1『金糸の迷宮』6

4.謎深く さらなる謎は なお重く(その2)



 何が起こったのかは――判っている。
 どうして起きたのかは――判らない。



 あたしとガウリイは、何も語らないまま、ゆっくりと道を歩いていた。
 ほとんど暮れかかっている夕日の最後の光が、行く手を示すように影を長く伸ばしている。



 あの後。
 城付きの魔法医が駆け付け――あたし達を含めて、騎士達がそこら中を捜索して ――、何の成果もなかった。
 事実だけを言うなら――誰も入れるはずのない密室で、おっさんが心臓マヒでこと切れていた。それだけ。
 けれど、あまりにもタイミングがよすぎる。
 あたしが知る限り、おっさんは病気持ちには見えなかった。
 病み上がりのガウリイより、よほど元気だった。
 殺人現場を目撃し、狙われているプレッシャーから解放されて、気が緩んだ?
 ――そんなわざとらしくあてがわれたようなおマヌケな説を、素直に信じろっての?
 むしろ、何者かが侵入して―――

「――ガウリイ」
 唐突なあたしの声に、少し後ろに下がった位置を歩いていたガウリイが横に来た。
「なんだ?」
「――あの音――おっさんの叫び声がした時、ヘンな気配とか感じた?」
「―――いや」
「――なら、あの部屋の中には?」
 ガウリイはちょっと考えるように、右上に視線を向けて。
「―――特には――な」
 思わずため息が出る。
「――なら、人魔や魔族の類いの可能性も、なし、か」
 最初はあたしも『夢幻覚』でも使ったか、とも思ったけど、魔法が使われた気配はなかった。
 魔法医は、外傷や毒の痕跡などないと言っていた。


 ―――――――――。
 ――もしかしたら、あたしの穿ち過ぎで、単なる偶然の積み重ねなの?
 でも、それにしては――あまりに出来過ぎている。
 釈然としないモノを抱え込んだまま、あたしはまた歩みを続け。
「なあ、あのおっさん――副団長だっけ?――が、帰れって言うから出てきたけどよ。
 これからどうするんだ?」
 ガウリイの声に、振り向かずに肩をすくめて見せる。
「とりあえず、あそこであたし達が出来るコトはもうなかったから、いいのよ。
 どっかで夕飯食べて、帰りましょ」
「それでいいのか?」
「――今日は、ね。
 あんただって具合よくないんだし――」
 くしゃ。
 いきなり、後ろからガウリイの手が、頭を撫でて来た。
「なっ、何よ??? またっ…!」
 振り返ろうにも、頭を押さえられている状態のようなものだから、どうにもならない。
「オレは大丈夫だって。
 ――大丈夫じゃないのは、おまえさんの方だろ?」
 ガウリイの静かな声が、右の肩越しに響いて来た。
 とっさに反論しようとするあたしに――
「あんまり無理すんな」
 その優しい囁きに呼応するように、脳裏にさっきまでのやりとりが甦って来た―――



