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一方、水の中でようやくキスから解放されたリナは、ガウリイを突き放そうとして――あまりに場違いな表情に脱力した。
至福の笑顔。
リナが何より愛しくてたまらないその笑顔。
もちろん、そんなコトを口に出して言うコトは、二人っきりの時でも滅多にない。
それでも――結ばれて何年経とうと、沢山の子供達を得ようと、色褪せるコトを知らないような想いには、自分自身で戸惑うコトもある程で。
それどころか、幸福と言う名の心地よい水の中で、それはゆっくりと形を変え円熟して行っているような気すらする。
「ぷはぁっ!」
水面に浮かんだリナを追って顔を出したガウリイは、変わらぬ笑顔で言う。
「なんだ、息が苦しいならいくらでも酸素分けてやったのに」
ばきっ!
――こういう日常の夫婦漫才も彩りとして含めて。(多分)
「おしゃかなしゃんたちって、いろんなおおきしゃなんだね♪」
まるで餌を撒いた時のように足下に集まってきた多量の魚達を相手に、末姫様はあくまでも無邪気モード。
「すごいはやくおよげるんだぁ、いいなぁ」
魚が人語を理解出来るかどうかは別として――とりあえず、懐いているというのは間違いなそうな様子である。
「いいなー、おれもまざってこよっと♪」
その不思議な光景も、ガブリエフ家の長子には楽しい遊びとしか映っていないらしい。
「おい、兄き!?」
「大丈夫だって、兄ちゃんはレイナと同じで動物の扱いなれてっから」
「おまえだってそうじゃんか」
バクシイの指摘に、ラグリイは苦笑した。
何もかもそっくりな一卵性の双子である二人の、数少ない違いはこんな所にもある。
「レイナや兄ちゃんはともかく、あれってけっこーめんどうな時もあるんだぜ」
弟の軽口は逆効果だったらしい。
「――言ってろって。
おれはかってに泳いでくるぞ」
ふてくされたように、家族とは反対側の沖に向かって泳いで行く兄に、ラグリイがぶっきらぼうに呟いた。
「代われるモノなら、いつでも代わってやるって」
ラグリイが予想した通り、ガルデイは群れる魚の中を自然に滑り込むようにして、妹の所まで辿り着いた。
「わあ、ガルおにーしゃん♪ いっしょにあそんでくれるの?」
「ああ、こいつらがいやじゃなかったらなっ」
「だいじょーぶだよ、ガルおにーしゃんだもん。
みんななかよくなれるよ♪」
レイナの言葉が通じたのか、魚達はガルデイの周りも泳ぎ始める。
無事に仲間入りは成功したようだった。
「おーい、リナー!? もう戻るのか?」
砂浜に向かって泳ぎ始めた恋女房に、ガウリイが声をかけた。
リナが振り返り、
「これ以上、水の中に引きずり込まれちゃたまんないわ」
言って、また泳ぎ始める。
「――少しは陸でゆっくりしなさいよ」
ガウリイは一瞬きょとんとしてから、弾けるような笑顔になった。
「おう!」
しばらく楽しくたわむれた後――、レイナが不思議そうな声を出した。
「ねー、ガルおにーしゃん。
あっちのほうにいるの、なーに?」
妹が指さす方向を見ると、父譲りの目が丸いモノが浮き沈みするのを捉える。
「あ―――、ありゃ、アザラシかな?」
「アザラシしゃん?」
「うん。
海の生き物だけど、陸にも上がれるヤツなんだぞ」
「しょーなの?
