2.なつかしの かの人はまた 謎めいて(その5)
食器を戻して部屋に戻って来ると、ガウリイはベッドから片足を降ろしたままで、仰向けに転がって寝息をたてていた。
「…やれやれ。まるっきり大きな子供だわね」
あたしは苦笑して、毛布をかけてやる。
ガウリイの寝顔は、妙にあどけない。
「さて…、あたしはっと…」
自分の部屋から枕と毛布を持って来て、窓際にあるカウチタイプのソファに陣取る。
一度横になったものの、どうもそこからだと角度が悪くて、ガウリイの上半身がモロ死角になってしまう。
「…やっぱ、こりゃマズいよね…」
独り言を言いながら、ソファを移動させようとして―――
ずがらしゃんっ!
「なっ、なんだっ!?」
さすがに、超がつく一級剣士、これだけの音で目覚めるとはっ!って、誰でも起きるか。
――と、あたしは見事にひっくり返ったソファの下でツッこんでみたりして。
まだ時間帯が遅くないからいいけど、夜中なら、間違いなく苦情が来そうな状況だわ。
「……おい。何してんだ、おまえ……」
汗が一筋、という口調で、ガウリイが近寄って来る。
「いやー、ちょっとこのソファが、あたしと仲良くしたかったらしくって…」
――ソファの下でもがきながら、冗談言ってもサマにならんかしら。
「やれやれ…」
ガウリイは左手でソファを起こし、右手であたしを引っ張り上げる。
「ここで寝るつもりだったのか?」
「あたた…。言ったでしょ、今晩はあたしがガードするって」
あたしは、したたかに打った腰を擦りながら答えた。
「なら、おまえがベッドで寝ろよ。オレがこっちを使うから」
「何言ってんのよ!
病人からベッド取り上げるボディガードがいますかっ!」
「おまえだって、まだ具合悪いんだろ」
「そんなのもう平気だったら!
あんたこそ、まだ調子悪いんじゃない」
「…………」
ガウリイは腕を組んで、しばし考え込む。
「だから、さっさと…」
言いかけるあたしに、落ちた枕を拾って持たせる。
「は?」
次の瞬間、あたしはガウリイに抱き上げられていた。
「ち、ちょっと、ガウリイっ! な、な、なにすんのよっ!?」
「オレもおまえも不調で、一人でいると危ないんだろ?
だったら、一緒にベッドで寝るのが、一番いい方法じゃないか」
「あ、あ、あんたねぇっ!」
ろくな反論をする間もなく、ベッドに乗せられてしまった。
「ガウリイっ!」
降りようとするあたしの顔と、上って来るガウリイの顔が衝突しそうになる。
慌てて身を引いたあたしは、後ろにひっくり返って、かえってややこしいことになってしまう。
こちら側はほとんど壁際なので、降りて逃げるようなスペースはない。
「大丈夫だって。何にもしないから」
ブーツを脱ぎながら、彼が言う。
「何かされてたまりますかっ! あたしはまだ清い身なんですからねっ!」
両手で身体を抱いて叫ぶあたしに、ガウリイは笑った。
「安心してろ。オレは初めての女には手は出さないことにしてるから」
頬が真っ赤に染まる。
な、なんつーことを言うんだぁっ!
「だいたい、『保護者』がそんなことしてどうする」
ガウリイはそのまま、端の方に陣取って毛布を引っ張る。
あたしはといえば、そのまま硬直しているばかりで。
「ほら、入んないのか? そのままじゃ冷えるぞ」
毛布を半分持ち上げて、ガウリイが見ている。
あたしは、腹立たしいやら、悔しいやら、恥ずかしいやら、悲しいやらで、何だかもうぐちゃぐちゃで―――――
「リナ?」
「……も、毛布くらい、自分の使うわよ。ガウリイと半分っこじゃ、朝には何にも着てないじゃない」
そっぽを向いたあたしに、ガウリイの笑い声。
「そりゃそうだな」
とはいえ、とてもこの大男を越えて取りに行く気にはなれず、『浮遊』の応用で、毛布を取り寄せる。
「便利だな、相変わらず。頼りにしてるよ、ボディガードさん」
無邪気な笑みを浮かべて、ガウリイは毛布に潜った。
「…わかったから、おとなしく寝なさいって」
あたしは紅潮したままの頬を隠すように、毛布を被ったまま横になる。
「もっとくっついてもいいんだぞ。
後ろに落ちないか?」
「寝相はいいわよ。
あんたこそ、あたしを蹴飛ばしたりしないでね」
「努力する。おやすみ」
「おやすみ…」
――とは言ったものの、とても眠れるような気分ではない。
年頃の男女が―――その、同衾しとるというに、貞操の危機感とかいうものがまるでないってトコに、なんか情けないモノがある。
胸の中にたまった色々なモヤモヤが、あたしの目をいっそう冴えさせてしまう。
こっちの気も知らず、ガウリイはもうかすかに寝息を立て始めていた。
――何よ、もうっ。ヒトの気も知らないで―――
その『気』がいったい何なのか、あたしは自分でもよくわからなくなっている。
――ガウリイの無神経に腹が立つのか。
――こんな側で眠ることが恥ずかしいのか。
――彼の回りで起きている何かが不安なのか。
――『女』として見られていないことが悔しいのか。
――それとも―――???
