0『金糸の迷宮』8

2.なつかしの かの人はまた 謎めいて(その6)



「おい! おまえ等っ! 誰の許しを得て……!!」
「うっさいわねっ! 緊急事態なのよっ! とっとと通しなさいっ!!」
 領主の城で、あたしが門番と押し問答している間に、ガウリイはずんずん先へ進んで行ってしまう。
 いつもなら止め役になるはずの彼だが、滅多に見せたコトのない険しい表情のまま押し通って行く。
 しかし今日だけは、あたしもサポートに徹して、文句は言わない。
 ――ガウリイが今どんな気持ちでいるか、痛いほど判るから。
 きっと――、他にも士団長と呼ばれる人物がいて、被害者はそっちなんだと、ネイムにあの笑顔で迎えて欲しいと。
 あまりに虚しい期待なのは判っている。けれど、それは切望にも似て。
 どうしても自分の目で確かめずにはいられなかった――――。

 長い回廊を歩いて行くと、分岐に行き当たった。
 ガウリイが、どこかから駆け付けて来た騎士の襟首を掴んで迫る。
「ネイム隊長はどこにいる?」
 鬼気迫る形相にすっかり気圧された彼は、震える手で左側の廊下を指差した。
 放り出すようにして、再びガウリイが歩み出す。
 それを遮ろうと、どんどん騎士の群れが集まって来る。
 えええいっ! 邪魔だってーのっ!!
 あたしはなおも増えて来る連中に向かって、呪文を放った。
「『眠り』っ!!」
 さすがにケンカを売りに来た訳じゃないので、攻撃呪文は使えない。
 これ以上コトを荒立てたら、肝心の確認が出来なくなる恐れもある。
 ぱたぱたと寝こけた騎士達を乗り越え、あたしはガウリイの後を追った。

 突き当たりに程近い、一つの部屋のドアが開きっ放しになっていた。
 白い室内はおそらく、医務室の類いなのだろう。
 その中に――、立ち尽くす長い金髪の後ろ姿。
 ごくりと生唾を飲み込むと、あたしはゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れた。
 ――中心よりやや壁よりに据えられたベッドに、誰かが横たわっている。
 おそらくガウリイが剥いだのだろう。掛けられていたシーツがめくれていた。
 けれど、肝心の顔の部分は、彼の影になって見えない。
 あたしは相棒の横から、緩慢な動作で覗き込み―――
「―――――!」
 重い―――、容赦無い現実が、そこにあった。

 ネイムの表情には、微かに苦悶の彩〈いろ〉が残っている。
 わずかに覗く左肩に刻まれた、見事な位の切り口――、おそらくこれが致命傷になったんだろう。
 ――いったい、誰が…、何故…?
 あたしはそっとガウリイに視線を送る。
 長い前髪に隠されて表情は見えないけど、唇は堅く結ばれたままだ。
 ショルダー・ガードに覆われた肩が、微かに震えている。
 何も、言えない。言う言葉が見付からない。
 あまりに重すぎる沈黙。

 その重さに耐えかねた時、廊下から喧騒が近付いて来た。
 あたしはさっと部屋から出て、後ろ手にドアを静かに閉め、喧騒の主達を出迎えた。
「何者だ!? 貴様っ!」
「――静かにして。あたしはリナ=インバース。ネイムさんの知り合いよ」
 あたしは出来る限り、トーンを落とした声で言った。
「…何っ!?」
「いい加減なことを言うな! あの廊下の様相は何だっ!」
「無駄な手間を掛けたくなかっただけよ。
 もしここを襲撃するつもりなら、あんなまだるっこしいコトすると思う?」
「何だと!? いけしゃあしゃあとっ!!」
 血気にはやった奴等は、今にも切り掛かって来そうな勢いである。
 残念ながら今のあたしの機嫌は最悪だ。
 かかって来るなら、手加減なしだからね。
「――待って下さいっ!」
 やや後方にいた若い騎士が、他の騎士達を制した。
「彼女の言っていることは真実〈ほんとう〉です。
 昨日私は、士団長殿から『あのリナ=インバースに会った』と、確かにお聞きしました…!」
 おひ。その強調点、みょーに気にかかるぞっ。
「ええ。あたしの相棒が、彼の傭兵時代の部下だった縁で、ね」
「相棒だと?」
「そうよ。今中にいるわ。だから、――静かにして
 彼等とて、ガウリイの気持ちは察せられるのだろう。
 一同は沈黙した。
「心配しなくても、気が済んだら勝手に出ていくから。
 ――それから…、誰か、状況の説明をしてもらえる?」
「―――よかろう…」
 彼等の中では一番の年長らしい、中年の騎士が残ってくれた。

