1『金糸の迷宮』1

3.よしてくれ 厄介事の 大安売り(その3)



 昨日ほどの騒ぎにはなっていないが、事件の驚きが治まって来た分、今度は犯人は誰なのかとか、物騒な状況だということに、話題が移りつつあるようだ。
 確かに、あの腕自慢のネイムを一撃の元に切り倒した奴が、その辺にそ知らぬ顔で闊歩しているかもしれないとなれば、落ち着かなくなるのも当然だろう。
 もちろん――この事件とガウリイが絡みの不可解がもし無関係だとしても ――ここまで首を突っ込んだあたしやガウリイが狙われる可能性は十分にある。
 犯人の目星が付かない以上は、やっぱり単独行動は避けるに越したことはなかろう。
 事件の情報を集めながら、同時にガウリイのことも訊いてみる。
 何度かそれを繰り返したが、一向にガウリイの動向が判らない。
 ――ええいっ! あの脳ゼリーはいったいどこを調べとるんじゃいっ!!
 いつもだったら、どこぞの誰かをてきとーに犯人にでっちあげてーとか言うこともアリなのだが、さすがに今回はそういうわけにはいくまい。


 腹立ち紛れも手伝って、むやみに聞き回っていたら、お腹が休憩を主張してきた。
 ガウリイのおバカはまだ見付からないけど、しゃーない、どっかでお昼すっか。
 あたしは大通りの十字路で、メシ屋を探して視線を巡らせ―――。
 あれ?
 いったん通り過ぎた視線を、戻す。
 やや遠めの通りの先には―――、見慣れた姿がひとり。
 考える間もなくあたしは走り出していた。

 目標物はいつものカンの良さで、こちらを振り向く。
「よ……」
 手を上げ、にっこり微笑もうとした顔に、渾身のストレート!
 ごぎゅわっ!
 おっしゃーっ! 決まったぁ!
 見事にポーズを決めて着地したあたしに、ガウリイの抗議の声が降り注ぐ。
「いきなり何すんだぁっ!!」
「なにが何よっ! それがヒトを置き去りにした奴のセリフっ!?」
「置き去りになんかしてないだろっ!?
 おまえが寝てるから、先に出て来ただけだろーがっ!!」
「なら起こせばいいぢゃないっ!
 『離れるな』なんて言ったくせに、自分から『離れる』のはいいってゆーわけ!?」
「そんなんじゃないって!!
 だいいち、それとこれとは意味が違うだろうがっ!」
「どう違うって言うのよ!
 説明してみなさいよっ!!」
 ぴゅーぴゅーっ!
 いきなり乱入してきた口笛に、あたしは我に還った。
「よーよー! まっ昼間から、往来でお熱いねーっ!!」
 はっっ!?
 あんちゃんの冷やかしに、辺りを見回すと、いつの間にか野次馬の群れ。
 衆目を浴びるのなんざは日常茶飯事であるが、今回はちょいと趣〈おもむき〉が違う。
 いつものは大体、驚きだの恐れだのの類いが多いもんだけど、ここにあるのはあきらかに好奇の目。
「え? あ?」
 ガウリイは赤くなってはいるが、事態の掌握が出来ているのかいないのか。
「あんまり、見せつけないでくれよー、独り身にゃー辛いぜー!」
 別な野次に、どっと笑いが起きる。
 その声に、一気に頭に血が上った。
「『爆裂陣』っ!!」
 あたしの一撃で、野次馬達はいとも速やかに散会したのだった。


 これ以上人集めしても仕方ないので、さっきの場所から通りを二つ程挟んだメシ屋で、あたしとガウリイは昼食になだれこんでいた。
 ただし、あれからお互いにほとんど口をきいていない。
 無論、怒っているのもある。
 けれど、この血の上り方は――それだけじゃあなさそう――で。
 ――――つまり…、思いっ切りバツが悪いのだ。
 野次馬が痴話喧嘩と思ったのも仕方ない。
 さっき、勢いで口走ったコトを思い出すと、のたうちまわりたくなる。
 あたしは照れくささのあまり、だむっ! とハムステーキにナイフをぶっ刺した。
 それを見たガウリイが、大きくため息を一つ。
「―――オレが悪かったから、いいかげんに機嫌直せよ。
 まさか、お前がそんな意味にとってたとは思わなくて―――」
 言いかけた言葉が止まる。
 自分を見つめる、あたしの――おそらくは固まった――顔を見て。
 気まずさまっくすの沈黙。
 どちらも言葉が出ない。
 困っている。
 何・に?
 とっても困っている。
 どうし・て?
 突き立てたナイフを握ったままの手が、いつの間にかかすかに震えていた。
 その意味にも気付けずに―――。


 呪縛を解いたのは、ざわめきと人々の動き。
 メシ屋にいた人達も、ぱらぱらと外へと出て行く。
 ガウリイが、何かに気付いたように立ち上がる。
 あたしは一瞬脱力して――、遠くから近付いて来る音に気付いた。
 これは――――
 駆け出して行ったガウリイを追うような格好で、あたしも外に出た。

 メシ屋の前の道とはちょうど直角に交わる形になる大通りを、静かに進む一団があった。
 重い雰囲気とその様相から、それが何を意味するかは―――、考えるまでもなく。
 大通りにいた人々は皆、道を譲り、頭を垂れる。 
 ガウリイの後ろについたあたしのさらに後ろから、小さな声がした。
「おかあさん、あれなーに?」
 視線だけ送ると、不思議そうな表情をしたまだ幼い女の子が、母親らしい女性と立っている。
「――あれはね、お弔いよ。亡くなった人を皆で送るための行列なの」
「ふーん…」 
 送られるのが誰なのかは――、判り切っている。
 それからはもう誰も口をきかず、ただ一団の足音と風の音だけが耳に届く。
 
