Eisbahn

12



 「―――あのう。ちょっといいですか?」
 突然の乱入に、半ば放心してたガウリイまで、声の方を振り向いた。
 ソファセットから少し離れた暖炉の脇に立っていたのは――クロフェルさん。
 すっかり忘れ去ってたけど、そーいやこのヒトもろとも部屋に雪崩れ込んだんだっけ。
「お嬢様、アルフレッド様なら、そちらの方にツテがおありになるのでは?」
「――――あ!」
 アメリアの顔が輝いた。
「そうだ! そうよね!
 皆さん、大丈夫です! 任せてください!」
 いつもよりさらにオーバーアクションしてみせると、そのまま部屋の電話に飛びつく。
「アルフレッドって?」
 テンション上げて話しまくってるお嬢様を背に、あたしはクロフェルさんに尋ねた。
「お館様の弟様のご子息――、アメリア様の従兄にあたる方です。
 数年前に、イベント企画のベンチャー企業を設立なさっておりまして」
 それならモデルや芸能関係に知り合いがいても、不思議じゃないわな。
「なるほどね――、思い出してくれてありがとう」
「いえいえ。お役に立ててようございました」
 とっても人間の出来ている初老のおぢーさんは、いたずらっ子のように無邪気な微笑みを浮かべた。