 重い雰囲気の満ちる廊下で、彼は低い声で話し出す。
「―――発見されたのは、夜明け前のことだ。
 仕事場に向かうパン職人が、側溝に俯せに浮いている人間に気付いて――」
「――溺死だったの? 切られたのが致命傷じゃなくて?」
「いや。
 傷は正面から左肩に入って、一刀の元に切られている。
 ほとんど即死だったろう。
 おそらく、その後で放り込んだに違いない…」
「――物取り?」
「財布などはそのまま残っていたから、そうではなかろう。
 怨恨か、あるいは何らかの事件に巻き込まれたか―――」
「――ネイムさんって、そんなにヒトの恨みを買ってたわけ?」
 あたしの指摘に、騎士は苦笑いを浮かべる。
「あの人柄だ。個人的な原因ではないとは思うが―――。
 何せ、異例の出世を遂げた御仁だからな。
 その面ではどこからか恨まれたり、妬まれたりしていても不思議ない…」
 確かに。
 他人の幸福を素直に喜べない根性曲りが、世の中には大勢いるもんね。
「――でも、彼ってかなりの腕だったんでしょ?」
「ああ。この騎士団においては、文句なく一番だ。
 それも、ただ技量だけでなく、戦術家としてもな」
 そうだろう。
 傭兵を束ねる役などを長年やって来た以上、実戦経験や戦闘に関する知識は、単なる訓練を受けたけの騎士達とは比べ物になるまい。
 まして、あのガウリイが褒める位だ。生半可な腕じゃなかったと考えるのが妥当だろう。
「ネイムさんの剣に、戦闘の跡はあった?」
 この問いに、彼は一瞬躊躇した。
「―――なかった。
 それどころか―――、抜刀すらしてなかったんだ…」
「――――― !?」
 歴戦の戦士が剣を抜く暇もなく、一刀で切り殺された!?
 あたしの背筋に、寒気が走った。
 尋常な話ではない。
 超一流の腕を持つガウリイですら、そんなコトは不可能だろう―――。
 ガウリイのことを考えて、いきなり思い出したことがあった。
「―――ね、ねえ。昨日、ネイムさんは、仕事だったの?」
 突然の方向転換にやや戸惑いながらも、騎士は律義に答えてくれる。
「ああ。夕方まできっちりと」
「その時、何か言ってなかった?
 そうじゃなきゃ、何か持ってなかった?」
 少々の間。
「私は帰り際には会っとらんから―――。
 …だが、確か、昨日は午後から予定を変えて、古い書類の整理か何かしていたな……」
 それだ。
 おそらく彼はあたしに見てくれと言った、『例の書類』を探していたに違いない。
 もし、『それ』をネイムが持って出たとしたら――、いったい何処へ行ったんだ!?
「さっき、持ち物は残ってたって言ったわよね。
 その中に、――書類みたいなのはなかった?」
「うーん……、身に付けて無かったと思うが…。
 もしも、手にでも持っていたとしても、あの様相ではどこかに流れたか、どこぞに落ちているか――、いずれにしても実際の現場が判らない以上、探しようはないだろう…」
 がっくし。
「―――そう…ね」
「それがどうかしたのか?」
 訝しげに見つめる騎士を、笑ってごまかす。
「大したことないのよ。傭兵仕事の情報をもらう約束してたから――、どうなってたのかなーって思っただけ」
「残念だな。まあ、それが原因で――、なんてことはなかろうしな…」
 へ? それって…
 がちゃり。
 ゆっくりと室内からガウリイが出てきた。
 少し俯いたままの顔は、蒼白なままで―――。
「―――帰るぞ―――」
 虚ろな声が漏れた。
「…わかったわ。――色々ありがと、おっちゃん」
 中年の騎士は、黙って頷いた。
 ガウリイの焦燥ぶりに、気を使ってくれたのだろうか。――彼もまた、悲しんでいるからこそ…。

