6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その3)
うわぁ、最悪。
ま、まあ、ここはこの子の家なワケだし、お子ちゃまに喪中もないワケだから――庭で遊んでたって何の不思議もないけど――。
頼むから、泣き出したりしないでよ〜。
「あ、あ、あのね、おねーちゃんはね………」
「どろぼう?」
「し、失礼ねっ!
おとーさんのお友達よ」
紫がかった灰色の瞳に浮かぶ、あからさまに訝しげな表情。
「おともだちなら名のれるよね?」
あら、ずいぶんしっかりしてるじゃない。
「リナよ。リナ=インバース」
ようやく信じてくれたようで、笑顔が浮かぶ。
「リナさんならしってるよ。
おとーさんがいってた」
おいおい、息子にまで話ししとったんかい、ネイムっ。
「ねえ、ぼうやっ」
「名のってくれたから、ぼくも名のらなきゃね。
トゥールっていうんだよ」
「じゃあ、トゥール。
おじーちゃんに会いに来たんだけど――取り次いでもらえる?」
「おじーちゃんはでかけてるよ」
あららら、せっかく忍び込んだのに無駄足だったか〜。
「でも、おかーさんはいるから、よんであげるね」
――――――はいー!?
「おかーさん!」
止める間もなく子供特有のよく通る声で、近くの窓から家の中に向かって叫んでしまう。
「い、いや、ぼうや、あのねっ」
「だって、ようがあってきたんでしょ?
ねー、おかーさんっ!」
うはあ、頭が回るお子ちゃまって、こんな時困るぅぅ〜。
しゃーない、今は退散すると―――
「トゥール? どうしたの?」
どうやらあたしは、とことんタイミングを外しまくってしまったらしい。
長い廊下の向こうから姿を現したのは、これまた見覚えのある――――黒髪美女。
もう逃げるわけにもいかず、窓越しに軽く会釈する。
彼女はすぐにとって返すと、ベランダの戸を開けて姿を現した。
「おかーさん、リナさんだよ。
おじーちゃんにようがあるんだって」
宝物を見つけて自慢するような調子で側に行った息子の頭を撫でてから、あたしの方を向く。
「はじめまして、リナさん。
わたくしはハーストルフ=ネイムの妻で、トリスティアと申します」
かなりやつれているものの、とても優しい微笑みだった。
「はじめ――まして」
どうやら不法侵入は不問に期してくれそうである。
「父は今、所用で出ておりますが、お話は聞いております。
さあ、どうぞお入りになってください」
「あ、いえ、閣下がいらっしゃらないなら、後からまた出直して――」
奥さんはもう一度微笑む。
「いいえ、わたくしもお会いしたかったのですから、少しだけでもおつき合いくださいな」
昨日とは違う客間に通されると、メイドのおばさんがお茶を運んできた。
「さあ、どうぞ」
あたしの向かいに座ったネイムの奥さんが促す。
うーん、あらためて見ると、ホントに綺麗なヒトだなぁ。
柔らかいウェーブを描く長い黒髪、整った顔立ち、さらにナイスバディ。
物腰も優雅というか――育ちの良さが漂う。
でも――ちょっとだけ違和感。
あのネイムが――こんな穏やかなお嬢様然とした女性が好みだったんだろうか?
