「―――あのう。ちょっといいですか?」
突然の乱入に、半ば放心してたガウリイまで、声の方を振り向いた。
ソファセットから少し離れた暖炉の脇に立っていたのは――クロフェルさん。
すっかり忘れ去ってたけど、そーいやこのヒトもろとも部屋に雪崩れ込んだんだっけ。
「お嬢様、アルフレッド様なら、そちらの方にツテがおありになるのでは?」
「――――あ!」
アメリアの顔が輝いた。
「そうだ! そうよね!
皆さん、大丈夫です! 任せてください!」
いつもよりさらにオーバーアクションしてみせると、そのまま部屋の電話に飛びつく。
「アルフレッドって?」
テンション上げて話しまくってるお嬢様を背に、あたしはクロフェルさんに尋ねた。
「お館様の弟様のご子息――、アメリア様の従兄にあたる方です。
数年前に、イベント企画のベンチャー企業を設立なさっておりまして」
それならモデルや芸能関係に知り合いがいても、不思議じゃないわな。
「なるほどね――、思い出してくれてありがとう」
「いえいえ。お役に立ててようございました」
とっても人間の出来ている初老のおぢーさんは、いたずらっ子のように無邪気な微笑みを浮かべた。
「やりました!
今からここに来て、話を付けてくれるそうです!」
「おっしゃあ!」
「わざわざ来るのか?」
盛り上がりに水を差す、ちょっとケンの入ったゼルの物言い。
「はい、今近くまで車で来てるからって――、いけませんでしたか?」
「い、いや、そうは言ってないが……」
こらこら、私情を入れてる場合じゃないでしょーが!
「どっちにしろ、肝心の姿形が伝わんないコトには始まらないんだから、多少のリスクはしかたないでしょ。
もし身元を知ってそうな人物がいても、簡単にアクセス出来るとは限んないし。
――アメリア、悪いけど、その従兄って信用度は高い?」
アメリアはちょっと複雑な表情をして、クロフェルさんと顔を見合わせる。
「――場合によります、ね」
「あちゃ」
「――なら、旦那のことは教えない方がよさそうだな」
ゼルはますます深刻度数ディープ。
「そうね――じゃあ、『このモデルを気に入っちゃった! プロフィールを知りたいのっ♪』ってな、女学生ミーハー願望で押し通す?」
「……疑われないか?」
「いつの世でも、乙女の憧れのヒトへ向かうエネルギーってのは、不変なモノなのよ」
おひ、そんなに深く考え込むようなコトか?
「それじゃ、リナさんが私に相談してきた、でいいですね」
「ちょっとっ! なぜあたしっ!?」
思わず乗り出したあたしに、アメリアが肩をすくめてみせる。
「だって、私は親戚なんだから、今後もアルフレッドと顔を合わせなきゃいけないんですよ?
どうなった?なんて訊かれたりしたら、取りつくろうの大変じゃないですか。
その点リナさんなら、お友達だからってテキトーに誤魔化せばいいし」
「もっともだな」
おい、二人の世界を作るんじゃないっ!
「……しょーがないわね。
で? ガウリイはどうすんの?」
「そっちのドアの向こうに書斎があります。
アルフレッドが帰るまで、隠れててもらいましょう」
アメリアが指差したのは、あたしが座っているソファの背中側、クロフェルさんが立っている暖炉からは右手側、玄関からは奥になるドアだった。
覗き込んでいたあたしは、あらためてソファに身を沈めた。
「と言うことで、段取りはいいわね。
ガウリイ、上手く行ったら、今夜中に身元判明よ」
テーブルを挟んで向かい側のガウリイが、所在がなさそうに見えた。
「――そうなのか?」
混乱しまくってるのか、単に把握出来てないのか、全然他人事のような答え。
「――何よ、その顔ぉ」
「――すまん…、どうもさっきから頭がなぁ……」
「ちょっと…! 何か思い出しそう?」
思わず椅子から乗り出すと、ガウリイが苦笑する。
「それならいいんだが――、単にぼーっとしてるっていうか、違和感があるっていうか……」
「具合がお悪いなら、かかりつけの医師がおりますから、呼びましょうか?」
さすがブルジュア、家付きの医者までおるんかい。
「いや――そこまでは。黙ってたら平気ですから」
心配そうなクロフェルさんに、ガウリイが手を振ってみせる。
「ですが――、さっきより顔色が宜しくないですよ?」
「――仕方ないさ。
何かショックな事が原因で記憶喪失したなら、思い出すのに多少でも抵抗があったって然るべきだろう」
ゼルの補足に、ほんの少し微笑むガウリイ。
「くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。
いつでもお言いつけください」
今の姿を見ていると――何だかついさっきまでの元気印まで、別人だったんじゃないかと言う気がした。
これも心理的抵抗ってヤツ?
そんな不安定な状態を脱して、元通りの平穏な日々に戻るはずなのに、何がイヤなわけ?
あんたを心配してる家族や友達だっているでしょうに。もしかしたら恋人だって―――
「本当に大丈夫ですか?
何なら、ベッドでも用意させて――」
「そんなに心配しなくていいって、アメリア」
苦笑いするガウリイを覗き込んだアメリアに、クロフェルさんが言う。
「では、お嬢様、アルフレッド様がおいでになったら、私がガウリイさんに付いていましょう。
使用人が命じられて本を探していても、何も不自然なことはないでしょうから」
「そうね、お願い」
「よろしくね、クロフェルさん」
言って。
――――――。
困った。あたし自身にも気付いちまったい。
――これで厄介事が片付くはずなのに、ちっとも幸せモードになってないじゃない。
まだ確証はなくて、徒労に終わる可能性があるから?