「――こんなことになって、残念だった」
 さすがにおっさんの一件はこたえたのか、副団長室に戻ったドリュパが沈痛な面持ちで言った。
「ええ」
 あたしも素直に答える。
 さすがのジェンも消耗したような顔をして、黙したまま椅子に座り込んでいる。
「我々は引き続き、この一連の事件を捜査する」
「あたし達もね」
「そうか。
 ――ならば、協力してくれるな」
「命令?」
「権限はない。だが、利害は一致していよう?」
「そうね」
 まるでふんぞりかえるように、大きな椅子の背もたれにもたれかかって、ドリュパは腕を組んだ。
「――しかし。さすがだな、リナ=インバース。
 先ほども言ったが、私は魔道士協会と懇意にしているので、噂はよく耳にしていた。
 良きにしろ悪しきにしろ、な。
 だから、先ほどのおまえの意見も、にわかには信じ難かったが――よもや、的中しているとは思わなかった」
「…なあ、何のこと言ってんだ?」
 ガウリイが、小さな声で訊いてくる。
 あたしは彼ではなく、ドリュパの方に向けて答えた。
「『犯人が、おっさんを放っておいた理由』のこと?」
 ドリュパは、まるで演説でもするように、朗々と声を上げる。
「そうだ。
 やはり、犯人はこういう状況になっても、彼の口を封じる術を持っていたのだ。
 だからこそ、あえてすぐには何もしなかったのだろう」
 ――ちょっと待て。
 持論に酔うのは勝手だけど、もうちょっと冷静に分析してよ。
 解説はしてないけど、さっきあたしがそう言ったのは、あくまでも仮説の一つでしかないんだってば。
 それも、ドリュパの真意を探るために、かなり突飛な発想で口にしてみたに過ぎない。
 だって。
 犯人がおっさんを見張ってでもいなければ、どういう言動をするかなんて判らないはず。
 四六時中目が離せない状況なんかで、ずっといるとは思えない。
 むしろそれなら、さっさとおっさんの口をふさぐ――殺すのはさらに騒ぎになるから避けたとしても、こっそり何か工作でもして黙らせる方が、よっぽど賢いだろう。
 それでなくても、あんなに気の小さかったおっさんである。
 自分は姿を見せなくても、間接的にちょっと脅してやれば、あるいはその気配を示すだけでも、十分効果はあったに違いない。
 おっさんの動向を少し見張っていれば、そんなことは誰にでも――まあ、ガウリイみたいなウカツなのは別として――見当はつく。
 ――なのに、なぜ、こんな危ない橋を渡った?
 まさか――そのあからさまさに、何か意味があるとか?
「とりあえず、あの事件の直後から街の入り口に兵を置いて、出入りする人間をチェックさせている。
 不審な人物が出入りしたという報告はないから、まだ犯人は街の中だ。
 しらみつぶしに当たって行けば、おのずと容疑者は絞られて行く。
 そうなれば、どんな者だろうと、いくらでも調べる手段はある」
 ――そうだろうか?
 守りの強固なこの城の中でさえ、あれほどのことをやってのけた犯人だ。
 そんなことくらいで、尻尾を出すか?
 そんな簡単に捕まえられるか?
「これ以上、無意味な犠牲者は出せん」
 ――無意味。
 誰が?
 おっさんが?
 それとも、ネイムが?
「何か情報があったら、知らせてくれ。
 我々も協力は惜しまないと約束しよう」
 真実〈ほんとう〉にそうなんだろうか?
 あたしの中に浮かぶのは、ひたすら否定の感覚だけで。
  ――どうしてだろう。
 ドリュパがあまりに短絡的だから?
 そんなに簡単に結論を出していいのかって思うから?
 ――それもあるかもしれない。
 でも。
 素直に信じちゃいけないという気がする。
 何か漠然とした違和感がある。
 理屈じゃなく――なにかが。
 ――これ、は……
「リナ=インバース?」
「リナ?」
 ドリュパとガウリイの声で、あたしは自問から強制的に引き戻れた。
 ええぃ、今、何か判りそうだったのに、邪魔しないでよっ。
「何か不満があるのか?」
 不機嫌な声音。
「いえ、別に」
 あたしもつられて、ふてくされたような声になった。
 あ、露骨に態度が変わったぞ、おやぢ。
 もしかして、お高いプライド傷付いた?
「協力はするが、これだけは念を押しておく。
 おまえ達はあくまでも、部外者。協力者にしか過ぎん。
 くれぐれも勝手に先走らないように。
 犯人を捕らえる権利は、我々にあるのだからな」
「…おい…!」
 一歩踏み出そうとしたガウリイを押し止めて、あたしの方が釘を刺し返す。
 こいつ、ジェンよりはマシだけど、キレると危ないのは一緒だ。
「あなた達こそ、安易に先走らないでね。
 犯人がまともだという保証は、どこにもないんだから」
「何だと!?」
「おい!!」
 身を乗り出すドリュパと椅子から立ち上がるジェン。
 ええい、とりあえず言っといてだけやっか。
「あなたの部下がよっぽど無能だって言うんじゃなければ、あんなコトを出来る奴が、並の相手じゃないのは判るでしょうに?
 あなたの言う処の『無意味な犠牲者』を、これ以上増やしたくないならね」
 そう、不用意に動いてもらって、これ以上被害者が増えるのは避けたい。
「モノは言いようだな」
 それまで発言しなかったジェンが、妙な響きを込めて切り出した。
 そちらに視線を向けるあたしとガウリイ。
 うあ、嫌な目。
 まるで、得物を手の内に入れて、自分の優位を確信しているみたいな。
「貴様らだけは大丈夫とでも言いたそうじゃないか?」
 意図を計りかねているのだろう、ガウリイがあたしの方に視線を寄越す。
 こいつ、この期に及んで、あたし達犯人説をまだ崩してないのかっ?!
「貴様らが狙われないと言う保証はどこにもないのだぞ。
 すでに標的になっていないと、どうして思える?
 ――いや、もしかしたら、貴様らこそが真の狙いなのではないのか?」
 ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ!?
 何を言い出すんだ、このうつけモンはっ!
「妙なコト言わないでよっ!
 何の根拠があって、そんな考えに行くのよっ?!」
 ジェンがにっ、と笑う。
 さすがに、この吹っ飛んだ論理展開には付いていけなかったのか、ドリュパは当惑したような表情を浮かべたまま、黙って見ている。
「貴様等がやってきてから、全てが始まっている。
 貴様等に会いに行く途中で隊長は襲われ、先ほどの男も、貴様等に接触した後で殺害されているではないか。
 貴様等があくまでも犯人でないと言い張るなら、本当は貴様等のどちらかが狙われていて、そのとばっちりを食らったという可能性がないと言えるか?」
「あのねぇっ……!」
「ジェン殿!!」
 あたしとドリュパが声を上げた時には、ガウリイはジェンの襟首を掴み上げていた。
「…き、貴様……、な、何を……」
「言っていいことと悪いことの区別もつかないのか、あんた」
 ぞっとするような声音だった。
 ガウリイが心底怒っているのが伝わってくる。
「…く、苦しい……、は、離…さんか……」
 長身の彼に吊り上げられて、ジェンの足は宙に浮いていた。
「よさんかっ!」
 ドリュパの叱責。
「ガウリイ、もう離してやんなさいよ。
 でないと、それこそあたし達に、無実の罪がなすりつけられかねないわ」
 あたしの言葉で、ようやくガウリイはジェンを解放した。
 咳き込むおっさんを気にもせず、まっすぐあたしの方に戻ってくる。
 さすがに体裁が付かなくなったのだろう、低い声で言い捨てるドリュパ。
「――今日はもう下がるといい。
 おまえ達がこれ以上うろついて、何か起きないうちにな」
「そうするわ。
 あなた方が、あたし達を犯人にしたてようなんて考えを起こさないうちにね」
 ――ふう。
 こんな能力の使い道を間違えてる奴に、気位ばかり高くて的外れな無能者のセットが部下にいて、しっかり仕事をやって、評判も良かったネイムって……つくづく、偉大だったんだなぁ。



