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「そんなに気に入らないなら、どこへでも行きなさいっっ!!」
言ってしまってから、ハッとする言葉と言うのはいくつもあるもので。
リナの怒号に、その場にいた家族全員がフリーズしてしまっていた。
そもそも最初のきっかけは何だったのか――もう誰にもわかっていなかった。
一つ一つは他愛ない口ごたえや文句が重なり、次第に普段意識しないまま溜まっていたう鬱屈を呼び覚まして。
気が付いた時には、子供達の誰に言うともなく、言い放ってしまっていた。
怒られるコトには慣れっこの長男坊ガルデイは、やれやれという顔をして。
ムキになって怒っていた次男坊バクシイは、口をへの字に曲げてそっぽを向き。
いつも分析的に物事を見ようとする三男坊ラグリイは、やたら冷ややかな目になり。
叱られても一向にこりるコトを知らない末っ子レイナは、ひたすらびっくりしていた。
たった一人、傍観の位置にいたガウリイは――、頬をかいた。
リナのカンシャクにはどうすればいいか、誰よりも一番よく知っている。
けれど、いくらクラゲと呼ばれる御仁とて、ここでヘタに仲裁に入ろうとすれば、またリナか子供達から火の手が上がってしまいかねないことも、容易に想像が付いてしまって――。
「おまえ等、今晩はじーちゃん家へ行け」
不意の声に、全員の視線が集まる。
声の主――ガウリイは一番近くにいたレイナを抱き上げた。
「――だってぇ、おとーしゃん」
「いいから。
ほら、おまえ達も行くぞ」
腹立ちまぎれに、促す父親にも承服出来ないらしく、男の子3人は動こうとしない。
それに対してリナが何かしようとする前に、ガウリイが低く言った。
「い・く・ん・だ」
滅多に聞くことのない父の威圧的な声音は、子供達を動かすには充分だった。
ガウリイに抱かれたまま連れ出されたレイナだけが、リナを振り返った。
すぐに壁に阻まれて見えなくなってしまったが、小柄な母の姿はいつもよりもずいぶん小さく見えた。
家を出ると――下弦の月が中空にかかっていた。
まだ寝る時間には早いものの、あたりはもう真っ暗。
家の灯りが、星に混じっていくつか見えるだけだ。
それでも夜目の効く一団は、何も気にすることなく明かりなしで歩いている。
男の子達は、母に言い損なった文句を、父へぶつけまくる。
「――ったく、どーしてあんなコトでそんなに怒るんだよ」
「昔のことまでさかのぼって持ち出されても、どーすりゃいいっていうんだか」
「いっつもすぐ怒ってばっかじゃん」
「――まあ、そうなんだがなぁ。
おまえらだって、怒られるタネをせっせと作ってるんだから、同じだと思うぞ?」
ガウリイが苦笑いすると、抱いた末娘がぼそっと言った。
「でも、おかーしゃん、いっつもよりおこってたね。
――もう、レイナたち、おうちにかえっちゃダメなの?」
その背中を軽く叩いて。
「そんなコトあるわけないだろ。
リナはどんなに怒っても、おまえ達をキライになんかなったりしないって」
「おれ達の方がキライになったらどーすんだよ」
まだ腹が立っているのだろう、長男坊が言い放つ。
「――そう言うこともあるかもな。
世の中には、親子でも憎み合ったり、生命の取り合いしたりするのもいるから――」
ガウリイが月を見上げて、静かに呟いた。
「このまんまじゃ、そーなりそうな気がするぞ」
拗ねたような口調のバクシイを、大きな手が撫でる。
「そんなコトにはならないさ。――絶対」
「――ずいぶん、自信ありそうだね?」
ラグリイが不思議そうに問う。
「ああ、自信があるぞ」
「どーして?」
ガウリイはくすっと笑った。
「――それは――な」
子供達と一緒に喧騒の去った居間に一人、リナは座り込んでいた。
テンションが上がり過ぎた余波か、何だか考えがまとまらない。
よく呪文を爆発させなかったモノだとか、明日の朝ご飯は手抜きが出来るだろうとか、ガウリイまで泊まってくる気だろうかだの――。
「―――はふ」
思わず吐いてしまったため息を、自分で慌てて取り消して。
それでも、淋しがりの末姫が泣いてやしないだろうかと、思ってしまったり。
