1『金糸の迷宮』9

4.謎深く さらなる謎は なお重く(その5)



 半分浮かしかけた腰を、何事もなかったようにゆっくり戻す。
 やれやれという感じで、ガウリイがまたあたしの頭を撫でた。
 どうやら痴話ゲンカとでも思われたようで、客達は再び自分の世界に戻っていく。
「あんた――恰好からして、魔道士なんだろ?
 理由は知らんが、俺の雇い主は魔道士嫌いでな。
 ヘンに警戒されて、聞ける情報も聞けなくなっちまったら困るじゃないか」
 そりゃあ、確かに魔道士と言うだけで、やみくもに警戒するヤツとか、毛嫌いするヤツはいるけど。
「今はそんなこと言ってる場合っ!?」
「まあ、リナ。
 せっかくの手がかりなんだから――」
「あのねぇ、あんただけ行かせて、いったい何の役に立つってゆーのよ!」
 ガウリイのチャチャを一蹴り。
「ひでー言い方だな。仮にもあんたの男なんだろ?」
「ちょっ……!」
 慌てて続く言葉を呑み込む。
 ここであたし達がそういう関係じゃないってバレたり、力押しなんかしたら、ますます同行を断られる可能性が上がっちゃうじゃない。
 ぐっと堪えて――何とか理由をひねり出す。
「実はね――今、このヒト体調が悪いのよ。
 だから――わかるでしょ?」
「何がだ?」
 ガウリイのボケを、テーブルの下で足踏んで封じ込める。
 ハルダムはますます渋い顔になっていく。
「服装を替えて、魔道士だってバレないようにすればいいんじゃない?」


 さらに次々と妥協案を繰り出した末、ようやく髭男が折れた。
「じゃあ、明日の朝一番ってことで決まりね」
 あたしに続いて立ち上がったガウリイに、ハルダムがため息まじりに呟く。
「――あんたも大変だな。こんなのにホレちまったなんてさ」
 こいつぅぅっ、この用件が終わったら覚悟しなさいよっっっ!
「それもまた楽しい、ってな」
 ぼんっ!
 ちょ、ちょ、ちょっとぉぉ!
 何でこんなに顔が紅潮するのよっ!
「そういや、おまえさん、今夜はどこに泊まるんだ?」
 ハルダムはバツが悪そうに苦笑する。
「古い知り合いのトコにでも転がり込むさ」
「そっか。――どうした、リナ?」
 気が付くんじゃない、こんな時ばっかりっ!
「な、何でもないわっ。
 会計すませてくから、先に外に行ってて」
 やば。
 声がうわずってるって。
 気が付かないでよっ!
「? ああ」
 ちょっと訝しみながらも、素直に従うガウリイ。
 
 店から男二人の姿が消えてから、ほっと息を付く。
 もぉぉ、単なるカムフラージュに、何でこんなに焦ってるのよっ、あたしっ!?
「話は付いたみたいですね」
 マスターがまた鋭く指摘。
「何とかね。
 思ったより大事になりそうな感じだわ」
「そうですか――。
 くれぐれもお気を付けて」
「ありがと」
 このマスターも、かなりありがたい協力者になりそうである。

 

 外に出ると――ガウリイとハルダムは入口から少し離れた所で、何か熱心に話し合っていた。
 気が合ったのか、あんた等?
「おう、リナ」
 それでもいつものカンの良さで、ガウリイがこっちを向く。
「じゃあな、明日はよろしく」
「ああ。
 ――今夜はほどほどにしとけよ」
 
 ―――――――――――――――なに????
 
 こら、何を頬染めて笑っとるんだ、ガウリイ?

 ハルダムが人混みに消えてしまうと、ガウリイがあたしの頭をぐしぐしと撫でた。
「よく我慢したな」
「――そりゃ――って。
 ねえ、あの髭おっさん、最後何言ったワケ?」
 ガウリイは困ったように、さらにぐしゃぐしゃと髪をかき回し。
「忘れろ」
「あんたじゃあるまいし」
「……ホントはわかってんだろ?」
 ――――やっぱり、そっちの方かい……
「あんた、よくもさっきは、あんなとんでもないウソついてくれたわね」
 怒気を含んだあたしの言葉に、ガウリイの反応は。
 
「とんでもないのか?」

 ――――――――おひ?
 頭に手を置いたまま、上目でガウリイを見ると――妙に戸惑った顔をしている。
 ――――ちょっと……???
 
「さ、明日は早いんだ。
 もう帰ろうぜ」
 まるで何事もなかったように、ガウリイが先に立って歩き出す。
 人混みの中でもあの長身、頭は見えているけど、フットワークの差なのかどんどん遠ざかっていってしまう。
 後を追うあたしは、小柄の悲しさ、人波に阻まれてなかなか近づけない。
 胸の奥が何だか騒ぎ出す。
 ――何なのよ、これ――?
 
