3.よしてくれ 厄介事の 大安売り(その6)
反応はあたしより、ガウリイの方が早かった。
「切った奴も見たのか!?」
おっさんの胸倉をつかんで引っ張る。
「――は、離し…てくれ…、く、苦し……」
「ガウリイ、そんなに締めたら話せないってば」
あたしの制止に、あっさり手を離すガウリイ。
うーみゅ、いつもと逆のパターンだ。
あたしは地面に胡座をかいて、陣取った。
「じっくり話してくれるわよね」
おっさんは今度は素直にうなずいた。
「――俺ぁ、このトシまで…あんな、…おっかねぇモンを見たこたぁねぇ……」
それでも、あまりに衝撃的な顛末を誰かに吐露してしまいたかったのか――、一度話し始めると、声が震えてはいるものの、つらつらと話が続いて行く。
「あの日――、俺の唯一の家族――飼ってる猫が家に戻って来なくてよ。
あんまりひでぇ雨と雷だから、動くに動けなくなってんじゃねぇかって思ってな。
いつも猫道にしてる、この家同士の隙間のどっかにいねぇか、探してたんだ。
そうしたら、ハデな雨とかの音に混じって、何か声がしたような気がしてよ。
なんせあの雨だ。
それもこんな路地で、何やってんだって、ちょっと覗いて見たわけだ――」
「そこに、いたってわけね。
何を話してたかは判らなかったの?」
「あの雨だぜ?
とてもじゃねぇけど、無理だって。
第一、俺みたいな素人にも判るような、すっげぇ険悪な雰囲気だったんだ。
こりゃ迂闊に近付いたら、危ねぇって思ってよ。
あ―― 一つだけはっきり聞こえたっけか――」
自分の記憶を辿るように、おっさんはちょっと上に視線をやる。
「確か――切った方が言ったんだ。えと……
『余計なことをしなければよかったものを』」
――余計なこと……?
どういう意味?
「団長の方も何か言ったみてぇだったが――、それまではわからんかったな…」
「で? 肝心の犯人の顔は見たの?」
おっさんは小さくうなずいた。
あたしとガウリイの緊張度が上がる。
「――雷に照らされたほんの一瞬だったんで……、あんまりはっきりとはな…」
「それでもいいわ。
何でも言ってみて」
また視線を泳がせるおっさん。
「――じゃあ、あたしが訊くから、答えて。
性別は? 若かった?」
一つ一つ確認出来るように流れを導いてやると、ようやく答えが帰って来た。
「――男だ。若い男」
「背丈はどのくらい?」
「んー? 横顔だけだったからなぁ…」
「ガウリイ、ちょっと立ってみて」
すぐ応えるガウリイ。
「この人より大きかった?」
おっさんは、自分の視点を変えたりして見て回答する。
「おんなじ――くれぇだな…。
…俺ぁしゃがみ込んで見てたから」
「髪は? 長かった? 色は?」
ガウリイに、座れと手で示す。
彼の動作でふわりと舞う金色の長髪に、おっさんが苦笑する。
「さすがに、その兄ちゃんほだぁ長くなかったぜ。
せいぜい肩位だった。
色も――はっきり何色たぁ言えねぇが、暗めの色だったぜ」
あたしも苦笑する。
そりゃガウリイと比べたら、どんな奴でも短いってば。
「で? 肝心の顔は?」
おっさん沈黙。
あたしとガウリイは顔を見合わせる。
「――別に、誰に似てた、とか具体的じゃなくてもいいから。
こんな雰囲気だった、とか、どっか特徴があった、とか、ない?」
おっさんはごくり、と、生唾を呑み込んだ。
「―――怖い――ヤツだった……」
「怖い? 目付きが悪い、とか?」
「――それもある……、だけど、あれはとても人間の――する表情じゃねぇ……。
俺ぁデーモンなんか見たこたぁねぇが……、…もしそんなのが――ヒトの姿に化けてたら――あんなになるんじゃねぇかって思っちまうような……」
心底怯えた様子で、おっさんはがたがたと震えていた。
―――魔族。
頭の中に、その言葉が浮かんだ。
力のある魔族なら――人の姿に化けて、そうすることも可能なのだ。
もし、何かの企みがあって動いているなら、自分達の仕業とわからないように、こんな風に動く可能性がないとは言えない――。
―――あるいは、暗殺者〈アサシン〉の類い。
殺しを生業とする彼等なら、そんな雰囲気〈ムード〉を持つ者もいるだろう――。
「――あんたは、見られてないのか?」
ガウリイの問いで、あたしは我に返った。
「あ?」
「あんたがそいつの姿を一瞬でも見たなら、むこうも見た可能性もあるだろ?
――見てなくても、気配くらいは感じてたかもしれん」
ガウリイの静かな声に、おっさんはすくみあがった。
「それはないんじゃないの?
