『Spring・ハズ・かむ』

<<前編>>



 ガブリエフさん家〈ち〉は、平和である。
 リナの怒号やおしおきの攻撃呪文が飛ぼうと。
 ガウリイのボケやクラゲ頭ぶりが発揮されようと。
 4人のにぎやかな子供達が、どんな騒動を起こそうと。
 本人達が平和だと思っている限り、とにかく平和なのである。
 この日も、そんな微笑ましい(?)日常のひとコマが―――


「おかーしゃーん?」
 家族の旺盛な食欲を満足させるべく、多量の昼食用ドーナッツ作りに勤しんでいたリナは、玄関の方から聞こえてきた声に、手を休めず答える。
「ここよ、レイナー」
 途中、明らかにつまづいた効果音など交えながらも、4歳にしては小柄な末娘が台所のドアから顔を出した。
「……どうしたの?」
 ドーナッツの生地に手を突っ込んだまま、顔だけそちらを向けて問う。
「あのねー。
 レイナ、おかーしゃんにおねがいがあるの」
 入り口でにこにこと愛くるしい笑顔を浮かべているレイナが、いつものように小首を傾げる。
 その動作で、柔らかな蜜色の長い巻き毛が、さらさらと波打った。
 それだけなら、ひじょーに可愛らしい、で、すんでしまうのだけど。
「――あのね、レイナ。
 その髪はどうしたのかなー?
 おかーさん、あんたが兄ちゃん達と遊びに行く前に、ちゃんと三つ編みにしてあげたわよねぇ?」
「うん」
 こくこくとうなずくと、髪も一緒にうなずく。
「おかーしゃんは、ちゃんとあんでくれたよ。
 でもね、おにーしゃんたちとあそんでたら、犬しゃんたちがいっぱいあそびにきてくれてねー……」
 リナは適当にあいづちをうちながら、生地作りを続ける。
 決して無視しているわけでも、関心がないわけでもない。
 この末娘は、どこをどうしたのか異様に記憶力がいい。――とんでもなく、良すぎるほどに。
 おまけに、フツーでは感じないはずのモノまで察知してしまうという、一種の感応力みたいのまでそなわっているせいか、自分の伝えたいコトを要領よくまとめるという能力が欠けていて。
 必然的に説明はやたら冗長になってしまうので、聞く方は否応なく適当にはしょらなければならないハメに陥るのだ。
 今回も例外ではなく、ようやく話が終わった頃には、型抜きされたドーナッツの山が出来あがっていた。
「―――なの」
「――つまり、兄ちゃん達と犬達ともみくちゃになって、ほどけちゃったってコトね」
 母の簡潔な要約に、嬉しそうに拍手するレイナ。
「すごい、すごい、おかーしゃんっ」
 ――すごいのはあんただってば、娘っ。
 どうやったらこんなに簡単なコトを、そんなに長々と説明出来るんだね?
「で、編み直して欲しくて、戻って来たわけだ」
「うんっ」
「それで、あんたに付き添ってきたはずの、ガルと隣の犬はどこにいるわけ?」
「うーんっとね、おしょとでまってるって」
 リナが半開きになっている窓の方に目をやると、確かに、前庭で9歳になる長男のガルデイと隣家の白い大型犬が、全力でじゃれあいの真っ最中だった。
 ため息一つついて、愛娘の方を向き直ると。
 自分譲りの大きな栗色の瞳をくりくりと輝かせて、まっすぐに見つめている。
 さらに、もう一つため息。
「――あのね、レイナ。
 ほどけちゃったのは仕方ないわ。
 すぐ編み直してあげたいんだけど――」
 粉だらけの両手を見せ。
「今、おかーさんはこういう状態なの。
 みんなのお昼も、遅くなっちゃいけない、――わかるわね?」
「うん。
 レイナ、おわるまでまってるよ」
 にっこりと満面の笑みを浮かべる、至って素直な娘に、苦笑するリナ。
 この娘〈コ〉のコトだ、本当にこのままずっとだって待っているだろう。
 けれど、それにはちょいと問題があって――。
 これまたどうしたコトか、この末娘は非常に『トロい』。
 あの反射神経と運動神経の権化・ガウリイと、戦士でもある自分の遺伝子をどこに置いてきたのかと思うほど、『著しく』と形容していいくらい極端に身体能力が欠如している。
 もちろん、体力や抵抗力が低いというのもあるとしても――。
 頭の反応速度は常人の3倍強なのに、もしかしたら、身体の方の反応速度は1/3もないかもしれない。
 これから高温の油で揚げ物をしようという時に、そんな娘を側に置いといたら、どんな不測の事態を招くかわかったのものではなく――。
 この危惧が決して、親バカな取り越し苦労ではないのは、枚挙にいとまがないほど前例が証明していた。
 リナとて、どんな荒っぽかろうと、一応親は親。
 大事な娘を、危ういコトには出来るだけ近付けたくなかった。
 かと言ってこのまま、あのでかい犬とくんずほぐれず遊びまくっている長兄の所へやったりしたら、髪はもう収拾つかないほどぐしゃぐしゃになってしまうだろう。
 容姿どころか性格までガウリイそっくりと、リナまでも認めている長男坊のことだ、おそらくそんな細かいトコなんか気が回らないに違いない。
 たとえ、ガルデイが奇跡的に気付いたとしても――。
 動物にはなぜか無条件で、むやみやたらに懐かれるこのレイナ。
 間違いなく、あの犬の方にもみくちゃにされてしまうだろう。
「おかーしゃん?」
「――あ、あのね、レイナ。
 そうね、い、居間で待っててくれない?
 おかーさん、終わったらすぐ行くから」
 途端に、笑顔が半泣きに変わる。
「えー? どうしてぇ?
 レイナ、いい子でまってるから、ここにいちゃだめ?」
 思わずたじろぐリナ。
 それこそ生まれた時から、ガウリイと3人の兄達に溺愛されまくってきた末姫様は、何よりひとりぼっちが嫌いなのだ。
 普段はほとんどわがままを言わないのに、この点だけはいつも我を張るのだから、よほど嫌らしい。
 そして、リナは何よりこの泣き顔に弱かった――。

