6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その4)
「待ってください、トリスティさんっ。
いくら何でも、喪の真っ最中のお宅に傭兵が二人も転がり込むなんてのは、問題ありすぎですってば」
「さらに噂になる――ですか?」
穏やかすぎるほどの微笑み。
けれど、その口から流れ出るのは――強い意志。
「口さがない者達に振り回されていて、何になりましょう?
今、ハースに対しての一番の慰めは、皆が悲しみに暮れる事ではないと思います。
一番しなければいけない事を、最優先に考えなくては。
リナさんにとっては、夫の伝えたかった事を探す事。
ガウリイさんには、とにかく体調を元に戻す事。
そして、わたくしがお二人に助力出来る事は――それですわ」
「まあ、それはそうでしょうけど――」
うーん、このあたしを押すとは、すごい説得力。
「第一、リナさんはガウリイさんが流行病などと思っておられるのですか?」
「とんでもない!」
「ならば――問題はないではありませんか?
この家にいる限り、たとえ排斥騒ぎが起きたとしても、ガウリイさんにまで直接手が及ぶ事はありません。
いっそ高名な魔法医を呼び寄せて、診立てをさせるというデモンストレーションでもすれば、かえって民衆は安心し、あらぬ噂は自然に消えていくでしょう。
リナさんもわたくしの手伝いという名目で、いくらでもお調べになれるでしょうし。
それに――」
「それに?」
トリスティさんが苦笑いした。
「ハースのいないこの家は――淋しすぎますから」
――もう何にも言えない。
「わたくしのわがままだと思ってくださってもかまいませんわ。
――ハースは結婚してから、機密に関する事以外は何でも話してくれました。
ですが、それ以前の事はほとんど何も語ってはくれなくて。
きっと――わたくしが想像付かない程の重い物があるのだと思いまして、あえて聞かないように心がけて来たのです。
その中で唯一話してくれたのが――ガウリイさんの事でした」
話さない過去――それは、ガウリイにも通じるコトだ。
ネイムがあの時あたしに語ってくれたように、奥さんにも語ったのだろうか。
それだけ、彼にとってガウリイは大事な存在だったんだろう――。
「もう失われてしまったからこそ――少しでもいいから、夫の事を知りたいと思うのです。
ガウリイさんなら、わたくしの知らない事をご存知でしょうから。
ですから――ご迷惑をおかけしてしまうのは、わたくしの方――」
目から堪えきれない涙が溢れ――トリスティさんは隠すように赤ちゃんを抱きしめた。
この世で一番愛おしい存在が永遠に失われてしまうというのは――どれほどの悲しみと重みを持つんだろうか――。
昨日、ガウリイが倒れた時の自分を考えて――また生々しく胸が締め付けられるような痛みを覚える。
あれが――もし最悪の事態になってしまったら――あたしはどうするんだろう?
以前――あたしはガウリイを取り戻すために、世界を賭けた。
あの重みに比べたら――トリスティさんの願いは、あまりにもささやかだ。
「――すみま――せん。不調法で――」
赤ちゃんのよだれかけで涙をぬぐっているトリスティさんに、あたしは言った。
「わかりました。
これからガウリイを迎えに行って、そのままこちらにご厄介になります」
リアクションが来る前に、さらに追加。
「ただし――これもご存知でしょうけど。
ガウリイの記憶力には、あんまり期待しないでくださいね」
あたしのウィンクに、ようやくトリスティさんに笑みが戻る。
さすがに武人の子、赤ちゃんはいつの間にか、すやすやと寝息を立てていた。
うーーーーーーーん。
いったい何なんじゃい、この展開はっ。
トリスティさんが馬車で送ると言うのを何とか断って、途中まで『翔封界〈レイウィング〉』を使い、後は悪目立ちを避けるために徒歩で診療所へ向かう道すがら。
とは言え、トリスティさんも言った通り、勝手な噂を怖がっているワケではない。
ガウリイの回復ぶりがわからない今の段階で、これ以上余計な厄介はゴメンなだけ。
でも、今までと違って鬱陶しいばかりの気分ではなく。
嬉しい要素も沢山出てきた。
ガウリイの養生の問題が片付いたのが嬉しい。
ネイムの情報の手がかりが見つけられそうなのも、さらに嬉しい。
もちろん、宿と食事の心配がなくなったのは、最大に嬉しい。
――けど――ちょっとだけひっかかるモノが一つ。
――何なんだ、この脱走欲求らしきモノは。
ふと気付くと、いつの間にか。
このまま進んでいいもんか――なんて、どうして考えてるんだろう、あたしは?いかん、いかんっ。
昨日のショックの余波が残ってるんだろ、きっと。
ったく、ガウリイがあんなに心配させるからだぞ。
――あいつ、ちゃんと治ったかな?
