『Sea−sons』

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「レイナっ!!」

 リナは血の気が引いた。
 すぐに向かおうにも、今のラグリイを放り出していくわけにはいかない。

 慌てて泳ぎ出そうとしたガルデイを、ガウリイが捕まえる。
「父ちゃん!?」
「オレが行った方が早い。
 おまえは、バクシイを岸に連れてけ。出来るな?」
「うん。まかしといてくれ、父ちゃん!」
 ガウリイはうなずくと、泳ぎだした。

 少し離れた所から潜ると――。
 さっきまであれほど沢山いた魚達は、全くいなくなっている。
 あたりを見渡しても、娘の姿はなかった。
 あの小さな身体だ。何かの陰になっているのかもしれない。
 しかし、全く泳げないレイナは、そう長く保たないだろう。
 ガウリイは焦る気持ちを抑えつつ、必死に探した。

 一方リナ達は、ようやく双子を砂浜に連れ戻していた。
 幸い二人とも水は飲んでいるものの、それほど大事にはなっていない。
 介抱しながらリナは、海の方に何度も目を向ける。
 水面に、金色の頭が浮き上がった。
 一瞬、期待が過ぎる。
 が、すぐにまた姿を消してしまう。
「ちょ…、なにやってんのよ、ガウリイっ!」
 いら立つリナの背中を、ガルデイが押した。
「母ちゃんも行ってくれ。
 二人はおれが見てるから」
 振り返ると、幼いながら意志の強い表情があった。
 普段はのほほーんとしている長男坊なのに――。
 いざという時に見せるこんな顔まで、父親そっくりだなんて。
 リナは内心で苦笑しながら、
「わかった、頼んだわよ」
 ガルデイの頷きを背に、『翔封界』で飛び上がった。

 リナが岩場まで行った時、ガウリイが再び浮き上がって来た。
 さっきまでレイナのいた岩場に、いったん術を解いて降りる。
「ガウリイ!」
 さすがに反応はよく、すぐにこっちを見たものの――苦い表情で首を振るガウリイ。
「岩のせいで、底の方は流れがおかしくなってるみたいだ」
「――でも、そんな遠くに流されてるわけないでしょ!
 あたしも上から探すわ!」
 今度は『浮遊』で浮かび上がったリナを視線で追って――、不意にガウリイはある一点で目を止めた。

 したたかに水を飲んだせいか咳き込みながら、ラグリイが何とか声を出す。
「……兄……ちゃん……、あっち……に……」
「レイナがいたのか?」
 ガルデイが立ち上がると、何かが波間に見えた。

 同じコトを、ガウリイもリナに教えていた。
「確かめてくるわ」
 再び『翔封界』。
 ぐんぐん近づいて来る『それ』の正体がわかった時、リナは絶句した。

「おい、ありゃ何だ?」
 長兄の問いに、ラグリイは大きく息を付いて、一言。
「……アザラシ……」

 ラグリイの指摘した通り――リナが見たのは、ガウリイの倍もありそうな巨大なアザラシだった。
 それだけなら、ここは海。別に不思議でもないのだろうが――、今は話が違っていた。
 水面に少し身体を出すように泳いでいる背中には――。
「レイナっ!?」
 ぐったりとなったずぶ濡れの小さな末娘が乗せられていた。
 遅れて泳ぎ付いてきたガウリイは、リナの声で様子がわかったようだ。
 アザラシはゆっくり泳ぎながら、大きな黒い瞳に警戒心を露わにして二人の顔を交互に見ている。
 レイナは助けても、ガウリイとリナに懐くかと言うと、話は全然別らしい。
「――なあ、オレ達はその子の親なんだ。
 助けてくれたのは礼を言うが、こっちに渡してくれないか?」
 ガウリイは出来るだけ驚かさないように、アザラシに近付いていく――が、焦りもあってか、なかなか子供達のように上手く懐柔出来ないようだ。
 リナに至っては、全く手出しが出来ない。
 これが単純に襲われてるとかなら呪文の一つで解決なのだが――、うっかり驚かせて身を翻された日には、今度こそレイナが溺れてしまう。
 さりとてこのままだと、せっかく救い上げられた娘の生命も危うい。
 身悶えしたくなるような焦れだけが、ひたすら募るばかりで――。