 リナにとって最強最凶の敵とのバトルが膠着しかけた時、実にタイミング良く、最も強力な助っ人が出現した。

『おー、ガルデイ』
『父ちゃん、おかえりー!』
『おまえ一人かー? 他のはどうした?』
「おとーしゃんっっ!」
 レイナはまた満面の笑みに戻り、台所から駆け出していく。
 リナは深々とため息をついた。
 ――そうだった。
 どんな用事に出ていようと、あのガウリイが昼食時間に戻らないはずはなく。
 そして、比類なきお父さん子・レイナのなだめ役には、これ以上の適任はいなかった。

 ようやく昼食の仕度に戻れたリナの耳に、聞くともなく、窓かららぶらぶ父娘の会話が届いてきた。
 どんな光景が展開されているかは、目にみえるようだった。

「おとーしゃんっ♪(らぶらぶ)」
「おー、レイナっ♪(だきっ)」
「おかえりなしゃいっ(すりすり)」
「ただいまっ。朝メシ以来だな〜、会いたかったぞっ(ひしっ)」

 こけけけっ。(リナの転けた音)

「おまえ達だけなのか? 双子はどうした?(すりすり)」
「あのねー……(ぺたぺた)」

 以下、しばし説明。(昼食製造中のリナ)

「そっかー。で、こんななのか(なでなで)」
「うん。おかーしゃんが、『おわるまでまっててね』って(ぴとぴと)」
「んー、要は、髪を編めりゃいいのか?(かいぐりかいぐり)」
「そーなの(ぺとぺと)」
「なら、オレが編んでやるよ(にこにこ)」

 がっしゃん。(リナがびっくりした音)

「おとーしゃん、あめるの?(きょとん)」
「ああ、まかせとけ。これでも、リナの髪を編んでやってたことがあるんだぞ(きっぱり)」

 ……………(リナが記憶を辿っているらしい)

 もちろん、台所で動揺しまくっているリナの様子になど気付くはずもなく、ガウリイはレイナを下ろすと、ブラシを取ってくるように言い――。
 さらに、犬と入りくんだまま、こっちを見ている長男に向かって。
「おーい、ガルデイ。
 そろそろ昼メシだから、弟達を呼んでこーい」
 ガルデイはやたら明るく返事すると、自分より大きい犬と共に、垣根を軽々と飛び越えて出て行った。

