4『金糸の迷宮』4

8.相棒の 知らぬ横顔 見たようで(その4)


「ねぇ、おかーさん、おとーさんの剣、つかってもいい?」
 唐突の延長線な発言に、すっかり面食らうあたし達。
 少年の上から、一足遅れてやってきたガウリイが覗き込んできた。
「すいません、どうしても隊長の剣を使って見せろって――」
 母の返事を待ちきれず、さっさと書斎の中に乱入してくるトゥール。
「待ちなさい、トゥール!」
 長椅子に躓かないでね〜、トリスティ。うーん、確かにこの方、身体の反応の方はまだるっこしい。軍属にならないで正解だわ。
「おとーさんがここにしまってたの知ってるんだ」
 一方息子は、さすが聡い夫婦の遺伝子ミックス。何の迷いもなく本棚に収まっていた本形ケースの中から鍵を取り出すと、整頓エリアの隅にある背の高い戸棚に駆け寄って、あっさり開けてしまった。
 中に入っていたのは数振りの剣。
「これだよ、ガウおにーさん」
 すっかり人妻参謀から母親の顔になったトリスティが、剣に手を伸ばす息子の手を押さえる。
「いけません。
 剣はおもちゃじゃないって、お父さんが言っていたでしょう?」
 小さな子供は精一杯の意志を込めて、母を見上げ。
「だって――もうつかえるひとはいないじゃないか」
 一瞬、部屋の空気が凍り付く。
「おとーさんいつも言ってたよ。
 『剣はかざっておくモノじゃない。手いれしてつかってやってこその』――えと『どうぐなんだからな』って。
 ぼくがつかえるようになるまで、しまったまんまじゃかわいそうじゃないか。
 だから――」
 声が震えて詰まるのを、ガウリイが脇に立って優しく撫で、
「そうだな」
 何か言おうとしたトリスティに、少し苦い笑みを向けた。
「隊長が一番大事にしていた剣は、普通の作りじゃなかった。
 いずれトゥールが継ぐことになるなら、使い方をちゃんと知っといた方がいい」
「…あなたも見たことが?」
「身に染みるほど叩き込んでもらったから」
 ……だから、自分から教えておきたいのだろう。
 この件がなかったら、いずれそうなったはずの父の代理として――。
 それがこのトリスティにわからないはずはない。
 じっと見つめている息子に、ほんの少し微笑んで頷くと。中から一振りの細身の剣を選び出し、両手でそっとガウリイに差し出した。
 軽く会釈するようにして、大きな手が大切そうに受け取る。
 その意味する切ない重さも含めて――。

 あたしが最初にトゥールに会った庭。
 今はガウリイがゆっくり歩きながら、何やら木の枝を物色している。
 剣技だけというコトで、胸甲冑はなし、手袋だけの装備。
 木に囲まれて死角になってる場所で、辺りの様子はわからないのだが。流行病騒動も情報操作が功を奏したのか、一時のような喧騒は消えていた。
 それでも、ひたすら職務邁進な近衛兵のおっちゃんが目ざとくトリスティ母子を見つけて、少し距離を取った所でしっかり警備モードに入ってるし。
 まー、客人待遇とは言え、剣持った傭兵がいるんだから当然か。
 もちろんそんなのは全然気にしてないガウリイ。
「――大丈夫なの?」
 声をかけたあたしを、いつもののんびり顔で振り返り。
「ちゃんと使えるから、心配すんな」
「そーじゃなくてっ、体調の方っ」
「――なんだ、心配してんのか?」
 ―――ぶぅわかものぉ。
「いきなりぶっ倒れて、かえってトゥールにトラウマ作らないようにね」
 皮肉も空振りしたようで、にっこりと笑う。
「その前に終わってるさ」
 ちょっと開けた所に張り出している少し太めの枝を、くいくいと引っ張って。
「これでいいか。
 リナ、トゥール達を頼む」
「はいはい」
 大人しく待っていた母子にもっと下がれと示すと、トゥールが不満そうに口を尖らす。
「もっとちかくで見たいのにー」
「騎士団長はどう言ってたかなー?」
 一流の剣士なら刃が届かない範囲まで十分殺傷能力があるって、ネイムが教えていないワケがない。
 特に回避能力の低いこの母子じゃ、安全距離は余分に取っとかないとね。
 あくまで護衛モードに徹して、比例して距離を取ろうとする近衛のおっちゃんを制する。ひとまとめの方がガードしやすいんだってば。
 ガウリイの右サイドに、ベストポジションを決めている間。
 打って変わって真摯な顔つきになった剣士は、腰に差した剣をゆっくりと抜き、正眼の位置で止めていた。
「――珍しい剣ですな」
 武器が商売道具な騎士らしく、思わずおっちゃんが漏らす。
 確かに――変わった剣だ。
 研ぎ澄まされた細身の片刃で、刀身が軽く反ってる。
 息子に言ってた通り、手入れは相当行き届いていて、日の光に煌めく。
 一見、打ち合ったら耐久力は大丈夫なのかと思うが、切れ味は相当良さそう。
 魔法剣なのは間違いあるまい。
「あれ――銘はあるの?」
 横にいるトリスティに小声で訊くと、
「わかりません。
 ただ、かなり特殊な用途向きだとかで。大切にしていても、滅多に身に付けてませんでしたよ」
「すごいんだよ、あれ!」
 後ろから母に抱っこされる恰好で、トゥールが自慢げに言う。
 ひゅん、と、軽く風を切るような鋭い音がした。
 ガウリイの素振りが生み出した、普通の剣とは全然違う音。
 感触を確かめるように、縦横に何度か繰り返す。
 空気を薙ぐごとく、片手で振られる剣はひどく軽々と見える――けど、決してそうじゃあるまい。
 いつも使っているのとは全然違う形なのに、すごくこの剣に慣れてるのだ。
 それほど教え込んでた――まあ、ガウリイの場合、ストレートに実技だったんだろうけど――もしかしたら、ネイムは『光の剣』の代わりに、これを持たせたいと思ってたのかも……?
 
