5.絡み合う 思惑の果て 紡ぎしは(その2)
さすがに動揺させたと思ったのか、にーちゃんがお茶を入れ直してくれた。
今度は書記の席でなく、さっきまでおばはん副支部長が座っていた所――あたしの正面へ腰を下ろす。
「どうもすみません。
ずっと憧れてた人が目の前にいるもんで、つい、舞い上がっちゃって……」
「憧れるって――あたしの噂知ってるんでしょ?」
いや、ミーハーってどこにでもいるけどさ――、こんな状況でくるかい。
ガウリイがここにいたら、思いっ切り笑われるだろうなぁ。
「ええ。
かなり尾ひれが付いてるコトも、肝心な事が抜けてるのもね」
「――肝心なコトって?」
「そうですね――。
さっき言ってた相棒って、ガウリイ=ガブリエフさんでしょう?
一緒に高位魔族を倒したとか」
ぐぷっ。
「――あと、ガウリイさんとは恋仲だとか」
ぶぴゅっ。
「うわ!?」
「ちょっと、ちょっと、ちょっとっっ!
どっからそんなのが出てきたのよっ!?」
茶を吹き出し、真っ赤になって抗議するあたしを、不思議そうに見るにーちゃん。
「ち、違うんですか?」
う゛ーーーーー、こんな時にますます話をややっこしくしないでよぉ。
よーやくゆうべの奇態を忘れられそうだったのにぃぃ。
あたしが困っていると、何か勝手に納得してしまったらしい。
「そうですよね……。
さっき会ったばかりの僕に、そんな重要な事は言えませんよね」
「あ、あのねぇ――」
「いいんです。
僕が勝手に思ってただけですから。こうして会えただけでも嬉しいです」
だから待てや、にーちゃん。
「――もし違うなら――嬉しいんだけどなぁ――」
――はあ? 何ですと?
「それにしても、支部長達、ひどいですよね。
リナさん達をあんな所に行かせようとするなんて」
話をはぐらかしたいのか、唐突な話題転換。
「あんなトコ――って、知ってるの?」
「あ、僕ここで書記もやってますから、いろいろと」
――――。
「えーと……、あなた名前は?」
「あ? ああ、失礼しました。
エイノス=オルドーンです」
「じゃあエイノス、『魔の住む森』のコトで、他に知ってたら教えてくれる?」
「――まだ協会でも、あそこの事はよくわかってないんですよ。
何でも、エルメキアの協会から調査隊が出たものの、ほとんどは戻ってこなかったらしくて。
ほんのわずか戻ってきた者も、気がふれていたとか――」
はー。ありがちな展開ぃー。
こりゃ、調査が上手く行かなかったのを隠そうとしたか、アジトが漏れるのを嫌がった例の暗殺団か――最悪魔族にでも襲われたか、ってトコじゃないのかね。
「――あ、あと。
この件に関係あるかどうかは知りませんけど、何か天啓が下ったらしいですよ」
「天啓? どんな?」
「そこまではちょっと――。
でも、上の方では極秘ながら、だいぶ騒ぎになってるみたいです」
うーみゅ、『森』のコトと言い、どうにもタイムリー過ぎるなぁ。
何か関連でもあるんだろうか?
「すいません、肝心な所がわからなくて」
勝手に解釈してしゅんとするにーちゃんに、あたしは話を切り替える。
「気にしないで。
そんな騒動になってるなら、そのうちどっかから漏れてくるでしょうよ。
それより――、ここの協会で、ネイムさん――騎士団長と確執があったような人っている?」
「まだ聞き込みですか?
それは支部長達が――」
エイノスにウィンクして見せる。
「やめるなんて一言も言ってないわよ、あたしは」
にーちゃんの戸惑っていた顔が、再び輝く。
「それでこそ、リナさんです!」
とりあえず何人かの名前が出てきたものの、それほど大物ではなさそうだ。
騎士団長を手にかけようなんてほど、軋轢は強くはなかったようだし、重大なリスクを犯してまでこんな思い切った行動に出るとは考えにくい。
「支部長や副支部長は?」
「支部長とは――良くも悪くもなかったと思います。
副支部長は、ホラ、騎士団の副団長と懇意じゃないですか。
その関係で――いろいろあったみたいですけどね。
ただどちらも貴族出身ですから、騎士団長に直接は手を出しにくかったと思いますけど――」
「どうして?
あちらにすれば、『たかが傭兵上がり』じゃない?」
にーちゃんは人の気配を探るように一度ドアの方を見てから、小さな声で囁いた。
「知らないんですか?