それは置いといて、とりあえずお悔やみを述べる。
「おそれいります。
――こちらこそ、リナさん達まで厄介事に巻き込んでしまって、本当に恐縮しております」
うわー、ホントにお嬢様――って今は人妻…未亡人ではあるが――だぁぁ。
こりゃあ、あの将軍があんなに大事にしてるのも、わかるわ。
「そ、そんな、奥さんの責任じゃあ……」
「どうぞ、トリスティとでもお呼び下さいな」
「あ、はい、じゃあトリスティさん。
伏せってらっしゃったと聞きましたが――大丈夫なんですか?」
「ありがとうございます。
でも――いつまでも寝込んでいてはいられませんわ。
子供達が可哀相だぞ、って、ハースに叱られてしまいますもの」
淋しそうな微笑み。
ううー、この展開が辛いから、当分このヒトには会いたくなかったんだけどなぁ。
唐突なノック。
「すみません、リナさん。
――なんです?」
トリスティさんの応えに姿を現したのは――赤ちゃんを抱いたメイドとおぼしき中年の女性。
「ご来客中に大変失礼いたします。
ハルティ様のご機嫌が、どうしても――」
黒い巻き毛の赤ちゃんは、抱かれた腕の中でもごもごと動いている。
側に行ったトリスティさんは赤ちゃんを受け取って、抱き慣れたしぐさで軽く揺すった。
さすがにおかーさんが一番いいのか、すぐにおとなしくなる。
けれど、メイドさんに渡そうとすると、またご機嫌急速傾斜。
「しかたないわね。
しばらくあやしているから、眠ったらお願いね」
「はい、お願いいたします」
奥様に答えた後、あたしに向かって頭を下げ、
「申し訳ございません」
「あ、いえいえ……」
うーみゅ、雇い主共々、腰の低いヒトだなぁ。
立ち去っていくメイドさんを背に、トリスティさんがあたしに苦笑いする。
「無理言っていていただいたのに、ばたばたしていてすみません。
やっばり普段とは違う雰囲気を子供なりに感じているらしくて、ずっとこんな感じなものですから――。
大人しい子ですので、しばらくご容赦下さいね」
「いえ、こちらこそ、こんな時にお邪魔しちゃってるんですから――。
この後まだ用もありますし、すぐにおいとまします」
うー、居心地悪ぅ。
「お話ししたい事は沢山あるのですけれど――、お時間がないなら、これだけは真っ先にお聞きしておきませんと。
昨日は何か緊急事態でお帰りになったとか。父と心配しておりました。
ガウリイさんはご無事でしたの?」
とっさに返答を迷ったあたしを正面から見つめると、トリスティさんがうって変わって凛とした声を出す。
「わたくしへのお気遣いならご無用です。
歪められた情報には、何の価値もありません。
これでも軍人の身内ですから、普通の方々よりは荒事に慣れておりますわ」
――なるほど。
このヒトは――目に力がある。
ネイムも将軍もそうだったけど――、常に前を向いて事実を受け入れていけるタイプなんだろう。
夫の災厄は、確かに彼女をひどく打ちのめしはしたに違いない。
でも、きっと不幸に沈みきってしまわない――時間はかかっても悲しみを自分の中で昇華して、また自力で立ち上がれるにヒトだ。
やっぱりネイムの洞察力は間違ってなかったってコトね。
このヒトに話せば、将軍にもちゃんと伝わるだろう。
あたしはガウリイが治療を受けているというまでを、順を追って話した。
「そうでしたの――。
とにかくご無事でなによりでした。
どうぞハースの件はお気になさらずに、ゆっくりご養生下さいとお伝え下さいね」
優しさのこもった言葉に、礼を言うと。
重たくなりかかった雰囲気を自然に流すように、トリスティさんが話題を切り替えた。
「父から、ハースがあなたにお渡ししようとしていた書類の事も聞きました。
その件はわたくしがお力になれるかと思いまして――」
あたしは身を乗り出した。
「はい、よろしくお願いします」
「では、まずそちらにご案内いたしますね」
さっと赤ちゃんを抱いたまま立ち上がると、居間を出て行こうとするトリスティさん。
行動の早さに、あたしも慌てて後に続く。
「ハースの部屋は2階ですの」
客間から出て、長い廊下を少し進んだ左の壁側に階段があった。
そこに片足をかけた所で、トリスティさんの視線が今まで歩いてきた廊下の奥の方に戻る。
ん?