 結局、大通りを抜けるまで、あたしはガウリイに追いつけなくて――。
 人混みが切れた時には、もう姿がなかった。
 行き先は判ってる。
 方向だって間違ってない。
 だけど――何でこんなにガウリイが見えないのが不安なの?
 あたしは自覚のないまま、走り出していた。

 
「ようやく来たか。
 人波に呑まれちまったかと思ったぜ」
 角を曲がった所に立って、ガウリイが微笑んでいた。
 その笑顔で、とたんに得体の知れない不安が霧散する。
「あんたが一人でずんずん行っちゃうからでしょうに!」
「手でもつなげばよかったか?」
 あんまりにも緊張感のないガウリイのボケに、あたしは今度こそ報復のスリッパストラッシュをかましたのだった。

 ようやく宿に戻ると、一階の食堂にはもう誰もいなかった。
 厨房の奥で音がするから、主のおっちゃんがまだ後片づけでもしてるんだろうか。
 あたしが声をかけると、案の定、手を拭きながら出てきた。
「――そうだ。
 あんた等のどっちか、『リナ=インバース』って言わなかったっけ?」
 おいおいっっ。
 こんなでっかい剣士のにーちゃんが、そんな名前だったら許せんぞ、あたし。
「そうだけど?」
「さっき魔道士協会の使いってヒトが来て――これを渡してくれってさ」
 おっちゃんは鍵と一緒に、ピンで貼ってあった手紙をよこした。
 ――へ? 『魔道士協会』?
 いったい何言ってきたんだ?
「また何かやらかしたのか?」
 ガウリイのツッコミにエルボーをかまして、階段を上がり始める。
 封蝋された紋章は、確かに魔道士協会のものだ。
 中身は――やけに薄いわね。
 あたしは封筒を開くと、手紙を取り出した。
 
 ――――――――。

「おい、リナ?」
 考え込んでいると、ガウリイが声をかけてきた。
「――何よ」
「読みふけんのは、部屋に入ってからにしたらどうだ?」
 見れば、ガウリイはもう部屋のドアを開けている。
「読みふけってたわけじゃないわ。
 文面なんてほとんどないんだから」
 階段を駆け上がって、ガウリイに手紙を見せる。
「……『騎士団長殺害の一件で、事情確認したいことあり。明日朝一番で魔道士協会まで来られたし』……つまり、何なんだ?」
 すぱこーんっ!
 廊下にスリッパの音が鳴り響く。
 やば。ここで話したら誰かに聞かれちゃう。
 慌ててガウリイを部屋に引っ張り込んで、ドアを閉める。
「つまりぃ、ネイムのコトで魔道士協会が尋問したいって言ってるの!」
 ガウリイはまだきょとんとしている。
 ええぃ、この脳みそ発酵生物はっっ。
「何で、魔道士協会が訊きたがるんだ?
 全然関係ないだろ?」
「騎士団長の事件ともなれば、多少なりとも関係あるんでしょうよ。
 ――でも、この場合は――きっとドリュパの差し金でしょうね」
「――あの陰険おっさんが? 何でだ?」
「さあ――あたし達の妨害したいのか、あらぬコトでも魔道士協会の面々に吹き込んだのか。
 さっき協会と懇意にしてるって言ってたから、圧力かけたのかも――」
「――だけど、ちゃんと説明すりゃいいんじゃないか?」
 いつものようなノンキな物言い。
「あのねぇ、あたしが考え込んでるのは、説明のコトなんかじゃなくて!
 明日朝イチってことはよ、行商人のトコに行けないってことなのっ!」
「あ――――――そっか。
 けど、呼び出しはおまえだけなんだろ?
 あっちの方はオレが行けばいいじゃないか」
 もう一回、ガウリイのみぞおちをドツく。 
 前のめりになった顔に、ずずっと近付き。 
「あのねぇ。
 あんたが聞き込みなんか出来ないって、忘れたんじゃないでしょね!?」
 ドアップの顔が、ちょっと複雑に動き――やがて、ミョーに照れたような表情になった。
「――なによ?」
 口をへの字に曲げ、頬をふくらませるあたしに、信じられないことが起きた。
 
 ぷにっ。
 
 ガウリイの太い指が、ふくらんだほっぺをいきなり突っついてきたのだ。
 ずざざざざっ!
 真っ赤になって、思いっきり後ずさるあたし。
「な・な・な・なにすんのよっっっ!?」
「いやー、何となく突っついてみたくなってなぁ」
 頭をかきながら、のほほーんと言うガウリイ。
 ――――何を考えとるんだっ、こいつっっっっ!?



[つづく]




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