3『金糸の迷宮』2

6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その6)



 あたし達が通されたのは、さっきトリスティさんと話した客間だった。
 違うのは、あたしの隣にガウリイがいて、トリスティさんの隣に赤ちゃんがいないことくらいか――。
 あたし達の昼ご飯がまだと聞くと、かなり豪華なモノをたっぷり出してくれた。
「沢山召し上がると聞きましたから――、このくらいあれば足ります?」
「充分ですっ」
 何日かぶりのごちそうを、あたしは元気に、ガウリイはそれなりに堪能する。
「ガウリイさん、もう具合はよろしいの?」
「ガウリイ、でいいです。おかげさまで」
「わたくしも呼びつけでけっこうですわ」
「あ、あたしもそれでいいですよ」
 トリスティさんは嬉しそうにあたしに向かって微笑む。
「では、お言葉に甘えますわ、リナ」
「――それにしても、オレ達みたいのが転がり込んで迷惑じゃないですか?」
 珍しくガウリイが話に加わってくる。
 まあ、これでいつもの調子なら、あたしの方が突っつくトコだけど。
「いいえ、とんでもない。
 わたくしから無理にお願いしたのですもの。
 それに、父もあなたにお会いしたがっていますし――」
「オレに?」
 トリスティは微笑んだまま頷く。
「年寄りの話し相手など退屈でしょうけれど、付き合ってやってくださいな」
「――そんなことは――」
「わたくしがリナをお借りしている間の、暇つぶしだと思っていただければ」
 あたしは二人のやりとりを聞きながら、何とはなしにネイムを彷彿としていた。
 ここに彼がいた時を知らないはずなのに――、今にそこのドアを開いて、明るい笑顔が見えそうな錯覚を起こしそうになる。
 多分、この家全体が――主人のいない状態にまだ慣れていないのだろう。
 それには――まだまだ時間が必要に違いない。

 食後のお茶になる頃、話はこれからの段取りになったが――。
「行商人からの情報の処理など事件に関するコトは、将軍が帰宅してから具体的な相談をした方がいいでしょう。
 今回は親衛隊が味方になってくれるとは限りません。いえ、むしろ足かせになる可能性の方が大きいでしょうね。
 ですから、国王軍が後ろ盾に加わってくれれば、あなた達もかなり自由に動けると思います。
 わたくし達だけで決めてしまってもいいのですけれど――、父が拗ねると困りますし」
 苦笑して肩をすくめたトリスティに、あたしはふと気付く。
「――でも、トリスティはそういう荒事の段取りって――」
 出来ないでしょ?と言いかけたのを、あっさりと止められた。
「それはご心配なく。
 わたくし、昔からよく父の戦関係の作戦参謀役をしておりましたから、戦略を立てるのは得意ですわ。
 結婚してからは、ハースのそちら関係の手伝いもしておりましたし。
 ――もちろん、どちらも公には出来ませんけどね。
 ハースを見いだすまでは、父の口癖は『おまえに戦闘の才さえあれば、跡目を譲ったのに』でしたのよ」
 ―――――――――――――――。
 ガウリイとあたしは顔を見合わせていた。
 何も言わなかったけど、言いたいコトはよくわかる。
 ドコをどーすれば、この令婦人に将軍直々の参謀なんてのがハマるんだ???
「わたくし、心情的には戦いはけっして好きではありませんが――、どうしても戦が避けられないなら、お互いに傷は少ないに越したことはないと思いまして」
 なるほどね――。
 最低限の損耗に、最大限の功績――こりゃ、戦略の基礎の基礎じゃない。
「――ネイム隊長が――あなたを選んだ理由がよくわかった――」
 ガウリイは呟くような話しかけるような、曖昧な言葉を漏らした。
 あたしに異議はまったくなかった。

 そのせいじゃないと思うけど――、ガウリイの顔に疲れの彩が浮かんで来ていた。
 トリスティも気付いたらしく。
「――食事も済んだことですし、少し休んだ方がいいですわ。
 ごめんなさい、病み上がりなのに長々と付き合わせてしまって」
「いや、かまいませんよ」
「何言ってんの。
 またひっくり返ったらもっと迷惑かけちゃうんだから、素直に休みなさいって」
 あたしの言葉に、ガウリイが苦笑いする。
「そう言うリナも、少し休んだ方がいいと思いますよ。
 いろいろあったから、疲れてるでしょう?
 今日は父も遅いでしょうから、作業は明日からと言うことにして。
 夕飯はお部屋に運ばせますから、ゆっくりくつろいでくださいな」
 てきぱきと指示されて、あたし達が口を挟む余地がない。
 うーみゅ、指示慣れしてるとは思ってたけど、こりゃ戦略に長けてるってのホントかも――。