ぽろっ。
「……あ、あれ……?」
自分でもまるっきり自覚なしに、頬につたってくるモノがあった。
そっと触れると、冷たい滴。
やだ。あたし―――泣いてんの? …なんで???
自分でも原因のわからない涙は、なかなか止められない。
やだやだやだっ。
なんでよぉ、こらあたしっ!
なんで泣くことなんてあるわけ???
はやく止まんなさいよっ!
「…うっ、ふっ…」
思わず漏れた声に、慌てて口を押さえても、時すでに遅し。
異様に感覚の鋭いあたしの相棒は、うっすら目を開けてしまう。
「…………」
こら!
何か信じられないモノを見てしまったような目で、見るんじゃないっ!
あたしは必死に隠そうと、悪足掻きをして毛布を被る。
「…どうしたんだ、リナ…?」
優しい声と同時に、大きな暖かい手が、あたしの髪を撫でて来た。
とっさに身体がびくりと震えてしまう。―――何か怖いわけでもないのに。
「……なんか、オレ、悪いこと言ったか?」
――そりゃ、こっちも訊きたいって…。
否定も肯定も出来ずに、あたしはただ黙っている。
「…ほんとに、何にもしたりしないから。…そんなに怖いのか?」
――違うって。…違う、けど、でも……。
やっぱりあたしは何も言えない。
「―――まさか…。…何かして欲しい、とか?」
あたしは思わず、カッとして枕を振り上げる。
「何考えてんのよ、あんたはっ!」
そのまま勢いで振り降ろそうとして――毛布に足元をとられ――あろうことか、まともにガウリイの上に、のしかかる格好になってしまった。
これには、当のあたしだけでなく、ガウリイも焦ったようだ。
間にあるのは毛布一枚きり、密着度まっくすである。
あたしはただもう頭真っ白状態で、そのまま固まってしまっているだけで。
ガウリイの方も、何もリアクションをしてこないままで。
沈黙の中、お互いの鼓動だけが、みょーに響き渡っているような錯覚に陥る。
どのくらい、そのままでいたんだろう――――?ガウリイの手が、そっと――意識させない位そっと、あたしの髪を撫でて来た。
優しく―――優しく。
なぜか、振り払おうという気は起きて来なかった。
それどころか―――、不思議な心地好さが広がるばかりで……。
いつの間にか、息苦しいような動悸は治まって―――、今まで感じたことのない、切ないような胸の痛みがとって替わっていた。
「――――落ち着いたか?」
そして、どこまでも優しいガウリイの声。
あたしは胸の疼きを抑えながら、小さく頷く。
ガウリイの返事は無かった。無くて―――
代わりに――、前髪を分けて、額に手が触れる。
反射的に顔を上げたあたしの目に、ガウリイの微笑みが飛び込んで来た。
それは、今まで目にしたことのない、穏やかな笑顔で―――。
胸の奥の疼きが、いっそう強くなる。
「……ガウ…リイ……」
声がかすれていた。
「―――リナ…」
ずきゅんっ。
うわああ。
な、何よ、この反応はっ?
ど、どうしちゃったのよっ!?
再び硬直したあたしに、苦笑するガウリイ。
へっ!?
うっ、うわおっ!?
顔が近付いて来たと思う間もなく――、額に一瞬、暖かな感触。
ちょ、ちょ、ちょっ、ちょっとぉっ!?
「さ、寝ようぜ」
まるで何ごとも無かったような声。
そうは言われても、い、い、今の…は…?
