1『金糸の迷宮』0

3.よしてくれ 厄介事の 大安売り(その2)



 宿に戻ったあたし達は、主人にも礼を言った。
「いやいや。大変だったね。で、ちゃんと無罪放免になったのかい?」
「まあ、ね。でも、真犯人が見付かるまで、足留めくらっちゃったわ」
「そうか――。それにしても、物騒な話だなぁ」
「まったく、ね」
 あたしは適当にあいづちをうちながら、階段を無言で上がって行くガウリイを追う。

「――どうした?」
 ドアを開けたガウリイは、続いて部屋に入ろうとしたあたしを、不思議そうに振り返った。
「あのねぇ、あんたのこったから、すーっかり忘れてるんでしょうけど。
 あたしの部屋の毛布、こっちに置きっ放しなのよ。
 今晩、毛布無しで寝ろってんじゃないでしょうねっ?」
 ガウリイはちょっと考え込んで―――、ほんのちょっぴり頬を染めた。
 はう…?
「そ、そっか。そーだったっけ。悪りぃ」
 いつもと変わらないことをぬかしながらも、急に機敏な動きになったかと思うと、ベッドから毛布を放り投げる。
「わぷっ!」
 薄暗い部屋の中から、殺気や怪しさ丸出しの連中に襲われるならまだしも、いきなし毛布に強襲されて、受け止められる奴がおるかいっ!
 あたしはその勢いのまま、後ろあたまをドアにぶつけた。
 ぐあっつんっ!
「お、おいっ、リナっ! だ、大丈夫かっ!?」
 っつたぁーっ。
 足の速さならケダモン並みのガウリイは、あたしが立ち直る前に、すぐ前に駆け寄ってきていた。
 そして、じんじんいってるあたしの後頭部を覗き込むようにして、その大きな手で擦り始め―――いきおいあたしの身体は前に引っ張られる格好になり―――。
「すまん、――コブにはなってないみたいだな」
 …ちょっと待て。
 ガ、ガウリイ、き、気付いてるのかっ!?
 これって………、これって………、傍目には、『抱き寄せてる』構図と言うのでは…?
 抱きしめ―――はっっ。
 いきなり、昼間の抱擁がまざまざと甦った。
 そ、そーよね、これは、要はー、あれと同じでー、ただの――― 
 どっくん。
 おわっ?
 な、なにゆえ、こんなに心臓の脈動が?
 あ、そっか頭打ちつけたから――、きっとさっきの酒の酔いがまだ残ってるんで、やたら響くんだな。
 そうだ、そうに違いないって。
 ―――でも、そうなら、どうしてこんなに息苦しいんだろ……?
 どっくん、どっくん。
 頭に響く脈動が、しだいに胸の鼓動と重なって行く。
 鼻腔一杯にガウリイのお日様のような匂いが満ちて行く。
 きぃぃぃぃぃんっ……!
 まるで金属をこすったような高い音。
 ―――これは―――なに?
 アタマの中が沸騰してくみたい。
 考えがまとまらない。
 ―――なに――が―――おきて―――る――の―――?
 あたしの目の前に広がるガウリイの服の色が、ぼやけて行く。
 そして、意識そのものが、のぼせたように、白に飲み込まれて―――



「――――ナ、リナ? おい、リナ!」
 はへ?
 うはあっ!!
 我に返ったあたしは、ガウリイの心配そうな表情のどアップに身を引こうとした。
 が、何かに遮られたように、身体はちーっとも下がっちゃーいない。
 それもそのはずだ。そもそも重力の方向が違う。
 薄暗い獣油の明りでも判った。
 あたしは、ベッドに寝かされているらしい。

