<前編>
冷たい雪に閉ざされていた森に、少しずつ暖かい風が流れるのを感じるようになりました。
いつの間にかさらさらだった雪も、パウダーから細かい氷粒に変わって。
白と銀と枯れ色だった景色も、何だか違ってきたような気がします。
これなら、人里に行くのも、今夜は楽そう。
夕暮れまで待って、ちみ狐のリナは、仲良しの帽子屋店主がくれたピンクの手袋を履くと、森から雪原を駆け抜けていきました。
いつもなら人間に見られないよう、もう少し遅く出かけるのですが――。
仲良しの帽子屋主人が、前回別れ際に、珍しく日付を指定してきたのです。
『いいモンをやるから来い』と。
あのガウリイが言うのですから、とってもいいに違いありません。
一刻も早く行きたくて、しかたなかったのです。
危ないのは承知ですが、リナも妖狐の一族、そう簡単に負けるもんですか。
「あれ?」
近付いて来た街境の木立の間に、いつもは無いモノがありました。
地面より高い所に灯る、小さな光が一つ。
あきらかに人間の使うランタンの灯りです。
もう夜行の動物達が活動を始めている時刻。
夜目の利かない人間がやってくるはずはないと思うのですが――。
その光がジャマをして、肝心の姿がよく見えません。
警戒して速度を緩めた時。
「リナかー?」
それは、聞き慣れた声。
「…ガウリイっ!?」
「おう♪」
思わぬお迎えに、リナはびっくりするやら、嬉しいやら。
いつも帰りはここまで送ってくれるガウリイですから、通り道は知っているのは当然としても。
店に行く日時はリナが決めているので、お迎えを受けるなんて思いもしなかったのです。
リナがリアクション出来ずにいるうちに、雪原に踏み入ってくるガウリイ。
曇り空で月明かりはなくとも、彼の目なら雪明かりだけで、仔狐の姿ははっきり見えているのでしょう。まっすぐこちらに近付いてきます。
が、
「おうっ!?」
途中でいきなり片側に沈む長身青年。
下の雪が溶けて空洞になっている所を踏み抜いたのでしょう。
「もぉ! なんでこんなトコにいるのよっ!?」
我に返ったリナが駆け寄ると、ガウリイはランタンと小さな風呂敷包みを置いて足を引き抜きながら、にっこり笑いました。
「迎えに来た。
――今晩来いって言っとかなかったか?」
「そうだけど……、いつもより早いじゃない。
……ずーっと待ってるつもりだったの?」
「いーや、何となく来そうだと思ったから」
「………」
このカンの良さってなんなんでしょう。
妖狐のリナや、彼の親友で何かの呪いをかけられているというゼルガディスより、よほど人外という気がするのですけど。
「オオカミにでもおそわれたらどうすんのよ」
「負けないから大丈夫だって」
ほら、こんなトコも。
普通の人間は、素手でオオカミなんかと戦おうなんて思わないはずなのに。
「さ、行くぞ」
「ちょっと待って待って、
まだ人どおりがあるから、このカッコのままじゃどうろなんか歩けないわよ」
「――小さな女の子連れでも、十分目立つような気はするな」
そんな根本的問題に気付かないあたり、のほほん帽子屋店主の本領というか。
せっかくガウリイが迎えに来てくれたのに、一緒に歩けないのはとってもつまらないのですが――。
ヒトに見とがめられて、帽子屋通いに支障が出る方がもっとつまんない、と思いました。
子狐の姿の時は人間の時ほど表情がはっきりしないはずなのに、ガウリイにはあっさりわかってしまったようです。
「――じゃあ、これならどうだ?」
着ていたコートの前を上から半分ほど開いて、しゃがみ込み、
「そのまんまここに入ってけ」
リナの首根っこをひょいっと掴んで胸元に入れると、上二つ残してボタンを閉めてしまいました。
「こらっ、何かんがえてんのよっ!」
首だけ出したリナを撫でて、しっと指を立てるガウリイ。
「この雪明かりだけなら、人間には狐と犬の仔の区別なんか付かないって。
黙ってオレに抱きついてろ」
「――犬といっしょにされるのはふほんいだけど、しかたないわね」
口ではそう言っても――ガウリイの懐はとっても暖かくて、すでに離れる気のないリナなのでした。
確かに、左手にランタン、右手で荷物ごとリナを抱っこしてしまうと、ほとんどわかりません。街灯や人家のある所でも、ランタンを消して暗い側を選んで歩けば、大丈夫でしょう。
林を抜けて人里へと運ばれながら、人の気配がないのを確かめてリナが小声で尋ねました。
「このにもつって――ハッカね?」
「ああ、来る前にゼルガディスの薬局に寄ってきたんだ。
帰ってからじゃ店が閉まっちまうからな」
「なんに使うわけ?」
「しっ」
ガウリイが小さく制すると、何だか重そうな足音が右側からぐんぐん近付いてきました。
こちらには木立の続きと細い道――奥に何かの建物があるだけだったはずですが。
「おお、ガウリイ殿じゃないか!」
明るく豪快な声が響き渡ります。
「こんばんは、フィルさん。
そんなに急いでどうしたんですか?」
「なに、うっかり御神酒の瓶を割ってしまってな。
調達に行くところだ」
「宮司自らですか?」
「明日の朝一番の神事で使うのでな」
好奇心に負けたリナがちらりと覗き見ると――ムサい大柄なおぢさんの姿。
「むむ?」
しまった!