「おとーしゃん、これでいーい?」
 レイナからブラシを受け取ると、ガウリイは庭にあぐらをかいて座った。
 向かい合わせにちょこんと座ってきた娘を、ちょっと眺めてから、くるりと背中を向かせ――。
「おとーしゃん???」
「やっぱ、この方がやりやすいんだよな」
 まるで背中から抱っこしているような体制で、娘の自分似の髪をブラシですき始める。
 大きな手が慣れた優しい手つきで、髪を二つに分け、片方を編み出す。
「おとーしゃん、じょうずぅ。
 じぶんのかみも、あんでるの?」
 しきりに感心するレイナに、少し苦笑したような声で答える。
「いーや。
 オレの髪はリナにしか編んでもらったことないぞ」
「じゃあ、おかーしゃんにおしえてもらったの?」
「いーや」

 意味深な発言に、ドーナッツを揚げるリナの手が止まった。
 その顔は――かなり赤い。
 元々、誰かれとなく堂々とノロケてはばからない旦那である。
 それは自分の子供達にすら、何も変わらない。
 照れ屋なリナとしては、たまったモノではなかった。
 ――それにしても。
 いったいガウリイは、いつあたしの髪を編んでいたって言うんだ?

 編み上がった髪を器用にリボンで結わえながら、ガウリイは独り言のように続ける。
「昔なぁ、リナがケガしたことがあってな。
 その時、近所のヒトに教えてもらって、こうやって編んでやったんだ」
「おかーしゃん!?
 ケガって…、だいじょうぶなのっ!?」
 驚いて振り返ろうとする娘を、逞しい腕できゅっと抱きしめて。
 頭を撫でながら、ガウリイが優しく囁く。
「もう大丈夫だって。
 ちゃんと治ったから、こうしておまえ達がいるんだ」

 ――ああ……。
 リナの脳裏に、ゆっくりと思い出が浮かび上がってくる。
 日々の平和な暮らしに慣れて、もう忘れかけていた出来事。
 思い出の辛かった日々の中――唯一の拠り所だった、ガウリイの優しさや抱擁の感覚が、切ないほど鮮やかに甦る。
 そうだった。
 あの時は、ああやって―――

「ほら、出来たぞ」
「わぁい、おとーしゃん、ありがとっ!」
 またしがみついてきたリナそっくりの小さな娘を、ガウリイは愛おしげに抱きしめる。
 ――そう。
 この胸の中の確かな温もりが、今が平和だという何よりの証だった。
 そして、愛しい者を護りきったという自負が、現在〈いま〉のガウリイをよりいっそうの幸せに浸らせていた――。


 一方。
 ガブリエフさん家の元気あり余りの兄貴3人衆は、駆け足でわが家を目指しながら、集まっていた犬達をそれぞれの家に戻している最中だった。
「父さんがそんな器用だってか?」
 次男のバクシイが、とぼけたように笑う。
「だって、そう言ってたぞー」
 長兄の肯定を、今一つ承伏しかねている双子の片割れに、弟のラグリイがあっさりと解答を出した。
「父さんがミョーなコト覚えてるったら、母さんがらみのコトに決まってるじゃないか」
 何せ両親の『万年新婚らぶらぶ』ぶりを、物心付く前からずっと見てきた子供達である。
 末妹と似たような感応力を備えたせいで、年に似合わず鋭すぎる三男坊の意見ならずとも、これに関しては全く異論があるはずもなかった。

「ねー、おとーしゃん。
 レイナね、じぶんでかみをあめるようになりたいなぁ」
 これまた近隣に轟き渡っている『らぶらぶ父娘』は、家の前庭で抱っこの体制のまま、ほのぼのと母の昼食コールを待っていた。
「…そうだなぁ。
 レイナがもう少し大きくなったらな」
 ガウリイがちょっと迷ったのは、娘のとんでもない不器用さを良く知っているからで――。
 正直、夫婦でさえも頭を抱えるコトがよくあるのだ。
 この娘の器用さは、ただ一点のみに凝縮されてしまったのではないか、と。
 ――すなわち、魔道の方面だけに。
 何せ齢4歳にして、魔道士協会に正式に属し、通常の魔法を収得するだけでなく、時々自分でアレンジやらオリジナルの魔法を作り始めているなんてのは、すでに常人のレベルではなかろう。
 ガウリイもリナも、自分達が人並み外れた能力を持っている自覚はあるし、それがどんな形で子供に遺伝しても不思議はないとは思っている。
 ただ、一般の親の感覚としては――。
 大切な子供達が、普通の生活くらいは出来るようであって欲しいと思うのもまた、至極当然なことだった。
「――そんな魔法はないんだろうしなぁ……」
 何気ない父の呟きに、娘の瞳が輝いた。
「しょっかー。魔法でやってもいいんだよね?」
 ガウリイが自分の言ってしまったイミに気付いた時には――、すでに遅かりし。
 とても楽しいコトを見付けたような好奇心いっぱいの表情で、レイナは自分の三つ編みを見つめていた。