トリスティさんの申し出にどう反応するだろう?
あの家はネイムのコトを思い出させちゃうだろう――か。
不意に、彼を失った時のガウリイの顔が甦る。
ずっきゅん。
また胸の痛みを伴って、今度は切なさと同時に異様な気恥ずかしさが湧き上がってきた。
は、はあっ???
な、何これ???
その場で地団駄踏みたい衝動に駆られる。
わ、わかった…………。
さっきから浮かぶ脱走欲求――。
今朝の――あの醜態。
う、うわ〜、気付いちゃうと、余計に逃げ出したくなるっっ。
リナ=インバースともあろう者が、何なのよ、この体たらくぅぅ〜!
こ、これで、まともにガウリイの顔を見られるんだろうか――――――(ぐは)
こん。ん???
あたしはたった今頭にぶつかった『何か』を探す。こんっ。
ぽとっ。
足下に落ちたのは、ちっちゃな木の実。
ちょっとー!
何なのよ、いったいっ!?
特に痛いってワケじゃないけど、明らかにあたしを狙っているのは間違いなしっ?
道を見渡す。
けっこー人は歩いてるけど――こんなモンぶん投げてたら、目立つコトうけあい。
ええい、ヒトが珍しく騒ぎにならないようまぢめ〜に歩いてるってのに、例のウワサに乗っかったヤツの嫌がらせかぁ!?
ひゅん。
ぱしっ。
あたしは今度こそ、それを受け止める。
受け止めて――軌道の先を見て、ミョーなモノに行き当たる。
何か――ひらひら動いてるような――何じゃあれ?
ちょっと待て――あれって、あれってぇ!?!?!?「よ」
襲撃の主は、真下まで駆け付けたあたしに、二階の窓からにっこり笑って手を振っている。
「――ちょっと! あんた何やってんのよっ!?」
「なかなか帰って来ないから、場所わかんなくなったのかと思ってな」
「あんたじゃあるまいしっ!」
ちょっとやつれたままなのと、顔色の若干の白さを除いてはいつも通りの――ガウリイが、楽しそうに笑った。「ちょっと、もう元気になったから、これなわけ? そりゃ、よかったけど、よかったけどさっ、あれだけ気をもたせたのは何なのよっ? だいたいねぇ…………」
まるでアブナい人のよーに独り言連発しながら、あたしは道沿いに角を曲がって、診療所の敷地に入った。
ドアを開けようとして、自然にため息がもれる。
――ったく、あれこれらしくなく悶々としてたのは何のため?
あれって、ガウリイには何でもないコトだったわけ?
