『Go to deliver chocolates』

<前編>

 それは、しんしんと雪の降る夜のこと。
 
 軒並み店じまいしてほの暗くなった商店街を、一人のハンサムな青年がゆっくりと歩いていました。
 手には何やら入った紙袋。
 雪は銀の髪にうっすら積もり、袋の中にも入り込んでいますが、気にしている様子はありません。
 考え事でもしているのか深くため息を吐くと、どうにも重そうな足取りで、一軒の店に近付いていくのでした。
 
 『Hat Gabriev』。
 大きなシルクハットの絵が入った看板が、小さなライトに照らされています。
 他の店と同じようにすでに戸板が立てられていますが、躊躇することもなく、脇へ回ろうとした時。
 
「ん?」
 店の軒下に積もった雪の陰で、何やら小さなモノが動いたような?
 この雪でエサに困った小動物が、里まで下りてきたのでしょうか。
 街はずれに大きな森と雪原のあるここら辺りでは、決して珍しいことではありません。
 鷹揚なこの店の主人が作っている、バードテーブルなどを狙って来たのかも――。
 さらに歩を進めると、『それ』はさっと身を翻して奥へと走り去ってしまいました。
 かろうじて見えたのは――大きなシッポとピンと立った耳。
 案の定と思いかけて、青年は妙なことに気付きました。
 残っているのはどう見ても――小さな『ヒト』の足跡なのです。
 しかも、これから彼がまさに行こうとしている、帽子屋の勝手口まで続いて消えているではありませんか。
 雪明かりで視界は良く――あのシッポが見間違いとも思えません。
 ――もしかしたら……?
 状況はわからずとも、とりあえず良くないモノの感じはしなかったので、青年はそのまま最初の予定通り訪ねてみるコトにしました。
 
「おぅ、ゼルガディス。どうした?」
 戸口に現れたのは、長い金髪に蒼い瞳の美形な帽子屋店主。
「届け物だ」
「そっか。わざわざすまんな」
 いつもながらの笑顔には、特に変わった所は見えませんが――。
 彼はゼルガディスよりかなり大柄なので、立ち塞がる体勢になってしまうと、奥はよく見えません。
 居間に続いている障子は、少し開いたままになって明かりが漏れてるようです。
 特に影は映ってないものの――確かに、消しきれないかすかな気配が。
「――わざわざ、こんな雪降りの晩でなくてもよかったのに。
 雪だるまになっちまうぞ?」
「今日じゃなきゃ足りない用だったんでな」
 店主は苦笑すると、ゼルガディスの頭や肩に積もっていた雪を、ぱっぱっと払い落としました。
「――それより、ガウリイ。今ここに『何か』来なかったか?」
 手がちょっと止まり――。
「――『何か』って、何だ?」
 ……そうでした。
 カンは人並み外れて鋭いくせに、理解力はやたら疎いのがこのガウリイ。
 ゼルガディス自身もよくわからないシロモノを説明するとなると、どうにももどかしいばかりで。
「――だから――何て言うか……。
 『妙』なモノと言うか―――」
「『みょう』ってなによっ!」
 ガウリイが答えるより早く、返事はあさっての方向から飛んできました。
 子供特有の高い声で。
「あーあ。隠せって言ったのおまえだろ、リナ」
 ガウリイのボヤキに、障子の向こうで息を呑んだのがはっきりわかりました。
 ガウリイはやれやれといった調子で、頬をかき。
「まあ、とにかく入れよ」

 ゼルガディスが靴や外套を脱いで雪を払っている間に、ガウリイは勝手口から繋がっている板張りの台所を通り抜け、障子の奥から『それ』を抱っこして戻ってきました。
「――おい、ガウリイ……」
「紹介する。こっちはゼルガディス、オレの親友だ。
 ゼルガディス、これはリナ、ご覧の通り、『きつねの仔』だ」
 そうです。
 ガウリイが抱えている栗色の髪のちっちゃな女の子には――同じ色のしなやかな毛並みのぴんと立った耳と、大きな先の毛だけが白いふさふさのしっぽがあったのでした。
 
