『さぷらいず・ないと』

<1>


「そんなに気に入らないなら、どこへでも行きなさいっっ!!」

 言ってしまってから、ハッとする言葉と言うのはいくつもあるもので。
 リナの怒号に、その場にいた家族全員がフリーズしてしまっていた。

 そもそも最初のきっかけは何だったのか――もう誰にもわかっていなかった。
 一つ一つは他愛ない口ごたえや文句が重なり、次第に普段意識しないまま溜まっていたう鬱屈を呼び覚まして。
 気が付いた時には、子供達の誰に言うともなく、言い放ってしまっていた。

 怒られるコトには慣れっこの長男坊ガルデイは、やれやれという顔をして。
 ムキになって怒っていた次男坊バクシイは、口をへの字に曲げてそっぽを向き。
 いつも分析的に物事を見ようとする三男坊ラグリイは、やたら冷ややかな目になり。
 叱られても一向にこりるコトを知らない末っ子レイナは、ひたすらびっくりしていた。

 たった一人、傍観の位置にいたガウリイは――、頬をかいた。
 リナのカンシャクにはどうすればいいか、誰よりも一番よく知っている。
 けれど、いくらクラゲと呼ばれる御仁とて、ここでヘタに仲裁に入ろうとすれば、またリナか子供達から火の手が上がってしまいかねないことも、容易に想像が付いてしまって――。


「おまえ等、今晩はじーちゃん家へ行け」

 不意の声に、全員の視線が集まる。

 声の主――ガウリイは一番近くにいたレイナを抱き上げた。
「――だってぇ、おとーしゃん」
「いいから。
 ほら、おまえ達も行くぞ」
 腹立ちまぎれに、促す父親にも承服出来ないらしく、男の子3人は動こうとしない。
 それに対してリナが何かしようとする前に、ガウリイが低く言った。
「い・く・ん・だ」
 滅多に聞くことのない父の威圧的な声音は、子供達を動かすには充分だった。
 ガウリイに抱かれたまま連れ出されたレイナだけが、リナを振り返った。
 すぐに壁に阻まれて見えなくなってしまったが、小柄な母の姿はいつもよりもずいぶん小さく見えた。


 家を出ると――下弦の月が中空にかかっていた。
 まだ寝る時間には早いものの、あたりはもう真っ暗。
 家の灯りが、星に混じっていくつか見えるだけだ。
 それでも夜目の効く一団は、何も気にすることなく明かりなしで歩いている。
 男の子達は、母に言い損なった文句を、父へぶつけまくる。
「――ったく、どーしてあんなコトでそんなに怒るんだよ」
「昔のことまでさかのぼって持ち出されても、どーすりゃいいっていうんだか」
「いっつもすぐ怒ってばっかじゃん」
「――まあ、そうなんだがなぁ。
 おまえらだって、怒られるタネをせっせと作ってるんだから、同じだと思うぞ?」
 ガウリイが苦笑いすると、抱いた末娘がぼそっと言った。
「でも、おかーしゃん、いっつもよりおこってたね。
 ――もう、レイナたち、おうちにかえっちゃダメなの?」
 その背中を軽く叩いて。
「そんなコトあるわけないだろ。
 リナはどんなに怒っても、おまえ達をキライになんかなったりしないって」
「おれ達の方がキライになったらどーすんだよ」
 まだ腹が立っているのだろう、長男坊が言い放つ。
「――そう言うこともあるかもな。
 世の中には、親子でも憎み合ったり、生命の取り合いしたりするのもいるから――」
 ガウリイが月を見上げて、静かに呟いた。
「このまんまじゃ、そーなりそうな気がするぞ」
 拗ねたような口調のバクシイを、大きな手が撫でる。
「そんなコトにはならないさ。――絶対」
「――ずいぶん、自信ありそうだね?」
 ラグリイが不思議そうに問う。
「ああ、自信があるぞ」
「どーして?」
 ガウリイはくすっと笑った。
「――それは――な」


 子供達と一緒に喧騒の去った居間に一人、リナは座り込んでいた。
 テンションが上がり過ぎた余波か、何だか考えがまとまらない。
 よく呪文を爆発させなかったモノだとか、明日の朝ご飯は手抜きが出来るだろうとか、ガウリイまで泊まってくる気だろうかだの――。
「―――はふ」
 思わず吐いてしまったため息を、自分で慌てて取り消して。
 それでも、淋しがりの末姫が泣いてやしないだろうかと、思ってしまったり。