騎士団長の奥方の父上――この国の将軍なんですよ」
げっ!?
「いくらこの領地の貴族とは言え、領主の長である国王直属軍の将軍を敵に回したくないでしょう」
そらそーだ。
うっかり反乱の兆候あり、なんて判断された日には、身分も何もかも剥奪されて投獄される恐れすらある。
ドリュパやジェンがどんなに不満Maxでも副団長の座に甘んじていたのは、この関係があるのかも――。
「僕はそうは思えませんでしたけど――、就任当初は騎士団長の地位が欲しいばっかりに、お嬢さんをたぶらかして結婚したんじゃないかって、もっぱらの噂でしたよ」
――あの夜のネイムの姿が甦る。
奥さんのコトをのろけていた彼には、そんな計算高さは感じられなかった。
ただの女房にベタ惚れした亭主としか見えなかった。
でもその真偽はともかく――そんな地位の舅がいたら、それだけでも自国や他国の貴族達としがらみがあっても不思議じゃない――。
これはますます、髭男の情報に信憑性が出てきたってことか――。
貴族の情報も調べた方がいいな、これは――。
けど、このにーちゃんにそこまでの情報を求めるのは無理ってもんだろう。
「ありがと、助かったわ」
「そうですか、よかった〜。
リナさんがいらっしゃるって聞いて、記録係に立候補した甲斐がありましたっ」
喜色満面のエイノス。
「もし僕に協力出来るコトがあれば、何でも言ってください。いつでもよろこんで協力します!」
はっし!
――ちょっと待て。
何のりだして、ヒトの手を取ってるのよ、あんたはっ!?
「もしリナさんさえよろしかったら――」
こ、このミョーに上気した頬に潤んだ瞳は――こいつ、もしかして、もしかしてっっ!?
「僕は―――」
うあうあうあうあうあっ!?
こ、これってぴんちっ!?
しっかり握られてしまった手に、にーちゃんの顔が近付いて―――
刹那。
脳裏を過ぎる、見慣れた顔。
――ガウリイっ!
「魔風〈ディム・ウィン〉!」
どんぐぁらがしゃんっっ!!
ソファと一緒に吹っ飛ぶにーちゃん。
肩で息をしてるあたし。
ひたすら嫌悪の感情だけが、全身に満ちる。
何でよっ? たかが手を握られたくらいで――。
今までだって、この位のコトは皆無だったわけじゃない。
なのに、どうしてこんなに――?
『おいっ! どーしたっ!?
何かあったのかっ!?』
激しいノックと共に、開いたドアから数人が飛び込んで来た。
部屋の様子を見て――原因はともかく――状況はわかったのだろう。
協会員とおぼしきおっさんが、あたしに向かって怒鳴る。
「あんたっ! いったい何をしたんだっ!?」
もちろん、返事などしてやる義理はない。
「この協会にまで、トラブル持ち込む気かよ!」
おそらく、例の噂を鵜呑みにしたヤツだろう、後ろからの怒号。
ゆっくりと視線をそちらに向けると、一同が少し引く。
このくらいでビビるなら、最初っから非難なんてするんじゃないっての。
「ち、違うんです……!」
椅子の向こうから、にーちゃんが必死に起きあがろうとしていた。
「ぼ、僕が自分でつまづいただけなんです。
リナさんは関係ありません」
――はう?
「本当か?」
「――すみません、騒いじゃって――」
コトの真相はともかく、本人がそう主張する以上、反論する余地もなく。
野次馬達はすみやかに立ち去って行った。
「――礼なんか言わないわよ」
踵を返したあたしに、今度はにーちゃんが叫ぶ。
「す――すみません――!
決して、ヨコシマな気持ちじゃなかったんです!
ただ――そう、ただ、敬意を示したくて――」
苦しい言い訳。
「許してください――」
卑屈な程の懇願。
――――――
こんな気の小さいにーちゃんだ。
ちょっとだけ下心があったにしても、本質はそうなのかもしれない。
頭ではわかる。
でも――この不快感って――何なの?
このにーちゃんが特別嫌いなタイプだったって言う訳じゃない。
なのに、触られたくない。
まして――なんて――絶対に――
混乱する頭の中にさっきから浮かぶのは、たった一人の顔だけ。
どうして?
いつも護ってくれる『保護者』がいないから?
――あたし、こんなにガウリイに頼ってた?
たかが、こんな無害そうなにーちゃん相手に――
何か情けなくて、イヤすぎて涙が出そうだ――
ヘンなのはあたしも一緒じゃない……