6.無くすもの 奪われるもの 抗うもの(その6)
あたし達が通されたのは、さっきトリスティさんと話した客間だった。
違うのは、あたしの隣にガウリイがいて、トリスティさんの隣に赤ちゃんがいないことくらいか――。
あたし達の昼ご飯がまだと聞くと、かなり豪華なモノをたっぷり出してくれた。
「沢山召し上がると聞きましたから――、このくらいあれば足ります?」
「充分ですっ」
何日かぶりのごちそうを、あたしは元気に、ガウリイはそれなりに堪能する。
「ガウリイさん、もう具合はよろしいの?」
「ガウリイ、でいいです。おかげさまで」
「わたくしも呼びつけでけっこうですわ」
「あ、あたしもそれでいいですよ」
トリスティさんは嬉しそうにあたしに向かって微笑む。
「では、お言葉に甘えますわ、リナ」
「――それにしても、オレ達みたいのが転がり込んで迷惑じゃないですか?」
珍しくガウリイが話に加わってくる。
まあ、これでいつもの調子なら、あたしの方が突っつくトコだけど。
「いいえ、とんでもない。
わたくしから無理にお願いしたのですもの。
それに、父もあなたにお会いしたがっていますし――」
「オレに?」
トリスティは微笑んだまま頷く。
「年寄りの話し相手など退屈でしょうけれど、付き合ってやってくださいな」
「――そんなことは――」
「わたくしがリナをお借りしている間の、暇つぶしだと思っていただければ」
あたしは二人のやりとりを聞きながら、何とはなしにネイムを彷彿としていた。
ここに彼がいた時を知らないはずなのに――、今にそこのドアを開いて、明るい笑顔が見えそうな錯覚を起こしそうになる。
多分、この家全体が――主人のいない状態にまだ慣れていないのだろう。
それには――まだまだ時間が必要に違いない。
食後のお茶になる頃、話はこれからの段取りになったが――。
「行商人からの情報の処理など事件に関するコトは、将軍が帰宅してから具体的な相談をした方がいいでしょう。
今回は親衛隊が味方になってくれるとは限りません。いえ、むしろ足かせになる可能性の方が大きいでしょうね。
ですから、国王軍が後ろ盾に加わってくれれば、あなた達もかなり自由に動けると思います。
わたくし達だけで決めてしまってもいいのですけれど――、父が拗ねると困りますし」
苦笑して肩をすくめたトリスティに、あたしはふと気付く。
「――でも、トリスティはそういう荒事の段取りって――」
出来ないでしょ?と言いかけたのを、あっさりと止められた。
「それはご心配なく。
わたくし、昔からよく父の戦関係の作戦参謀役をしておりましたから、戦略を立てるのは得意ですわ。
結婚してからは、ハースのそちら関係の手伝いもしておりましたし。
――もちろん、どちらも公には出来ませんけどね。
ハースを見いだすまでは、父の口癖は『おまえに戦闘の才さえあれば、跡目を譲ったのに』でしたのよ」
―――――――――――――――。
ガウリイとあたしは顔を見合わせていた。
何も言わなかったけど、言いたいコトはよくわかる。
ドコをどーすれば、この令婦人に将軍直々の参謀なんてのがハマるんだ???
「わたくし、心情的には戦いはけっして好きではありませんが――、どうしても戦が避けられないなら、お互いに傷は少ないに越したことはないと思いまして」
なるほどね――。
最低限の損耗に、最大限の功績――こりゃ、戦略の基礎の基礎じゃない。
「――ネイム隊長が――あなたを選んだ理由がよくわかった――」
ガウリイは呟くような話しかけるような、曖昧な言葉を漏らした。
あたしに異議はまったくなかった。
そのせいじゃないと思うけど――、ガウリイの顔に疲れの彩が浮かんで来ていた。
トリスティも気付いたらしく。
「――食事も済んだことですし、少し休んだ方がいいですわ。
ごめんなさい、病み上がりなのに長々と付き合わせてしまって」
「いや、かまいませんよ」
「何言ってんの。
またひっくり返ったらもっと迷惑かけちゃうんだから、素直に休みなさいって」
あたしの言葉に、ガウリイが苦笑いする。
「そう言うリナも、少し休んだ方がいいと思いますよ。
いろいろあったから、疲れてるでしょう?
