6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その5)
「――なあ、リナ。訊いてもいいか?」
「何よ」ごとごとごとごとごと…………
「この馬車って何なんだ? オレ達、どこに行くんだ?」
「これから説明するってば――」おうおう、往来の人達の目がスゴいこと。
そりゃー、ホロ付きのゴージャス馬車が診療所から出て来てはねぇ。
いつもよりさらに何にも状況のわかってないガウリイと共に、有無を言わさず乗せられてしまった。
ずっと診てくれてた医者は夜勤明けで帰ったとかで、あのボクトツ先生が少しだけ安心したような顔で送り出してくれた。
「――もしかして、何だかスゴい話になってるって言わないか?」
「まだスゴいわよ。それからね――」途中で寄り道してもらった宿でも、主のおっちゃんが目をひんむいて、会計間違えやんの。
そらそーだろー。
あたしの後ろでは御者のおぢさんが、あたし達の荷物の運び出しなんてやってくれてるし。
まるで、物乞いがいきなり王族クラスまで出世したよーな感じだろーなぁ。
「奥さんって――そんなヒトだったのか」
「会ってみればヤでもわかるわ。それで――」
何とかだいたいの説明が終わった頃――ガウリイの理解度は別にしてだけど――馬車はネイムの家に到着した。
うーん、立派な門だ。
考えてみれば、まっとーにここから入るのは初めてだったりする。
ガウリイと言えば、家の様子を眺めているが――何も言わない。
『ようこそおいでくださいました』
馬車を降りると、玄関に向かって並び恭しく頭を垂れる使用人達の声が見事にハモった。
「お疲れさまでした、リナさん」
その向こうから、トリスティさんの穏やかな微笑み。
正直、こんな歓待に慣れてないあたしには、違和感最大クラス。
「トリスティさん――馬車は辞退したはずなんですけど……?」
「ええ。
確かにリナさんを送迎するのはご遠慮しましたが、ガウリイさんをお迎えに行くのまでは断られておりませんでしょう?」
――うあ、にっこり笑ってそんな裏技炸裂かいっ。
その笑みが、ふっとこわばった。
視線を追うと、あたしの後ろ――馬車から降りてきたガウリイの姿。
ガウリイの方も、いつもより固い表情。
おそらく二人共、お互いの傍らに、今はいないヒトの姿を想っているに違いなく――。
「――ガウリイ、こちらがネイムさんの奥さん。
トリスティさん、こいつがガウリイです」
あたしの声に二人の硬直感が少し緩んだようで――、どちらともなく近付いて挨拶を交わす。
「はじめまして、トリスティア=マーセット=ネイムと申します。
トリスティとお呼び下さい」
「ガウリイ=ガブリエフです。
ネイム隊長にはとてもお世話になりました」
ガウリイの言葉に本心からの感謝があるのを感じたのか、トリスティさんは優しく微笑んだ。
「――やっぱり、お背がとっても高くていらっしゃるのね」
廊下を先に立って歩いていたトリスティさんが、曲がり角でガウリイに向かって言った。
「あ――はあ」
いつも通りのガウリイの抜けた返答。
ちなみにトリスティさんは、あたしとガウリイのちょうど中間くらいの身長だ。
確かネイムは、ガウリイの耳の高さくらいだったはずだから――奥さんとの差もそのくらいだったのだろう。
「ハースが言っていましたのよ。
『あの野郎、俺より上背ばかりでかくなりやがって』」
トリスティさんは視線を前方に据えたまま、少し声音を真似るように言った。
「――よく言われてました」
ガウリイは照れたように頭をかく。
答えるような笑いがかすかに漏れたものの――彼女が振り返ることはなかった。
「こちらの部屋をお使いくださいな」
トリスティさんが案内してくれたのは一階、客間とは逆方向にある部屋だった。
一瞬二人で使えと言うのかと思ったほど、やたら広くて立派。
「二階とも思ったのですけど、続き部屋で客用寝室はここしかなくて」
は? なぜにわざわざ続き部屋???
