0『金糸の迷宮』5

2.なつかしの かの人はまた 謎めいて(その3)


 翌日は予想通り、朝から雷雨になった。
 時折、遠くから雷鳴が響く。
「…うるさぁい……」
「天気に文句言ってどーする。なんか下で食い物でも調達してくるか?」
「…いら…ない…。うぷー」
 宿のベッドに突っ伏しているあたしを見下ろすように脇に立って、ガウリイが 渋い顔をしている。
「ヒトを肴にして、限界忘れて、さんざん呑むからだぞ。自業………えっと、な んだっけか…」
「…それを言うなら、『自業自得』って言いたいんでしょ…?」
「おお! そうだ、それそれ!」
「うー、頼むから大声出さないで……」
 宿酔〈ふつかよ〉いの頭に、ガウリイの大声はキツイ。
「あ、すまん、すまん。今、何か飲み物でも持って来てやるよ」
 ガウリイは足音を忍ばせて出て行った。
 がんがん痛む頭で、ぼんやりと考えに沈む。
 ―――こりゃ、今日はネイムに会うのは無理かなぁ……。でも、どうやって断 ればいいんだろ?…まさか、ガウリイを使いに出すわけにはいかないし…。夕方 までには、具合治るかなぁ……。宿酔いに『治療』〈リカバリィ〉って効いたっけか…?
 うー…、胸がムカムカするよぉ……。

「リナー? 香茶もらってきたぞー」
 ノックもせず、小声でガウリイが入って来た。
 あたしは当然、返事など出来ない。
「ほら、起こしてやっから、少しでも水分入れとけ」
 ガウリイの腕が、問答無用に軽々とあたしの身体〈からだ〉を持ち上げた。
 あたしは急激な頭の移動で、めまいを起こす。
 いきなり、喉の奥からこみあげてくるモノがあった。
「…うっ…!」
「わっ! こら、リナ、待てっ! 
 今トイレに連れてくから、ちょっと待てっっ!!」
 ――――合掌。

「やーれやれ。朝っぱらから風呂入るハメになるとはな」
 文句を――それでも小声で――言いながらガウリイは、あたしのベッドの側に椅子を運んで来て、腰を降ろした。
 髪をタオルでせっせと拭いているらしいが、なんせその長さ、そう簡単に乾 くモンでもないだろう。
「……ごめん…」
「おお、珍しく素直じゃないか。
 さすがのリナも、具合悪い時は、愁傷になるんだな」 
 おひ。あたしが素直に謝った時くらい、素直に受けとかんかい。
「まあ、吐くだけ吐いちまったら、少しは楽になるさ。
 何か欲しくなったら、言えよ」
 ガウリイも、らしくなく、みょーに親切じゃないか。
「…さっきの香茶、…まだある?」
「ん? ああ」
「…ちょーだい」
「冷めちまってるぞ」
「いいよ」
「どれ…」
 言いながら、ガウリイがあたしを抱き起こす。―――ちょっと待たんかい。
「……なんで、あんた裸なわけ?」
「だから言ったろ、風呂入ったって。いいじゃないか、下は履いてるんだし。
 第一、髪が乾く前に上着たら、濡れちまうって」
「――だからって、女の子の部屋にいんのに、それって…」
「気にすんなって。おまえ相手に、妙な気なんか起こさないから。
 おまえだって、夕べ言ってたじゃないか。
 『オレといても、身の危険なんか感じない』って」
 ――ンなことばっか、よく覚えてるんじゃない!
 あたしが言いたいのは……
 どっくん。
 あれ…? なんで、こんなに動悸がするんだ…?
 これもやっぱり宿酔いのせい?
「どうした? 頬が赤いぞ。また具合悪いのか?」
 ガウリイが、あたしの顔を覗き込む。
 どひゃ。ドアップっ。
 どくん、どくんっ。
 うわー!
 静まれっ、あたしの心臓っ!
 どうしちゃったのよっ!
「な、な、なんでもないっ。お茶、ちょうだい…」
「ああ。わかったって」
 ガウリイはあたしの身体を抱きかかえるようにして、お茶の入ったカップを口 元に持ってきてくれた。
 受けとろうとした手が、動悸のせいか震える。
「オレが持っててやるよ。ほら…」
 ガウリイの優しい囁きと素肌の暖かさに、あたしは何か満たされるモノを感じ て、素直に従った。
 香茶の冷たさが、かえって喉に気持ちいい。
「もう、いいのか?」
「………、…うん」
 なんかむしょーに、離されてしまうのが嫌で、返事を渋ってしまう。
「どうした?」
 カップをサイドテーブルに置きながら、ガウリイが訊く。
「……もう一つ、…頼んで…いい?」
「なんだ? 言ってみろよ」
 明るい声。
「……眠っちゃうまで、こうしてて…」
 まだ酔いが残っているんだろう。きっと、そうだ…。
 ガウリイは返事をしなかった。
 ―――その代わりに、ベッドに上がって来て、あたしを抱き直してくれ―――
 たくましい胸と腕の温もりに包まれるように抱かれると、ゆっくりと具合の悪 さが薄らいで、あたしは心地好い睡魔の訪れを感じた――――



