0『運命のお約束』2

 かなり歩いたような気がする。
 森が次第に、深さを増しているようだ。
「…レイナ、ちゃんと帰れるのかい?」
「うん、へいき。なんかいもきてるの。
 あ、あしょこあしょこ」
「え?」
 レイナの指差す方を見ても、変わらない森の風景があるだけで―――、何も見えない。
「どこ?」
「ほら、しょこの、おっきなきのした」
「……あれ…?」
 草むらの目立たない所に、何か動くモノがあった。
「おっきなこえ、だしゃないでね」
 レイナがかさかさと軽く側の枝を揺すると、それはこちらを見た。
「……馬の…子供…?」
「おいでー」
 彼女の呼び声に子馬は立上がり、とことこと寄って来て――少し前で怯えたように止まる。
 レイナはきょとんとした目をしてから、アルディスを振り返った。
「…怖がってないかい?」
「…しょっかー」
 にっこり笑うと末姫様は、子馬に近付いて行って、その栗毛に触れる。
「よーし、よし。こわくないよー」
 子馬が擦り寄って来たのを見計らって、アルディスを手招き。
「へーき、へーき。こわがっちゃ、だめなの」
 アルディスは言われた通り、ゆっくりと近付く。
 レイナに手をとられて触れると、子馬は一瞬身を堅くしたが、すぐに緊張を解いた。 
 セイルーンの王宮にもたくさん馬はいるが、野生馬に会うのは初めてだった。
「あったかいでしょー?」
「うん。…すっごく手触りいいね…」
 その不思議な感触を味わいながら、アルディスは思い出す。
 ガルデイやラグリイも、動物をなつかせるのがとても上手かった。
 双子の片割れ・バクシイもその才はあるのだろうが、どうも大雑把な性格が災いするのか、結局は驚かせて逃げられてたっけ。
 レイナもその力があるのだろう。
 アルディスは何となく羨ましくなった。
 しかし、しばらくここに来ていなかった彼は、まだ知らなかった。
 最近その末姫様の天賦の才にどんどん磨きがかかり、近隣はおろか、あちこちの動物達をなつかせまくって、リナの新たな悩みのタネになりつつあることを―――。
「あ、あれが、おかーしゃんよ。おかーしゃーんっ!」
 レイナがぶんぶんと手を振ると、子馬が走り出す。
 その先に、見事な青毛の馬がいた。
 ゆっくりと近付いて来ると―――、子馬に乳を飲ませながら、レイナに顔を擦り寄せ始める。
 嬉しそうに笑う末姫様。
「おにーちゃま、おかーしゃんもなでてって」
「は?」
「ほら、ここ」
 レイナが示す、白い流れ星のような斑のある額から鼻にかけてを撫でると、母馬はアルディスにも擦り寄って来た。
「かわいいでしょ」
「うん…」
 大きな生き物の穏やかな暖かさが、なんとなく幸せな気分にしてくれる。
 いつも、周りを沢山のせわしない大人達に囲まれている王子にとって、この静かな穏やかさは宝物のように思えた。