トリスティさんは中のドアを開いてみせる。
「元々、ここは軍師の方々がお使いになる場合を考えて作った部屋ですの。
これを使えば、廊下に出なくても色々出来て便利でしょう?」
「――いろいろ?」
ガウリイの至って素朴な問いに、麗しき人妻はまたにっこり微笑む。
「ええ、秘密会議とか、襲撃対応とか。
あ――何でしたら、夜這いとかでも。
――あら? どうなさいまして?」
それぞれ壁と仲良くなってしまったあたしとガウリイに、怪訝そうな声。
ひ、人妻のセンスってぇぇぇ……!
「どうぞご心配なく。
ウチの者はそういう点はくだけておりますから」
「そ、そうじゃなくてですねぇ!
あたし達、そういう関係じゃないんですってばっ!!」
真っ赤になって否定するあたしとは正反対に、ガウリイはネイムが奥さんに選んだ女性の話以上のスゴさに、ひたすらあっけに取られているらしい。
少し意外そうな顔であたし達を見ていたトリスティさんは――苦笑いすると、ドレッサーの上に置いてあったモノを取った。
「それじゃ、これはリナさんだけにお渡ししておきましょうね」
二つあった銀の鍵を、片方はあたしに、もう片方は自分のポケットにしまう。
「この中扉のですわ。
リナさんが許可した時だけ、ガウリイさんが入れるなら問題ないでしょう?」
ほっ。
さすがお嬢様だ、そのヘンはわかってくれたらしい。
「では、荷物を運ばせますね。
それまで、客間でお休みになって下さいな」
トリスティさんは先に立って部屋を出ながら、ガウリイの横を通り過ぎる時に何かそっと囁いたように見えた。
途端に、ガウリイの顔が真っ赤に染まる。
はぁ!?
後に続きながら、ガウリイに問いただす。
「ちょ、ちょっと、いったい何言われたのよっ」
「――――さすが――隊長をオトした女性〈ヒト〉だなぁ」
答えになってないぞ、それっ。
客間に向かう途中の部屋から何か声が聞こえたと思ったら、ドアが開いて黒髪の男の子が飛び出してきた。
「お待ちください、坊ちゃまっ!」
後ろから追ってきたのは、さっき赤ちゃんを連れて来たメイドさん――つまりはベビーシッターなわけか。
おそらく、邪魔にならないよう、ここにいるように言われてたってトコね。
「ハイ、またお邪魔するわね、トゥール」
「うん、いらっしゃい、リナさん。
そっちのおにーちゃんが、ガウリイさん?」
子供特有の好奇心満載の瞳で、はるか頭上のガウリイの顔をまじまじと見上げる。
「ああ、よろしくな」
「トゥール、お客様に失礼ですよ」
トリスティさんの注意に、トゥールはバツ悪そうな顔になった。
「ごめんなさい、おかーさん。
でもさぁ、おとーさんが『あそびにきてもらう』っていってたじゃない。
おとーさんがつよいっていってた、ガウリイおにーちゃんにあいたかったんだもん」
子供の素直な言葉は、痛みを容赦なくぶり返させる。
トリスティさんもそれは同じだった以上、何も言えるはずもなく。
「――すまなかったな、トゥール。
すぐにこられなくて」
愛おしむような優しい響きで声をかけると、ガウリイは今は亡き恩人の子を抱き上げた。
少し戸惑いながらも、トゥールはガウリイを見つめる。
「ねえ、つよいってほんとなの?」
「どうかな」
「おとーさんより?」
「お父さんの方が強かったよ」
「ほんと? じゃあ、こんどけんつかってみせてくれる?」
「トゥール。ガウリイさんはお身体の具合が悪いって教えたでしょう?
無理を言ってはいけません」
息子の無遠慮な望みを、母親が制する。
ガウリイは幼子を抱いたまま、トリスティさんに笑いかける。
「怒らないでやって下さい。
そのくらいかまいませんよ」
「いいの?」
「ああ」
「ありがとう、おにーちゃん!」
満面の笑みを浮かべてしがみつくトゥールを、ガウリイは優しく撫でた。
あたしは――何も口を挟めない。
トゥールは言わなかった。
『お父さんと戦って見せて』とは――。
幼いなりの認識で、もう大好きな父親が戻らないコトをわかっているんだろう。
多分、他のどんな望みより強いだろうそれを口にしないのは、母親や祖父達の悲しみをしっかりと感じてるからに違いない。
ここにも――切ないほどの痛みが、確かに存在していた。