とても眠れる状況じゃなかったけど――時々意識が飛んだってことは――うとうとはしたんだろうか。
時々動くガウリイの手に――目を開けて――視線だけで確かめる。
明かりはあっても――最初よりずっと暗くなってはいたけど――見やすくはなく。
それでも――この位置から――離れたくなかった。
ガウリイの暖かさと――息づかいが聞こえる――この体勢から。
長かったような――短かったような――淀んだ水の底のような時間の流れの中。
はっきりとしない――思考の螺旋にハマりながら――あたしはたった一つのコトを思う。
どうすれば――ガウリイを――護れるの、か。
他の全てを放り出してでも――どうしても――護りたい、と。
6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その1)
さわ……さわ……さわ……
――――――ん?
さわ……さわ……さわ……
何だろ――髪に何か触ってる?
「…………………」
へ?
何?
すり。
――――んんんんんんんんんんんんんんんんんっ!?!?!?
自分でも予想外の勢いで、頭がはね上がっていた。
がったん!
勢いでひっくり返りそうになった椅子を、反射的に押さえる。
そのまま固まってしまったあたし――と、びっくり顔のガウリイ。
「――め、目が覚めたのっ?」
「――ああ――おはよ」
「お、おはよう――き、気分は?」
ゆっくりと苦笑が浮かぶ。
「平気――だ」
――ったく。
ホントにウソつけないんだから、あんたって。
確かにゆうべに比べたら、顔色もずいぶん良くなったし、声も出るようになってるけど。
だけど、初めて見たヒトだって全員迷わず言うぞ。『具合悪いんですね』って。
「――リナ?」
――くは?
やだ、何で名前呼ばれてビビるかなぁ?
「い、今顔拭いてあげるね」
た、確かに美形の憂い顔ってのは、絵になるんだろうけどさ。
――って、そんなんじゃないって〜。
「気にしないで――もっと休んでろ」
声って――腹筋で出すって本当なんだ。
いつもの軽い口調なのに、全然力入ってない。
そんななのに――ヒトの心配なんてしなくていいってば。
こんな時まで、保護者してたいワケ?
「あたしが――気になるの。
よだれの跡付いてるんだもん」
慌てたしぐさで口元をこするガウリイに、あたしはようやく少しだけ笑えた。
「冗談よ」まだようやく夜が明けたくらいだろうか、外にも喧噪の気配はない。
タオルを絞って顔を拭こうとすると――ガウリイがじっとこちらを見ていた。
深い深い蒼。
昨日より生気は戻っているけど、いつも見慣れた瞳の色じゃない。
それがひどく切なくて。
「――そんなに凝視してなくったって、アヤシいコトなんかしないわよ」
「――する気――だったのか?」
「して欲しいの?」
「遠慮――しとく」
ガウリイはくすっと笑うと、大人しく目を閉じた。
「どこ――行くんだ?」
桶を片づけようとした時、ガウリイが腕を掴んできた。
「ど、どこって。水取り替えてくるだけ――よ」
思いがけない反応に、正直戸惑ってしまう。
「いいから――。
――ここにいろ」
真摯な表情。
いつもは見せたコトのなかった顔。
だから余計に――切なくて。
「わかったわ。――ダダっ子みたいね」
その重さをそらすように軽口をたたく。
「病人ってのは――そんなモンだろ?」
ガウリイも軽く――重い言葉を口に乗せた。
あたしはあらためて椅子に座り直し。
ガウリイは横向きになろうとして――結局顔だけこちらに向けた。
「手伝おっか?」
「いや――いい」
多分、横向くと肺に圧力がかかって辛いんだろう。
「無理しないでよ?
具合悪いならちゃんと言わないと承知しないからね」
「わかった」
沈黙。
診療所の中も、まだヒトの動き出した気配はない。
ガウリイは時折、深く息を吸い、ため息をつくように吐きだしている。
「何か話してる方がいい?」
「ああ」
調子の良くない時は、その方が気が紛れるだろう。
あたしは昨日魔道士協会で話したことと――ネイムの義父に会ったことを話した。
彼とネイムの奥さんが、ガウリイに会いたがっていると言うことも。
いつもなら飽きて寝ているんじゃないかと思えるくらいの間があって、ガウリイは小さく呟いた。
「―――――そっか」
ネイムの奥さんがどんなヒトかはわからないけれど――。
あんな風に亡くしたばかりの夫をよく知るガウリイが迂闊に訪ねていったら、余計に辛い思いをさせるかもしれない――という危惧はあたしにもある。
父親の将軍のように、立場や鍛錬で鍛え抜かれた御仁とは違う。
深くネイムを愛していればなお、他人には計り知れないほど深い悲しみもあるだろう――。
「――ねえ。少しだけ話しても――大丈夫?」
「ああ」
「昨日、あたしが預けた『宝石の護符』がミョーな反応したって言ったでしょ?