 作業の手を休めないまま、台所で会話を聞き続けていたリナは、あやうく、揚げたドーナッツに砂糖を壺ごとぶちまける処だった。
 いくらレイナが、希代の天才魔道士としての才を持ち合わせていると言っても、全く未知の作用を持つ呪文を、早々に組めるなどとは思わない――普通なら。
 けれど。
 末姫様には、他の魔道士にはない、常識などあっさり吹き飛ばしてしまう特異な才がもう一つあるのだ。
 すなわち、あの比類なき『感応力』が。
 実際、いったいそれがどういうモノなのか、未だにリナでさえもよくわからない。
 唯一、多少なりとも同じ様な能力を持つ三男坊のラグリイだけは、かなりわかっているようだが――。
 一度それを尋ねた時に、件〈くだん〉の息子が称したには。
『かんたんに言っちゃうなら――、精神〈こころ〉で、いろんなコトがわかるんだ』
 やはり8歳の子供には、それ以上の詳細な説明は難しいのだろうか。
 それとも、そんなに普通の人間には理解できない類〈たぐい〉のモノなのか。
 その息子とて、一卵性の双子の片方・バクシイと比べても、近頃妙に大人びて、やたら食えない性質〈たち〉になってきているのは、そのせいもあるのかもしれない。
 あまり幼いうちから、何でもかんでも見ない方がいいことまで知ってしまうのは、情緒面では決していいことではないと思うものの――、これはリナにもガウリイにもどうしようもない。
 ――ただ、その能力がどこに起因するかだけは、なんとなくわかってはいるのだが。
 それだけに、どんなコトを起こしても不思議はないと思ってしまう。
 でも、それは。
 誰にも――子供達にさえも、決して言えるはずのないコトで。
 今の処、うすうす感づいていそうなのはただ一人、『赤の竜神の騎士』の名を冠する姉くらいかもしれない。
 実際、それにラグリイやレイナも気付いているのか、よく伯母の所に行っては、何か謎な話をしていたりする。
 何だかこのまま行くと、あの姉のルナのような人間離れした子供が――特に三男坊の方が――出来上がって行きそうで、別な意味でもちょっと末恐ろしいリナだった。

 それはともかく。
 さすがに末姫様の能力に関しての認識は、ガウリイも同様だったらしく――。
「ねー、おとーしゃん。
 おとーしゃんのかみ、ひとふさかりていい?」
 きらきらと輝く瞳で、いつものように無邪気に小首をかしげる娘に、ちょいと父の笑顔が引きつる。
「……オレのじゃなきゃダメなのか?」
「だってー、レイナのは、いませっかくおとーしゃんがあんでくれたから、ほどきたくないの。
 でね、レイナみつあみおぼえたら、いちばんはじめに、おとーしゃんのあんであげたいの。
 だから……ダメ?」
 このすがるように一途な瞳に、Noと言える者がはたしているのか。
 まして、可愛くて可愛くて仕方ない愛娘の願いである。
 ――まあ、もし失敗したって、別に一房くらい切っても問題ないか。
 ガウリイは苦笑いしながら、うなずいた。
 それが、いったいどんな結果をもたらすかも――まったく知らずに。


「どした? ラーグ」
 急に立ち止まってしまった弟を、兄達は不思議そうに振り返った。
「――やばい……って、レイナ!」
 動揺した表情で叫ぶなり、ラグリイが駆け出す。
「おい、レイナに何かあったのかよ!?」
 何だかわからないまま、ガルデイとバクシイも続く。
 彼等の家は、もうすぐだった。



 <<つづく>>




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