「――リナ?」
 少し遅れたあたしを、ガウリイが振り返って呼んだ。
 すでに夕闇に沈んだ風景の中、さらに逆光になって、表情が見えない。
「あいつらのことも気にすんな。
 隊長の後がまのことででも、モメてんだろうさ」

 ――そうか――わかった。
 あたしの違和感の理由。
 あくまでもあたし達を疑うジェンはもちろんだけど、ドリュパも。
 さっき、あたしが彼にカマを書けた時。
 貴重な証言者であるおっさんを、犯人が泳がせておいた理由を『自己顕示』『売名』だと言った。
 人間、意外なコトを唐突に尋ねられると、とっさに本音が出るモノである。
 つまりドリュパが最優先で考えているのは、そういう類いのコト。
 あいつの焦点は、ネイム殺害の真犯人を見つけだすことではなく――、見事自分が見付け出し、再び出世を狙うことなのだろう。
 その持論の流れに、あたしのあてずっぽうは渡りに船だったに違いない。
 おいおい、上手く進まなかったら、最終的にあたしのせいにされたりしちゃあたまんないぞっ。
 いよいよになったら、ジェンのように勝手に犯人にされかねないキケンもある。
 ――はあああ。
 少なくとも、あいつ等2人とも、あたし達の敵になることはあっても、味方じゃあないな。

「おい、リナ?」
 思わず付いてしまったため息に、ガウリイが驚いた声をだす。
「どうした、ハラへったのか!?」
 この脳ミソの思考回路一直線な男は。
 何で、そんなに的外れなコト言うかなぁ。
 あたしは不意に埋もれていたもう一つのコトを、連想してしまった。
 ―――的外れ。
 確かに的外れなのだろうけど。
 こちらの事件とは別な方には、その可能性はあるんだ。
 あの『白いねーちゃん』絡みの一件には。
 あたし達のどちらかが狙われている可能性が。
 ガウリイが? あたしが?
 判らない。
 でも、何かは起こってるのだけは確か。
 そして――、本当にごめんな話だが、ネイムとおっさんを手に掛けたヤツが、次はあたし達を狙わないと言う保証もないのだ。
 いつものあたし達なら、それほど怖がる必要はない。
 ――でも、今は。
 今のガウリイには。
 厄介事がダブルで降りかかってくるのは、ヘビィ過ぎる。
 一瞬、おっさんの最後の姿が、シルエットになったガウリイに重なり。
 もし、そんなヤツが、単独のガウリイを襲ったら―――?
 あんな風に、いきなりいなくなってしまうコトが。
 何の前触れもなく、あんな風に――
 ガウリイ―――が――?
 形容のしようのない強烈な悪寒が、背中から這い上がってくる。
 冷たい汗が、頬を流れていくのが判った。
「リナ? 疲れたのか? ほら」
 差し出された大きな右手に、あたしは思わずしがみついていた―――


 ほんのわずかな沈黙。
「リナ……?」
「…ごめん、あたし、ヘン…だ……」
 ――お願いだから、しばらくこうしてて。
 振りほどいたりしないで――
「…………」
 ガウリイの空いていた左手が、そっとあたしの背中に回ってきた。
「大丈夫だ、オレはここにいるから」
 耳元で優しい囁き。
 その暖かさに、ふっと気が緩んだ途端、恥ずかしさが勝った。
「まっ…! ガウリイ、ここ、往来……!」
 もがくあたしを、いっそうしっかり抱き寄せて。
「誰か通りかかるまで、こうしててやるよ」
 そ、そういう問題じゃなくてーーーーっ!
「けっこうこたえてるんだろ? おっさんのこと…」
 いきなりな指摘に、固まるあたし。
 そう――なのかもしれない。
 そうかも――しれない――けど……


 けど――あたしにとっては―――あんたに何かある方が―――



 ―――怖い――よ―――



[つづく]




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