何が――あったわけ?」
ガウリイは少し考えてから、毛布の下でごそごそと緩慢な動きをして、何かを取り出した。
そこにあったのは――間違いなくあたしの持たせた『宝石の護符』。
「ちょ、ちょっと見せて」
しげしげと見つめても、何の異常も見られない。
ヒビどころか、傷の一つも入ってやしなかった。
「――じゃあ、あれって何だったのよ???」
「オレに――訊くなよ」
いつもの苦笑。
「なら――、状況を思い出してみて。
髭男……ハルダムと一緒に雇い主の所に行った。
それはいいわよね?」
ガウリイは右手の人差し指をあたしに向ける。
「――あ、そっか」
今度はあたしがポケットを探る。
あの時ガウリイが持ち帰ったメモをどうしたかなんて、今の今まですっかり忘れてた。
えーと、えーとっっ。
おひ、そのまま落として来ちゃったんじゃないでしょね。
冷や汗が出そうになった時、ようやく懐から発見。
あーよかった。
…何でそんなトコに入れてたかなんて訊いてはいけないよ。
もちろん中身なんか見てるはずもないので、二つ折りになっていた羊皮紙を広げてみる。
『ニーヴンス。織物行商人。4日後着』
ガウリイに目を向けると、軽く頷きが返ってきた。
「――そいつが――詳しく知ってる――ってさ」
「4日後――ね。
なら、ちょっとは余裕があるわけだ」
あたしはまたたたみ直して、今度はポケットに入れた。
「とりあえず、この算段は後にしましょ。
で?
この用が無事に済んで、あんた一人で戻ってきたわけ?」
「そうだ」
まあ、これだけしっかりした情報が手に入ったなら、あえてハルダムが危険を犯して街に戻ってくる理由はないわな。
この街での商売を見送った雇い主が、それを許したとも思えないし。
正直に言っちゃえば――、あのうらぶれたにーちゃんがいたトコで、これ以上役に立ったとは考えにくいからいいけどさ。
「それっていつ? お昼前?」
「――いや。
そこの農家のおかみさんが――メシ出してくれたから――」
――そーいう覚え方かい。
「それから帰って来たにしても――時間かかりすぎてるじゃない?
どっかに寄り道でもしてた?」
ちょっと困った顔をしてから、ガウリイが呟いた。
「――そういうつもりは――なかったんだが」
「まさか――誰かに襲われたとかいうんじゃないでしょね?」
一番の危惧が、口をついて出てしまった。
「――違うって。
――途中でちょっと――具合が悪くなって――木陰で――な」
バツ悪そうなガウリイを、ジト目でにらむ。
「ちょっとぉ?
ちょっとで血ィ吐くんかい、あんたはっ」
ったく。
ヒトがどんなに心配したか、わかっとんのかこのクラゲはっ。
「――ん――と。―――――すまん」
「いいかげん、観念して正直に言いなさい」
「急に――胸苦しくなったって言うか――。
とにかく――感覚が遠のいてきて――ヤバイなって――」
「それで、街道沿いの木陰で休んでたって言うわけ?」
「――そのつもりだった――んだが――。
途中で――真っ暗になっちまって――あとは――わからん」
とっさに頭の中に倒れるガウリイの姿が浮かんで、震えが来てしまう。
それに気付いたのか、ガウリイがあたしの頬を撫でてきた。
「――言わない方が――よかったろ?」
「知らない方が――もっと心配――するわよ」
知らないのはイヤだ。
あたしの知らない所で、ガウリイが取り返しの付かないようなコトになってるなんて――、絶対に。
「そっか」
「――それで?
まさかそのままぶっ倒れてたってワケじゃないでしょ?」
あたしが街道を探した時、脇にも目をやっている。
ガウリイがそんな風にして倒れてたなら、目の届かないような奥まで行けるはずがない。
なのに、間違いなくあそこにはいなかったってコトは――
「ああ。
――気が付いたら――どっかの農家でな。
そこの旦那が――馬車で通りかかって――」
「あんたを見つけて、自分の家で休ませてくれたんだ」
「――らしい。
その後、また街まで――送ってくれた」
なるほど。あたしが通ったのは、その後だったわけね。
どっかで野たれてないだけよかったけど――、でも。
「こんなに具合悪かったなら、そのまましばらく休ませてもらえばよかったでしょうに――。
――そうすれば――」
ガウリイは意外そうな表情を浮かべた。
「――だって――おまえが待ってるじゃないか」
あたしはどんな表情をしたのだろう。
苦笑いしてあたしの頬をもう一度撫でてから、さらに続けるガウリイ。
「おまえが待ってる限り――帰って来るさ」
不覚にも涙が出そうになってしまった。
それだけのために?
――あたしが待ってるから?
喀血するほど具合の悪い身体を引きずって――バカ正直に帰ってきたわけ――?
――ダメだよ。
ずるいってば――。
そんなコトされたら、あたしどうしたらいいのよ。
どう返したらいいって言うの?
「――そんな顔――するなって――。
ちょっと心配――させちまったけど――ちゃんと帰ってきたろう?」
ガウリイの大きな手の温もりを感じながら――、あたしはようやく、たった一つの言葉を紡ぎ出す。
「おかえり」
「ただいま」いつも通りのガウリイの笑顔が、すぐ側にあった。
ようやっと――ガウリイが帰ってきたんだと――実感できたような気がした。
頬にあったガウリイの右手が、撫でるように耳の後ろへ静かに差し込まれてきた。
ほんのわずか――意識しないほどの力がかかって来て――頭が引きよせられる。
何の違和感もなかった。
自然に――という言葉が当てはまるなら、文字通りそのままに、あたしとガウリイの距離が近付く。
ただ印象的に映るのは、ガウリイの優しい瞳の蒼。
その認識もぼんやりと薄れる。
目を閉じていたのかもわからない。
ほんの微かな―――