 あたし達はまっすぐガウリイの部屋へ戻った。
 ガウリイが素直に横になったところを見ると、やっぱりまだ疲れは大きいらしい。
 あたしは毛布をかけてやる。
「――サンキュ……リナ」
 具合が悪いのか、眠いだけなのか、目を閉じたまま小さな声。
「付いてた方がいい?」
 薄目が開く。
「――いいから休めよ」
「――そう? ――何かあったら、呼びなさいよ」
「ああ」
 あたしは何となく落ち着かない気分のまま――中扉に向かおうとする。
 きゅ。
 何かあったかいモノが、右手に触れてきた。
 振り返ると、ガウリイの大きな右手が軽く掴んでいる。
 握る――と言えないほどの軽い感触。
 でも――胸をざわめかせるには充分過ぎるほどの温もり。
「――な――なに――?」
 ようやく出した声に、ガウリイは目を細めて微笑んだ。
「――ちゃんと――休めよ」
「――うん――」
 少し上の空な返事。
 手が離れて、自分の部屋に戻っても――手の掴まれた所が疼くような気がした。
 あたしは黙って毛布に潜り込んで――そっとその手を頬に当てる。
 疲れきっているはずなのに、なかなか睡魔はやってこなかった。
 途中で中扉のカギをかけ忘れたのに気付いたけれど――起きて閉めに行く気には――どうしてもなれなかった。


 目が覚めた時は、あたりは真っ暗になっていた。
 時間の感覚が吹っ飛んでいたけど、ぐっすり眠ったせいか気分はいい。
 『明かり〈ライティング〉』をかけると、ドアの下に綺麗な字の手紙が入っていた。

『よく眠っているようなので、起こしませんでした。
 夕食は使用人に申しつけてあるので、言えばすぐ出してくれます。
 ハースの書斎におりますから、御用があればいつでもどうぞ。
 ただし、ガウリイにはナイショでね。

トリスティ』


 音を立てないようにして、ガウリイの部屋を覗く。
 どうやらこちらもぐっすり寝ているようだ。
 起こさない方がいいだろうと、ドアを閉めかけた時――小さな声がした。
「――リナか?」
「お、起きてたの?」
「――剣士が部屋に誰か来て気付かないようなら――、かなり鈍ってると思うぞ。
 それより――どうした?」
「あ、あたしも今起きたトコなんだけど――夕飯どうする?
 すぐに食べられる段取りにしてくれてるみたいだから、もし入りそうなら食べた方がいいと思うんだけど――」
「――そうだな」
 ガウリイは身体を起こした。
 あたしは自分の部屋から光を持って来て、ガウリイを待たせたまま、廊下に出た。

 幸いすぐメイドさんが見つかり――、夕飯をガウリイの部屋に運んでくれた。
 トリスティの手配ももちろんいいんだろうけど――、使用人達も皆主人夫婦に似て、気が良くて仕事の出来るヒトが揃っているようだ。
 ――人を見る目は確かってことね。

「じゃあ、食器片づけてくるから、あんたはまた寝てなさいね」
 満足度の高い食事が終わって、ワゴンを押しながら言うあたし。
「寝てばっかりだぞ、オレ」
「いつもなら放っといても寝るくせに。
 アマノジャクなコト言うんじゃないのっ」
「アマノジャクならおまえの方が―――いや、何でもない」
 あたしの日頃の教育が珍しく功を奏したらしく、ガウリイは大人しく横になった。
 邪魔にならないように光を持って部屋を出る時には、もう寝息が聞こえてきた。
 ――ったく、こういう大変な時に限って、茶化そうとするのはヤメなさいよね。

 食器を厨房に戻してから、自室には向かわず、まっすぐにネイムの部屋へ向かう。
 軽くノックすると、中からトリスティの声。
『開いていますよ。どうぞ』

「夕飯はすみました? ガウリイは?」
 トリスティは束になった羊皮紙を開いて、立ったまま読んでいる所だった。
 彼女なりに整理を始めていたらしく、すでに戸棚の中からいくつかの羊皮紙が取り出されている。
「ええ、ごちそうさまでした。ガウリイはまた寝てます。
 だから、今のウチに――」
「そんなに無理しないでいいんですよ」
「大丈夫。
 手がかりが目の前にあるのに放っておくなんて、かえって落ち着かないから、さっさとやっちゃいましょう」
 トリスティは軽く微笑んで、束を閉じて棚に戻しに行く。
「わかりました。
 それでは、机の一番上にあるのを見て下さいな」
 ――ずらっと例の謎文字の羅列。――うー、くらくらっ。
「それにガウリイの名前があったんですよ」
「え!? ど、どこに?」
「ほら――ここがそうです。
 最初の記号の意味はわかりませんけど、後ろは『G・O・U・R・R・Y』、ね?」
 リストの中程を指で示されましても――何が何やら?
「他のもパターンから見て――、どうやら人の名前のようですね。
 もしかしたら、昔の部下のリストかも」
 アタマを抱えているあたしに、苦笑するトリスティ。
「――手間はかかりますけれど、まず最初に、簡単な対応だけでもお教えしてしまいましょうか。
 一つずつ確認していくよりも、基本的な所さえわかれば、リナ一人だけでもかなり作業が進められるでしょう?」
 ――確かに。
 まだ乳飲み子のいるトリスティ、この作業だけにべったりというワケにはいかないだろう。
 彼女がいないと何も出来ないんじゃ、お話にもならないし。
 あたし達は、最初の夜を対応表を作るコトに費やすコトとなった。



[つづく]




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