あたしはまだちゃんと玄関から入ったコトはないけど、多分そちらの方向だと思う。
あたしがどうしたのか訊く前に、奥さんはそのままそちらを覗き込むようにして、誰の姿も見えないまま声をかけた。
「――玄関の方がまだ騒がしいようね、様子はどうなのです?」
反応したのはけたたましい足音。
廊下の角から姿を現したのは――あら、さっき門のトコで問答してた兵士のおぢさん。
「申し訳ありません、トリスティさん。
実は、副騎士団長が今日こそはどうしても会わないうちは、帰らないと言い張っていまして――」
あちゃー、あのおっさん、まだねばっとったんかいっ。
今まで優し気というスタンスから動かなかったトリスティさんの表情が、きりっと引き締まった。
おおっ?
「――では、お伝え下さい。
『わたくしなどに会っている時間があるなら、貴公にはもっと最優先でやるべき事があるでしょう。
せめて、夫を手にかけた者の手がかりでも見付けてから、おいでなさい』と」
さっきよりさらに凛とした声音。
それは有無を言わせない強制力を持つ言葉――命令に足るモノ。
もちろん、将軍の娘で騎士団長の妻とは言え、彼女自身には何の権限はないだろう。
でも、これはそんなコトを吹っ飛ばしてしまうくらい――もし、彼女が軍属なら、間違いなく指揮官が務まるに違いない――ほどの威力がある。
おそらくおぢさんの方もそれを承知しているようで、安心したような顔で軽く頷くと、また視界から姿を消した。
「お見苦しい所をお目にかけてしまいました。
びっくりなさったでしょう?」
あたしの方を振り向くと、また元の調子に戻るトリスティさん。
「あ、いえ――。
それどころか――、ネイムさんがトリスティさんを選んだ理由がわかったというか――」
「まぁ?」
今度こそ階段を上がりながら、トリスティさんが軽く笑いを漏らした。
「わたくしを深窓の令嬢とでもお思いでした?
貴族でも何でもない、ただの軍人の娘でしかありませんよ。
父は元々は一介の兵士でしたもの。
若い時に国王の危機を救ったという功で取り立てられただけで――」
おい、それってスゴいって言わない?
「ですから、父は似たような境遇のハースをたいそう気に入ってしまって――」
そこまで言って、トリスティさんが口ごもる。
「すみません、そんな話をしたくてお呼びしたわけではありませんでしたね」
――それを責めるのは酷と言うものだろう。
こんな時にあたしに気遣ってくれるだけでも、十分大変だろうに――。
「こちらです。――驚かないで下さいね」
ちょっと苦笑いのようなニュアンスで、トリスティさんが開いたドアの向こうを見て――、あたしは絶句した。
そこは自室兼書斎と言うにはかなりの広さで――、他の部屋と同じように、質も細工も良い――あくまでも実質本意という感じの家具調度が置かれていた。
部屋は持ち主の性格を顕著に表しているというけれど――、何なのこれ???
トリスティさんは慣れっこらしく、呆然としているあたしを廊下に残したまま、中に入っていく。
彼女が向かったのはおそらく机があるとおぼしき、書類と本に埋もれ雑然とした地帯。
まるで突然の来客に、部屋中に散らかった物をそちら一方だけにかき集めたという感じで――、部屋の反対側はチリ一つなさそうなくらい見事に、整然と片付いている。
「ハースは書類の関係に触るのを、わたくしにしか許しませんでしたの。
それも、仕事の区切りが付いた時にだけで。
だからといって、何ヶ月も掃除しないと言う訳にはいきませんでしょう?
ですからいつの間にか折衷案と言いますか――こんな奇妙な状態で収まってしまったのです」
「――はあ……」
いや、理屈はわかるけど……、すごい世界だなぁ。
トリスティさんは赤ちゃんを抱き直すと、半開きになっていた大きな書類棚の扉を開いた。
ここも他と一緒で、まるで泥棒にでも入られた後みたい。
「ここには昔の書類や書き付けが入っていたようです。
今は必要ないと言いますので、わたくしもこの中の物には触れたことはありませんが、一番可能性があるのはここでしょう。
――おそらくまとめた物は、あの時に持ち出していると思いますから、残っているのは資料だけだと思いますが」
あたしは思わずテンションが上げてしまった。
「十分です! どうもありがとうございますっ」
えらく遠回りしちゃったけど、最初のナゾがここで解ける可能性は大なのだ。
うまくわかれば、ネイムの事件の手がかりも得られるかもしれない。
「――ただ、一つだけ問題がありまして……」
トリスティさんの静かな声に、喜びの余波でつい素っ頓狂な声を出してしまうあたし。
「は?」
「これを――ご覧下さいな」
机の天板も見えないくらい広げられた書類の一つを、優雅な白い指が示した。
どうやら、何かのメモらしいが――
―――――――――
「お読みに――なれます?」
苦笑いする彼女に、あたしはぶんぶんと首を振る。
た、たしかに、羊皮紙に何か字らしきモノが書いてあるのはわかる。
わかるけど――判読できないっっ!