 無言のまま廊下を戻って行くあたし達を、騎士達が遠巻きに見ていた。
 けれど、声を掛けて来る者も止める者も、誰一人としておらず―――、廊下には足音だけがやたらと響いている。
 ―――その時。
 突然、奥にある正面の扉が開いて、女の人が駆け込んで来た。
 明らかに動揺した様子で、あたし達の方へ小走りに近付いて来る。
 片腕には赤ちゃんを抱き、もう片方の手は小さな男の子の手を握っていた。
 年の頃なら二十歳すぎだろうか。
「急いで、ほら…!」
 男の子を促しながら、必死に先を急ぐ。
 擦れ違う刹那。
 綺麗な顔に浮かんだ悲壮な表情と、水色の瞳に浮かんだ涙が見えた。
 そして、名残のようになびき過ぎて行く、艶やかな黒髪。
 ――――判ってしまった。
 彼女が誰なのか。
 あの子達が誰なのか。
 さらに―――、これから起こること――も。
 ガウリイも同様なのだろう。
 走り去る彼女の姿を、一瞬視線で追い――、すぐに背ける。
 あたし達は何も言えなかった。
 ただ無言で歩みを進め。
 重い扉に手を掛けた瞬間――、背後から悲鳴に似た叫びと号泣が響いてきた。
 判っていたとは言え、やはり実際に耳にすると、―――辛い。
 目を閉じて立ち止まってしまったあたしを促すように、ガウリイは手で背中を押し、扉を開けた。
 昨日の豪雨が嘘のように、空は晴れ渡って眩しい。
 そう。
 外はまったくの別世界過ぎて――――、まるで、城の中で何か悪い夢でも見 て来たような気がした。


 宿に戻って来てからも、ガウリイは一言も口をきかなかった。
 ベッドに深く腰掛けて、少し前に屈むような格好のまま、身動ぎもしない。
 あたしはといえば、やはりベッドの上の少し離れた所に座っている。
 別に隣に座りたかったんじゃないけど、ソファなどに陣取れば、真正面から彼と向き合う格好になってしまう。今それは勘弁して欲しい。
 だからと言って、自分の部屋に引き上げて、ガウリイを一人にも出来なかった。
 ――あ、一人になったからって、彼が何かよからぬコトに走るとかゆー心配をしてる訳ではないぞ。
 あたしの相棒は、そんなにヤワじゃないって。
 だけど―――、だからこそ。
 初めて見るこんなに落ち込んでいるガウリイを、どうしても放っておけなくて。
 たとえ、具体的には何もしてやれなくても―――ね…。

 何もしなくてもお腹はすく。
 これは真理。
 で、我慢するのは何〈なん〉にもイイことなどありゃしない。
 と、なれば。
「ガウリイ」
 あたしの声に、ゆっくりと顔を上げるガウリイ。
「ごはん持ってくるわ。何がいい?」
 びっくりした表情になっている顔に、ずずいっと迫る。
「『いらない』なんて選択は却下だからね。
 人間、お腹が空いたら、体力も無くなるし、気力も落ちる。
 そんなまんまじゃ、考え方だって、どんどんどんと後ろ向きになってくモノよっ!
 とりあえず、ずーんとするのは、食事が終わるまで中止なさいっ!
 いいわねっ!?」
 一気に捲し立てるあたしの剣幕に、目を見開いて戸惑ったような顔をしていたガウリイは、――やがて、苦笑を浮かべた。
 そして、あたしの髪をくしゃっと撫でて―――、
「―――頼むな」
 静かな声で言った。