 剣が鞘に収まった音で、我に返る。
 近衛のおっさんが、ほうっとため息を吐いた。
 ガウリイは目で合図をよこすと、左手で鞘の一番上を掴み、スタンスを取って直立する。
 右手は柄にかけ目を閉じ、深く深呼吸。
 再び――眼前の枝を見据える。
 静かな―― 一部のスキもない張りつめた顔。
 一切の音が消え去ったと錯覚するほど、辺りの空気も張りつめていく。
 ガウリイの左の親指が、ほんの少し剣を押しだし―― 一条の光が眼を射った。
 
 次の瞬間。
 鋭い風の音と共に、ガウリイが左足を大きく踏み込んでいた。
 急激に沈んだ身体に、ゆっくりと長い髪が落ちて――
 
 剣は動いていない。
 
 ――いない、と、思う――多分。
 
 ガウリイは姿勢を立て直しながら大きく息を吐くと、こちらを向いて微笑んだ。
 ギャラリーは誰一人状況把握できてなくて、反応なし。
 当人はその様子が意外だったようで、きょとんとする。
 こんな時の毎度の反応ながら、あたしに回答を求めてくる――けど、何とも言いようが。
 ちょっと肩をすくめて見せると、それなりに通じたらしい。
 おもむろに枝に近付くと、ちょんと指で突いた。
 
 ぽとん。
 
 いともあっさりと地面に落下。
「な?」
 軽く息を弾ませながらにっこり微笑んでみせるガウリイに駆け寄って、枝の切り口を見る。
 液面みたいに見事な真っ平ら。
 試しに元の場所にくっつけてみると――落ちないし。
 やっばりあの一瞬で、切って収めたっての?
「…何かトリック使ってないでしょーね?」
「あのなぁ…」
「――今、剣を抜いたんですの?」
 信じられないという口調で近付いてきたトリスティに、証拠の枝を渡してやる。
 ガウリイの剣技を一番見慣れているあたしだって、剣筋が全く見えなかったのだ。他の誰かにわかろうはずもない。
 速いとか形容するのが虚しいくらい突き抜けて、人外レベルの抜き打ち。
 こんなのと対峙した日にゃ、抜刀に気付く前に真っ二つにされてるだろう。
「剣、見せてもらってもいい?」
 トリスティの頷きに、ガウリイが鞘ごと渡してくれる。
 思った通り、顔が映るくらいの抜き身には、刃こぼれどころか何の痕跡もありゃしない。
 特殊な用途――なるほど、一撃必中に特化した魔法剣なのか。
 傭兵の基本な集団戦向きじゃなく、サシ勝負専用っちゅーか。
 そりゃ、普段は使ってないワケだ。使い方習わんと役に立たないってのも道理。
 何か斬妖剣〈ブラスト・ソード〉と同じくらい――趣味人な作りって気が。
 
「……おとーさんとおんなじだ」
 トゥールが呟く。
「おとーさんが、一回だけ『ほんきだからな』ってみせてくれたのと…おんなじだよ」
「ああ、オレもそうやって教えてもらった」
「――でも、ぬくのみえなかったら、おぼえられないよ。
 もう一回、ゆっくりみせてくれる?」
 …………あ。そりゃそーだ。
 ……今までのシリアス全壊なオマヌケ。
 ガウリイは照れくさそうに苦笑して、トゥールを撫でた。


[つづく]




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