 膠着を破ったのは、唐突な乱入者だった。
「ガルっ!?」
 ガルデイは返事をしている余裕がないらしく、そのままアザラシに近付いていく。
 体力自慢とはいえ、まだ9歳の子供である。
 飛行系の呪文が使えるわけではない長男坊は、浜辺で弟達を休ませてから、ここまで懸命に泳いできたのだろう。
 末妹のような人語での会話はないものの、それなりにコミュニケーションは取れているらしく、アザラシの警戒が目に見えて弱まってきた。
 途中、足の着かない場所での立ち泳ぎに疲れて沈みそうになったが、ガウリイが支えて事なきを得た。

 ――さらに交渉するコトしばし。
 アザラシはガルデイが気に入ったらしく、何とか納得してくれたようだ。
 リナとしては、今度ばかりはこの奇態な才能に感謝したい気分だった。
 ガルデイは父の手を借りてアザラシの背に乗ると、蜜色の長い髪がほどけてぐったりしているレイナをガウリイに預ける。
「どう?」
 息子の心配そうな声に、手早く様子を見るガウリイ。
 リナもいったん術を解いて、側に泳いで来た。
「――息はあるぞ。大丈夫だ、
 ケガは――どこにもないみたいだな」
「よかった――すぐ浜辺に運びましょ」
 安堵したリナの声。
「父ちゃん、このままレイナごと母ちゃんに運んでもらいなよ」
 アザラシに乗ったままガルデイが言う。
「おまえはどうするんだ?」
「おれはこいつに乗せてってもらうよ。
 まだ遊んでたいみたいだし――このままだまって帰しちゃったらレイナに叱られちゃうだろ?」
 拗ねるコトはあっても、根本的に温厚の塊な末姫様が誰かを叱ったのなど――ほとんどないに等しい。
 あえてそう言って、無意識に状況を軽くしようしているのだろう。
 ガウリイはレイナを片手で抱き直すと、空いた手で息子の栗色の髪を撫で――。
 そのまま自分の方に差し出されて来た手を、リナはいつものように掴んで飛び上がった。
「気を付けて戻ってこいよ!」
 父の声にうなずくと、そのままぱたんとアザラシの背にうつぶせるガルデイ。
「ふは」
 疲れたような吐息に、アザラシは反っくり返るようにして、背中の小さな少年を覗き込んできた。
 ガルデイは父親そっくりの蒼い瞳で苦笑すると、固い肌を撫でる。
「だいじょーぶだって。
 それより、レイナを助けてくれてありがとうな」
 アザラシはレイナの後を追うように、浜辺に向かってゆっくり泳ぎ始めた。

 妹を連れて砂浜に戻ってきた両親に、半分果てていた双子達はそろって起き上がった。
 リナはそっとガウリイを降ろすと、荷物の所へバスタオルを取りに向かう。
「父さん、レイナは!?」
「大丈夫なのか!?」
 バスタオルの上に寝かされたレイナの顔色はあまり良くない。
 リナはマッサージするように、身体を拭いてやる。
「レイナ? オレだ、父さんだぞ、わかるか?」
 ガウリイは耳元で声をかけながら、頬を軽く叩く。
 兄達は、心配そうに覗き込んでいる。
「…………」
 微かだが、レイナの瞼が動いた。
 一同にほっとした空気が流れる。
「――水も飲んでないみたいだな」
「水に落ちてすぐ気を失ったんじゃない?
 流れにも逆らわなかったから、岩にぶつかったりしなかったのかも――」
「後は、あったかくしてゆっくり休ませれば、大事ないだろ」
「この子だから、一応医者へ行った方がいいんじゃない?」
 大きな波音と共に、アザラシごとガルデイが海から上がってきた。
「兄きっ、何だよそれ!?」
「レイナの救い主だって」
 双子の弟の呟きに、思わず振り返るバクシイ。
 まだ調子が今ひとつなのか、ラグリイはゆっくりと話す。
「――何って言ったらいいか――、ほら、小さくてよごよごって動くモノって――、ついつい護ってやりたくなるだろ?
 レイナは――あの感覚を呼び起こすスイッチを――無意識で入れちゃえるみたいなんだな」
「ちょっと待ってよ、ラーグ。
 それじゃ、レイナが助けてって願ったら――」
 母の問いに、頷くラグリイ。
「届いた相手は、かなりのかくりつで反応すると思うよ。――このアザラシみたいに」
 一同の視線が、アザラシに集まる。
 まだ側にいたガルデイは、自分よりはるかに巨体な相手をよしよしと撫でた。
 ラグリイは続けて、とんでもないコトを呟く。
「岩にぶつからなかったのも――、たぶん魚の群れが護ってくれたんじゃないかな……」




 <<つづく>>




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