いっしょにあそべる?」
「――遊べるけど、こいつらが食われちまうぞ」
「えー!? どーしてぇ!?」
「アザラシのご飯だからなー。
きっと、いっぱい集まってるから、近よって来てんじゃないか?」
レイナは驚いて、水に浸けた足をばたつかせる。
「おしゃかなしゃんたち、にげて、にげて〜!」
魚達はあっという間に、散り散りに遠ざかっていく。
ガルデイはため息をついて苦笑する。
「あいつが悪いワケじゃないんだがな〜。
おれたちだって、魚食べるだろ?」
最近ようやくその不文律に気が付いてきた末姫様であるが、納得というのはまだまだ出来ていないらしい。
「そーだけど……、レイナのせいで、おしゃかなしゃんがたべられちゃったら、やだもんっ」
ガルデイは妹がいじらしくて、膝を軽く叩いてやる。
「おにーしゃんもやでしょ?」
答える代わりに、長兄はにっこり笑いかけた。
「なーにやってんだか……」
さっきの一件以来、ご機嫌斜めな次男坊は独り語ちる。
兄妹の中では一番こういう能力の少ないバクシイにとっては、いつも形容出来ない悔しさがあるのは否定出来ない。
それがもっと欲しいとか、羨ましいというよりは――単に自分だけつまはじきされているような感覚なのだが。
母譲りと言われる人一倍な負けん気の強さと、意地っ張りも手伝っているのかもしれない。
もちろん、兄妹達がそれでバクシイに何か意地悪をしているワケではなく。
両親もあちらにアタマを抱えこそすれ、別に差別などするワケでもない。
それでもやはりまだまだ子供の彼にとっては、劣等感に似た疎外感を覚えるのは仕方ないのだろう。
再び泳ぎ出したバクシイは――、不意に何か違和感を覚えた。
それを確認する前に、右足に激痛が走った。
痛みに支配され、身体が急に重くなる。
何が起きたのかわからないまま、バクシイは海中に沈んだ。
ラグリイの方はもっと唐突だった。
急激に襲ってきた痛みに、術への集中が途切れる。
先ほどと同じように魔法で包まれていた空気の球が霧散し、視界一面を気泡が上昇していく。
その中でラグリイは何が起きたのか理解していた。
いつものようなバクシイからの伝達――きっとちゃんと準備運動をしなかったせいで、こむらがえりでも起こしたのだろう。
しかし、理解出来ても対処が出来るわけではなかった。
自分自身のモノでなくても、同じだけ強い痛みは動きを奪う。
まして、魔法仕掛けで深みにいたラグリイには、水面は遙か彼方だった。
海面に大きな水しぶきが上がった。
「何だ!?」
「ちょっとあれ、誰かの魔法が解けたんじゃないの!?」
「おいっ、バクシイも様子がヘンだぞ?」
「ってコトは――あっちはラーグ!?」
ガウリイとリナは、戻っていた海岸で顔を見合わた。
「あたしはラーグを助けに行くわ、ガウリイはバークをお願い」
「わかった。頼んだぞ」
リナは『翔封界〈レイウィング〉』で飛び上がり、ガウリイは海に駆け込んだままの勢いで泳ぎ出した。
「ガルおにーしゃん!」
「わかってる。
レイナ、ここを動くなよ」
「はやくたすけてあげてっ!」
半泣きになっている末妹を残して、ガルデイは弟達に向かって泳ぎだした。
リナは先ほど水しぶきの上がった辺りで、術をかけたまま海中に潜る。
そこからすぐの所に、ラグリイが沈んでいた。
しかし、結界を張ったままでは助けられない。
リナは思いっきり息を吸い込むと、術を解いた。
再び、水しぶきが上がった。
おりしもバクシイの所には、父と長兄が辿り着いた時だった。
「父ちゃん、あれ!?」
「心配するな、リナがラグリイを見つけたんだ」
けれど――不安に駆られているレイナは、母まで溺れたのではないかと思ってしまった。
「おかーしゃんっ!?」
思わず立ち上がった時、足が――滑った。
どっぽーーーん!
この音と方向には、ラグリイを助け上げ、水面に上がったリナも驚いた。
「レイナ!?」
溺れかけた双子ですら、そちらの方を見る。
さっきまで末姫のいた岩場には――誰の姿もなかった。