2.なつかしの かの人はまた 謎めいて(その2)
「隊長はよしてくれ。今はおまえの上司じゃないんだから」
あのガウリイが奇跡的に覚えていた彼氏は、料理と酒を持って、あたし達の
テーブルへと引っ越して来た。
「ところで、こちらのお嬢さんは?
おまえのイイ人かな?」
『違います、違います』
あたしとガウリイの声がハモる。
「そうか? なんかとても息が合っているように見えるんだが…」
「オレは保護者ですって。
こいつはリナ。リナ、こちらはネイム。
オレがまだ駆け出しの傭兵だった時、士団長をやってて、いろいろ世話になった人だ。メチャクチャ強い剣士なんだぞ」
超一級の剣士のガウリイが褒めるとは、このヒト、よほどすごいんだろう。
「はじめまして。
ガウリイの被保護者をしてます、リナ=インバースです」
「よろしく、ハーストルフ=ネイムと申します。…リナ=インバース? あの有名な?」
差し出された手を握り返しながら、かすかな含みを感じるその語意に、あたしは苦笑する。
「……どういう点でかは知りませんが、多分、そのリナ=インバースです」
「いやぁ。
こんな高名な魔道士を、パートナーにしているとは思わなかったぞ、ガウリイ。
保護されてるのは、むしろおまえの方じゃないのか?」
楽しそうに明るく笑うネイムさんには、他の連中があたしの名を知った時に見せる、畏怖や物見高さは微塵もない。
確かな自分なりの見識を持っているようだ。
あたしにとっては、意外な反応である。
「わかります?」
「どうせおまえのことだ。しょっちゅう物忘れしては、迷惑かけてんだろう」
「そーなんです。察していただけますか?」
「いやー、私もそれで悩まされたクチだから」
ガウリイは真っ赤になって、酒を片手にぶーたれている。
「ガウリイって、昔からこうなんですか?」
「私がこいつに初めて会ったのは、もう七、八年も前になるが、その頃からすでに、そうだったよ」
「ええーっ? …あんたって……やっぱし」
ジト目で見るあたしの視線を避けるように、ガウリイは別な方に視線を泳がせた。
「まあ、そっち方面はともかく、あの頃からもう剣技や戦闘センスは、並外れて非凡だったんで、傭兵仲間では『一極集中型の天才』なんて呼んでたっけ」
へえ、そんな頃から、もう超一流の冠を受けてたんだ。
「…もー、…勘弁して下さいって」
照れまくっているのか、頭をかいているガウリイ。
「ねえリナさん、こいつ戦闘中だけは、えらくキレるでしょう?」
ネイムさんが酒の入ったグラスを持ったまま、ガウリイを指差す。
「リナ、でいいです。―――それも、昔から、ですか?」
この気さくな明るさは、人の警戒心を解く効用があるようだ。
もちろん、ガウリイの知り合いということもあるだろうけど、場数を踏んでいるあたしですら、決して悪い気はしない。
「そうそう。
あんまり普段と落差がでかいんで、『きっと、あいつは戦闘に集中し過ぎるから、他の時はぼーっとしちまうんだ』って、仲間うちでは言ってたな」
「あー、なるほどっ」
あたしは、ぱんっ、と手を打つ。上手い物言いである。
「あと、『本能最優先だから、生命の危険がない時は、どうでもいいんだ』って説もあったか。
確かに、戦闘中とメシ時は、異様に集中力あったよな」
酒の酔いも手伝って、あたしはもう、お腹が痛くなるほど笑いこけた。
ガウリイは、酔っているせいか照れているせいか、耳まで真っ赤っ赤。
「……もう、ひさしぶりに会えたってのに、ンな旧悪ばかりばらさんでも…」
「『旧悪』じゃないわよ。今だって現役じゃない」
あたしのツッコみに、ネイムさんが爆笑する。うーん。ノリのいいおぢさんだわ。「まあしかし、本当にひさしぶりだなぁ。
―――最後に会ったのが三年…いや、四年前になるか。
だが、ほとんど変わってないな。
まあ、髪がずいぶん伸びてたんで、後ろからだとちょっと自信なかったんだが」
ネイムさんのガウリイを見る目は、手の掛かる子供へのそれという感じだ。
「単に無精してたら、こうなってただけなんですけどね」
確かに。
『枝毛が出来てる』って言ったら、あたしのショート・ソードで、毛先ぶった切る奴だもんね。
「…にしても、その長さはすごいぞ。