トリスティさんはすまなそうに苦笑いして。
「ハースの悪筆は、傭兵時代の生き残り術だったそうで――今でも他人に知られたくないような内容の物は、そんな感じで書いておりました」
「生き残り術――って」
「傭兵の隊長には、極秘の指令のやりとりがあったりしますでしょ?
いくら手練れの部下に伝令をさせたとしても、途中で捕らえられたり盗まれる危険はつきまといます。
ですから――」
「万一敵方の手に渡っても、解読出来ないように――したと?」
「ええ、伝令か正規軍の司令官が判読出来ればよい――と」
た、確かに、横にある公式文書らしいモノは、これ以上ないってほどキレイな字で書いてある。
とてもおんなじ人物の書いたモノとは思えない―――けど――。
別のイミでは読めない字で書いてあるのに限定して探せばいいとも言う――けど――。
どわー、用心深いのがこんなトコでアダになるとわぁぁぁっっ。
「――で、トリスティさんは――?」
頭を抱えつつ、最後の頼みの綱に問うてみる。
「多少なりとは――。ですから、リナさんにそれをお教えする事は出来ます。
ですが――それだけ時間が余分にかかるのは否めないでしょうね」
―――はあああっ。
「――わかり――ました」
仕方ないか、そのくらいはぁ。
実際、ネイムがまだ傭兵だった頃から秘密裏に集めていたというのだから、誰にいつ見られてもいいような対策を講じていても不思議じゃない。
「それで――僭越なのですけど。
ハースの話から察するに、この事はガウリイさんには秘密なのではありませんの?
体調を崩されてるとなればなお、リナさんだけこの作業に専念なさる時間が取れますか?」
――そうだった……。
今の治療でガウリイが全快出来ても、すぐに普段通りとは行かないだろう。
宿に一人で置いておくワケにはいかないし、だからといって別行動で調査というのも、言語道断。
だいたい調査そのものだって、あのあらぬウワサが落ち着くまでまともに出来るかもアヤシい。
いっそ、強制『眠り〈スリーピング〉』でもかけて――?
「――リナさん?」
「あ、はい?」
「まことに不躾な質問で恐縮ですが――、今宿はどちらを?
もしリナさんさえよろしければ、わたくしの名でお呼び立てするという形を取って、ガウリイさんのお世話には家の者を差し向けましょうか?」
うわぁ、作戦参謀の才もあるんかい?
「いえ、そこまでお世話には――」
「かまいませんのよ。
皆、長年我が家に仕えてくれた者ばかりですから、信頼できますわ」
「いや、そういうワケじゃなくて――」
正直、今の宿でこれ以上騒ぎになったら、それこそいられなくなっちゃう恐れが――
「もしかして――今回の事で何かご迷惑がかかっているのではありませんの?
それでしたら、なおのこと――」
うわー、違う方向に暴走しないでぇぇ。
しゃーない、いつかは耳に入るんだろうから、誤解される前に言っておこうっと。
「そうじゃないんです。実は――」
あらぬウワサに関する説明を聞いたトリスティさんは、ちょっと考えてから――きっぱりと、『とんでもないコト』を言い放った。
「それならば、我が家にご逗留下さい」はいーーーーーーーーーーー????
やっぱ、すげーヒトかもしんない、この人妻様は。