<<後編>>
ガウリイの身体に、暖かいモノが流れていく。
目の前で呪文を唱える娘の顔は、いつもよりいっそうリナに似ていると思う。
彼が深く愛してやまない存在に――。
そのリナは、すぐさまそちらへ行きたいのに、未だ果たせずにいた。
理由は魔族の来襲――なんて、大そーなものでは、全然なく。
――要は、主婦の感覚というか。
このまま油の入った鍋を、燃えるかまどにかけっぱなしにして行けばどうなるか――。
かと言って、いきなりかまどの火に水などかければ、一気に灰が舞い上がり、せっかくの昼食が台無しになってしまう。
確かに、夫と同じ様に髪の一房くらいなら平気だろうという楽観もあったものの、やっぱりあくまでもリナは――、『食べ物を粗末に出来ないタチ』だった。
血相を変えて走ってきたガブリエフ家の男の子衆は、門を越えた所で――もれなく――硬直した。
「――あれぇ?
ごめんなしゃい、おとーしゃん。
まほー、かみぜんぶにかかっちゃったみたい。
でも、しゅごくきれい♪」
無邪気な娘の言葉に、ガウリイはいつの間にか閉じていた目を開けた。
開けて――末姫様越しに、呆然としている息子達を見付け。
「――どうした? おまえら」
その問いかけに、呪縛が解けた3人は―――、一斉に吹き出した。
突然わき起こった爆笑の嵐に、父と娘はきょとんとしている。
「ちょっとちょっと、何の騒ぎよ、いった…………」
ようやく玄関から顔を出したリナも、その場で急激な金縛りにあった。
「――なんだよ、リナ。おまえまで」
訝しそうに問う家長に、何とか笑いの隙間をぬって、ラグリイが震えながらも何とか指差す。
「――と――父――さん――。
――か――か――み――」
「――ん? 髪? どうかしたか?」
まだ事態のわかっていないガウリイは、自分の長い髪に目をやり――やっぱり見事に――固まった。
「ね?
おとーしゃん、きれいでしょ?」
唯一、常識とは縁のない感覚の持ち主の末娘だけが、にこにこと嬉しそうに笑っている。
まるで機械仕掛けのように、ゆっくりと己の髪の一房を持ち上げるガウリイ。
ふかっ。
柔らかな手触り。
確かに、見事なウェーヴだ。
腕利きの美容師でも、なかなかこうはいくまい。
いくまい―――が―――が――――――
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーっ!?」
あたり一帯に、ガウリイの雄叫びが響きわたった。
――そう。
ガウリイ=ガブリエフの豊かな長い金髪は――。
豪奢な『縦ロール』の群れと化していた。
きらきらきら。
うららかな早春の昼下がり、揺れる度にまばゆい金色の輝きを放ち――。
量といい、長さといい、ロールのかかり具合といい、申し分なく――。
そこだけ花が咲いたような、華やかさに包まれて――。
元々美形な容姿の御仁である。
――似合う。
多少の違和感を無視すれば――(うぷぷ)――似合う。
このまま体格の良さをカバー出来るドレスを着て、きちんと化粧でもすれば、王宮なんぞも歩いても違和感がない――かもしれない。
しかし、しかし。
――当の本人は、至ってフツーの感性の『男性』なのだ。
アタマはすでに真っ白、汗がだくだくと流れ、身体は小刻みに震えている。
もはや、ホワイト・アウト寸前で、何とか踏みとどまっているという感じだ。
「――おとーしゃん、どーしたの?
おひめしゃまみたいだよ(はぁと)」
末娘の無邪気な評価が、トドメの一撃になった。
さすがの歴戦の剣士もすっかりパニックに陥ってしまっていた。
――もちろん、こんな戦況などあるはずもないのだが。
雄叫びを上げながら、ひたすら庭中を駆け回り。
水瓶の水鏡に己の姿を映して見たかと思うと、木にがんがんと頭を打ち付けてみたり。
もうまったく収拾がついてない。
それでも何とか、こんな時は一番頼りになる存在のコトは思い出したのか。
玄関のポーチで笑いこけている相棒を引き起こして、必死で訴える。
「お、お、おい、リナっっっ!!
な、何なんだよ、これはぁっ!?
ど、ど、どうやったら、も、元に戻せるんだ!?」
あまりの必死の形相に、リナは涙目のままながら、辛うじて声を絞り出す。
「…み、みず……でも……かぶ……れば……」
また笑いに沈没してしまったリナを放り出すと、ヒトの域をぶっちぎった速度で、一直線に井戸へ――。
水を汲み上げるが早いか、服のまま思いっきりひっかぶる。
ざばあああああああっ!!
