0『運命のお約束』1


「こんにちはー! リナさーん!」
 やたらと明るい声が、ガブリエフ家に轟き渡った。
 末娘のレイナと二人きり、いつもとは別世界のように、ゆったりと至福の昼餉を楽しんでいたリナが飛び上がる。
「…あ、あの…むやみに元気な声は……!」
「おかーしゃん、アメリアおばしゃん?」
 この間やっと3歳になったばかりの末姫様〈レイナ〉は、この年にしてはやたらと頭が回る。
「どーも、そうみたいね」
 慌てて玄関に向かうと、その後ろから、とたとたとレイナが付いてきた。

「わー! リナさんっ! おひさしぶりでーすっ!!」
 昔と変わらず、元気あふれまくりのアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンは、リナの顔を見るなり、抱き付いてきた。
「やー! ひっさしぶりじゃないー! アメリアっ!
 相変わらず元気そうねっ!」
 ひとしきり抱擁してから、今度は小さなレイナを抱きしめる。
「いらっしゃーい! アメリアおばしゃんっ!」
「こんにちはー!
 レイナちゃん、ちょっと見ない間に大きくなったわねー!」
 リナも、彼女の子供達と挨拶をしようとして―――
「ちょ、ちょ、アメリア?
 お付きがないのはわかるけど――あんたここまで一人だけで来たの?
 子供達は?」
 面食らってあたりを見回したリナの視界に、前庭の木の間で何か動くモノが入った。
 そこから、小さな黒髪の兄妹が、慣れたようにくぐり抜けて来る。
 どうやら一足遅れでやって来たらしい―――
「アルおにーちゃまー! エリおねーちゃまー!」
 目ざとく見付けたレイナが、アメリアの肩越しに手を振る。
 応えるように、二人も笑顔で駆け寄って来た。
「こんにちはー! リナおかあさーん!」
 アメリアによく似た面差しの、ちょっときつめの青い瞳をした、勝ち気そうなエリディアが明るく挨拶をする。
 5歳になったはずだが、かなりのおしゃまさんだ。
「―――え…と、ごぶさた…してます、……おか…、いえ、リナおばさん…」
 それとは対称的に、兄のアルディスは、ついこの間まで親子同然にしていたリナに対して敬語を使おうとして、やたらと緊張している。
 リナは腰に手を当てて、アルディスの顔を斜めに覗き込む。
 雰囲気や目つきは違うが――面差しは、今は念願かなって人間に戻り、セイルーン王家の一員となったゼルガディスによく似ている。
「―――あのね、アル。
 あたしは何度も同じこと言うのは嫌いなの。
 あたしのことは『お母さん』って呼ぶって、前に約束しなかったっけ?
 ああ、淋しいなっ。――ねー、レイナ。
 アルディスはもう、レイナのお兄ちゃんじゃないんだって」
 オーバーなリアクションで嘆いて見せるリナに、7歳にしては妙に大人びていたアルディスの表情が、いっぺんに崩れた。
「えー? どぉして?」
 小首を傾げたレイナに、くいくいと服を引っ張られ、真っ赤になって懸命に否定する。
「違うよ、ぼ、ぼくまだ、レイナのお兄ちゃんだよ」
 レイナはにっこりと満面の笑みを浮かべて、ぺとっとしがみつく。
「よかったぁ」
 アルディスはやっと安心したように微笑んで、蜜色の小さな頭を撫でた。
「…すっかりなつかせましたね、リナさん…」
「ほほほっ、これからも安心して、長ーく預けてもよくってよ」
 実の親より自信満々に、リナが胸――これまた結婚前印象はあまり変わない――をはった。

 ―――第2次降魔戦争が起こるのではないか?――などという物騒な噂が飛び交う世情不安な昨今、白魔法都市と呼ばれるセイルーンは、否応なく世界の守りの要としての立場に置かれていた。
 そんな不穏な空気の充満した王宮は、まだ幼い子供にとっては、決していい環境とは言い難い。
 一計を案じたアメリア達は、ガブリエフ家に一時預けることにしたのだ。
 もちろん、聖王家の王位継承者の育成を、セイルーンの恩人(?)とはいえ市井の家庭に委ねるなとどは、執政官達の大反対はあった――が。
 現王となったフィリオネルの強力な進言に、勝てる者などいるはずもなく。
 アルディスとエリディアは、リナとガウリイというやたら強力な戦士の庇護の元、――かなりアバウトではあったものの、愛情だけはたっぷりに――彼等の子供達と同じように育てられたのである。
 今は一応王宮に戻っているが、こんな風に変わらず行き来は続いていた。
 先ほどのアルディスの言動は、おそらくは堅苦しい侍従達によって、躾の修正という名目で、強制的にし向けられたモノに違いない。
 けれど、本人が本当に望んでいない以上、実の家族のような想いそのものは、何ら変わりようもなかった―――。