「―――ガウ…リイ…?」
 あたしの声に、ガウリイは思いっ切り深々と息をついた。
「―――よかったぁ……」
「……何が?」
 ベッドに半分乗り上がっていたようで、軋ませながら身を起こすガウリイ。
「おまえドアで頭打って、立ったまま気を失ってたんだぞ。
 ――頭痛くないか? 気分悪くないか?」
「―――うん、別に…」
 起きようとすると、押し止められる。
「無理すんなって。今晩はこのまま寝ろ」
 なんですとぉ!?
「ち、ちょっ、ちょっと…! あ、あんたはどうすんのよっ!?」
「だから、起きるなってば。
 オレがおまえの部屋で寝ればいいだろ?」
 ――はあ。
 脳活動が休止してんのかと思えば、ヘンなトコで頭が回る奴だね。
「……いい…けど……」
 まだぼおっとしたままで答えたあたしの額に、ガウリイの大きな手が触れる。
 うあ?
「顔が赤いぞ。熱でもあるんじゃないのか?
 医者、呼ぶか?」
「――な、ないってばっ。そんなに心配しないでよ、病人じゃないんだから」
「そっか? 無理すんなよ」
 心配そうに言いながらも、手ははずれない。
 その感触に、あたしはさっきのコトを思い出して、いっそう赤くなってしまう。
 焦りのあまり、つい口調がつっけんどんになり―――
「――あ、あんたこそ、具合悪いんでしょう?
 明日もまた聞き込みしなきゃいけないんだから、さっさと寝なさいよ!」
 状態は変わらないまま、少しだけ沈黙があった。
 あたしはいたたまれなさに、いっそう焦る。
「―――だ、な」
 息を抜くような呟きと共に手が離れ、あたしが顔を上げると、ガウリイはもう背を向けていた。
 あたしは―――まるで、すがりついてきていた頼りない子供を――突き放してしまったような感覚に陥る。
「―――ガウ…リイ?」
 あたしの小さな呼び掛けに、わずかに振り返った。
 けれど、薄暗くて表情がよく見えない。
 思わず、『明り』で確かめたい衝動に駆られ―――。
「おやすみ」
 一言だけ残して、ガウリイがドアに向かう。
 その淋しげな響きが、重い事実の痛みを引き戻す。
「……ガウリイ!」
 意識しないまま、あたしは呼び止めていた。
 今度はちゃんと振り返ってくれたが、やはり表情は判らないままで―――。
「……どうした?」
 囁くような声。
 白状すると、何の用もないのだ。
 自分でもどうしてそうしたのか判らない。
 ――でも、何か言わないと……!
「…リナ?」
 促すような声。
「あ、あ、あの、あの…ね」
「うん?」
「…………その……ネイム…さんの…こと……」
 微かに、ガウリイの身体が揺れた。
「―――あまり…思い詰めないで――って言っても無理…だろうけど―――その……」
 自分でもまだるっこしくなるほど、言葉が出てこない。
 軽く流してしまうには、あの光景は―――重すぎる。
 あたしの沈黙を遮るように、半ば闇に溶けたガウリイが静かに口を開いた。
「―――オレは……大丈夫だ。
 ―――おまえが一緒にいてくれるんだから、な」
 一瞬、混乱の増幅。
 切なさ? 嬉しさ? 保護欲? 哀しさ? 
 ――ああっ、もうわかんないっ!
 とっさに返事が出来ないあたしに、さらにガウリイの声。
「そうだろ?」
 念を押すというよりは――確かめるようなニュアンス。
 あたしは――ゆっくりと深く息をして、混乱している自分にも言い聞かせるように答えた。
「―――そう、ね…」
 どうしてだろう。
 なぜこんなに胸の奥が騒ぐんだろう?
 ガウリイの口の端に、微かに笑みが浮かんだように見えた。
「―――だから、あんまり心配すんなって」
 だけど―――。
 あんたが悲しんでいるのは、十分判っているから。
 あんたの哀しみを代わってやるコトは出来ないから。
 今あたしに出来るのは―――
「――ガウリイ」
「…ん?」
「―――もし――そう、もし、何か変わったことあったら、すぐ呼びなさいよ」
 やっとの思いで、何とか無難なコトを口にする。
「――そりゃあ、おまえの方だろ?」
 苦笑混じりの声。
「――そ、それ…もある…けど」
 あああっ、もー、こんな時に茶化すんぢゃないっ!
「―――なら、こうしようぜ。
 こことおまえの部屋は、ベッドが壁を挟んで隣合ってる。
 何かあったら、壁を叩いて呼ぶ。
 それなら――いいだろ?」
「―――あ……、…う…んっ……」 
 ちょっとびっくり。
 いつの間に、そんな知恵がついたんだ、ガウリイ?
「じゃあ、寝るぞ」
「うん、―――おや…すみ」
「ああ」
 ドアが静かに閉じられて、足音に続く隣のドアの開閉音。
 その後の音は、闇に沈んでしまった。
 あたしは深々とため息。
 今までこんなに自分が判らないのは初めてだった。
 どんな時でも、あたしはあたしで。
 いつでも、ちゃんと自分のしたいコトは判っていた。
 なのに、どうして、こんなに混乱しているんだろう?
 そして―――。
 ガウリイと会話していて、何となく気付いてしまった。
 とっても信じられないことなのだが――― 
 さっき、あたしが気を失っていたのは―――、外的要因の『脳しんとう』ではなくて―――、平たく言う処の『放心』していたんじゃないかと――思う。
 そりゃ多分、アタマを打ち付けたコトも起因しているんだろうし、…何か色々あったようななかったような気もしないでもない…けど―――、大部分の原因は――、いわゆる。
 テンションが上がり過ぎて、ホワイト・アウトしちゃったということではあるまいか。
 何で―――かと言うと――、うおわあああっ!
 あたしは、具体的な言葉にすることへのあまりの照れくささに、ベッドに倒れ込んだ。
 ぐわっっ!
 てててっ。
 ぶつかっちまったい……おお?
 いきなり、けたたましい足音と共にドアが勢いよく開く音がしたかと思うと、ガウリイが駆け込んで来た。
「どうした!? リナっ!!」
 あまりの反応の良さに、あたしはぼーぜんとするしかない。
「リナ!?」
 ドアも閉めずに、ずかずかと大股で近付いて来る。
「おい、リナ! 大丈夫なのか!?」
 薄闇の中から、心底心配そうな表情が見えて、よーやくあたしは我に返った。
「―――あ、ああ。な、なんでもない。ごめん」
「だけど、呼んだろ?」
「ち、違うんだって。ただ、偶然手がぶつかっちゃっただけ」
「ほんとうに?」
 あたしはこっくりとうなずく。
「ホントに。…ごめんね」
 ガウリイは困惑した顔をしてから、少しだけ微笑んだ。
「たぁく」
 軽くこぶしで、あたしの頭を小突く。
「―――あ、あのさっ。合図は2回にしない?
 あんたも寝返りうったりするだろーし……。
 そのたんびに行ったり来たりしてたら――、お互い寝てるヒマ…ないじゃない?」
「―――そう、だな」
 何だか妙に照れくさそうな笑顔になるガウリイ。
 あたしもつられて苦笑していた。