もしそうだったら、とっくに口封じにされてるでしょうに」
あたしの反論に、ガウリイが苦笑する。
「その状態でおっさんまで始末しようとしたら…。
いくらそいつの動きが速かろうと、おっさんが窓の一つも叩く暇くらいはあるだろ。
まだみんな起きてる時間に、わざわざ騒ぎになるリスクを負うか?」
――おお?
身体の調子が悪いとアタマの方は冴えるのか?
ガウリイのミョーに穿った意見が続く。
「――わざと見逃した?」
「かも、な。
実際、まだ役人には話してないんだろ?」
ガウリイに視線を向けられて、びくりと震えるおっさん。
「だ、だ、だってよぉ!
あの団長は、副団長にすっげぇ恨まれてたってんじゃねぇか!
そんなトコに俺がわざわざ話に行ったりしたら、こっそり殺られたりしねぇって保証があんのかよっ!」
――なに!?
「ちょっと待って。
ネイムが副団長に恨まれたって…、本当なの!?」
驚いた表情で、ガウリイも身を乗り出す。
「就任当初、そういう噂があったんだぜぇ。
本当ならあの戦の後、自分が団長になれるはずだったのによ、それはヨソ者〈ネイム〉に取られ、今じゃ降格寸前だってさぁ」
そんな話、初耳である。
――しかし……
「あのジェンなら、判りそうな感じだけど、そこまでする…?」
あたしのぼやきを耳にして、おっさんがツッこんで来た。
「あん? ジェン!?
ああ、違う違う。
あんなのぁ、ただ有力貴族の血筋だってんで、据えられた無能者だって。
俺の言ってんのはぁ、もう一人の副団長のドリュパって奴だよぉ」
――そうか。
そう言えば、ジェンが名乗った時、『副団長の一人』って言ってたっけ。
副団長――身内なら、ネイムの動向は筒抜けだろう。
おっさんの言った通りなら、動機もある。
直接手を下さなくても、暗殺者を雇ったという可能性は十分考えられる。
「リナ」
ガウリイに向かってうなずく。
「調べてみる価値は十分ね」
「おいっ!
俺ぁどうすりゃいいんだよっ!
あいつのことを喋っちまったのがバレたら、今度こそ消されちまうんじゃねぇのかっ!?」
必死の形相になったおっさんが、訴えて来た。
「消しても意味のないようにしちゃえばいいんでしょーに」
あたしの答えに、ガウリイとおっさんがきょとんとしている。
「犯人が何の意図で、目撃者であるおっさんを見逃したのか、今の段階じゃわかんないわ。
でも、口封じをする目的ってのは、要は情報を広められたくないからでしょ。
だったら、向こうが何か手をうってくる前に、さっさと広めちゃえばいいのよ」
変わらずきょとんとしている二人。
「だぁかぁらぁっ!
おっさんは今の話を、なるべく大勢の人に伝えるのよっ。
そうすれば、今さらおっさん一人位殺したって、犯人が危なくなるだけで、ぜんぜんっ意味なくなるでしょぉぉ?
それに――」
「それに?」
あたしは拳を握る。
「何よりっ!
あたし達の冤罪が、めでたく晴れるじゃないっ!!」
ガウリイとおっさんの二人は、地面と仲良しになっていた。
「……リ…リナ…、…おまえなぁ……」
「……ね…ねーちゃん……、…結局自分のことが先かよぉ……?」
「あたり前じゃないっ。
自分の安全なくして、他人の安全なんか考えられる?」
きっぱりとしたあたしの主張に、二人はなぜか揃って、深々とため息をついた。
「で? 広めるったって――どこでどーすんだ?」
ガウリイの問いに、あたしはあっさりと。
「とりあえずは、城でしょーね」
「おいっ!」
「ひぇぇぇぇっ!!」
二人の抗議の視線。
「ちゃんと最後まで聞きなさいってば。
副団長のドリュパが怪しいってのは判ったわ。
でも逆に、外部の者が入れない城の中で、証人のおっさんに何かあったら、彼が犯人だって証明するようなもんでしょう?
よほどのおバカでもない限り、そんなバレバレなことしないわよ」
「バカだったらどーする?」
ガウリイのおバカそのもののツッ込みを、一撃で撃退して、先を進める。
こらおっさん、あんたの話をしてんだから、そんな怯えた目で見ないのっ!
「城の中なら常備騎士団が警備してるし、作りも強固だからそう簡単には侵入出来ないでしょ。
侵入したらしたで、犯人の手掛かりが増えるばかりだし。
そこでさっさと証言しちゃって、ほとぼりが冷めるまで匿ってもらうってのはどう?」
おっさんはなおも、不服そうな顔をしている。
「何か問題ある?」
「――俺ぁ、基本的に…、…役人って嫌いなんだよなぁ」
「そんなこと言っとる場合かぁぁぁっ!!」
――ったく。自分が優先なのはどっちだってのっ!