皆のあまりに奇妙な状態に、さすがにレイナも異常事態だという理解は出来たのか、とてとてと父親の所に近寄ってきた。
「――おとーしゃん、かぜひくよ?」
しまった。――まったく、わかっていないらしい。
ガウリイはぜいぜいと肩で息をして、水を滴らせながら、歯車でも入ったように、ぎぎいっと頭だけレイナの方を向けた。
「――レイナぁ……、元に戻った……か?」
娘はちょっときょとんとした後、小首を傾げつつにっこりと笑い。
「こんどは『なみなみ』になったよ」
再び、雄叫びが上がった。
――ご愁傷様です。
――しばらくの後。
さすがに、騒ぎはちっとも珍しくないガブリエフ家とは言え、狂乱のあまりの賑やかに、隣近所の人々が集まって来てしまったので、一家は何とか家に引っ込んだのだが――。
どんな状況でもやっぱり、腹は減る。
特に、ガブリエフ一家にとって、空腹というのは何よりも耐え難い状態である。
ということで、食堂で遅い昼食となった。
今だ羞恥と格闘中のガウリイは、濡れまくった服を着替え、髪にはタオルを巻いている。
顔は赤らみ、小刻みな震えが続いている。
一方、男の子達とリナは、必死で笑いをこらえていた。
おそらく、一生忘れられない事件に一つになるのは間違いなかろう。
けれど、どこまでも天真爛漫で、常識とは最も縁遠いレイナだけは、マイペースでにこにことドーナッツをほおばっていた。
もっとも、末姫様が綺麗だと思っている以上、罪の意識などあろうはずもない。
「――なあ、リナ……」
「――なに?」
「これって――どうにか戻らんのか?」
リナは、喉に詰まりそうになったドーナッツを、香茶で流し込む。
「――む――無理だと――思うわ。
正規の魔法ならともかく――、レイナが組んでかけ損なったモンよ。
もし、反作用の呪文を探すとしても、まず元々の術を解析しなきゃ。
それだけでも、しばらくは――かかるでしょうね」
がっくりと肩を落とすガウリイ。
――実際の処。
わかりやすく説明するなら、ガウリイの髪には、『パーマ』がかかった状態になっているのである。
組成から作用してしまったウェーブヘアは、そう簡単には戻せないだろう。
まるで我慢大会のような食事が終わりかけた時、とうとうこらえきれずに、ガルデイがぷっと笑いを漏らした。
再び、ガウリイの臨界が――来た。
「うおおおっ、もう我慢出来んっっ!
そんならいっそ、全部切ってやるっっ!!」
叫ぶなり、頭からタオルを取って、水場にあった包丁に手を伸ばす。
「だめぇぇっ!!」
「いやぁぁぁっ!!」
二つの声が、重なった。
誰もが、一瞬、何が起こったのかわからなかった。
――ようやく把握出来た時には。
ガウリイは包丁を手にし。
リナはその手を押さえ。
レイナは激しく泣いていた。
「ばか、危ないじゃないか…!」
「危ないのは、どっちよ!」
怒鳴りながらも、ガウリイもリナも手は離さない。
「髪なんか切ったって、惜しかないだろ!」
「――ダメなモノはだめよっ!」
「何でだよ!?」
「――――――」
そのまま、みるみる真っ赤になってしまうリナ。
一方、ショックで大泣きしてしまっているレイナの方は、兄達がなだめていた。
「ほら。泣くな、レイナ」
「…ごめん…なしゃい、…ひっく、……レイナがわるいのぉ……。
……おとーしゃんの…ふえっ……かみ、……だいしゅきなのにぃ……。
…きっちゃ…やだぁ……」
ようやく、とんでもないコトになっているのだと自覚出来たらしく、激しく泣きじゃくる妹を、バクシイが抱っこして撫でてやる。
「気にすんなって」
「髪なんて、またすぐのびるんだから」
長兄ガルデイのなだめにも、なおレイナは泣き続ける。
「そうそう。あんなになったのはアクシデントなんだし。
あのまんまじゃ、カッコつかないからいいじゃん」
次兄の軽口も、逆効果。
しかし、妹に泣かれるのが何より嫌なはずの末兄のラグリイは、騒ぎをヨソにしばらくじっと考え込んでいた。
その能力と気質のせいか、こんな時は納め役になりつつある通称・謎の三男坊は、何か解決方法を探しているのかもしれない。
やがて、軽くため息を付いて、両親に視線を送る。
「――やれやれ。
すなおに言っちまいなよ、母さん。
父さんの『長い髪』が大好きなんだ、ってさ」
ガウリイが目を見開いて、見下すと――。
リナは耳まで赤くして、そっぽを向いていた。
「レイナは、母さんが父さんの髪が大好きなんだって、ずっとむいしきで感じてた。
だから、よけいに大好きになってるんだよ」
ガウリイが、『どういうことなんだ?』という目で、ラグリイを見る。
「だからさ。
――レイナがこんなに父さんになつきまくるのは、母さんの感情がえいきょうして、感化されてるせいもあるんだってこと、いいかげんに気づきなってば」
事実のみを淡々と語る口調は、かえって気恥ずかしさを増長する効果がある。
まして、それがたった8歳の少年となればなおさらに。
ガウリイとリナは、無意識にお互いを見ようとして、視線が合うと、同時に赤面した。
その反応に、何かわくわくした表情で、ガルデイが訊く。
「――なあ、ラーグ。
つまり、何か?
