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「――ふみゅ……」
レイナが息を付くように、声を出した。
「レイナ?」
ガウリイの問いかけに、少しだけ目が開いた。
「――おとー……しゃん……?」
「そうだ。もう大丈夫だぞ。みんな無事だからな」
「…そー…」
ほんのりと嬉しそうな笑みが浮かぶと――、途端に全身を安堵が包むような感覚。
ガウリイとリナは顔を見合わせる。
「レイナー! このアザラシが助けてくれたんだぞっ」
ガルデイの声に少し上がった娘の頭を、ガウリイが支えてやる。
「――アザラシ――しゃん、――ありがと……」
アザラシはその巨体を揺すった――まるで喜んでいるように。
翌日――。
すっかり自力で復活した兄達と、別荘まで来てくれた魔法医のおかけで回復した末妹は、浜辺で例のアザラシと遊び回っていた。
もちろん、大人を乗せてもヘでもない巨体である。
リナもガウリイも便乗して楽しむ。
幸い、レイナは海にトラウマが出来るコトもなく――、むしろアザラシという友達が出来たコトで、すっかり水に入る楽しみを覚えたようだ。
まだ泳ぐのは体力的に無理でも、成長してくればいずれそうなれるかもしれない。
「あれ? バークおにーしゃん。
なんかげんきじゃないね?」
砂浜に腰を降ろした次兄を、レイナが覗き込む。
「――なんでもねーよ」
「なんでもなくないよ?」
妹のくりくりとした澄んだ真摯な瞳に、バクシイは居心地悪そうな表情になる。
「――レイナ、そいつは、昨日のコトで悪かったと思ってるんだって」
「ラーグっ!」
「本当じゃん。けっこー気にしてるくせに」
バクシイはぷいっと横を向く。
以心伝心な双子の片割れでなくても、彼の感情は表に出がちなのでわかりやすい。
もっとも、自分の感情を持てあますコトなどまだ知らない末妹に、そのイミがわかるはずもなく。
持ち前の不思議なスタンスで、わかる範囲のコトを素直に口に出す。
「――うん、そうだね。バークおにーしゃん、わるいの」
意外な言葉に、一同ぎょっとする。
末姫が相手を責めるような言葉を言うのも、また希有なコトで――。
バクシイが真っ正面からレイナの顔を見つめると、小首を傾げた普段と変わらない笑顔があった。
「だってー、おかーしゃんが『ちゃんとたいそうしなしゃい』っていったの、きかなかったんだもん。
あ、ラーグおにーしゃんもだね。
こっそりあぶないおよぎかたしてたんだもん」
ラグリイもぐっと詰まってしまう。
両親にも内緒でイタズラしていたのを見透かされていたからだ。
「そしてねー、レイナもわるいんだよ。
おとーしゃんが『うごいちゃいけない』っていったのに、たっちゃったから。
ね?」
相変わらず要領のよろしくない説明だが、兄達を責める意図でないのだけはわかる。
「だけど、それは……!」
バクシイが言おうとした何かは、ガルデイが遮った。
「いいじゃん、もう。
だれもケガしなかったんだし」
「うんっ。アザラシしゃんともおともだちになれたしね」
至ってお気楽な兄と妹に立つ瀬がなくなったのか、ラグリイに視線を向ける。
さすがにこちらはそう簡単な精神構造でもないようで、苦々しいような表情をしていた。
「ラーグおにーしゃん? おこってる?」
「――怒ってる」
「えー、そーなの?」
――そりゃー、怒るわな。
ちょっと離れて甲羅干しをしながら、子供達の会話に聞き耳を立てていたリナは、心の中でツッコミを入れる。
これが昨日だけならともかく、ラグリイの被害は日常茶飯事だ。
まして今回は溺れて危うく生命を落とすところだったのだから、いくら可愛い妹が許せと言っても、そう簡単にはいかないだろう。
「――おとーしゃぁん」
おそらく涙目になっていると思われる、末娘の声。
ガウリイは一人で泳いでいたはずだが、戻ってきたようだ。
「よしよし。どうした?」
一通り話を聞いた親父は、レイナを抱っこしたまま砂浜にどっかと座った。
「――まあ、ラグリイが怒ってるのも仕方ないが…、いつまでも根に持ってるってのもなぁ」
「ねにもつって、なーに?」
「忘れんことだ」
「そっかー、おとーしゃんはもたないんだね?」
うぷぷっ。
困ってしまったガウリイに、リナが助け船を出す。
「――なら、バークがラーグの言うことを何でも一つ聞くってので、手を打ったらどう?」
バクシイとラグリイが顔を見合わせて、正反対の表情をする。
「それでいいや」
「それにすんのかよぉ」
「それでなかなおり?」
「そーだな」
ガウリイがしきりに頷く。
謎の三男坊が何を企てているかわからない分、次男坊が爆弾を抱え込んでしまったのは間違いなさそうだった。
――これで少しは薬になるでしょうよ。
リナはまた甲羅干しモードに戻った。
再び飛び交いだした子供達の歓声をバックに、リナはうとうとしながら、一抹のひっかかりに関して考えていた。
あの危なっかしい末姫が、いついかなる場合にも救い手を呼び寄せられる才があると言うこと。
それこそ――ヒトでも動物でも、生き物ならば。
それは――あるイミ、無双の存在ではないのか?
いったいあの娘は、どれだけの不思議を抱え込んでいるのか――
それを悪用しようとする輩に、巻き込まれたりしないだろうか――
「おーいっ、あんまりいっぺんに焼くと、痛くて寝らんなくなるぞ?」
考えにふけっていたリナの頭を、ガウリイがわしわしと撫でてきた。
「――ねぇ、ガウリイ」
「ん?」
何だか口に出すのがはばかられて、しばし間が開いてしまう。
「――レイナは――」
「オレ達の大事な娘だ。
とっても生き物が大好きで、みんなが幸せじゃないと泣いちまうような優しい子だ」
あっけらかんとしたガウリイの物言いに、リナが振り仰ぐ。
いつも通りの鷹揚な笑顔。
「そうだろ?
あの子はみんなが幸せになって欲しいって、あったかい気を出す。
だから、みんなもあの子にそう思う。
レイナにとっては、みんな大事な友達だ。
あえて危険にさらしたりなんかしないさ」
何か全身から力が抜けたような感じだった。
どうしてガウリイにリナの危惧の見当が付いたのか、あえて訊く気も起きないほどに。
「オレ達はただ、うーんと可愛がってやって、ひん曲がった方向に行かないようにするだけじゃないのか?」
「――――」
すべてはそこに収束する気がした。
ひどく簡単で――けっこー難しいコト。
それでも自分達に出来るのは、ただ慈しみ、愛情を注ぐだけで。
それが一番肝心で、大切なコトなのだろう。
「――そう、よね」
「おとーしゃん、おかーしゃん、おいでよー!」
「さ、遊ぶぞ♪」
先に駆け出そうとしたガウリイが、リナに手を差し伸べる。
「今行くわよーっ!」
リナは笑顔で、その暖かな手を握り返した。
ガウリイが側にいる限り、自分も子供達も大丈夫だと、素直に思えた。
二人は波打ち際でアザラシと戯れる子供達に向かって走り出した。