「おにーちゃま、うれししょう」
 来た道を戻りながら、レイナが笑う。
 手をつないだまま、子犬のようにくるくると、4人目の兄の周りを回っている。
 くすぐったいような気恥ずかしさに、アルディスは苦笑いした。
「そうかい?」
「うん。とっても。
 こんど、みんなできて、おかーしゃんうまに、のしぇてもらおうね」
「乗せてくれるの?」
 アルディスの知識の中にも、馬が人を乗せるには、それなりの訓練を必要とする程度の認識はある。
 まして、人に馴れにくい野生馬なら、そう簡単なことではなかろう。
「ガルおにーしゃんたちはのってるよ。
 あのね、きにのぼって、のりうつるの」
「…ああ、なるほどね」
 さすが、生活力あふれるガブリエフ家の兄弟である。
 この辺の発想の転換は並ではない。
「アルおにーちゃまがのるときは、レイナものしぇてね」
 レイナが甘えるように、手に頬ずりする。
「ガル兄達は一緒に乗せてくれないのかい?」
「うん。レイナ、まだきにのぼれないから、だめって。
 おとーしゃんにたのんだら、『おとーしゃんはおもいから、おうまがかわいしょうだ』って」
 アルディスはなんとなくそれが、レイナが落ちてケガすることを、皆が気遣ってのコトではないかという気がした。
 この子は骨もあまり丈夫な質〈たち〉ではなく、すでに骨折や脱臼も何回かしているはずである。
 それですんでいるうちはいいが、あの母馬の高さから落ちて頭でも打った日には、笑いごとではすまない。
「―――そーだねぇ。もう少し、レイナがおっきくなったら、きっと乗れるよ。
 ほんとならあの子馬くらいが丁度いいんだろうけど、まだあの子は人を乗せられないだろうし…」
「どうして? レイナかるいよ」
「だって、あの子馬は――そうだなぁ、人間にしたら、まだエリくらいの大きさなんだよ。
 エリにレイナがおんぶ出来ると思う?」
 レイナはぶんぶんと首を振る。
「大丈夫。
 レイナが木登り出来るくらい力がつく頃には、あの子馬も人を乗せられるくらいになってるよ」
「しょしたら、レイナをのしぇてくれる?」
 アルディスは安心させるような笑顔を作り、優しく言葉を紡いでやる。
「あの子馬はレイナが大好きみたいだったもの。きっと乗せてくれるよ」
「しょっかー」
 レイナは幸せそのものの笑みを見せ、しがみついてきた。
「アルおにーちゃま、だーいしゅき(はぁと)」
「ありがと。ぼくもレイナが大好きだよ」
 蜜色の柔らかな髪を撫でながら、アルディスは心の底からそう思っていた。


「あ、しょーだ。おにーちゃま、ちょっとよりみち、いーい?」
「? いいけど?」


 レイナが連れて来たのは、森のはずれの少し開けた場所だった。
「あれ? ここって……」
 今度はアルディスにも見覚えがある。
 レイナの兄達と、魔法や剣の練習に使っている所である。
 ちょうど浅いすり鉢のようになっている地形なので、周囲に被害が及びにくいのだ。
 たまに、ガウリイと義姉のルナが『練習』と称して、すさまじい対決をしている場所でもある。
 ――何せ、世に聞こえた『赤の竜神の騎士〈スィーフィード・ナイト〉』と、『超一級の剣士』と呼ばれている者同志。
 本人達は普通の手合わせのつもりでも、ハタから見れば『とんでもない』という形容しかハマらない。
 しかし、そこはそれ、元々とんでもない国民の多いゼフィーリアである。  前もってバトルの情報が流れた時などは、野次馬どころか、露店や屋台まで立つお祭り騒ぎと化すことさえあるのだ。
 実際に何回かそれを目にしたアルディスは、時折両親が語る波瀾万丈な冒険談も、多少の誇張はともかく――おおむね素直に信じられる気がしていた。
 そして、血筋なのか憧れなのか――両親のような一流の戦士に、ガブリエフ家の子供達もなりたいと思っているようだ。
 そんな使われ方をしているせいか、ここには下草以外の植物がない。
 生えているヒマすらない、というのが正解なのだろう。

 その中心に立って、レイナが大声で言う。
「なんかいか、れんしゅーしたんだけど、うまくいかないのー。
 おかーしゃんも、これはしらないってゆーし。
 おにーちゃまなら、わかるかなー?」
 ――あの天才魔道士と呼ばれているリナお母さんも、知らない魔法???
 確かにここでだけは、とても優しい気質で、それこそ虫もつぶせないこのレイナも、何も気兼ねすることなく、魔法の練習が出来るのかもしれない――が。
「……な、なんていう魔法?」
「うーんとね、『ら・てぃると』!」
 ――『崩霊裂』!?
「かけるから、みててね」
 ――純魔族さえも一撃で葬りさるという、精霊魔法最大の呪文?!
「レ、レ、レイナっ!」
 アルディスが声をかけた時には、すでに詠唱が始まってしまっていた。