「やりました!
 今からここに来て、話を付けてくれるそうです!」
「おっしゃあ!」
「わざわざ来るのか?」
 盛り上がりに水を差す、ちょっとケンの入ったゼルの物言い。
「はい、今近くまで車で来てるからって――、いけませんでしたか?」
「い、いや、そうは言ってないが……」
 こらこら、私情を入れてる場合じゃないでしょーが!
「どっちにしろ、肝心の姿形が伝わんないコトには始まらないんだから、多少のリスクはしかたないでしょ。
 もし身元を知ってそうな人物がいても、簡単にアクセス出来るとは限んないし。
 ――アメリア、悪いけど、その従兄って信用度は高い?」
 アメリアはちょっと複雑な表情をして、クロフェルさんと顔を見合わせる。
「――場合によります、ね」
「あちゃ」
「――なら、旦那のことは教えない方がよさそうだな」
 ゼルはますます深刻度数ディープ。
「そうね――じゃあ、『このモデルを気に入っちゃった! プロフィールを知りたいのっ♪』ってな、女学生ミーハー願望で押し通す?」
「……疑われないか?」
「いつの世でも、乙女の憧れのヒトへ向かうエネルギーってのは、不変なモノなのよ」
 おひ、そんなに深く考え込むようなコトか?
「それじゃ、リナさんが私に相談してきた、でいいですね」
「ちょっとっ! なぜあたしっ!?」
 思わず乗り出したあたしに、アメリアが肩をすくめてみせる。
「だって、私は親戚なんだから、今後もアルフレッドと顔を合わせなきゃいけないんですよ?
 どうなった?なんて訊かれたりしたら、取りつくろうの大変じゃないですか。
 その点リナさんなら、お友達だからってテキトーに誤魔化せばいいし」
「もっともだな」
 おい、二人の世界を作るんじゃないっ!
「……しょーがないわね。
 で? ガウリイはどうすんの?」
「そっちのドアの向こうに書斎があります。
 アルフレッドが帰るまで、隠れててもらいましょう」
 アメリアが指差したのは、あたしが座っているソファの背中側、クロフェルさんが立っている暖炉からは右手側、玄関からは奥になるドアだった。
 覗き込んでいたあたしは、あらためてソファに身を沈めた。
「と言うことで、段取りはいいわね。
 ガウリイ、上手く行ったら、今夜中に身元判明よ」
 テーブルを挟んで向かい側のガウリイが、所在がなさそうに見えた。
「――そうなのか?」
 混乱しまくってるのか、単に把握出来てないのか、全然他人事のような答え。
「――何よ、その顔ぉ」
「――すまん…、どうもさっきから頭がなぁ……」
「ちょっと…! 何か思い出しそう?」
 思わず椅子から乗り出すと、ガウリイが苦笑する。
「それならいいんだが――、単にぼーっとしてるっていうか、違和感があるっていうか……」
「具合がお悪いなら、かかりつけの医師がおりますから、呼びましょうか?」
 さすがブルジュア、家付きの医者までおるんかい。
「いや――そこまでは。黙ってたら平気ですから」
 心配そうなクロフェルさんに、ガウリイが手を振ってみせる。
「ですが――、さっきより顔色が宜しくないですよ?」
「――仕方ないさ。
 何かショックな事が原因で記憶喪失したなら、思い出すのに多少でも抵抗があったって然るべきだろう」
 ゼルの補足に、ほんの少し微笑むガウリイ。
「くれぐれも、ご無理はなさいませんよう。
 いつでもお言いつけください」
 今の姿を見ていると――何だかついさっきまでの元気印まで、別人だったんじゃないかと言う気がした。
 これも心理的抵抗ってヤツ?
 そんな不安定な状態を脱して、元通りの平穏な日々に戻るはずなのに、何がイヤなわけ?
 あんたを心配してる家族や友達だっているでしょうに。もしかしたら恋人だって―――
「本当に大丈夫ですか?
 何なら、ベッドでも用意させて――」
「そんなに心配しなくていいって、アメリア」
 苦笑いするガウリイを覗き込んだアメリアに、クロフェルさんが言う。
「では、お嬢様、アルフレッド様がおいでになったら、私がガウリイさんに付いていましょう。
 使用人が命じられて本を探していても、何も不自然なことはないでしょうから」
「そうね、お願い」
「よろしくね、クロフェルさん」
 言って。
 ――――――。
 困った。あたし自身にも気付いちまったい。
 ――これで厄介事が片付くはずなのに、ちっとも幸せモードになってないじゃない。
 まだ確証はなくて、徒労に終わる可能性があるから?
 ――にしても、そんなに悲観主義方向な心配性じゃないはずだぞ、あたし。
 もっと嬉しくなってたっていいでしょーに? 
 ほら、アメリアなんかハイテンションで、お茶の用意なんか始めてるぞ。
 ゼルはと言えば。ポーカーフェイスはいつものことだが、こいつのことだ、また何かマイナス方向の推理でもしてるに違いない。
 折り合いが悪いという実家で、何があったか具体的には聞いたことないけど、とりあえず予防線引かないと気がすまないって性格は、その辺に起因してるんだろうなぁ。
 だからこそ、まっすぐなアメリアに惹かれるんだろうけどさ――、そういうトコ不毛って言うんだよ。「クロフェルさん」
「はい、何でしょう? リナ様」
「こっちに来て座って。
 ミッションが始まるまで、一緒にお茶しましょ」
「いえ、私は――」
「時間外労働と情報の慰労よ。――いいわよね、アメリア?」
 あたしの提案にアメリアはにっこり頷いて、カップを追加した。
「恐れ入ります」

