
――再会の時、あんなに和やかに振る舞えるとは思えない。
だったら、どういうことよっ!?
ネイムの部屋に着くと、ガウリイは剣の収められた戸棚を開いていた。
奥に固定具が付いているみたいだが、慣れない手で取り出したせいか、剣はどれも傾いている。ガチャガチャと音を立てながら直すガウリイの手が止まった。
広い背中越しではよくわからないけど、さっきのとは別の剣を持っているようだ。
「―――なつかしい――な」
あたしの存在を忘れたように、独り語ちる。
足の間からわずかに見える鞘の先の部分だけでも、かなり傷や使い込まれた跡が見える。
年季の入った剣――もしかして、二人が一緒にいた頃の……?
―――違う。
ネイムは害意を持って、ガウリイを傷つけたりしないはず。
ガウリイも、斬られたことを遺恨にしているんじゃない。
きっと、それなりの理由や状況があって―――
――――思い出した。
今回の元凶。
魔族召喚のあった戦で、まだ少年だったガウリイが『光の剣』で『何か』を起こした時。
いったい
『誰が』
『どうやって』
止めた?
生半可な魔法程度では相手にすらならない『光の剣』。
ガウリイの生命を奪わず、活動だけを止める――方法。
――斬り斃されるより速く倒すこと。
それをなし得た可能性のある、唯一の剣と使い手―――
そういうこと――か。
ガウリイが無差別な殺戮を是とするワケがない。
むしろ、相打ち覚悟、生命を賭して食い止めてくれた――自分も護ってくれた相手に感謝さえしただろう。
そういうこと――だったのか。
たまらんな、と、ガウリイがため息のように微かに漏らした。
どうしてか。
あたしの方がたまらなかった。
またガウリイが、さっきのトゥールに重なる。
もちろん、大の男が子供のように泣きはしない。
でも大切なヒトを失った、『悲しみ』の重さに違いはなく。
耐える術を知っている分――痛い。
自分の悲しみより――はるかに耐えられない気がした。
「………! ………………リナ………?」
何だかマヌケな声。
広い背中に、でっかい胴体。
あたしの腕だとやっと回せるくらいじゃない。
ちょっと動かないでよ、今だけサービスしてあげてるんだから。
普段のあたしならこんなコト絶っ対しないんだからね。
トゥール相手にどんなにエラそうに言ってても、あんたは病み上がりでおまけに疲れてて、大事なヒト亡くしたばかりの、とってもとってもツライ奴なのよ。
けど、人前じゃ大っぴらに泣けないでしょ。
だから―――こうしててあげるわ。
さっきのあんたの役をやってあげるから。
ホントに今だけ―――だから―――ね。
ガウリイの背中に付いた左耳が、ドキドキ言う鼓動を伝えてくる。
頬に触れてる長い髪の感触。汗の匂い。
身体との間に挟まった服地の温度が体温と同化していく。
不意に――あたしの手に、大きな手が重なってきた。
その温かさだけで――どっちが抱きしめているのかわからなくなる。
ガウリイが少し仰向いたのか、髪がたわんで。
微かな――それでも確かに届く声が。
「―――もう――いい――よな――」
それは言葉通りに――『離せ』という意味に取るには、あまりにも優しくて。
ほんの少しだけ緩んだあたしの腕の中で――ガウリイの身体がするりと回り。
何かリアクションする間もなく、そのまま伸びてきた長い逞しい腕に――包み込まれていた。
思考力が奪い取られてしまう。
身体の感触だけが、全てを支配する。
抱きしめる腕の力。
ガウリイの温もり。
重なる激しい心臓の音。
顔に降ってくる髪。
近付いてくる吐息。
額に、頬に触れる――熱さ……
ソ・シ・テ………