0『運命のお約束』4

 とんとんっ!
 唐突に、部屋の窓が叩かれた。
 一斉にそちらを見ると、子供のように無邪気な笑みを浮かべた父親が覗き込んでいる。
「おーい! チビ共ー!
 部屋にこもってないで、外に来ーい。いい天気だぞー」
「おうっ! 行くぞっ!」
 ガルデイが真っ先に、飛び出して行く。
 バクシイは窓を開けて出ようとした。
「おい、バーク。エリまでそっから出す気か?」
 ラグリイに止められ、舌打ちをする。
「ちえーっ」
 エリディアの背丈では、ここから降りられないのだ。
 それでも、いつも得意の無茶をするとは言わないところが、バクシイが彼女を見かけ以上に大事にしているという証拠だった。
 そして、ラグリイもそれを十分知っている。
 結局バクシイは、エリディアと手をつないで、ドアから素直に出て行った。
 ラグリイも行こうとして、ふと立ち止まり、振り返る。
 アルディスだけは―――、さっきの姿勢のまま動いていなかった。

 ――ふいに、右側に暖かさを感じて、アルディスは目をやった。
 いつの間にか、ラグリイが隣に座っている。
「…ラーグ…?」
 ラグリイは笑っているとも、淋しそうともとれる、微妙な表情をしている。
「―――あの時さ。おまえが呼んでくれて、助かったよ」
「……?」
「おれ、レイナがあの子馬に乗ってるの――はっきり視〈み〉えてたんだけど、正直言って、呼び戻せる自信なかったんだ」
「……!」
「レイナがやたら、楽しそうだったんだよな。
 子馬の方も、あいつを気に入って離したくないって言ってて―――」
「…言ってた…?」
 ラグリイは肩をすくめて、苦笑して見せる。
「『声』じゃあなかったけど、そう聞こえたんだ
 あそこでもし父さんも信じてくれなくて、そのままだったら―――、きっと、レイナは――連れて行かれてた
「…そんな…の…」
 その意味を悟って、アルディスはぞっとした。
「レイナは、『身体から離れてる』って自覚ないみたいだったし。
 おれがいくら言っても、気付いてくんなかったし―――。
 みんなにはわかんなかったろうけど、おまえに呼ばれてやっと、こっちを見てくれたんだぞ」
 アルディスが顔を見ると、ラグリイはにっこりと笑った。
「だから、さ。
 レイナを助けたのは、おれとおまえなんだ。
 あの子が元気になったら、また護ってやろうな」
 自然に滲んで来た涙をこすって、アルディスも笑い返した。
「…うんっ」
「さ、外に行こ」
 二人は手をつないで部屋を飛び出した。


「おー、来たか!」
 お日様のような明るさで、ガウリイが二人に笑いかける。
「…ガウリイお父さん…」
 おずおずと言うアルディスの頭を、義父はがしがしと撫でた。
「みんなで楽しそうにしてたら、レイナも一緒に遊びたくてはやく元気になるさ」
 うなずくアルディス。
 ――誰もがレイナのことを心配しているのは同じなのだと、やっとわかった気がした。
 一同はここ何日かの鬱積を晴らすように、思いっ切り遊び回った。


 寝室の窓から見ていたリナは、まだ眠ったままの娘の頭をそっと撫でた。
「レイナ。みんな楽しそうに遊んでるよ。はやくおいでって」


「おーい、アル、どーしたー?」
 遊びの輪から抜けて、家に向かうアルディスに、バクシイが声をかけた。
「ちょっと、トイレー」


 用を済ませて、また外に戻ろうとした時、アルディスは廊下でアメリアの姿を見付けた。
「お母さーん」
「あら、アル」
「レイナはどう?」
 アメリアは駆け寄って来た息子に、今朝までの重さが無くなっていることに気付いた。
「まだ眠ってるけど――少し顔を見たい?」
 アルディスは、思い切りうなずく。
「静かにしてるのよ」
 母に促されて、レイナがいる両親の寝室に入ると、付き添っていたリナが振り返った。
「リナさん、この子もだいぶ落ち着いたみたいだから、ちょっとだけレイナちゃんの顔見せてもいいです?」
「いいわよ」
 言いながら、椅子から立ち上がる。
「アル、あたしとアメリアは一休みしてくるから、少しの間頼むわね」
「は、はい」