 とりとめのない話をしながら 何杯目かのお茶のお代わりを入れた頃――。
 やけに大きな音を立ててインターフォンが鳴り、待ち人がやって来た。
 アメリアが応対に立ち、クロフェルさんはガウリイを隣の部屋に連れて行く。
「ちょっと、カップカップっ!
 二人の分がここにあったらマズいってば」
 慌てて取りに戻って、二人はドアの向こうに消えた。
 あたしはゼルと居住まいを正しながら、ふっと浮かんだ疑問を小声で囁く。
「ねぇ、フィルさんの甥ってことは――似てるってコトよね?」
 濃ゆい髭面をした豪傑社長をよく知っているあたし達、とっさに同じ想像をしてしまったらしい。
 一緒に冷や汗たらり。
「し、しかし。アメリアや姉さんの例もあることだし――」
 フォローらしいフォローになってないぞ、ゼル。
 ドアノブが動いた音に、慌てて定位置に戻る。
「さあ、どうぞ」
 ドアを開いているアメリアの横から入ってきたのは――。
 年の頃なら二十代前半、アメリアと同じ青い瞳に黒く短い髪、背は彼女より頭一つほど高い。
 で――そこそこハンサム。
 ――フィルさん再来でなくて安心したが、突然変異花盛りな一族だなぁ。
 アメリアはあたし達を紹介すると、椅子を勧め、お茶入れにかかった。
「はじめまして、アルフレッドです」
 見られるのをどっか意識してるアルフレッドの動作に、同じくいい印象を持たなかったのか、ゼルの瞼がぴくりと動く。
 早速あたしは、打ち合わせ通り、事の次第をざっと説明する。
 犯罪絡みとかの可能性があることは、もちろん伏せて。
 アメリアの評価通り――、ちょっとこの従兄殿を無条件に信用するのは危険な気がする。
 アルフレッドは、にっこりと笑いかけてきた。
「――それは大変でしたね。
 わかりました、この僕でお役に立つなら喜んで協力しますよ」
 人助けは正義、ってなアメリア的義侠心なのかもしれないが。
 どうにもリアクションが大げさだなぁ。こいつナルシストだ、確定。
「よろしくね、アルフレッド」
 アメリアは慣れているのか、淡々と相手をしている。
「この編集部に直接の知り合いはいないけど、こういうグラビアを撮るカメラマンに友人がいる。
 一緒に仕事をしたことがあるかもしれない。まずはそちらに訊いてみよう」
 番号がメモリーが入っていると、自分の携帯で任務に入るアルフレッド。
 ゼルがあたしに少し顔を寄せて、小声で訊いてくる。
「時間的に大丈夫か?」
 どこまでも常識モードをはずせんヤツだなぁ。
「一般家庭に電話するのは不謹慎な時刻でしょうけど、ああいう職種は不規則だから問題ないわよ」
「――ああ、カンヅェル? 僕だ。
 実は訊きたい事があるんだが――」
 どうやら目的の相手に無事繋がったようで、全員が聞き耳を立てる。
「そう、長い金髪でとても長身の――、瞳は蒼。そういうモデルに心当たりはないか?」
 しばし沈黙。
「他のカメラマンに訊いてくれています」
 アルフレッドが少し電話を離して、あたし達の方に囁く。
『もしもし?
 見当付いたぞ』
 その少々ドスの利いた声は、あたし達にも聞こえた。
 否応なく高まる緊張。
「――ナイトメア=パーソン?
 それで間違いないんだな?」
 反射的に、本のスタッフリストのページを開く。
 ――あった!
 確かに、モデルの中に名前がある。
 示すあたしも、頷く2人も声にならない声を叫ぶ。
「わかった、助かったよ。
 で、彼の連絡先とか所属事務所とかはわからないか?」
 また注目が集まる。
 再びの沈黙。
 突然、アルフレッドがアメリアに向かって手を出した。
 びっくりしている彼女の横から、ペンを雑誌と一緒に突き出すあたし。
 さっと受け取った手が、余白の所に電話番号を書き留めた。
「――ああ、そちらにはこっちから連絡をする。
 マネージャーの名前は何だ?」
 まねーじゃー?
 まだ一流でもないのに、そんなのがいるのかこいつ……って、ガウリイだったか。
「ゼロス、か。了解した。
 ――ん? 詳しい事情は僕も知らないが、何かトラブルになっているらしくてな。詮索は後で。
 ああ、この埋め合わせはするから。――この間の分も一緒に。わかってるって。
 じゃあ、マゼンダにもよろしく伝えてくれ。またな」
 電話を切りながら、アルフレッドがこっちに向かって、にっこり笑いかけてきた。

★ つづく ★




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