――にしても、そんなに悲観主義方向な心配性じゃないはずだぞ、あたし。
もっと嬉しくなってたっていいでしょーに?
ほら、アメリアなんかハイテンションで、お茶の用意なんか始めてるぞ。
ゼルはと言えば。ポーカーフェイスはいつものことだが、こいつのことだ、また何かマイナス方向の推理でもしてるに違いない。
折り合いが悪いという実家で、何があったか具体的には聞いたことないけど、とりあえず予防線引かないと気がすまないって性格は、その辺に起因してるんだろうなぁ。
だからこそ、まっすぐなアメリアに惹かれるんだろうけどさ――、そういうトコ不毛って言うんだよ。「クロフェルさん」
「はい、何でしょう? リナ様」
「こっちに来て座って。
ミッションが始まるまで、一緒にお茶しましょ」
「いえ、私は――」
「時間外労働と情報の慰労よ。――いいわよね、アメリア?」
あたしの提案にアメリアはにっこり頷いて、カップを追加した。
「恐れ入ります」
とりとめのない話をしながら 何杯目かのお茶のお代わりを入れた頃――。
やけに大きな音を立ててインターフォンが鳴り、待ち人がやって来た。
アメリアが応対に立ち、クロフェルさんはガウリイを隣の部屋に連れて行く。
「ちょっと、カップカップっ!
二人の分がここにあったらマズいってば」
慌てて取りに戻って、二人はドアの向こうに消えた。
あたしはゼルと居住まいを正しながら、ふっと浮かんだ疑問を小声で囁く。
「ねぇ、フィルさんの甥ってことは――似てるってコトよね?」
濃ゆい髭面をした豪傑社長をよく知っているあたし達、とっさに同じ想像をしてしまったらしい。
一緒に冷や汗たらり。
「し、しかし。アメリアや姉さんの例もあることだし――」
フォローらしいフォローになってないぞ、ゼル。
ドアノブが動いた音に、慌てて定位置に戻る。
「さあ、どうぞ」
ドアを開いているアメリアの横から入ってきたのは――。
年の頃なら二十代前半、アメリアと同じ青い瞳に黒く短い髪、背は彼女より頭一つほど高い。
で――そこそこハンサム。
――フィルさん再来でなくて安心したが、突然変異花盛りな一族だなぁ。
アメリアはあたし達を紹介すると、椅子を勧め、お茶入れにかかった。
「はじめまして、アルフレッドです」
見られるのをどっか意識してるアルフレッドの動作に、同じくいい印象を持たなかったのか、ゼルの瞼がぴくりと動く。
早速あたしは、打ち合わせ通り、事の次第をざっと説明する。
犯罪絡みとかの可能性があることは、もちろん伏せて。
アメリアの評価通り――、ちょっとこの従兄殿を無条件に信用するのは危険な気がする。
アルフレッドは、にっこりと笑いかけてきた。
「――それは大変でしたね。
わかりました、この僕でお役に立つなら喜んで協力しますよ」
人助けは正義、ってなアメリア的義侠心なのかもしれないが。
どうにもリアクションが大げさだなぁ。こいつナルシストだ、確定。
「よろしくね、アルフレッド」
アメリアは慣れているのか、淡々と相手をしている。
「この編集部に直接の知り合いはいないけど、こういうグラビアを撮るカメラマンに友人がいる。
一緒に仕事をしたことがあるかもしれない。まずはそちらに訊いてみよう」
番号がメモリーが入っていると、自分の携帯で任務に入るアルフレッド。
ゼルがあたしに少し顔を寄せて、小声で訊いてくる。
「時間的に大丈夫か?」
どこまでも常識モードをはずせんヤツだなぁ。
「一般家庭に電話するのは不謹慎な時刻でしょうけど、ああいう職種は不規則だから問題ないわよ」
「――ああ、カンヅェル? 僕だ。
実は訊きたい事があるんだが――」
どうやら目的の相手に無事繋がったようで、全員が聞き耳を立てる。
「そう、長い金髪でとても長身の――、瞳は蒼。そういうモデルに心当たりはないか?」
しばし沈黙。
「他のカメラマンに訊いてくれています」
アルフレッドが少し電話を離して、あたし達の方に囁く。
『もしもし?
見当付いたぞ』
その少々ドスの利いた声は、あたし達にも聞こえた。
否応なく高まる緊張。
「――ナイトメア=パーソン?
それで間違いないんだな?」
反射的に、本のスタッフリストのページを開く。
――あった!
確かに、モデルの中に名前がある。
示すあたしも、頷く2人も声にならない声を叫ぶ。
「わかった、助かったよ。
で、彼の連絡先とか所属事務所とかはわからないか?」
また注目が集まる。
再びの沈黙。
突然、アルフレッドがアメリアに向かって手を出した。
びっくりしている彼女の横から、ペンを雑誌と一緒に突き出すあたし。
さっと受け取った手が、余白の所に電話番号を書き留めた。
「――ああ、そちらにはこっちから連絡をする。
マネージャーの名前は何だ?」
まねーじゃー?
まだ一流でもないのに、そんなのがいるのかこいつ……って、ガウリイだったか。
「ゼロス、か。了解した。
――ん? 詳しい事情は僕も知らないが、何かトラブルになっているらしくてな。詮索は後で。
ああ、この埋め合わせはするから。――この間の分も一緒に。わかってるって。
じゃあ、マゼンダにもよろしく伝えてくれ。またな」
電話を切りながら、アルフレッドがこっちに向かって、にっこり笑いかけてきた。
★ つづく ★