どうやら今ので気付かれてしまったようです!
宮司の髭面が、ガウリイの胸元にぐぐっと近付いてきます。
ガウリイの鼓動が少し早くなり――。
リナもどきどきしながら、必死でしがみついていました。
………………。
「…捨て犬でも拾ったのかね?」
「……え?
ええ、寒そうに震えてたんで、連れて帰ってミルクでもやろうかと……」
『フィルさん』は一呼吸おいて、やっぱり豪快に笑いました。
「それは優しいことだ。
よかったな、いい人に拾われて」
大きなごつい手が、リナの頭をぐしぐしとなで回します。
外見に似合わず、優しい人間なのかもしれません。
「――フィルさん。ランツの酒屋なら、もうじき閉まるから早く行った方が」
「そうだな!
では、失礼する。またな」
「気を付けて」
また威勢のいい足音が、反対側に遠ざかっていきました。
「もういいぞ、リナ」
軽くため息を吐いて、頬ずりするガウリイ。
リナもほっと息を吐きました。
「『ぐうじ』――って、なんなの?」
「ここの神社――神様を祭ってる宮で、一番えらい神主さんだよ。
で、アメリアの父さんだ」
リナの耳がぴんと立ち上がりました。
「あの――ゼルと仲よしになった???」
「そうそう。…似てないけどな」
一月ほど前の『バレンタイン』の後、リナは店に買い物に来た『アメリア』を覗き見る機会があって、姿は知っていたのですが――。
人間の基準なら、小さめで――きっと可愛いっていう娘なんだろうなと思っていたのに。
どこをどう繋ぐと、さっきの豪快宮司になるんでしょう。
「――人げんのおやこって……」
その後、帽子屋に到着するまで何人かの人間とすれ違ったものの――。
ガウリイと挨拶をする程度で、幸い仔狐に特別の関心を払った人はいませんでした。
「はあぁぁっ、ついたぁぁ〜」
家に入ってすぐ、コートから出ようとしたリナを、ガウリイが空中ではっしと捕まえました。
「なにすんのよ!」
「うーん」
両手でリナの脇を持ち上げ、少し上下に揺らして。
「やっぱり少し重くなってるよなぁ」
げしっ!
両足でガウリイの顔面に蹴りを入れた反動で回転、人の姿で降り立つリナ。
「芸も増えたし」
顔をさすりながら、ガウリイが苦笑します。
「だんだん大きくなってんだな」
「れでぃにいきなりしつれいでしょ!」
相変わらず、耳としっぽは出たままなのですが。
「大きくなったら――どうしようなぁ」
「――そりゃ、今日みたいにはいかないでしょーけど、だいじょうぶよ。
それまでに、もっとじゅつをおぼえればいいんだから」
胸をはる仔狐に、ガウリイはさらに意味深に苦笑いして。
「それは頼もしいが――。
大きくなっても『通って』くるのか?」
いきなりなコトを言い出され、リナはびっくりしました。
「な、なによ、来ちゃいけないっての?」
リナの抗議に、ガウリイもちょっと目を見開きます。
「そうじゃなくてー。……んー」
お世辞にも説明が上手いとは言えないこの帽子屋店主、何を言いあぐねているのか、ぽりぽりと頬をかいて。
ぱふっ。
答えの代わりに大きなコートを被せられ――リナがもがいて顔を出すと。
「そもそも、おまえさん達って、いくつで大人なんだ?」
ガウリイはいつもの笑顔に戻っていました。
「―――おしえたげない」
正直言うと、リナは教えるのが何だかイヤだったのです。
大人になってしまったら、ガウリイが今みたいに接してくれなくなるような気がして。
確実に成長しているとは言え、まだちみ狐のリナには、その気持ちの正体はわからないのですけど。
「明日の朝、いいモン作ってやるから、機嫌直せよ」
再び優しく抱き上げて、背中をぽんぽんと叩いてくれたガウリイに、素直にすりすりしたのでした。