Betweem Lips and Kiss

<<2>>

「おーい、リナー」
 今度はさっきより遠くからガウリイの声がした。
 ―――あ、そっか。
 魔道書を出せって書斎へ追いやったんだっけ。
 今度はヘンなモンはないはずだけど――?
「なーによー、ガウリイ」
「これ、全部ここに置くのかー?」
「そうよー、何か文句あるー?」
「いやー、文句はないんだけどなー。
 ――床、たわんでるぜ」
「げっ!?」

 まだ梱包を解かれていない荷物を避けながら居間を出て、家の奥の方に向かう。
 慌てた足音が、自分でも驚く程家中に響き渡る。
 決して広い家じゃないからなんだろうけど、まだ家具があんまりなくて、空間が多いってのもあるんだろうな。
 ガウリイがいるのは、寝室に当てた部屋の反対側、あたしの書斎に陣取った部屋。

「おう、リナ」
「おう、じゃないでしょ。
 どうなってるってのよ?」
 ドアを開け放ったまま、長身のガウリイが足下に本の山を置いて、自分と同じくらいの高さのある本棚の前に立っていた。
 いつもの長い金髪はさすがに荷運びに邪魔になるから、後ろで一つに結わえてやってある。
「どうって。言った通り、ここに本を詰めてたんだがな。
 そしたら……」
 あたしが床に積まれた本を越えてガウリイの側まで辿り着いた時、床がぎしっ、と音を立てた。
「な?」
 しゃがみ込んで、 床を確かめる。
 確かに、ガウリイの指摘したように、本棚の下がたわんでいた。
 本というのは意外と重量がある。
 少しずつなら大したコトなくても、多量にまとめれば相当になるだろう。
 このままにしておいたら、今すぐには問題なくても、いずれどこかで支障をきたすかもしれない。
 中古物件とは言え、一応リホームしたばかり、新築同然の家なのだ。
 最初から痛みの原因を作りたくはないなぁ。
 だからと言って魔道書の方も、希少本で大事なものばかりだし。
 あたしがしゃがんだまま、本棚を見上げると――。
 ガウリイが逆に覗き込んでいて、どうする?という表情をしていた。
「――仕方ないわね。
 しょっちゅう使わない本は、地下室に移しましょ」
「わかった」
「あたしが選んでる間に、そっちのまだ組んでない小さい本棚を地下室に下ろしといて」
「ああ」
 ――ちょっと返事に愛想がなくないか、ガウリイ?
 ひょっとして――さっきのをまだ根に持ってるのか?
 本棚のパーツを抱えて出ていったのを確かめてから、あたしは苦笑して、ため息混じりに独り言ちた。
「…しゃーないかぁ。
 せっかくの『あたし達』の新居だもんね」
 