 ガウリイが部屋に戻ってから、またしばらく。
 あたしは寝付かれずに、やたらとモノ淋しい気分になっていた。
 寝返りをうち、壁を眺め―――
 この向こうに、真実〈ホント〉にガウリイがいるのかな……。
 ふと、意味のないコトを考えてしまって、自戒しながら毛布をかぶる。
 でも――― 

 そっと、壁に手を触れ――軽く叩いてみる。
 ―――――――――――― 
 ため息をついて苦笑。
 そうだよね。
 あのガウリイのことだ。もうぐっすりだよね。

 こん…

 ――へ…?
 い、今のって…?
 あたしは半ば焦り、半ば期待で、もう一度同じことをくりかえす。
 こつん。
 今度はすぐに応えがあった。
 胸の中に、不思議な暖かさと安堵感が広がって行く。
 昨晩〈ゆうべ〉、手を握ってうたた寝していた時より、余程側にいる気がした―――。



 その安堵感か、あるいは酒のせいか、何とか久々に深い眠りを享受出来たようである。
 気分は重いけど、身体はすっきり。
 身支度をすませて、ガウリイの――もとい、あたしの部屋をノック。
 しーん。
 あれ? 気配がない。
 ―――まさか、また倒れてるんじゃないでしょうねっ!?
 勝手に肥大する不安の暴走を抑え。
 呪文で鍵を開いて入り込むと――、予想に反して、そこには誰もいなかった。
 胸甲冑と斬妖剣もない。
 ――と、言うことは。