 二人が出て行ってしまってから、アルディスはレイナに近付いて行った。
 両親の大きなベッドに寝かされているせいで、小さな末姫様の身体は、布団という海に沈んでいるように見える。
 あの時ほどではないが、まだ顔色はあまり良くなかった。
 顔を撫でようとしても、アルディスの背丈ではベッドの縁から届かない。
 仕方なく靴を脱いでよじ昇ると、添い寝するように隣に陣取る。
「……レイナ…」
 頬に触ると、少し冷たい。
 それが辛くて、自分の頬で暖めるように頬ずりする。
「レイナ…、はやく起きてよ……」
 気付かないうちにまた涙が溢れて来て、レイナの頬にも落ちた。
「……あ…」
 慌てて拭っていると、レイナの瞼が少し動いたように見えた。
「レイナ?」
 アルディスの呼び声に答えるように、ほんの少し目が開いた。
「……レイナ…!」
 まだぼんやりしているのか、返事の代わりに、アルディスの方を見る。
「…レイナ、わかるかい?
 ぼくだよ、アルディスだよ」
 温かい手に頬を撫でられて、ようやくレイナは口を開いた。
「……おにー…ちゃ…ま……?」
「そうだよ。……よかったぁ」
 アルディスは嬉しくて、再び頬ずりする。
「……レイナ……どう…したの…?」
「…覚えてないのかい?」
「……うん…」
 無理もない、とアルディスは思った。
 自分でさえ、あれほど怖かったのだ。
 まだこんな小さなレイナが平気だったはずがない。
 ――なのに、自分のために、必死で立ち向かってくれたのだ。
 それがいじらしくて、切ない想いが胸を満たす。
「―――無理に思い出さなくても、いいんだよ。
 もしまたあんなコトがあったら、今度は、必ずぼくがレイナを護るから…」
 思わずアルディスは、ぎゅっと抱きしめていた。
「…? …おにーちゃま…?」
 毛布から出てきた小さな手が、アルディスの頬を撫でる。
 その暖かくて、ふにふにした柔らかさが心地好い。
 アルディスはそれを大事そうに、そっと両手で握った。
「…レイナは、ぼくに護ってもらうの、―――嫌かい?」
「……じゅっと、…レイナのとこに…いてくれるの…?」
「うん。
 レイナがいてって言うなら、一生でもいるよ」
 レイナは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「やくしょく?」
「約束だよ。ぼくは一生レイナの側にいて、護ってあげるから。
 絶対、忘れちゃダメだよ」
「うんっ。…おにーちゃま…、だーいしゅき…」
 アルディスは幸せそうに微笑んで、レイナの額に口づけた。


「――――今、なーんって言ったのかなぁ? アルディース」
 心持ち、リナの笑顔が引きつっている。
「はい、だから、レイナはぼくが一生護ります」
「まあ、アルったらー。
 それじゃ、レイナちゃんを、お嫁にもらうってことになるわよ?」
 居間で息子の報告を聞いて、あまりに早すぎる騎士ぶりに、アメリアはからからと笑った。
「…そうなの?」
「だって、男の子と女の子が、一生一緒にいるって言ったら、そういうことになるじゃない?」
 きょとんとしていたアルディスは、母の指摘に少し考え込むと―――、にっこりと笑ってきっぱり答えた。
「うん。レイナは、ぼくがお嫁にもらうよ!」
 ずべべべっ。
 リナは見事にすっこけた。