「……リナおかあさん、バークは?」
 周囲を見渡していたエリディアが、不思議そうに問う。
 この子は、実の兄のアルディスより、リナの次男・双子の片割れのバクシイになついているのだ。
「あー、ごめんね、エリ。
 兄ちゃん達は、ガウリイとおつかいに行ってんのよ。
 もー少ししたら、帰って来る――とは、思うんだけど…ねえ」
 エリディアの頭を撫でてやりながら、リナがぼやいた。
「何かあるんですか?」
「あの父子だからねぇ、どっかで引っ掛かって、そのまま全力で遊んでるってこともあるから……」
 アメリアはちょっと想像してから笑う。
「ガウリイさんも変わりませんねぇ」
「あんたもでしょ? とても、二児の母には見えないわよ」
「リナさんだって」
 二人は顔を見合わせて、大声で笑った。


「ふーん、じゃ、ゼルはお留守番なんだ」
 人数と量を増やして昼食の続きをしながら、リナが言う。
「そーなんですよ。この国の魔道士協会への用も他の人じゃ足りないし、かといって、あちら〈セイルーン〉の問題も放ってはおけないし…。
 用が済むまでちょっと時間がかかりそうなんで、この子達もリナさん達に会いたがってることだし、いっそ、っていうことで連れてきちゃったんです」
 アメリアが苦笑しながら、子供達に視線を巡らせた。
 レイナはにこにこと笑いながら、卵のサンドイッチを口一杯にほおばっている。
 アルディスもすっかり緊張が解けたようで、自分でミルクをお代わりしている。
 エリディアの方は旅の疲れが出たのか、時々舟をこいだりして、かなり眠そうである。
「こっちは全然構わないわよ。ガウリイも子供達もみんな喜ぶわ。
 何だったら、あんたもここに泊まってきなさいよ。
 魔道士協会や王宮なんて、堅苦しいだけでしょ?」
「いいんですか? わたしまで」
「この通り狭いのさえ我慢してくれれば、構わないって。
 今の季節ならゴロ寝したって、この娘〈コ〉以外はカゼひいたりなんかしないから」
「――まだレイナちゃん、身体弱いんですか?」
「……それが、ねえ…」
 リナはチキンサンドの残りをひょいっと口に放り込んで、香茶で流し込んだ。
「身体〈からだ〉の方は問題ないんだけど…、妙なコト覚えちゃって……」
「何です?」
 ぱしゃんっ。
 エリディアがパンをミルクの中に落とした。
「あらあら、おネムなの?」
「アル、エリをベッドまで連れてってやってくれる?
 ガルとかの部屋でいいから」
「はーい」
 目をこすっているエリディアの背中を押しながら、アルディスが席を立つ。
「おかーしゃん、レイナもごちしょーしゃまっ!」
「はいはい」
 レイナは椅子から飛び下りるようにして、二人の後を追って行く。


「―――妙なことって?」
 子供達が去ったのを見計らって、アメリアが促す。
「あの子が、やたらと魔力がありそうって、――言ったっけ?」
「ああ、黄金竜のミルガズィアさんが感じた…とかいう?」
「そうそう。で、ね。
 3歳の誕生前に、いきなり『火炎球』――それも、ブレイク・バージョンを使ったのを皮切りに、この間なんて、とうとう『暴爆呪〈ブラストボム〉』まで使ってくれた わ」
 アメリアは持っていた香茶のカップを、落としそうになった。
「ブ、『暴爆呪』…ですかぁ……?」
「そう。
 このあたしでさえ増幅なしには発動出来ないアレを、齢3歳の娘が、なーんの訓練も増幅もなしで」
「………それって……、もうすでに人間の最大魔力、越えちゃってませ…ん?」
「―――まあ、それだけなら、そうでもいいんだけどね。
 ただ、問題はその後なんだなぁ…」
 リナはしみじみと、呆れたような口調で呟く。
 アメリアは香茶をすすりながら、次の言葉を待つ。
 その眼差しは、昔一緒に度をしていた頃と何も変わっていない。
「何せ、いくら魔力はでかくても、身体は3歳児なわけだから。
 舌っ足らずで詠唱するもんで、ばんばん妙なアレンジはしちゃうし。
 あげくに、大きな呪文を使っては、ぱたっ。
 小さいのでも連発しては、へたっ。
 そのたんびにエネルギー切れで倒れて寝込まれちゃあ、こっちはたまんないわ」
「………」
 リナの破天荒なら慣れているアメリアも、さすがに呆れている。
「忙しい時なら、週一、二回のペースなもんで、もう大変大変。
 叱っても、確かにその呪文はもう使わないんだけど、別のモノ試しちゃうのよね」
「――反抗期と丁度重なってるんじゃないですか?
 …もしかして、『竜破斬〈ドラグスレイブ〉』なんかも…?」
「それ、二回目にやった」
 動揺隠しのアメリアの乾いた笑いが固まった。
「……リナさんっ……、くっれぐれも、制御……しっかり、教え込んで下さいねっ!」
 思いっ切り必死の懇願の表情で、リナの手をはっし!と握る。
「おかーしゃん?」
 そこに、無邪気な舌っ足らずの声がした。
「な、何? レイナ」
「アルおにーちゃまといっしょに、おしょとであしょんできていーい?」
 動揺しまくる母二人を、くりくりした栗色の瞳で不思議そうに見つめながら、その原因が小首を傾げる。
「うん、いいわよ。
 危ないトコに行っちゃだめなのは、わかってるかな?」
「うん」
 レイナはこくこくと可愛く頷いて、少し遅れて戻って来たアルディスに、再び満面の笑みを浮かべてしがみつく。
「おしょといって、いいってー(はぁと)」
「そっかあ。じゃ、ごちそうさまでした。
 行ってきます。お母さん、リナお母さん」
 手を引っ張られながらも、ちゃんと挨拶だけはして、小さな王子は出て行った。