レイナが父ちゃんになつくのって、母ちゃんが父ちゃんにらぶらぶだから、それがレイナに伝わって……」
「言わんでいいっっ!!」
長男坊の顔面に、リナの投げたのし棒が命中。
びっくりしたレイナは、いつの間にか泣きやんでいた――。
ぴんっ。
ぴんぴんっ。
ぎくっ。
平和な一時〈いっとき〉もつかの間、しだいに乾いてきたガウリイの髪が、再び元の『縦ロール』状態に戻りつつあった。
家族全員の額に汗がひとすじ。
「……父さん、どのくらいまでなら許せるのさ」
「父ちゃん、時々後ろで三つ編みにしてもらってるじゃん。
それくらいならいいんだろ?」
ラグリイとガルデイの問いに、まだガウリイが悩んでいる。
そこに、子供達では一番センスのいいバクシイが、穿った意見を出す。
「なら、戻るまでは、きっちり編んどきゃわかんないからいいだろ?
前髪なんかは、バンダナか何かでおさえてさ。
そのくらいは母さんがやってくれるって」
一同に視線を送られて、リナは反射的にうなずいてしまう。
「…おとーしゃん…きらないで…くれる…?」
今度は、ガウリイがうなずく。
――ようやく、何とか折衷案が決まったようである。
「ほら、これでいいでしょ?
たく、もー……」
ぶつくさ言いながらもリナは、寝室でガウリイのなみなみ化した髪を、一本の三つ編みに結わえてやっていた。
椅子に腰掛けたままガウリイは、それを片手でいじりながら苦笑いして。
「――まあ、これでレイナにも、おまえにも泣かれずにすむか」
「ちょ……っ!
だ、誰が泣くって言うのよっ!!」
片づけていたブラシや髪紐を取り落としながら、リナが叫ぶ。
振り返ったガウリイの顔は笑っている。
「だって、おまえの気持ちがレイナに伝わるんだろ?
なら――、なあ」
「何でもかんでも伝わるわけじゃないでしょーに!」
「でもよ、レイナはオレといると、いつでもごきげんじゃないか。
つまりは、おまえもそういうコトなんだ」
「だ、だからっ…!」
いつの間にか、ガウリイの手が、リナの手を掴まえている。
「大丈夫だ。
オレはおまえを泣かすようなことは、もう絶対しないから」
リナは、視線だけ逸らして、ぽそっと呟いた。
「……あたりまえじゃない…………ばか……」
「あ、おかーしゃん、ごきげん♪」
居間で固まって遊んでいた子供達は、末姫様の言葉でにっこりと笑い合う。
「けっきょく、あの二人はねっから『らぶらぶ』なんだってコトなんだよな」
ラグリイのセリフに、バクシイが不思議そうな顔をする。
「おまえ、さっきそう言ったじゃんか。
レイナに伝わる、って。ちがうのか?」
それを受けて見上げてきた、膝の中の妹を撫でながら、末兄は苦笑した。
「ウソじゃないさ。
たださ、時々おれにまで伝わってくんだよな。
――らぶらぶすぎて、さ」
実際の感覚はわからなくても、兄達には言いたいコトはよくわかった――わかりすぎるほどに。
唇を離してから、リナが問うた。
「――よく覚えてたわね」
「ん?」
「あんたが三つ編み習った時のことなんか」
「――あ、ああ、あれか。
だって、あの時はホントにしんどかったからなぁ。
おまえに公然と触れられて、すっごく嬉しかったんだぜ」
リナが火を噴く。
「そ、そ、そんなこと考えてたの!?」
ガウリイはにこっ、と笑った。
「そりゃ、髪でもおまえの一部だから。
――なあ、これからはオレが編んでやってもいいか?」
リナの顔が、ますます朱の度合いを増す。
「――あ――あんた――が、ずっと髪切らない――って、約束するなら――ね」
「お前に編んでもらえる役得がある限りはな」
もう一度、近づいて行く二人の髪が、触れ合った――。
結局、二月程の間、長い三つ編みをなびかせて闊歩するガウリイの姿が、近隣に出没し。
元々娯楽の少ない田舎にあって、常に話題を振りまくガブリエフ一家のコト、その事件に関しても当然、街の人々の知る処となったが――。
同時に、ガウリナがどれほどアツアツなのかも、あらためて知ることになったようである。
ガブリエフさん家〈ち〉は、幸福である。
たとえどんな事件が起ころうと。
本人達が幸福だと思っている限り、とにかく幸福なのである。
今までも。
そして、きっとこれからも―――
<<おしまい>>