武装してなかったら、とても剣士には見えん」
「それには、あたしも同意します」
「おい、リナ…!」
あたしはガウリイの抗議を無視して、おつまみの野菜スティックをくわえる。
ネイムさんは楽しそうに笑い、こちらに視線をよこす。
「ガウリイとコンビを組んでから、どのくらいに?」
「二年…ちょっと、ですね」
「―――じゃあ、一年位前のセイルーンでのお家騒動で、『光の剣』の剣士と一緒に関わっていた魔道士というのは、君のことなんだ」
あたしとガウリイの目が点になる。
「……何で、そんなこと…」
「…知ってるの、かい?」
ちょっとクセのある笑み。―――この人、けっこう食えないかも。
「大したことじゃないさ。
さる筋から入って来た情報の中に、『光の剣』の話が出て来たんで、気になって調べてみただけだ。
―――そういえば、ガウリイ。
『光の剣』を持ってないようだが、どうしたんだ?」
ガウリイの椅子の脇に置いてある剣に目をやって、ネイムさんが問う。
また、あたし達は固まった。
やばい、ガウリイに喋らせたら、何を口走るかわかんないぞっ。
「あ、あの『光の剣』は、――い、いろいろあって、元の持ち主に返したんですけど……。
ネイムさん、ガウリイがあれ持ってたこと、御存知だったんですか?」
―――ネイムさんの表情に、一瞬安堵の色が浮かんだように見えたのは気のせいだろうか?
「さん、は付けなくていいよ。
昔アレを一度だけ見たことがあってね。
さすがに忘れられなくて、気に留めてたんだ」
「――見せたことありましたっけ?」
「――忘れたのか」
「――すいません」
――不毛なやりとりだ。
でも、確かに『伝説中の伝説』とも言われて、知名度はトップクラスの『光の剣』だ。一度でも見たら、覚えていても全然不思議じゃあない。
でも、セイルーンの一件で、コトの成り行きくらいならともかく、立場的には単なるフィルさんのボディガードにしかすぎなかったあたし達のことまで、調べられるこの人って―――?
さすがにその辺は、ガウリイも不思議に思ったようだ。
「ネイム、今はどうしてるんです? まだ傭兵を?」
ガウリイの話題転換にあっさりノッて、ネイムは妙に照れくさそうに笑った。
「いや、もう傭兵からは足を洗ったんだが――、今はここの領主に仕えて、やっぱり士団長をしてるよ」
「へえ…」
「はあー、すごいですねぇ」
最初から騎士として領主に仕える剣士とは違って、いわゆる叩き上げの一介の傭兵が、騎士として取り立てられ、士団長まで任されるというのは、異例中の異例的な出世である。
余程強力なコネでもあれば別だが、それなしでというのであれば、彼の実力と人格がそれほど卓越したモノであるということになる。
「すごくはないさ。
いや、実はな。
ここで小競り合いがあった時、傭兵として雇われたんだが、――今の女房に出会って、デキちまったもんで、そのまま騎士として仕えちまったというわけだ」
―――何かものすごいことを、照れながら明るく言われてしまって、あたし
とガウリイはフォローが出来ない。
「その後も何回か戦〈いくさ〉に出てるうちに、気が付いたら今の場所に収まっちまってたんで、全然大したことないさ」
「……大したこと…あると思いますよぉ」
「そうかな?
ま、どんな神妙な言い方をしても、女房の色香に負けたということに違いはない気がするな」
うあ。すっごい物言いっ。
「…そんなに奥さんって…、いい女なんですか?」
「―――そういえば、おまえは昔から女には、割と興味の薄い奴だったな。
今でもそうなのか?」
ガウリイの問いに、ネイムが面白そうに問い返す。
もともと口達者な方ではないガウリイ、ますます立つ瀬がない。
「リナ、こいつと一緒にいても、身の危険感じたことないだろう?」
いきなり話がフラれ、焦るあたし。
「え? え、…ええ。――確かに、言われてみれば……」
くっくっくっ、と笑いをもらすネイム。
「そういえば、昔、傭兵仲間が、おまえを娼館に連れてった時―――」
酔っ払いってのはしょーがないモノで、ここに純情乙女がいるって、すっかり忘れてるな。
「何もしないどころか、その娼婦の子供のお守りを一晩中して、帰って来たことがあったよな」
―――はあ…?
