3.よしてくれ 厄介事の 大安売り(その5)
「――なあ、リナ」
「何か見つかった?」
「そうじゃないけどよ…。
あのにーちゃんが仕事に出掛けたのって、いつだったっけ?」
「夜明け」
また何か判らんコトをぬかす気じゃないでしょーね?
「おまえが隊長と会う約束してたのは?」
「――夜よ」
歩きながらガウリイが、頬を手で撫でている。
「……ずいぶん時間が開いてねーか?」
「……へ?」
――そう言われてみればそうである。
この街は決して狭くはないが、城から酒場まで辿り着くのに、夜中までかかるような広さでもない。
そのタイムラグの間、ネイムはいったい何をしていた?
酒場に行って――いや、マスターは来ていないと言ったはず。
家に寄って――それでは、待ち合わせに間に合わない。
どこかに書類を取りに――それでも、酒場に現れなかった理由にはならない。
それに――にーちゃんの証言を、ストレートに考えていたけど。
ここはすでに街外れに近い。
いくら目立たないよう回り道をしたからって、城から酒場に向かうにしては、あまりに距離が長い。
あのひどい雨の中、あんな書類を抱えて、いったい何をしていたんだ???
「おーい、リナぁ」
考えに耽っているあたしの、はるか前方からガウリイが呼んでいた。
こりゃ、ヒトを置いて、さくさくどこへ行っとるんぢゃっ。
そんなコトなんか全く考えていないガウリイは、こいこいと手招きしている。
「何なのよっ、何か見付かったの!?」
「ここ、変じゃないか?」
ガウリイがブーツの爪先で、とんとんとつついて示している足元に視線を落とす。
辿って来た道と直角に細めの路地はあるが、それ以外に何が?
「どこが変だっての? ただの脇道じゃない。
確かに石畳は、こっちの道のモノとは違うみたいだけど…」
「オレには、こっちからも水が流れて来るような音が聞こえるんだけどな」
「は?」
道が交わる所は、橋のように蓋がされているので、直接水の流れは見えない。
あたしはこちらの道の蓋がない場所まで移動して、水の量を確かめた。
「――ホントだ…。下の方が多い……」
それは明らかに、そちらの道から水が流れ込んでいる、ということに違いなく。
「やっぱりそうだろ?」
嬉しそうなガウリイ。
「――ってコトは、こっちに現場があるって可能性もあるわけね…!」
あたし達はうなずき合うと、脇の方へと足を向けた。
脇道は、かなり細く、おまけにけっこー曲がりくねっている。
用水路にすっかり蓋がされていた理由が判った。
こんな道で、あんなモンを開けっ放しにしておいたら、誰彼かまわずハマりまくるだろう。
そして、もう一つの疑問の答えも。
「――ガウリイ、ここで大当たりかもしれないわ」
「どうして?」
「あなたでも判るでしょ、この道の曲がり具合」
「…だから?」
「もしここでヒトなんか水路に放り込んだとしたら、あちこちひっかかって、本流まで辿り着くまで、かなり時間がかかると思わない?」
「………!」
ガウリイの目が見開く。
「多分、現場はこの道のどこかよ」
「わかった」
おそらく、役人連中はこの道のことは気付いていないだろう。
もしかしたら、手付かずの証拠があるかもしれない。
しばらく探していて――、あたしはあるコトに気付いた。
「ガウリイ」
「なんだ?」
「顔色悪いわよ」
「おまえが?」
「自分で自分の顔色が判るかっ!
あんたよ、あんたのっ!」
「――そっか?」
「そうよっ!」
最初は光の加減かとも思ったのだが――、間違いなく、だんだん疲れの彩〈いろ〉が濃くなって来ている。
普段が基礎体力があり余ってるガウリイはすっかり忘れ切っているけど、フツーの人間ならまだベッドで転がっていても、文句を言われないようなレベルのはずなのだ。
「オレなら大丈夫だぞ」
ヒトの心配も気付いてない、いつものごとくののほほんとした調子に、キレそうになるあたし。
「いいからっ!
あたしがいいって言うまで、そこに腰掛けて休んでなさいっ!」
びっ! と指差したのは、平屋の半分崩れかけた塀。
ガウリイは何か言いたそうだったが、さすがにかろうじて自覚のかけらくらいはあったのか、はたまた実は疲れているのを隠していたのか、おとなしくもたれかかるように腰掛けた。
あたしはそのまま、一人で先に進んでみる。
不意に――視界のスミを、何かがよぎった。
視線だけそちらに向けると、家の向こうに――家と家の隙間だろうか――わずかながら空間があるようだった。
――もしかして…?
あたしはわざと気付かないフリをして、油断なくその辺りを調べ続ける。
「リナー!」
突然ガウリイが大声を出したので、思わず飛び上がった。
「ちょ、ちょっ…!」
やめてくれっ、今騒いだら、せっかくの手掛かりが逃げるってば!
かと言って、それを口に出してしまうと、ますます状況が悪化するばかりだし。
仕方なく、なるべく自然を装って、足早にガウリイの方に戻る。
「大声出さないでよっ」
あたしの文句も介さず、腰掛けたままのガウリイは斜め上に視線を固定して、一点を指差している。
「あれ――血じゃないか?」
え!?