今日は父も遅いでしょうから、作業は明日からと言うことにして。
夕飯はお部屋に運ばせますから、ゆっくりくつろいでくださいな」
てきぱきと指示されて、あたし達が口を挟む余地がない。
うーみゅ、指示慣れしてるとは思ってたけど、こりゃ戦略に長けてるってのホントかも――。
あたし達はまっすぐガウリイの部屋へ戻った。
ガウリイが素直に横になったところを見ると、やっぱりまだ疲れは大きいらしい。
あたしは毛布をかけてやる。
「――サンキュ……リナ」
具合が悪いのか、眠いだけなのか、目を閉じたまま小さな声。
「付いてた方がいい?」
薄目が開く。
「――いいから休めよ」
「――そう? ――何かあったら、呼びなさいよ」
「ああ」
あたしは何となく落ち着かない気分のまま――中扉に向かおうとする。
きゅ。
何かあったかいモノが、右手に触れてきた。
振り返ると、ガウリイの大きな右手が軽く掴んでいる。
握る――と言えないほどの軽い感触。
でも――胸をざわめかせるには充分過ぎるほどの温もり。
「――な――なに――?」
ようやく出した声に、ガウリイは目を細めて微笑んだ。
「――ちゃんと――休めよ」
「――うん――」
少し上の空な返事。
手が離れて、自分の部屋に戻っても――手の掴まれた所が疼くような気がした。
あたしは黙って毛布に潜り込んで――そっとその手を頬に当てる。
疲れきっているはずなのに、なかなか睡魔はやってこなかった。
途中で中扉のカギをかけ忘れたのに気付いたけれど――起きて閉めに行く気には――どうしてもなれなかった。
目が覚めた時は、あたりは真っ暗になっていた。
時間の感覚が吹っ飛んでいたけど、ぐっすり眠ったせいか気分はいい。
『明かり〈ライティング〉』をかけると、ドアの下に綺麗な字の手紙が入っていた。
『よく眠っているようなので、起こしませんでした。
夕食は使用人に申しつけてあるので、言えばすぐ出してくれます。
ハースの書斎におりますから、御用があればいつでもどうぞ。
ただし、ガウリイにはナイショでね。トリスティ』
音を立てないようにして、ガウリイの部屋を覗く。
どうやらこちらもぐっすり寝ているようだ。
起こさない方がいいだろうと、ドアを閉めかけた時――小さな声がした。
「――リナか?」
「お、起きてたの?」
「――剣士が部屋に誰か来て気付かないようなら――、かなり鈍ってると思うぞ。
それより――どうした?」
「あ、あたしも今起きたトコなんだけど――夕飯どうする?
すぐに食べられる段取りにしてくれてるみたいだから、もし入りそうなら食べた方がいいと思うんだけど――」
「――そうだな」
ガウリイは身体を起こした。
あたしは自分の部屋から光を持って来て、ガウリイを待たせたまま、廊下に出た。
幸いすぐメイドさんが見つかり――、夕飯をガウリイの部屋に運んでくれた。
トリスティの手配ももちろんいいんだろうけど――、使用人達も皆主人夫婦に似て、気が良くて仕事の出来るヒトが揃っているようだ。
――人を見る目は確かってことね。
「じゃあ、食器片づけてくるから、あんたはまた寝てなさいね」
満足度の高い食事が終わって、ワゴンを押しながら言うあたし。
「寝てばっかりだぞ、オレ」
「いつもなら放っといても寝るくせに。
アマノジャクなコト言うんじゃないのっ」
「アマノジャクならおまえの方が―――いや、何でもない」
あたしの日頃の教育が珍しく功を奏したらしく、ガウリイは大人しく横になった。
邪魔にならないように光を持って部屋を出る時には、もう寝息が聞こえてきた。
――ったく、こういう大変な時に限って、茶化そうとするのはヤメなさいよね。
食器を厨房に戻してから、自室には向かわず、まっすぐにネイムの部屋へ向かう。
軽くノックすると、中からトリスティの声。
『開いていますよ。どうぞ』
「夕飯はすみました? ガウリイは?」
トリスティは束になった羊皮紙を開いて、立ったまま読んでいる所だった。
彼女なりに整理を始めていたらしく、すでに戸棚の中からいくつかの羊皮紙が取り出されている。
「ええ、ごちそうさまでした。ガウリイはまた寝てます。
だから、今のウチに――」
「そんなに無理しないでいいんですよ」
「大丈夫。
手がかりが目の前にあるのに放っておくなんて、かえって落ち着かないから、さっさとやっちゃいましょう」
トリスティは軽く微笑んで、束を閉じて棚に戻しに行く。
「わかりました。
それでは、机の一番上にあるのを見て下さいな」
――ずらっと例の謎文字の羅列。――うー、くらくらっ。
「それにガウリイの名前があったんですよ」
「え!? ど、どこに?」
「ほら――ここがそうです。
最初の記号の意味はわかりませんけど、後ろは『G・O・U・R・R・Y』、ね?」
リストの中程を指で示されましても――何が何やら?
「他のもパターンから見て――、どうやら人の名前のようですね。
もしかしたら、昔の部下のリストかも」
アタマを抱えているあたしに、苦笑するトリスティ。
「――手間はかかりますけれど、まず最初に、簡単な対応だけでもお教えしてしまいましょうか。
一つずつ確認していくよりも、基本的な所さえわかれば、リナ一人だけでもかなり作業が進められるでしょう?」
――確かに。
まだ乳飲み子のいるトリスティ、この作業だけにべったりというワケにはいかないだろう。
彼女がいないと何も出来ないんじゃ、お話にもならないし。
あたし達は、最初の夜を対応表を作るコトに費やすコトとなった。