玄関の開く音に、慌てて床から立ち上がって、ずっと長椅子に座っていたフリをする。
「ただいま」
「――お、おかえり」
部屋に入ってきたガウリイは、リナの横に腰を降ろす。
「チビ共、じーちゃんに預けて来たぞ」
「そ、そう」
「ほら、夜食にしろってさ」
リナの膝の上に、袋が置かれた。
中を見ると――どうやら母のお手製らしいスフレケーキが入っていた。
急にやってきた孫達のために焼いたのの、お裾分けかもしれない。
「――食わないのか?」
「――あんたは?」
「チビ共と一緒に食ってきた」
リナは袋の中を見つめながら、ぽそっと呟いた。
「――何か言われなかった?」
「んー?」
ガウリイは背もたれの上に両腕を伸ばして、少し反っくり返るような恰好になる。
「そういや、ルナが何か言ってたなぁ」
姉の名に、硬直するリナ。
「な、な、なんてっっ?」
「えーと……、……忘れた」
リナは今度こそ、大きくため息を吐いた。
ぽん、ぽんっ。
「はにゃっ!?」
いきなり両肩を叩かれて、飛び上がる。
「な、な、何すんのよっ!?」
「少し力抜けって」
「そんな……ふぎゃっっ!?」
反論する間もなく、肩から回ってきた腕に引き寄せられてしまう。
「ちょ、ちょっと、ガウリイっっ!?」
「母親だって、少しくらい休んだっていいんだぞ」
「……はあ?」
腕の中でじたじたもがいたところで、リナがかなうわけがない。
ますますしっかりホールドされるばかりだ。
「チビ共だって、バカじゃない。
おまえがイライラしてるのが伝わるから、余計にくってかかるんだって」
「――だって、ちっとも言うコト聞かないじゃない…!」
「――なら、おまえは、何でもはいはいって言うことを聞いて、全然逆らわないで思い通りになる、人形みたいな子供が欲しいのか?」
リナは驚いた目をして、ガウリイを見つめる。
静かな、静かな蒼の瞳が優しく微笑む。
「違うだろ?
そんなの気色悪いだけじゃないか。
オレ達だって親の言う通りになんかならなかった。
言われたことを自分で考えて――自分で決めて動いてきただろ?」
苦笑するリナ。
「――あんたが――考えてたわけ?」
「面倒じゃない程度には、な」
くすくす笑いが互いにもれる。
「あいつ等だって、そうさ。
何でも言うなりに聞くばかりで、叱ってもくれないような親なんて欲しくないだろうさ」
「最初っからなれないわよ、そんなのっ」
「まあ、確かにウチのチビ共は、揃いも揃って元気すぎだからなぁ。
他の子供達よりは手がかかるんだろうが――」
「かかりすぎなのよ」
「だがなぁ。
オレとおまえの子供だ、どう転んでも普通じゃないのはしかたないだろうに?」
「全部遺伝のせいですんだら、苦労はないわ」
「――でも、可愛くてしかたないんだろ?」
図星を指されたのだろう。
リナは頬を染めて、そっぽを向く。
「オレも可愛くてしかたないんだがな」
「そりゃあ、あんたはそうでしょーよっ」
「おまえも含めて、なんだがな」
言うなり、強く抱きしめられて、唇が塞がれた。
それは情欲的と言うよりは、どこまでも優しく包み込むようなキスで―――。
リナは意識しないままに、ガウリイの背に腕を回していた。
子供達がいるようになってから、求め合って身体を重ねてはいても、こんな感じはずっと忘れていたような気がした。
いつでも側にいて、自分を見つめて、包んでくれている大きな存在。
いつも一人ではないのだと、思わせてくれる暖かさを。
そういう意図でなかったにしても、2人だけの夜になったのだ。
元々近隣に知れ渡るようならぶらぶぶりで、4人も子供がいるのをあっさり納得されてしまうような仲である。
リナのヘコみを緩和するためとは言え――おのずと行く方向は見えているわけで。
それを読んでいる一群が、ここにもいた。
微かな月明かりの中。
気配を消して動く複数の影があった。
いつもなら気配に敏感なガウリイとリナも――、今のどさくさだと気付くはずもなく。
――もっとも、魔族の類〈たぐい〉なら近付く前に消滅してしまいそうだが。
それでも、常人なら気付かれない程の気配隠しをしながら、一群はガブリエフ家の庭先に入り込んで来た。