 こたつを挟んで暖を取りながら、ガウリイはざっといきさつを話しました。
 リナが姉狐の言いつけで人間に化けて、雪の夜に手袋を買いに来たこと。
 その時夜食をご馳走してから、頻繁に遊びに来るようになったこと。
 まだちゃんと化けられなくて、耳としっぽが隠せないこと、などなど。
「おまえさんらしいな……」
 ため息まじりにゼルガディスが呟くと、リナが大きな瞳で睨むような視線を向けてきました。
 ずっと警戒モード全開で、ガウリイに抱っこされたままこたつに入っているのです。
 体長より長そうなシッポは逆立って、さらに大きく見えます。
「まあまあ、そんなに警戒するなって。
 取って食ったりしないから」
「誰がだ!」
「だれがよっ!」
 同時に叫んだゼルガディスとリナに、ガウリイは楽しそうに笑い。
「気が合いそうじゃないか?」
 リナは憮然として、たしっ!とゼルガディスを指しました。
「だってー、こいつなんかヘンなんだもん!」
 指しているのが人差し指でなく、狐の前足の感覚で軽い拳になっているのを一瞥すると、ゼルガディスも皮肉げに応戦。
「妖狐なんかに言われたくないがな」
 カッとして飛び出そうとするリナを、ガウリイが抱きすくめて制します。
「こら、やめろリナ。
 ゼルガディス、おまえも大人げないぞ」
 リナはぷんと膨れて、そっぽを向き。
「あたし、わかるんだから。
 こいつ、フツーの『ヒト』じゃないでしょ?」
 今度は男達が絶句して顔を見合わせました。
 