拍子抜けする位の明るさで、一切合切吹っ飛ばされてしまったよう。
何だか安心したような――
気が抜けたような――
そりゃ、嬉しくないわけじゃないけど――さ。
何なんだぁ、このビミョー。
中に入ると、ちょうどあのボクトツ先生――コルレンだっけ――が、診察室から出てきた所だった。
「ご苦労様です」
「あ、いえ、お世話になってます」
――何と言うか、抑揚はないのか、このヒトは。
「少しよろしいですか?」
促される――っつーよりは、反論の余地もなく、診察室へGO。
「治療は完了しました。
状態は改善しています――」
さっきのガウリイの元気さだけですでに十分納得していたあたしは、診察用の椅子に座ったまま、思わず生返事を返しそうになってしまった。
それくらいなら、ガウリイの前で言っても問題ないと思った処に――
「今のところは」
ボクトツ先生は、やっぱり何の抑揚もなく言ってのけた。
「――待って下さい。
それって――どういう意味です?」
「あなた方は傭兵だそうですね」
「は? それが何か?」
あのー。
て、展開に付いていけないんですけど〜。
「一般人なら何の問題もないと言う所ですなのが。
傭兵――戦いを生業〈なりわい〉とする方々は、体調が即、生死に関わりましょう。
ですから、あえて最悪の可能性も申し上げておきます。
これからも、『用心』は必要でしょう」
――え?
「どう調べても、症状を起こしている根本の原因は不明でした。
そうである以上、今は症状が回復しても、いつなんどきどこでまた何が起きるかは保証しかねると言うことです。
今回は十分養生するのはもちろんですが、今後もし旅などをするようでしたら、あなたも十分注意をはらってあげて下さい。
それが最善の対策だと思います」
喉がひりついて、言葉を封じられたような感じがした。
ボクトツ先生は、少しだけ表情を崩――そうとしたようだった。
とても笑っているようには見えなかったけど。
「すみません、私はこういう言い方しか出来ないもので。
そんなにも深刻な状況だとは思いこまないで下さい。
あくまでも、あなた方の可能性を考慮したまでで――」
――あは……、何だかおかしいや。
どうしてそんなに……フォローするの?
あたしがそんなにショックを受けたように……見えたんだろうか?
それとも……昨日の様子を相棒の先生から聞いたのかな?
――大丈夫よ……、あたしをフツーの女の子と一緒にしなくても。
――そう、あたしは――
お礼と治療費の会計も済ませてから、あたしは診察室を出た。
やたらけたたましい馬車の音が通り過ぎていくのを聞きながら、ゆっくり階段を上がる。
半分開いた病室のドアから、ベッドに座ったままこっちを覗き込むようにしていたガウリイが見えて来ると。
またにっこり笑って、手を振ってくる。
おい――まるで、無邪気なちっちゃい子みたいじゃない?
色気もへったくれもないじゃな―――
待てや、あたしっ。
色気って何よっ???
「おかえり、リナ」
混乱したままドアを開けてしまったあたしは、反射的に答えてしまった。
「ただいま、ガウリイ」
ガウリイは笑顔のまま問う。
「ずいぶんかかったじゃないか? この中で迷ってたのか?」
あたしは手に持っていた袋ごと、着替えを押しつけた。
「――ばーか。
どっかの誰かさんが無茶ばっかりしたツケを、返して来たんでしょーが」
さすがに鈍いガウリイにも意味はわかったようで、バツの悪そうな顔になる。
そのまま袋の中を覗いて、服を引っ張り出す。
「いーい?
今度こんなコトになったら、いくら保護者でも見捨てるからね。
せいぜい気を付けなさいよ」
そうよ――気を付けてくれなきゃ――
「お、おう」
そのままパジャマを脱ごうとするガウリイに、びっくり。
「ちょ、ちょっと!
乙女の前でいきなり何すんのよっ!」
「――何って――」
ガウリイもあらためて己の所業を認識したのか、固まったままほんのり赤くなり――。
あ、何だか下が騒がしくなったような、急患?――って、そんなコト気にしてどーすんの、あたしっ。
「――あ、――あの出、出てるから―――」
「う、うん」
あたしが廊下に出ようとした時、階下から声が響いた。
「リナ=インバース様、ガウリイ=ガブリエフ様!
トリスティア=マーセット=ネイム様からの申し付けで、お迎えにあがりました!」
ずべべべべっっっ。
ちょ、ちょ、ちょーっと! 奥様ぁぁぁぁっ!?