「…何やってんだ?」
 ガウリイが 戻ってきた時、あたしは1冊の本を探し回っていた。
「このシリーズの3巻だけがないのよ〜。
 どっかで見なかった?」
 そろってる分から1冊を示してやると、ガウリイはちょっと考え込み。
 珍しく思い当たったようで、本棚の1番上を覗き込んだ。
「――これじゃないのか?」
「あった?」
「ほら、この上の棚の――並んだ本の奥に、横に入ってるヤツ」
 そう言われても、ガウリイのみぞおちまでの背丈しかないあたしに、見えるわけない。
「わかんないわよ〜! 取ってみて」
「この狭さじゃ、オレの手は入んないって。
 全部出してみるか?」
「ん〜。もし違ったら、無駄な労力よね…」
 まだいくらでもやるコトはあるのだ。
 少しでも無駄な時間はかけないに越したコトはない。
 ましてや、この本が床を埋めた部屋に、せっかく納めた本をまた積み上げるなんてのはぞっとしない。
「…そっか」
 不意に得意そうな表情になったガウリイは、 あたしの両脇に手を入れると――
「きゃあっ!
 ちょ、ちょっとガウリイっ!」
 まるで小さい子にするように、本棚の高さまで持ち上げる。
「ほら、覗いて見ろって」
 あたしは少しばたついたものの――、意図がわかると黙って覗き込んだ。
「――ああ、そうだわ。あれ、あれっ。
 何かの拍子に入っちゃったのね」
 ガウリイの指摘通り、あたしの小さな手はすんなりと目標物をゲット出来。
 本をガウリイに示そうとして振り返り――、思わず目を見開く。
 ―――――?
「どうした?
 それでいいんだろ?」
「――う、うん。
 ねぇ、ガウリイ。
 ちょっとこのまま回って、後ろ向いて」
 いきなりの申し出にきょとんとしたものの、ガウリイは至って素直に願いをかなえてくれた。
 しきりに辺りを見渡すあたし。
「…何か気になるモンでもあるのか?」
「――天井が近ぁーい」
「はあ???」
 何だと言うなかれ。
 あたしだって、まだまだスプーンが転がったって笑えるお年頃。
 面白いモノは面白いんだってば。
「ガウリイ、あんたって、いっつもこんな風に見えてるワケ!?」
「???」
「わぁ、床が遠ぉーいぃ」
 『浮遊〈レビテーション〉』を室内で使うコトはあるけど、それとはまた違う感覚だ。
 ガウリイが見ている景色。
 ガウリイの生きてる視点。
 そう思うと、いっそう不思議に見える。
「――おまえ…、何に感心してんだ…?」
「だって、だってー!
 あたしが見てる風景と全然違うんだもんっ!
 そっかー、あんたにはこんな風に見えるんだ〜」
 思わず手足をぱたぱたと揺すってはしゃいでしまうあたしを、ガウリイは高さを変えないまま、抱っこの体制に切り替える。
「そりゃ、身長がこれだけ違うんだから、かなり差があると思うが…、そんなに面白いのか?」
 こくこくとうなずいて、主張。
「あたしが見えないトコが見えて、見えるトコが見えてないんだモンっ。
 ほら、もっと回して回して〜♪」
 楽しそうな様子が面白かったのか、ガウリイはあたしを抱えたまま部屋から移動し始める。
 ようやく目に馴染んできた家が、また全然別物に変わってしまった気がした。
 ―――あれ?
「ガウリイ、随分淡々としてるじゃない?
 もしかして、このコト気がついてたの?」
 すぐ側の顔が、苦笑いする。
「――そりゃあ、視界が違うってのくらいはなぁ。
 オレは生まれた時からこの背丈だったワケじゃないんだぜ。
 おまえが見てる視点も、経験して来てんだからさ」
 珍しく素直に納得する。
 確かに、ガウリイが自分くらいの身長の頃もあったはずなんだ。
 しかし、理屈では納得しても、何か不思議な気がする。
 ――あたしの知らないガウリイの姿。
 ――あたしの知らないガウリイの時間。
 ――そして、ガウリイの知らないあたし――も。
 
「おい、リナ」
 ごんっっ!
 目から星が散った。
「っったぁぁぁ〜〜〜」
「だから声かけたのに。
 大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよっっ!
 ちゃんと避けろって言いなさいよぉ!」
 額を押さえて涙目になっているあたしを、ガウリイがくすっと笑った。
「でかいと、こういうコトもあるんだぜ」
「ぶみゅ〜〜〜」
「まあ、いつの間にかぶつかりそうな時は、自然と屈むクセがつくんだけどな」
 あたしがぶつかったのは、ドアの上の梁だった。
 ガウリイはとりたてて意識して避ける必要がないんで、注意が遅れたんかい。
「どれ、見せてみろ」
 手をよけると、ガウリイは優しい瞳でじっと見つめ。
 少し苦笑すると、そこにそっと唇を寄せて来た。
 いきなり顔が真っ赤に染まったのを自覚する。
「コブにもなってないから、大したコトないな」
「あっ、あのねぇ…!
 んっっ…」
 反論は、唇で封じられてしまった。
 いつもなら、何とでも抗議するのだろうが――。
 何だか、さっきのコト――世に言う新婚ほやほやなんだっていう状況――をまた思い出してしまって――。
 まして、今朝まであった家族の目をもう気にしなくていいとなれば、止めるモノなどあろうはずもなく―――。
 額が。
 痛みのせいだけじゃなく、ずいぶんと早いリズムで脈打っている気がした――。

 <<つづく>>




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