 玄関の開く音に、慌てて床から立ち上がって、ずっと長椅子に座っていたフリをする。
「ただいま」
「――お、おかえり」
 部屋に入ってきたガウリイは、リナの横に腰を降ろす。
「チビ共、じーちゃんに預けて来たぞ」
「そ、そう」
「ほら、夜食にしろってさ」
 リナの膝の上に、袋が置かれた。
 中を見ると――どうやら母のお手製らしいスフレケーキが入っていた。
 急にやってきた孫達のために焼いたのの、お裾分けかもしれない。
「――食わないのか?」
「――あんたは?」
「チビ共と一緒に食ってきた」
 リナは袋の中を見つめながら、ぽそっと呟いた。
「――何か言われなかった?」
「んー?」
 ガウリイは背もたれの上に両腕を伸ばして、少し反っくり返るような恰好になる。
「そういや、ルナが何か言ってたなぁ」
 姉の名に、硬直するリナ。
「な、な、なんてっっ?」
「えーと……、……忘れた」
 リナは今度こそ、大きくため息を吐いた。
 ぽん、ぽんっ。
「はにゃっ!?」
 いきなり両肩を叩かれて、飛び上がる。
「な、な、何すんのよっ!?」
「少し力抜けって」
「そんな……ふぎゃっっ!?」
 反論する間もなく、肩から回ってきた腕に引き寄せられてしまう。
「ちょ、ちょっと、ガウリイっっ!?」
「母親だって、少しくらい休んだっていいんだぞ」
「……はあ?」
 腕の中でじたじたもがいたところで、リナがかなうわけがない。
 ますますしっかりホールドされるばかりだ。
「チビ共だって、バカじゃない。
 おまえがイライラしてるのが伝わるから、余計にくってかかるんだって」
「――だって、ちっとも言うコト聞かないじゃない…!」
「――なら、おまえは、何でもはいはいって言うことを聞いて、全然逆らわないで思い通りになる、人形みたいな子供が欲しいのか?」
 リナは驚いた目をして、ガウリイを見つめる。
 静かな、静かな蒼の瞳が優しく微笑む。
「違うだろ?
 そんなの気色悪いだけじゃないか。
 オレ達だって親の言う通りになんかならなかった。
 言われたことを自分で考えて――自分で決めて動いてきただろ?」
 苦笑するリナ。
「――あんたが――考えてたわけ?」
「面倒じゃない程度には、な」
 くすくす笑いが互いにもれる。
「あいつ等だって、そうさ。
 何でも言うなりに聞くばかりで、叱ってもくれないような親なんて欲しくないだろうさ」
「最初っからなれないわよ、そんなのっ」
「まあ、確かにウチのチビ共は、揃いも揃って元気すぎだからなぁ。
 他の子供達よりは手がかかるんだろうが――」
「かかりすぎなのよ」
「だがなぁ。
 オレとおまえの子供だ、どう転んでも普通じゃないのはしかたないだろうに?」
「全部遺伝のせいですんだら、苦労はないわ」
「――でも、可愛くてしかたないんだろ?」
 図星を指されたのだろう。
 リナは頬を染めて、そっぽを向く。
「オレも可愛くてしかたないんだがな」
「そりゃあ、あんたはそうでしょーよっ」
「おまえも含めて、なんだがな」
 言うなり、強く抱きしめられて、唇が塞がれた。

 それは情欲的と言うよりは、どこまでも優しく包み込むようなキスで―――。
 リナは意識しないままに、ガウリイの背に腕を回していた。
 子供達がいるようになってから、求め合って身体を重ねてはいても、こんな感じはずっと忘れていたような気がした。
 いつでも側にいて、自分を見つめて、包んでくれている大きな存在。
 いつも一人ではないのだと、思わせてくれる暖かさを。


 そういう意図でなかったにしても、2人だけの夜になったのだ。
 元々近隣に知れ渡るようならぶらぶぶりで、4人も子供がいるのをあっさり納得されてしまうような仲である。
 リナのヘコみを緩和するためとは言え――おのずと行く方向は見えているわけで。


 それを読んでいる一群が、ここにもいた。

 微かな月明かりの中。
 気配を消して動く複数の影があった。
 いつもなら気配に敏感なガウリイとリナも――、今のどさくさだと気付くはずもなく。
 ――もっとも、魔族の類〈たぐい〉なら近付く前に消滅してしまいそうだが。

 それでも、常人なら気付かれない程の気配隠しをしながら、一群はガブリエフ家の庭先に入り込んで来た。




<<つづく>>


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