 食事を運び、済ませて、片付けて―――。
 一連の『中断作業』が終わった後、ガウリイはまた默座の体制に戻っていた。
 あたしもまた、隣――今度は少し近く――に腰を降ろす。
 ややしばらくの間があって――、不意に、右肩に重みが掛かって来た。
 はへっ?
 それから、ほんのりとした温もりと―――、頬をくすぐる髪の感触。
 視界の端の金色。
 うひゃわぁっ?
 ガ、ガウリイ、もしかして、あたしにもたれかかって来てる?
 まさか、うたた寝でもしてんじゃないでしょーねっ!?
 ―――ち、違…う……か…。
 で、で、でも、あたしにどーしろとっ?
 状況をすっかり逸して、らしくなく戸惑うあたし。
 けれど、ガウリイはあくまでも静かで――重く、口を開いた。
「―――親父――みたいな…人だった―――」
 あたしの混乱が一気に鎮まって行く。
「―――戦いの時も―――、そうでない時も―――、まだ――ガキだったオレの面倒を―――、色々見てくれて―――」
 一緒に旅するようになってから結構になるけど、ガウリイが自分のコトを語ったのはほとんど無いと言っても等しい。
 まあ、この脳スライムな御仁のこと。単に、話そうにも忘れてるだけって可能性は大ありなのだが―――、今は超が付く程しりあすなシーンなのだ。虚しいツッコみは置いとこう。
「―――何度も――、助けてもらって―――」
「―――――大事なヒト、だったんだ―――ね」
 あたしも密やかに言葉を紡ぐ。
 ガウリイの身体が、ぴくり、と動いた。
「―――ああ…」
 少しの間。
「―――あたしも…、ネイムさん―――好きだったよ。
 あのヒト―――、あんたのコト――、とっても心配――してた……」
 これは多分真実〈ほんとう〉
 ネイムが『光の剣』の一件を調べ続けていたのは、おそらくガウリイのコトが気がかりだったから。行く末が案じられたからだろう。
 身内でもない者を、それほど心配してくれる存在には、人間そうそう出会えるモンじゃない。
 まして、次は敵として相見〈まみ〉えることすらある傭兵の世界では、特に―――。
「――――――――――」
 ガウリイの身体が、微かに震えている。
 あたしは―――、そっと、ごく自然に彼の頭を抱いていた。
 少し驚いたような反応の後―――、肩口に顔を埋めてくるガウリイ。
 ――ネイムの危惧が何だったのか。
 ――あの女は何者なのか。
 ――彼の身に何事が起きているのか。
 ――今はまだ全然判らない。
 ―――けれど…
「――――なよ……」
 消え入りそうな微かな声に、あたしは思わず問い返す。
「え? 何…?」
 一瞬の沈黙の後、噛み締めるような囁き。
「―――おまえは―――、どこにも―――いく―――なよ――――」
 …………………
 胸が―――痛い。
 切なくて、痛い。
「――――いかないわよ―――。
 ずっと―――緒に――旅するって――――言ったじゃない…」
 突然、身体が揺れて、風景がスライドした。
 めまいでもしたのかと思った瞬間、あたしはガウリイに抱きしめられていた―――。

 強い抱擁。
 それはまるで――、決して逃〈のが〉すまい、離れまいというように―――。
 その想いがあまりに切実で―――、振りほどこうという考えさえ起きなくて。
 あたしは真実に自然に、彼を抱き返していた―――。
「―――大丈夫よ…。安心して―――。どこにもいかないから―――」
 耳元で、消え入りそうな嗚咽が聞こえた。
 震える身体が、やるせなさをいっそう募らせて―――。
 ガウリイを抱き直すように、そっと頬擦りする。
 応えるように、腕に力がこもって来た。
「―――あたし達が一緒にいる限り―――、怖いモンなんてないんだから…」
 次第に沸き上がって来る自分の想いに、不思議と照れはなかった。
 理屈も計算も何もなく―――ただ、あたしは思っていた。
 ――これから何が起こっても、ガウリイを――護ってみせる。
 たとえ―――どんな者が相手であっても―――と。

 穏やかな一刻〈ひととき〉は、無粋な足音の乱入で、強制終了させられた。
 そして、荒っぽいノック。
「―――リナ…」
 あたしはうなずいて、ガウリイの腕から抜ける。
『早く開けろ!』
 やたらと高圧で高飛車なダミ声が怒鳴っているが、もちろんあたしがそんなモノでビビるはずもなし。
「それで、『はい、そうですか』なんて開けると思ってるわけ?」
『な、何だとっ!?』
「開けさせたかったら、ちゃんと要件と身分を明かすのね」
 どかっ!
 腹立ち紛れに、ドアを蹴ったらしい。
 短気な奴じゃ。
『――――私は騎士団副団長の一人、ジェンだ。ネイム士団長の件で話が聞きたい』
 ほぉ。
 ガウリイを振り返ると、頷きが返って来た。
 あたしは前振りもなく、いきなり扉を開ける。
 案の定、勢いを殺がれた顔をしている一群。
「どうぞ。副団長殿」
 憮然と大股で入って来るおやぢに続こうとするその他大勢を、遮るあたし。
「な、何のつもりだ!?」
「話を聞きたいだけなら、あなた一人で十分でしょ?
 尋問じゃあるまいし、ぞろぞろと大挙して、ヒトの部屋に入らないでもらいたいわ」
 実際、ただの聞き込みなら、人数が多すぎる。これじゃまるで――――
「その通りだ。
 リナ=インバースとその仲間! ネイム士団長殺害の容疑で、身柄を拘束する!」
「ぬぁんですってぇぇぇぇっ!?」


[つづく]




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