そりゃ、あたしの保護者なんてやってるくらいだから、ガウリイの面倒見の
良さはは知ってるけど、まさかそこまでとは―――
「あれは成り行きですってば…。オレだって、もう子供〈ガキ〉じゃないんですから」
「ホントか? あまり変わったようには見えんぞ」
「―――オレ、トイレ行ってくるわ」
ふらふらと歩いて行くガウリイの背中を見送りながら、ネイムの語調がいきなり変わった。
「―――ところで、リナ。ちょっと訊きたいんだが」
「はっ、はい?」
あまりにいきなりな変化に、あたしはついていけずに慌てる。
ネイムの目には、もう酔いの色は見えない。
――この切り替えの見事さ。
――こりゃ、やっぱりタダもんじゃないわ…。
「――『光の剣』のことだ。ずっと気になっていたことがあってね」
語意に混じる、畏怖の感情がわかる。
「―――何かあったんですか?」
「君はガウリイが、アレを使ったのを見たことがあるかい?」
「ありますよ。あたしが使わせてもらったこともあるし…」
「その時に、何か妙なことが起きなかったかね?」
「どういう意味で、です?」
先程までの明るい上役の顔はすでになく、ここにいるのは、歴戦をくぐり抜けて来た、まぎれもなく生え抜きの戦士〈プロ〉だった。
その彼が気にしていること、とはいったい何なんだろう?
「希代の天才魔道士と呼ばれている君だ。話してもわかってくれるだろう」
「…あたしのことをご存じなら、別口の知名度の高さもわかってるでしょう?
なのに、手放しにそう評価していいんですか?」
皮肉を交えたあたしの言葉に、ネイムは迷いのない目で答える。
「これでも、ごろつきだらけの傭兵共を束ねる仕事を長年やってきた身だ。
人を見る目には自信があるよ。
それに、ガウリイのパートナーとなれば、よけいに知っておいた方がいいと思うからな」
「―――わかりました。お聞きします」
あたしは少し椅子を寄せて、話に集中する。
「――あれは、五年前。エルメキア帝国内の領主同士の戦の時だった。
詳しい戦争の経緯は今は関係ないから省くが―――。
勝敗がほぼ私達の軍勢の勝利となった時、とんでもない事態が起こった。
敵の領主つきの魔道士が、下級魔族の召喚を行ったんだ。それも、とんでもない数の」
「人間同志の戦に、魔族召喚? 正気ですか?」
「向こうの思惑は今となってはわからない。
だが、いくら戦いに長けた兵士や傭兵の集団といえど、大量の魔族の前にはあまりにも無力だ。
当時、師団長をしていた私が、前線に駆け付けた時には、見渡す限り屍の山だった。
敵も味方も区別なく、ただ累々と無残な骸〈むくろ〉に成り果てていた。
――たった一人を除いては…」
「……まさか、それが…」
あたしは生唾を呑み込んで、やっとそれだけを言った。
いくら魔族との戦いに馴れているとはいえ、その凄まじかったろう光景は、あまり考えたいモノではない。
しかし、魔力剣を持たない兵士達では、たとえ下級の魔族といえど、ひとたまりもなかったに違いない。
「そう、君の相棒だ。当時年齢〈とし〉は、―――確か今の君くらいだったな」
「……それで、魔族の方は?」
「――ガウリイが、一人ですべて切り倒していた。
だが、右手にあの『光の剣』を下げ、敵のモノとも魔族のモノともつかない返り血に染まった奴は、いつもの陽気で無邪気な少年じゃあなかった―――」
「…茫然自失状態だったってことですか?」
あたしは、自分のグラスを堅く握りしめていた。
「…いや、もし私がもう少しニブかったら、あの剣で真っ二つにされていただろう。
―――あれはまったくの別人だった。
何の感情も、迷いも慈悲も持たない、人間的なモノをまったく排除したような無気質な存在―――とでも言ったら、少しはわかってもらえるだろうか」
とっさに、あたしは先日のことを思い出した。
「そのすぐ後、奴は正気に戻ったが、その時のことは何一つ覚えてはいなかった。
もちろん、事態が異常すぎたし、奴にはいつものことだったから、誰一人疑問は抱かなかったが―――。
無論、何の確証もないと言ってしまえばそれまでだが、長年培った戦士の勘と言うヤツが、どうしても否定させてくれんのだ」
ネイムは、苦々しげに微笑んだ。
「―――信じます。
――あたしも、ついこの間、それに会いました」
一瞬、店のざわめきが、違う世界へ遠ざかる。
「――君は、あれを何だと思った?」
「よくわかりません。
でも、あの異質な気は、ガウリイじゃありませんでした。
それどころか―――」
「それどころか?」
言い詰まったあたしを、促すネイム。
「―――普通の人間でもなかったような…」
「いいカンだ。
おそらく、それが正解だと思う」
「―――! じゃ、あれはいったい……」
「私もあの後、いろいろ調べてみた。それは多分、『光の剣』の―――」
ネイムが言いかけた時、ガウリイが店の中に戻って来た。
「リナ。ガウリイの前ではまずい。
――明日同じ頃、もう一度何とかここに来れないか?