 ――とわとむげんをたゆたいし
   しゅべてのこころのみなもとよ

 魔道の才は上の下くらいと評された彼にも、そのすさまじさがわかる程の『気』の集中だった。
 こうなってはうかつに近付くことも出来ず、ただ見守っているしかない。
 この術は、二度の発動形態をとる。
 最初は、術者の手元で青白い光が出現し、後、対象物の周囲に青白い円柱状の光が吹き上がるのだ。
 確かにレイナの手元には、最初の光がしっかり発動している。
「『ら・てぃると』!」

 し―――――――ん。

「……あれ?」
 思わずアルディスは、間抜けた声を出してしまった。
 どこを見渡しても、二度目の発動光はない。
 精神世界を通過する呪文なので、障害物は関係ないはずだが、それほど広範囲に届くモノではなかったよーな……?

 ぱたっ。
 視界の隅で、レイナの小さな身体が倒れた。
「レイナっ!」
 慌てて走り寄って起こすと、顔からは赤みがすっかり消え去っている。
「レイナっ、レイナ! しっかりして!」
「…ふみゅー……、おにーちゃまぁ…」
 かなり怠そうながら目が開いて、アルディスは安堵した。
「どうしたの? 具合が悪いのかい?」
「……うーん……、おっきいじゅつかけるとー……、いっつもだから…、しんぱいしにゃいでぇ……」
「どーして、そういうことを先に言わないのっ!?」
 思わず怒鳴り声になってしまうと、レイナが怯えた目になった。
「あ、ご、ごめん。
 …だけど…、無茶しちゃ駄目じゃないか」
 そんな目を見たのは初めてで、思わず罪悪感が満ちる。
「……ごめんなしゃーい……」
「さ、帰ろ。ほら、おんぶしてあげるから。つかまれるかい?」
 アルディスは、何とかレイナを背負おうとする。
「……うーみゅ。
 ……ねえ、おにーちゃま……、どーして…、…うまくいかないのかなぁ…?」
 レイナがしがみつけないせいで、なかなか上手く背負えないのに四苦八苦しながらも、律義に問いに答える。
「…う…んっ、…多分…だけど…、最初の方は上手く…いってんだから…っ。
 後の方の術の効いてるトコが、…変なんじゃない…かな?」

 やっと背負えそうな体制になった時、予想もしなかった所から、『答え』がもたらされた。
「何だ? こんな人間の子供だって?
 こんな取るに足らないようなチビに、やられかけたってのかい?
 なあ、ゲレス!」
 声の主は、空中に立っていた

 アルディスも、セイルーンの王位継承権を持つ者である。
 基礎的な魔道の教育や魔族に関する知識も授けられているし、レッサー・デーモン程度なら目にしたことがある。
 しかし、純魔族は―――。
 己れの力のみで、この世界に具現出来る程の存在は―――。
 最初に声をかけてきた方の魔族は、コウモリの羽に、人間の四肢を直接生やしたような様相で――顔とおぼしきモノがなかった。
 その代わり、身体の中心部に大きな裂け目のようなモノがあり、そこが蠢くようにして声を出していた。
 ゲレスと呼ばれた方は地上に降りていたが、もっと奇怪な形態をしている。
 まるでムカデのように、長い身体に多数の手足を付けたような感じなのだが、二本のびた触覚のようなモノが一番上にあり、その末端に付いているのは醜く歪んだ人の顔のようだった。
 そして、その右半分は溶けたように一体化していた。
 ――アルディスは悟る。
 その部分こそが、レイナがさっき放った『崩霊裂』の力が作用した場所なのだろう。
 どういう現象でそうなったのかはわからないが、彼等はそれを確かめに、ここへ具現してきたに違いない。
 ―――そして。
 その力を放った相手に、報復するために―――。




[つづく]



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