『だめ!!』

 齢七歳にして早々と、アルディス=フィル=ロッシュ=セイルーンは、いわゆる『人生の試練』にさらされていた。
『だめったら、だめっ!』
 見事にハモるガブリエフ家の三兄弟の勢いに、思わずあとずさる。
 脇の椅子に陣取って、きょとんとした目でその様子を見ているのはガウリイ。
 異様な雰囲気に戸惑うエリディアを、しっかり膝に抱いている。
「な、何でだよぉっ!」
 外から居間に戻って来た一群に、喜々として報告したアルディスを待っていたのは、兄弟同然の親友連中の猛反対だった。
「何でじゃねーよ」
「おまえ、レイナがいくつだと思ってんだ?」
「なかなか戻ってこないと思ったら、なーにしてたんだか」
「レイナはおれ達の大事な宝モンだ。誰にもやんないからなっ」
「まだ相手決めンのは、早いと思うぞー」
「レイナはいいって言ったのかよ?」
 矢継ぎ早に飛んで来る攻撃に圧倒されながらも、アルディスは必死に食い下がる。
「……レイナは、レイナは喜んでくれたもんっ…、ぼくが護っていいって…言ったんだからっ…!」
「ばかたれ」
「レイナに、ンなことわかるかよ?」
「意味なんか通じてないって」
「お嫁になるなんて言ったのか?」
「……うっ…」
 主張虚しく、痛い処を付かれて、半泣きになる。
「……でも…、でも、もう決めたんだからっ。…レイナは誰が何て言っても、ぼくが一生護るんだからっ!」
「……わたし、レイナがきてくれると、うれしーけどなぁ…」
 エリディアの助け船に、兄は嬉しそうな表情になった。
 しかし、それも一瞬のことで――――
「あほぅ」
「エリがレイナをお嫁さんにするわけじゃないだろ?」
 今度は、エリディアにも攻撃が飛び火する。
「……ふぇ…っ…」
 お姫様はガウリイにしがみついた。
「まあ、みんな待てって」
 なおも険悪になっていく不毛な対決に乱入したのは―――、それまで、オブザーバーに徹していた父だった。
「父さんは黙ってろよ!」
「父さん、レイナが可愛くないのか?」
「父ちゃんは、レイナは皆のモンだって、言ってたじゃないか」
 最後の、長兄ガルデイの抗議を受ける。
「言ったさ。
 だから、アルディスにも権利はある。そうだろ?」
「…ガウリイお父さん…」
 アルディスは、意外な救援に驚いていた。
「――ただな。おまえもレイナも、結婚なんてのはまだまだ先の話だ。
 これから先どっちにも、他に相手が見付かるかもしれない。
 長い間には、気持ちが変わることもありえる」
「……そんな……」
 アルディスが、呆然としたような呟きをもらす。
 ガウリイはいつもの鷹揚な笑顔を向ける。
「先のことは、誰にもわからんさ。
 もし、おまえの気持ちが、ずっと変わらなくて―――、
 レイナが『運命の相手』って思い続けられたら、それはそれでいい。
 ――だがなぁ、レイナにも同じように、選ぶ権利はある。
 おまえはその時に、ちゃんと選んでもらえるように、『いい男』にならなきゃな。
 それまでは、レイナは皆のモノってことだ」
 悠々とした父の物言いに、一同、静かになってしまう。
 ――そして、アルディスはガウリイの目を見た。
「―――わかりました。ぼくの気持ちは絶対に変わらないから。
 必ず、レイナに選んでもらえるような男になります」
 その力強い言い方に、兄弟達は何となく勢いをそがれる。

「―――やれやれ。たった三つで『白馬の王子様登場』とは、ウチのお姫サマはおモテになりますこと」
 そう言いながら、リナがドアを開けた。
「レイナ!」
 アルディスの叫び通りに、リナの腕には大きめのガウンに包まれるように、末姫様が抱っこされている。
「皆に会いたいって言うから、ちょっとだけ連れて来たわ」
『レイナっ!』
 兄弟達が駆け寄る中で、レイナは目を開けた。
 一同に口々に名を呼ばれ、姫君はゆっくりと視線を巡らせる。
「レイナ!」
 そして、アルディスの声に、にっこり笑いかけ―――
「ガウリイお父さん! 降ろして」
 自分も行こうとするエリディアの声に、そちらを見る。
 下ろしながらゆっくりと立ち上った父は、にっこりと満面の笑みを愛娘に向けた。
 途端、母の腕の中から精一杯手を広げて、レイナがその名を呼ぶ。
「おとーしゃんっ!」
「おー、レイナっ。やーっと起きたか」
 大股で近付くと、リナから娘をひょいっと受けとり、ひとしきり頬ずりする。
「おとーしゃんっ」
 ほんとうに嬉しそうな、レイナの声。
 頭の上で展開する父娘の熱いらぶらぶシーンに、かやの外にされた子供達は、ぼーぜんとしていた。
「……父ちゃんっ、反則だって」
「だーれが皆のモンだってぇ?」
「……おにーちゃん…、かわいそー」
「先は長そうだな、アル?」
 アルディスは幸せそうな二人を見て―――、深く深く、ため息をついた。


 ―――アルディス=フィル=ロッシュ=セイルーンの、このあまりに一途過ぎる初恋が成就するのは、―――実にこれから十三年もの長い年月を経た後のことになる。
 生涯の伴侶を定めたのは兄弟達の誰よりも先でありながら、実際に行動を起こしたのは一番最後というのは、この辺がトラウマになっていたせいかもしれない。
 何にしても、この時の彼は、まだまだ沢山の時間と紆余曲折が待っていることを、自覚するしかなかったのである――――。



[おしまい]




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