あの事件の後、ガウリイが私の前から姿を消すまで調べて、途中まで書きかけた報告書がある。
どうしても捨てられずに残してあったモノだ。
それを見たうえでの、君の意見が聞きたい」
低い声の早口に、あたしも簡潔に返答する。
「わかりました。なんとかします」
「何がなんとかする、なんだ?」
しまった。こいつ、耳もやたらいいんだった。
「あんたのことよ。いーかげん、クラゲ頭をなんとかしようって話」
「…おいおい」
「ところで、妙に長かったじゃない、何トイレでハマってたわけ?」
頭をぽりぽりかきながら、苦笑いするガウリイ。
「うーん。
中で、どっかのじーちゃんが悪酔いしてへばっててさ。ちょっと介抱してた」
「もう、あんたったら、ホントに人がいいんだから」
「そいつが、こいつのイイとこだよ、リナ」
さっきまでのシビアな表情のかけらも残さず、明るく笑うネイム。
さすが、場数は踏んでないということか。
――この人の言うことなら、誇大妄想とか虚言癖ということはあるまい。
信じられる気がする。
まして、いくら面倒をみて可愛がっていたといっても、その場限りの傭兵仲間のことを、何年も気にかけて忘れられなかったというなら、相当な事態なのだろう。
あたしも、あの異質なガウリイを見てしまった以上、無視は出来ない。
謎解きの最大のチャンスは、有効に使わせていただくことにしよう―――。
その後は、そんなシビアな事態はまるっきりなかったように、展開する話があんまり楽しくて、あたしもつい自分のペースを忘れて杯を重ねてしまった。
店のカンバンの時刻が来て、楽しい宴をお開きにする頃には、あたしの身体はしゃんと立っていられないほど酔っていた。
あ、頭はちゃんとしてるからね。念のため。
「ほら、リナ。しっかりしろって」
「はーい」
ガウリイが片手で、あたしの腕をつかんで支えている。
「じゃあ、気をつけてな。
まだこの街にいるなら、ウチにぜひ遊びに来てくれ。女房や子供達にも会わせたいんでな」
あたし達は思わず、顔を見合わせる。
「お、お子さんって、何人なんですか?」
ガウリイの問いに目を細めるネイムは、すっかり父親の顔になっていた。
「男と女が一人ずつだ。可愛いぞ」
ありゃ、大当たりでしたか。
こら、ガウリイ、そんなすっとんきょうな顔すんじゃない!
「家はタルラ通りの東側だ。近くで訊いてくれればわかるだろう。
おまえに詳しい場所を教えても、どうせ忘れるだろうからな」
「…はあ、わかりました」
「きゃははっ、せいきゃいでぇす。にぇいみゅ」
あたしの笑いに、男2人が苦笑する。
「リナ。ガウリイをくれぐれも頼んだよ」
「ネイム、それって逆なんじゃ…」
言いかけたガウリイを遮って、あたしは明るく答えた。
「はーい、りな=いんばーすは、がうりい=がびゅりえひゅをぉ、いっしょーみすてましぇんかりゃー」
―――やっぴり、よってっかもしんない……。
細い月の浮かぶ空には、どんよりとした重い暗雲がかかりつつあった。
明日からは荒れそうだ――――。