思わず大声出しそうになって、思いっ切り焦る。
「ど、どこ!?」
「ほら、あそこ」
ガウリイの指は、塀のむかい、用水路側左――路地の出口方向へ――三軒目の二階、窓の下あたりを差していた。
「――どこ…?」
「だから、窓の影――ちょっと窓枠が浮いてるだろ?
あの内側」
――と、言われても……、あたしにはただの影に見えるぞ。
「わかった、ちょっと確かめてくる」
そう言って、さらに小声で付け加える。
「――誰かがさっきから、あたし達を監視してるみたい。
害意は感じないけど、気を付けてね」
「わかってる」
――気付いてたんなら、もーちょっと警戒したよーな顔をせいよっ。ガウリイの示す場所の下まで行って、『浮遊』を唱える。
えーと、外れた窓枠の…影ぇ?
ガウリイに目をやると、指で『右側』と言ってるようだ。
移動して、持ち上げるようにして覗き込むと――。
確かに赤黒いシミ。
その飛沫の形は、下から飛んで来て付着したことを示していた。
――なるほど。
ここなら、直接雨には濡れないし、雨垂れも窓枠に沿って流れ落ちるから、洗い流されることもなかったワケか。
ネイムのように、首のあたりの大きな血管が一撃で切られた場合、吹き出した血飛沫はこの位の高さなら楽に届く。
当然、かなりの量が上がったはずだが、雨から免れたのは、ここだけだったのだろう。
あたしが振り返ってガウリイに合図しようとするのと、彼が身を翻して屋根を越えるのとが同時になった。
「ガウリイっ!?」
さっきの奴か!?
焦ってそちらにとって返すが、いかんせん、『浮遊』の速度は死ヌほど遅い。
あたしが平屋の屋根に降りて、家と家との隙間を見た時は、少しむこうでガウリイが中年のおっさんを組み伏せていた。
――でも、そのガウリイが一向に動かない。
「ガウリイっ!」
人一人通るのがやっとのような狭い隙間に飛び下り、足場の悪い中を駆け寄る。
「どうしたのっ!?」
あたしの声に、ようやくガウリイが顔を上げた。
顔色は――蒼白だった。
額には大粒の汗が浮いている。
それでも、二、三回頭を振ってから、苦笑いをよこして見せる。
「……すまん、…ちょっと意識が途切れてたみたいだ…」
「お、俺は何にもしてねぇよっ!
その兄ちゃんが勝手に…!」
いかにもしょぼくれた体裁の白髪まじりのおっさんは、必死に訴えていた。
「何かしてたら、今頃ただじゃおかないわよ」
あたしはおっさんの訴えに止〈とど〉めをさした。
具合の悪いガウリイを、そんな場所にいつまでも置いておけないので、とりあえず脇道の突き当たり――ちょっと影になっている所まで移動する。
ここなら、おっさんは逃げられないだろうし、邪魔も入りにくい。
「で? 何であたし達をこそこそ監視してたわけ?」
多少凄味を利かせたあたしの声に、おっさんは縮み上がる。
「か、勘弁してくれぇっ!
お、俺はただ…!」
「ただ?」
「あんた等が、俺を殺しに来たんじゃねぇかって……!」
地面に座り込んでいたガウリイが顔を上げ、あたしと視線を見合わせる。
「――どういうこと?」
「……違うのか? 違うんだな!?」
露骨に期待した表情。
「――違うも何も……、そもそも、あんたって何者なわけ?」
「――オレ達をなんだと思ったんだ…?」
おっさんは、念を押すように問う。
「喋ったからって、切ったりしねぇな!?」
「何で初対面の相手に、そんな見境のないマネしなきゃいけないのよっ」
「――オレ達はただ、この辺を調べてただけだぜ」
「役人達もここまでは来なかったから、安心してたってのに…!」
一人勝手にテンションの高いおっさんに、あたしはキレた。
「いいかげん、こっちの質問にも答えなさいよっ!
そんなに切られたいなら、いつでも望みどおりにしてあげるわっ!」
悲鳴を上げて、おっさんは身を縮ませる。
「よけいにおびえさせてどーする…」
ガウリイの疲れ混じりの呆れた声。
「なあ、おっさん。
オレ達は役人でもないが、ならず者ってわけでもない。
素直に話してくれれば、なにもしないって…」
珍しく説得力のあるガウリイの台詞が効いたのか、さかんに瞬きするおっさん。
「――わかった…。
とりあえず信じるしかぁなさそうだ」
やっと話が始まりそうな雰囲気に、あたしはしゃがんで視線を合わせた。
「あんた達が調べてるのって、例の騎士団長殺しの一件なんだろ?」
再び顔を見合わせてから、うなずくあたし達。
「何か知ってるなら、教えて」
「俺ぁ――見たんだよ…」
おっさんの身体がまた震え出す。
「なにをだ?」
「あの男が切られる処を……! この目で……!!」
―――――――――!?