 気怠い眠りの底から戻って来た時、あたしは一人でベッドにいた。
 何とはなく、淋しい心地になる。
 天気の悪さで、あたりは薄闇のように暗い。
 ―――いったい何時なんだろう?
 のそのそと起き上がって着替えて、遅まきながら顔を洗う。
 鏡に写すと、かなり顔色が悪い。
 窓の外は、変わらない豪雨である。
 時間を見る限りは夕方なのだが、もう夜になっているという気がした。
 やっと空腹を訴えて来た身体に苦笑して、あたしは部屋を出る。
 いくらなんでも、もうガウリイの髪も乾いたろう。
 さっきのお礼と――まあ、お詫びも兼ねて、ネイムに会う前に、早い夕食で もおごってやろうか。

「ガウリイ?」
 ノックしても、返事がない。
「ガウリイ、寝てるの?」
 ―――違う。気配がない。
「…このひどい雨降りに、出掛けたっての??」
 あたしは呆れながら、仕方なく、階段の方へ向かおうとして―――

 どさっ!
 ガウリイの部屋の中からのいきなりな音に、跳び上がった。
「ガウリイ!?」
 ドアを叩くが、やはり返事はない。
 だけど、今度は気配がある。
「ガウリイ、ちょっと、ガウリイっ!」
 もうっ!
 こんな時に鍵なんて掛けてるんじゃないっ!
「『封除〈アンロック〉』っ!」
 ドアが開くと同時に、部屋に飛び込んだあたしが見たモノは―――
「ガウリイっ!!」
 床の上に、長身をくの字に曲げて横たわっている相棒の姿だった。

「ガウリイ! どうしたの? 大丈夫っ!?」
 駆け寄り、ゆすっても、ガウリイは返事をしない。
 身体を両腕で抱え込むようにして、かすかに震えている。
 顔には苦悶の表情とひどい脂汗が浮いていた。
「しっかりしてよ、ガウリイ!」
 あたしの必死の呼び掛けに、―――ようやく、薄目が開く。
「……リ……ナ……」
「ガウリイ! …どっか苦しいの?」
 苦痛に耐えるように、何度か目を閉じてから、やっとガウリイは答えた。
「……から…だ…が……、…バラ…バラに…なり…そう………、…ぐああっ …!」
 悲鳴を上げて、身体をさらに曲げる。
 握った両手に、すごい力がこもっているのが判った。
「わかったから、もう喋らないで。
 今すぐ医者を呼んで来るから、待ってて」
 あたしの細腕では、ガウリイの身体を支えるなんて芸当は出来ないので、『浮 遊』〈レビテーション〉を使って、ベッドに横たえる。
 ガウリイの苦痛は絶え間ないようだ。
 息が乱れて、弱々しい。
「行ってくるからね! もう少し頑張っててよ!」
 あたしは自分の部屋に取って返すと、魔血玉の呪符を身に付けると、そのまま 窓から飛び出した。


 増幅付きの『翔封界』〈レイウィング〉 で、先日の魔法医の診療所に駆け込むと、彼は少々難色 を示した。
「――また、結局なんでもない、とかじゃないんでしょうね?」
 こンのスットコ医者がっ!
 なんでもないのにこんなに焦って、増幅付きの『翔封界』まで使って、飛び込 んで来る奴がいるかっ!!
 しかし、ここでこいつをシメたら、ガウリイが大変になるだけである。
 あたしは心の中で目一杯ばとーすることで、何とか怒りを抑えた。
「ひどく苦しんでるんです! 
 とにかく早く診て下さいっ!!」
 あたしの殺気だった剣幕に説得されたのか、魔法医はしぶしぶ承知する。
 そして、あたしは悲鳴を上げて騒ぐ彼を、問答無用で、増幅付きの『翔封界』最大速度で宿まで連れ帰ったのだった。



「うーむ……」
 ガウリイを診終わった医者が、腕組みして考え込んでいる。
「どうなんですか?」
 あたしは後ろから覗き込んだ。
 ガウリイはさっきと変わらず、荒い息をして、時折苦痛に顔を歪めている。
「やっぱり、悪いトコはなさそうなんだが……」
「そんなバカなっ! 何でもなくて、こんなに苦しがりますかっ!!」
 つい大声で、くってかかってしまう。
「…いや。そうは言っても、外傷とか疾病とかは一切ないんですよ。
 ―――まあ、強いて言うなら、先日診た時より『気』がひどく弱くなってます から、―――そうですね、生体エネルギーをかなり消耗してると言いますか… …」
 あたしは絶句する。
 …まさか、それって……
「とりあえず、『復活』〈リザレクション〉をかけておきますから、ゆっくり静養すれば、元気にな ると思いますよ」
 魔法医の呪文を聞きながら、あたしは考え込んでいた。
 何の傷もなく、まして病いでもなしに、人間の生体エネルギーを消耗させられ る相手―――
 それは、たったひとつだけ。すなわち、魔に属するモノ。
 でも、もしガウリイが襲われたなら、あたしも気配で気付くはずだ。
 けれど、さっきは魔族どころか、ガウリイの気配さえも――――
 ――いや、奴等の中には、空間を操って結界を張れるモノもいる。
 そこに引き摺り込まれたら、こちらからは察知出来ない。
 もし、武器をとる間もなく、そんなのに襲われたんだとしたら――――
 あたしの背中を悪寒が走る。
 いくらガウリイが超一級の剣士といえど、丸腰で魔族にかなうはずはない。
 今日は運よく助かったかもしれないけど――――今度があったら?
 あたしが魔族に目を付けられている以上、いつも一緒に戦っているガウリイの 存在が、奴等に知られていないはずがない。
 ――もし、それで狙われたのだとしたら?



[つづく]



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