「…あたしだってねえ…、考えてないわけじゃないのよぉ……。
 も少ししたら、とりあえず、魔道士協会に通わせるつもりだし…」
「…しっかし、どんな子に育つんでしょうねぇ…」
 まるでため息を付くように、しみじみと言うアメリア。
「今のトコ、やたらと素直に優しく育ってるから、あのまま行ってくれれば大丈夫だと思うんだけど―――」
「リナさん、あんまりヘンなこと教えちゃ駄目ですよぉ?」
「アメリアー、ヘンなことって何かなぁー?」
「だ・か・ら、こーいうコトですってばっ!」
 リナに後ろ手に首を締められながら、アメリアは抗議した。


「アルおにーちゃまっ、シェイルーンに、なにしにいってたの?」
 アルディスと手をつないで歩きながら、レイナが顔を覗き込む。
「何しに…って、帰ってただけなんだけどな…」
 アルディスは苦笑した。
 まあ、レイナがはいはいしている頃から物心つくまで、妹のエリディア共々、ほとんど切れ目なくここに預けられていたのである。
 末姫が自分を、兄の一人なのだと思っていても不思議はない。
 事実、アルディスは故郷の白魔道都市の王宮より、この家と家族が大好きだった。
 そして、その中でもレイナが、本当に大好きで―――。
 おしゃまでこまっしゃくれていて、気性の激しい実の妹エリディアより、愛くるしくて素直で、一途に自分を慕ってくれる幼子が、可愛くて仕方なかったのだ。
 いつもなら、末姫様の取り合いになるガブリエフ家の面々――特に、父のガウリイがいないとなれば、何の支障もなく独り占め出来るという嬉しさに、内心アルディスは浮かれていた。
 彼とて、実の子達と分け隔てなく、たっぷりの愛情を注いでくれるガウリイは大好きなのだが―――、こと、レイナ絡みに限っては、最大のライバルなのだ。
 何しろ、『らぶらぶ父娘』などという異名で、近隣に轟き渡っている程の仲の良さである。
 ちょっとやそっとのアプローチなどでは、太刀打ち出来ないだろう――というのは、子供ながらにやたら聡いアルディスには、十分推測出来ていた。
「なにしてたの?」
「…うーんと、そーだなぁ。勉強したり、式典に出たり……」
「レイナたちといるより、たのしい?」
「全然。
 ここにいて、レイナ達と遊んでる方が絶対楽しいよ」
「じゃあ、じゅーっと、いればいいのにぃー」
 大きな栗色の瞳を、きらきらと輝かせてレイナが言う。
「……そうだね、お母さんに頼んでみようか」
「うんっ!」
 満面の笑みを浮かべるレイナに、アルディスも笑い返した。
 本当にこの無垢な笑顔は、可愛らし過ぎる。


 いつも遊び場にしている、近所の森に到着した。
「何して遊ぶ?」
 深緑の木々の間から、木洩れ日が射している。
「おにーちゃまは、なにしたい?」
「…うーん…、レイナと一緒だったら、何でもいいよ」
 レイナはちょっと考え込んでから、にっこりと笑った。
「じゃあ、じゃあねっ。
 このあいだ、みんなでみつけたの、おにーちゃまにもみしぇたげる」
「何を?」
「まだないしょ。こっちこっち」
 レイナはつないだままのの手を引っ張って、森の奥の方に入って行った。


[つづく]



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