頬がどんどん熱くなってくるのを自覚する。
「――なあ…」
ほんの少し困ったような表情になったガウリイが、また口を開いた。
「こうしてるとあらためて感じるんだが―――」
「――なっ…、なに…よ…」
ようやくの思いで声を絞り出す。
「やっぱ、おまえ…、――胸、無いのな」
ぴききききいぃぃっ!
今までの動揺が、一気に怒りへと変わる。
「あんたねぇぇっ!!」
あたしの放ったパンチが、まともにガウリイの顔面に炸裂した。
「……ぐっ…」
彼は呻きを上げて、両手で押さえる。胸を―――え…!?
「ちょっと、ガウリイっ?」
ガウリイは苦悶の表情をあらわにして、身を震わせている。
その様子は、さっきのと同じで―――
「ガウリイ、しっかりしてっ! また苦しいの!?」
返事の代わりに、荒い吐息。
「待ってて! もう一回医者を呼んで来るから!」
身を翻してベッドから降りようとしたあたしの手を、大きな手が掴まえて来た。
「ガウリイ!?」
「―――だい…じょ…ぶ…だ―――」
「何言ってんの! そんなに…!」
ガウリイは青褪めた顔を上げた。
「もう……おさまって…きた…から……」
「ほ…、ほんと…に?」
「―――ああ…」
そう言われてしまうと、無理やり振りほどいて行く訳にもいかず―――。
「―――すまん…な…」
「話さなくっていいから。とにかく休んで」
「―――ああ…」
「もし治まらないようなら言ってよ?
医者を叩き起こしてでも、連れてくるから」
ガウリイがくすっと笑いを漏らす。
「…相変わ…らず……荒っぽい…な…」
「そんなコト言ってる場合じゃないでしょ?」
目を閉じたまま、苦笑のため息とも苦痛のせいとも判らない、深い息をつくガウリイ。
あたしはさっきベッドサイドに置きっ放しにしていたタオルで、額の汗を拭いてやろうとして――、まだ手を握られたままなのに気付く。
外させようと思ったけど――、時折こもる力が、ガウリイの忍耐を伝えて来るようで――、どうしても出来なかった。
何もしてやれない苛立ちと切なさが、無性に募って来る。
あたしに出来たのはただ、汗を拭いてやることと――、手を握り返してやることだけだった――――。
ざわざわざわ。
―――ほや?
――――あらま…いつの間にかうとうとしていたらしい。
窓の外に微かな喧騒を聞いて、あたしは目を覚ました。
―――何だろ…?
身体を起こすと、まだ手が握ったままだった。
少し迷ってからそっと外して、ガウリイの様子を確かめる。
疲れの色は濃いけど――、熱もなく、とりあえず落ち着いているようだ。
ほっと胸を撫でおろしながら、今度は窓の方に向かう。
昨日の豪雨は上がっているものの、路は水溜まりだらけでまだドロドロだった。
それを気にもせず、まだそんなに明るくないというのに、人々が集まって来て騒いでいる。
「ねー! 何かあったのー?」
窓から乗り出して声を掛けると、彼等が一斉にこちらを見上げ、中の一人が答えて来た。
「ああー! 一大事だって!
殺しさ! 街の中で人殺しがあったんだよ!」
「あらま…」
呟くあたしの後ろで、微かに動く気配がした。ガウリイも起きたのかな。
いくらあたしがごたごたに首を突っ込むのが大好きで、近頃は厄介ごとに巻き込まれまくるのが、ぜーんぜんっ嬉しくもないお約束になりつつあるとは言っても、小さな街の殺人事件とまでご縁にはなりたくない。
けど、その辺に人殺しが闊歩してて、落ち着いてゴハンも食べてられないってのも御免ではあるが。
「で? 犯人は捕まったの?」
あたしの問いに、今度は別なおっさんが答える。
「いーや。だがなぁ、すぐに見付かるんじゃねぇかなぁ…」
「犯人を目撃したヒトでもいるの?」
「そうじゃないが――、あんなにウデの立つ人を切れるなんて、そうそういやしねぇって」
不意に。
理屈でなく、あたしの全身に嫌な感覚が走った。
―――まさ…か…?
「だ、誰なの? 殺された人って…!」
その答えを聞くのが、ひどく恐ろしい気がした、が―――。
「それが、騎士団長さんらしいってんだよっ!」
一瞬、周囲の音が消え。
直後、すぐ後ろに緊張の気配がした。
誰かは見なくても判ったが、あたしは少しだけ振り返る。
目を見開いたガウリイの顔は、予想通り蒼白だった―――。