 列の中央――棺の横に寄り添うように、あの黒髪の綺麗な女性がいた。
 ハンカチで半ば隠すようにした顔には、明らかな憔悴の彩。
 子供達は――恐らくは彼等の祖父なのかもしれない――初老の男性に赤ちゃんは抱かれ、男の子の方は手を引かれている。
 まだ意味は判らないなりに、異様な状況は感じているのだろう。
 小さな男の子の唇は、堅く結ばれたままだ。
 その横顔に、今はもうこの世の人ではない父親の面差しを見て―――、あたしは胸を締め付けられる。
 彼を切った犯人は、ガウリイから恩人を奪っただけでなく――、あの子達からは父親を奪ったのだ。
 まだ確かな記憶すら残せないような幼い子供から――――。
 思わず視線を落とすと、ガウリイの右手が目に入った。
 あまりに固く握られた拳は、小刻みに震えている。
 それが何を意味しているかは―――、あたしには判りすぎる位判る。
 切なくて。
 ただ何もかもが切なすぎて―――。
 あたしは―――そっと、その手を包むようにして掴んでいた。
 もちろん、彼の大きな手を完全に覆ってやることなど、あたしのこの手では出来ない。
 けれど、そこに込められた想いなら―――
 ガウリイが驚いたように、少し振り返る。
 風に呷られた長い前髪のせいで、瞳は目隠しされて見えない。
 ―――ほんの少しの間の後。
 ガウリイの左手が、握ったあたしの手の上から覆い被さるようにして、握り返して来た。 それだけで、伝えたいことの全てが判る気がして。
 お互いの感触と温もりが、何より確かなモノに思えて。
 あたし達はそうしたまま――、葬列が行き過ぎ、遥か彼方まで行ってしまうまで、人々が去った道に立ったまま、ずっと見送っていた――――。


 ――結局、あの気まずさは、それで相殺されたような形になり。
 あたし達はその後――、ネイムを最初に発見したという、パン職人のにーちゃんを訪ねてみることにした。
 実は昨日のうちに行こうとしたのだが、お役人が事情を聞くために連れていったという情報があったので、止めておいたのだ。
「さすがに、もう話くらい聞けるでしょ」 
 そのパン屋は、大通りから一本入った小路にあった。
 繁盛している客なのか単なる野次馬かは判らないが、店の前には黒だかりの人の群れ。
「……すげぇな。入れんのか?」
 ガウリイが呆れたように呟く。
「入んなきゃ始まらないでしょ」
 あたしは人垣に分け入ろうとする、が、なかなか思うようにいかない。
「ちょっと! 押さないでよ!」
 どっかからおばちゃんの文句。
「中に用があるのよ、通して!」
「あたし達だってあるのよ!」
 何のじゃいっ!
「――おーい、リナ!」
 まだ入り口にすら辿り着けないでいると、はるか奥――中の方からガウリイの声が響いてきた。
 あたしからは人の壁に阻まれて、長身の彼の頭すら見えない。
「ガウリイ!? どこよっ!」
「店ン中だ。入ってこいよ」
 い、いつの間に。
 おーし、そうなればっ。
「道を開けて!
 素直に開けてくれないと、力付くでよけてもらうことになるわよっ!!」
 あたしの気迫満点の誠意ある説得が功を奏して、今度は素直に視界が開けた。
 何か言いたげな刺すような視線が降って来るような気がするけど、ンなことはかまっちゃいられないって。
 ようやくこじんまりした店の中に入ると、ガウリイの横に、まだ少年と称していいようなにーちゃんが、少し汚れた白いエプロン姿で立っていた。
「こいつがそうだってさ」
 ガウリイが親指で示す。
「仕事中悪いんだけど、ちょっと話を聞かせて欲しいの」
「……え……で、で……も…」
 随分おどおどした調子で、彼はちらり、と、後ろにいる親方らしいおっさんに視線を送った。
 おっさんも一瞬彼を見たものの、すぐ視線を戻し、仕事を続ける。
「今じゃまずいのか?」
 問うガウリイ。
「……い、いえ……え…」
 ――これは――?
「いいから、ちょっと来て。
 親方! 大事な用なの、彼、借りるわよ!」
「待って下さいっ!
 俺は……!」
 腕を引っ張られて焦る彼に、あたしは小さな声で囁く。
誰に口止めされてるの?
 さっと顔色が変わる。――やっぱり。
 人間離れしたその耳でしっかり聞いていたガウリイも、あたし達の後に続いて来る。
 相変わらず店の前にたむろっていた群衆が、少し引いた。
「ガウリイ!」
 あたしが差し出した右手の意味をすぐに察して、ガウリイが握って来る。
「『浮遊』!」
「うあわぁっ!?」
 叫ぶパン職人を無視して、あたしはパン屋の屋根に降りた。
「な、な、何すんですかっ!?」
「落ち着きなさいってば。
 あたし達は、話を聞きたいだけなんだから。
 あんたが見つけた人の話をね」
「そ、そんな! お、俺はっ!」
「誰にも話さないように言われた、でしょ?」
「ど、どうしてそれをっ!」
 ――ったく、正直者だわ。
 でもこれで逆に、彼が嘘を言わないコトが証明されたとも言えるか。
「――頼む」
 今まで黙っていたガウリイが、静かに言った。
「おまえさんが見つけたって人は――オレの恩人なんだ」
 その重い響きに、彼ははっとして―――。
 しばしためらった後――、ゆっくりと話し始めてくれた。




[つづく]



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