「さすがなんだなぁ、フツーの感覚なら、一応『人間』に見えるはずなんだぞ」
「一応は余計だ。
 おまえだって、見えなかったクチだろうに」
「こいつのひい…ひい爺さんだっけ?」
 言いながらガウリイがゼルガディスを見ると、答えたくないとばかりに目をそらせます。
「まあ、とにかく、先祖の因果だか七代祟るとかで、何か呪い――だったか? かかってるだけなんだってよ。別に毒持ってるだの生き血吸うでもないし、害はないんだぞ」
「あのなぁ…!」
 偏見がないのは嬉しいとしても、全然フォローになってない説明に、頭を抱えるゼルガディス。
 リナはガウリイを見上げ、
「どーりで、あたしとはじめてあったとき、あんたがぜんぜんきみわるがらなかったわけだわ。
 こんなのがともだちにいるんだもんね」
 初対面の時――、ガウリイはこの姿のリナにびっくりこそしましたが、違和感はまったく抱いていませんでした。
 それどころか驚かせたお詫びにと、家に上げて夜食を振る舞い、町外れまで送ってくれた親切ぶり。
 彼に懐きながらも、リナはそれがずっと不思議でならなかったのですが――、ようやく納得できました。
「だから、こんなの呼ばわりはやめろ」
「そっちがやめたら、やめてあげないでもないわ」
 またバトルに入りそうな気配に、ガウリイは話題を強制転換します。
「で? 届け物ってのは?」
 ゼルガディスはすっかり忘れ去っていた紙袋の中身からいくつか選ぶと、こたつの上に並べました。
 目にも鮮やかな、色とりどりのラッピングを施された大小の包み。
「おまえへの預かりモノだ」
「…何なんだ、こりゃ」
「ウチの女性客達から頼まれた」
「…だから、なんでまた……」
 初めて見るモノに思わず警戒が緩んだのか、リナがくんくんと鼻を近づけます。
「あまいニオイがする」
「チョコだ」
 答えたゼルガディスではなく、ガウリイを見上げて。
「――なに、それ?」
 ガウリイは事態がわかっていないまま、今嗅いでいだ包みをほどいてみせました。
 小さな箱から現れたのは、丸い形の茶色いモノ。甘いニオイがさらに増します。
 ガウリイは一つ掴んで、リナの口元に持っていきました。
「ほら」
 まだ気を許していないゼルガディスの持ってきたモノでは、どうも安心出来ません。
 渋るリナに、ガウリイは一つ自分の口に含むと、また同じコトをくりかえし。
「美味いぞ」
 彼がそう言ってハズレたことはないので、もう一度匂いを嗅ぎながら、思い切って口に含むと。
「おいしー♪」
 ようやく満面の笑みが浮かびます。
 その様子に嬉しそうな笑顔を浮かべるガウリイに、苦笑を向けるゼルガディス。
「おまえ用の『バレンタインチョコ』なんだがな、それは」
 二人――正確には一人と一匹は、同時にきょとんとした表情に変わって。
「あー、そうなのか。
 どーりで、今日はやたら女の客が、何かくれてくなぁと思った」
 悪気なく笑い声を挙げるガウリイ。リナが不思議そうに訊きます。
「『ばれんたいん』って?」
 すっかり脱力しながらも、律儀にゼルガディスが答えます。
「女が男にチョコを贈って、――好意を示す日だ」
「『こうい』?」
「まあ、スキってコトだな」
 気軽に答えるガウリイ。
「――つがいになりたいって、トリやどうぶつがダンスしたり、すをつくったりするみたいな?」
「かなり近いな」
「――あーいうのは、オスからメスにするもんだとおもってたけど、『ヒト』ってぎゃくなんだ」
「人間の場合、どっちからもあると思うが」
「そーだな」
「ガウリイはこのなかのだれかと『つがい』になるわけ?」
「人間の場合は、『結婚』と言うんだ」
 あくまでも人間としての尊厳にこだわってるのか、単純に細かいコトが気になるのか、いちいちツッコむゼルガディス。
「いーや、そんな気はぜんぜん」
 対してガウリイは、ノンキそのもの。
「ふーん」
 ちょっと微妙な表情をしてから、リナはさっきのチョコを示し。
「ねぇ、これもっとたべていーい?」
「ああ、いいぞ。
 ちょっと待ってろ、オレがもらった分も持ってくるから」
 リナをいったん下ろすと、ガウリイは店に続くガラスの引き戸を開けて出ていきました。
 チョコに手を伸ばしながらも、リナの耳だけはしっかり店側を向いているのに気付いて、ゼルガディスは思わず失笑してしまいました。
「なによ?」
「いや――、こっちも食っていいぞ」
 ざらざらざら。
「おう、また増えたのか?」
 店からダンボール箱を抱えて戻ってきたガウリイが、袋の中身を全部コタツの上に開けたゼルガディスに言いました。
「俺の分だ。……毎年、おまえが引き取って食ってるじゃないか」
「だったか?」
 バレンタインの存在さえ忘れ去っていた男が、そんなコトを覚えているはずもなく。
 ばさばさばさ。
 二人のチョコで、コタツの上に小山が出来上がりました。
 チョコを頬張ったままのリナが、歓声を上げます。
「あんたって、すこしだけいい『ヒト』だって、みとめてあげてもいいわ」
「そりゃどうも」
 皮肉の応酬に笑いながら、ガウリイが今度は二人の横に腰を降ろそうとすると――。
「なんでそっちにすわんのよー」
「なんでって…おまえのシッポが戻ってるから。もうゼルガディスにも馴染んだんだろ?」
 そう言われてみれば、いつの間にか普通の状態に戻っています。
 でも、リナは不満そうにむくれて。
「ガウリイがこしかけになってくんないと、チョコにとどかないじゃない!」
「はいはい」
 素直にガウリイは納得していますが――ゼルガディスから見れば甘えているのがミエミエなのでした。


<<つづく>>

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