<おまけ>
「ねー、おとーしゃん?」
「何だー? 一人で脱げないのか?」
ガブリエフ家の浴室に、のんびりした父娘の声が響く。
いつもなら男の子達も一緒なのだが――今日は呪文で氷付けになった身体を暖めるのに、一足先に済ませていた。
「ちがうのー。どーしてもわかんないこと、きいてもいーい?」
脱ぎかけのシャツの中に頭を埋めたまま、レイナが訊いてくる。
「言ってみろ」
ガウリイはしゃがみこんで、娘の首に引っかかっているシャツを外してやった。
ようやく顔を出して、ぷぅと息を吐くと、レイナが小首を傾げる。
「あのね、おとーしゃんたちのいいつけをきかなきゃダメっていうのと、うちにしのびこんじゃいけないっていうのは、わかったの。
でもね、どーしてよあるきしたらあぶないの?」
ガウリイの目が点になる。
「―――そりゃ、夜行性の動物が襲ってきたり、ゴーストが出たり、デーモンや魔族が……」
「だって、どーぶつしゃんはおともだちだもん。ゴーストしゃんもこわくないよ。
デーモンやまぞくって、よるにいっぱいでてくるの?」
ガウリイはさらに固まる。
確かに――『無敵の末姫様』の称号はダテではない。
レイナにとって動物はいつも友好の対象だし、ゴーストもあっさり浄化出来るとなれば怖いモノはないだろう。
デーモンが夜の方が出現率が高いというのも聞いたことがない。
「――でもなぁ。変質者とか誘拐犯とか殺人鬼とか……」
言いかけて、口ごもる。
長期戦ならともかく、一発勝負であれば最強の呪文を操れる末姫には、その程度の相手は敵ですらない。
他人に向けて攻撃呪文は使えないという弱点はあるものの、この正の気を強力に放出する娘に向かって殺伐とした意識を維持するのは相当に困難――まして戦闘にまで持ち込むのは相当の精神力を必要とするだろう。
「だって、そのひとたちはおとーしゃんやおかーしゃん、ルナおばしゃんよりつよくないでしょ?」
『赤眼の魔王』の分身を倒した両親と、『赤の竜神の騎士』である伯母と比較するコト自体、最初から基準がずれているのだが――他の戦士達の実戦を見る機会のほとんどないレイナにとっては、修正する余地もなく。
だからと言って、あまり具体的に言い過ぎれば、さっきの勘違いのループになってしまう。
ガウリイは頭を抱えた。
「おとーしゃん?」
「――ちょ、ちょっと待て。まず風呂が先だ」
風邪を引きやすいレイナは、時間稼ぎにあっさり納得して頷く。
服を脱がせながら、父親は懸命に納得させる方法を考えていた。
リナの『炎の槍〈フレア・アロー〉』で簡単に湯を沸かせるガブリエフ家の風呂桶は、普通の家のより大きめだ。夫婦二人で入っても、悠々なサイズである。
もっとも、さっきの余波で呪文が使えないので、今は通常の沸かし方をしている。
「ほら、ちゃんと肩まで入れよ」
「うん、おとーしゃん」
抱っこするような恰好で湯に浸かったガウリイは、レイナの期待に満ちた顔に回避が無理なのを悟った。
「――あのな。強いのと危なくないのは同じじゃないんだぞ」
「どーして?」
「――じゃあ、レイナはオレが傭兵仕事に出かけたら、心配したりしないのか?」
「うーんとね、しゃびしいけどしないよ?
だって、おとーしゃんつよいもん♪」
ガウリイは娘の顔を覗き込む。
リナそっくりの瞳は、映る自分の姿も似ている。
同じように、とても愛おしいと思う。
「だがなぁ、レイナ。
オレがいくら強くても、負けるコトもある。
負けなくても、さっきのおまえみたいに誰かを庇ってケガするかもしれない。
そうなったら、レイナは心配じゃないのか? 泣かないのか?」
言葉で答えるまでもなく、即行涙目になっているレイナ。
「心配するってのは、その相手が弱いからじゃない。
好きだから、無事でいてほしいから、心配になるんだ。
もしおまえ達が夜歩きして何かあったら、おまえ達は怖くなくても、オレやリナはとっても辛いし悲しい。
レイナはオレ達が泣いても――平気か?」
ぽろぽろと涙が末姫の瞳から落ち始め、ぶんぶんと首が振れる。
「おとーしゃんは、レイナのことしんぱい?」
「ああ」
「みんなも?」
「もちろん。――わかったか?」
「うん、おとーしゃん。
さっき、おかーしゃんがいってたのといっしょなんだね」
まだ涙をこぼしている娘を抱きしめて、ガウリイは頬ずりした。
そこで初めて、華奢な腕や背中などあちこちに付いた青アザに気付く。
「ありゃ…、こんなになっちまってたのか。痛くないか?」
「んー、いろんなとこじんじんってしてるけど、いたくないよ?
おとーしゃんこそいたくない?」
「あ?」
「おとーしゃんもあるでしょ? ほら、ここにも、こっちにも」
濡れた小さな指が、父の鎖骨の辺りに触る。
「あかくなってるよ。むししゃんにさされたみたいだね」
ガウリイにはそんな覚えがなく――素直にそこを見て、硬直した。
「あ、あ、こ、これはな…」
「ふみゅ?」
「――大丈夫だ」
「そーなの?」
「うん。だから、リナや兄ちゃん達には言うなよ」
「そっかー、しんぱいするからだね」
至って素直な気性の娘でよかったと、ガウリイは心の底から思った。
それは当然虫さされなどではなく――昨夜、リナと二人だけの時間を堪能した名残だった。
そして、レイナと一緒に風呂に入ったのがリナでなくてよかったとも思う。
本人が気付いているかどうかは知らないが――自分など問題にならない位、多量に刻まれているはずだから。
「おとーしゃん、かおあかいよ?」
再度の指摘に焦りながら、今度はガウリイが尋ねる。
「――おまえだって随分赤いぞ? のぼせたんじゃないか?」
「うーん、おふろはいるまえからぼーっとしてたから、ちがうとおもうよ。
でもねー、おとーしゃん。おゆにはいってるのに、なんだかさむいの。どうしてかなぁ?」
「おいおいっ!?」
ガウリイは浴槽から勢いよく立ち上がった。
震えは泣いてたせいではなく、熱かったのも湯のせいではなかったらしい。
悪寒がするということは、高熱が出る兆候。入浴など自殺行為だ。
慌ててバスタオルにくるみながら、ガウリイは風呂場から飛び出した。
「リナ! リナっ!!」
声音で異常に気付いたようで、リナは台所からすぐに駆け出て来て――見るなり手に持っていた芋を投げつけた。
「なっ、何て恰好で出てくんのよっ!!」
両親の叫びに、男の子達も居間から走り出てくる。
「そんなことより、レイナが熱出してるんだって!!」
反応はもう言うまでもなく。
いつの時も――騒動のタネは末姫にあり、なようである。