 階段を駆け降りて、宿のおっちゃんに聞くと、案の定なお答え。
「ああ、あんたのお連れの剣士さんなら、朝早く出掛けてったよ。
 伝言あずかって、書いて――あ、これだ」
 おっちゃんは壁に張ってあった紙を取って、渡してくれた。
 ちょっと油染みの出来たメモには―――
『先に出掛ける。おまえはゆっくり来ればいいからな。ガウリイ』
「――出てったのは、いつ頃?」
「うーん、俺が仕込みしてる時だったからなぁ、夜明け位か…」
 そんなに早くじゃ、今からじゃ追い付かない、か―――。
 あたしは大きくため息をついてから、朝食を頼んで席についた。
 ――多分、ガウリイは寝ていないんじゃないだろうか。
 いくらオーガの体力を誇るとはいえ、倒れた後だ、無理しないに越したことはないのに―――。
 たぁく、あのバカはっ。


 朝食を待つ間。食べながら。昨日の情報を整理してみる。
 雑多な情報も多いけど、重要なのは幾つかに絞りこめる。
 まず、ネイムの対人関係は、概ね良好だったこと。
 あの人柄だから、特に一般人には好かれていたようだ。
 ただ、異例の出世とヨソ者ということを気に入らなかった連中がいるのは、間違いない。
 何かの謀略があったとしたら、出所はそのあたりだろう。
 それから、彼の腕は破格だったこと。
 街の人々の話を、少し割り引いて考えたとしても、無双の存在だったようだ。
 その上、戦略家としても優秀で、騎士団長まで取り立てる直接の原因になった戦では、彼の指揮でほとんど敗北寸前だった形勢を、見事にひっくり返したらしい。
 このあたりから見るなら、その時の敵国の差し金で暗殺、というところか―――。
 あとは――、奥さん絡みのこと。
 あの美人の奥さんは、実はけっこーイイ家のお嬢らしい。
 まあ、夫婦の馴れ初めなんて、他人の話はアテにならないから考えないとしても、横恋慕か、あるいは金持ち階級の確執か。
 そして――、これはあくまで推測。
 魔族―――の暗躍。
 これに関しては何の根拠もない。
 だいたいこんな街の真ん中に、魔族やそれに属するモノが、そうそう簡単に出現するものじゃない。――まあ、何か企みがあれば別だけど。
 けれど。
 とーってもイヤな話だが。
 あたしとガウリイはどーもそのテの話に縁がある。あり過ぎる。
 もしかして、その辺のせいで、ネイムが巻き込まれたとし・た・ら?
 剣の格好をしている魔族なんかもいるくらいである。
 傷が剣の切り口だったからって、真実〈ほんと〉に剣で切られたとは限らない。
 それすらも、魔族の策略かもしれないのだ。
 はああああ……っ。
 また、大きなため息。
 その予想を、あくまで突飛な杞憂だと一蹴するのはたやすい。
 ―――しかし、ここしばらくのけったいなコトの連続は、またあたし等がミョーなコトに巻き込まれているということではあるまいか。
 ただ、一つだけ、いつもと違うのは―――。
 奴等の狙いが、あたしではなく、ガウリイではないかということで……。
 そう考えて、背中に冷水を浴びせられたような寒気がくる。
 そもそも、何故ガウリイなんだ?
 彼等にとって、何か利用価値があるから?
 それとも――、あたしに対する牽制か企みの一環か?
 ―――――――――――――。
 ―――――判らない。
 判っているのは、ただ。
 ただ―――

 そこまで考えた処で食事が終わった。
 朝食がすんだのに、いつまでもだらだらしているいわれはない。
 ガウリイのこったから、昨日の続きなんて気の利いたやり方なんぞしておるまい。
 ――なので、あたしはそこから聞き込みを始めることにして、宿の前の通りをそちらへ歩き出す。
 お腹はくちたというのに、気分の重さは変わらない。
 得体の知れない不安に確かめる術も無く同居されるのは、いくら厄介ごとにいつも無闇になつかれるあたしとはいえ、楽しいもんじゃーない。
 まして、その狙いが当人でなく周囲に降りかかってくるっつーなら、なおのこと。
 さっさと事態がはっきりして、ドンパチやっちゃった方が、よーっぽど気分的には楽に違いない。
 けど、今の状態では、モヤモヤをどこにぶつけたらいーのやら。
 あー、ストレスたまりまくるっ!



[つづく]




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