1.末姫様、魔道士協会へ行く
そのさん
「い、いや、わ、私はっ…」
「私は? 何なんです?」
声がだんだん低くなっていく。
「あの才能は、ウチの支部では持て余す――あ、いやいやっ! とても十分な指導が出来ないと思ってなっ! け、決して、あんな小さな子を親から引き離すような惨いマネはっ…!」
――さては、こいつ。
クサいものにはフタ的に、ごく一部の上層部の内々で処理しようと企んでた な?
どーりで、たかが見習い候補生の面接結果程度を連絡するのに、個人宅までわざわざ幹部直々に来るのは変だと思ったんだっ。
「ほー、ウチの支部には、そんっっな低レベルの指導員しかいない、と。
そりゃ、マズいですねぇ。
――とっころで、あたしの顔の広さ、ご存知ですよねぇ?」
「…そっ、それはっ…」
「あたし、家族総出でしょっちゅういろんな国に行きますから、今でももう、レイナの天才ぶりは結構、知れ渡ってたりするんですよぉ。
ほらぁ、あの子可愛くて、誰にでもなつきますからねぇ。
ああ今度は、単なる『天才』から、『ゼフィーリアの魔道士協会では教育出来ない程の天才』ってことに訂正しなきゃっ」
あたしのオーバー・アクションな揺さぶりに、副評議長は動揺しまくっている。
そらーそうだろう。
もし、レイナが他の国で魔道士教育を受けて称号を戴くことにでもなれば、ゼフィーリアの魔道士協会には、『重大な損失』どころか『無能』の評価が付くこと間違いなし。
そうなったら魔道士協会全体から、どんな形見の狭い状態になることか。
この老魔道士の約束されてる出世なんてのも、無事に果たされるかどうか。
念のため。
あたしの娘に対するこの評価は、決してひいき目などではない。
あの娘〈コ〉を本気で修行させて、才能を遺憾なく開花させてやることが出来たら、おそらく歴史に残る『大賢者』が誕生するだろう。
「仕方ありませんねぇ。
とりあえず、セイルーン王国のフィル陛下が、とてもレイナをご寵愛下さってますから、そちらにでも相談して――」
これも嘘ではない。
フィルさんは、赤ん坊のレイナと初対面した時から、もう原形がないくらい溶けまくっている。
「まっ、待ってくれっ!
な、何とか体制を整えるまで、時間をくれないかっ!?」
副評議長の懇願に、あたしはあくまでも冷ややかに言う。
「――いつまでも待てませんよ。
明日にでもセイルーンに発つコトは出来ますし――」
「わっ、わかった。せっ、せめて3、いや4日もらいたい。その内には必ず…!」
「わかりました。では4日後。今度はこちらからお伺いいたしますから」
「そっ、それでは失礼するっ!」
副評議長は、それこそ老骨に鞭打って駆け去って行った。
外でガウリイと全力でたわむれていた子供達が戻って来た。
「母さーん、今の人って、めんせつン時にいなかったっけ?」
観察眼の達者なラーグが訊いてくる。
「そーよ」
「じゃあ、結果伝えに来たのか?」
バークが楽しそうに言う。
「けどさ、さっきだれか窓から飛んでかなかった?」
これはガル。
「うん。トリしゃんみたいだったね」
あくまで無邪気なのはレイナ。
「…おい、リナ。この窓の大穴は何なんだ?」
「直しといてね」
あんなとんでもないコト言われて、『魔風〈ディム・ウィン〉』位で我慢したんだから、この程度の穴で文句言わんでくれ。
不満そうなガウリイを尻目に、あたしはレイナの所に行ってしゃがみ込んだ。
「おかーしゃん?」
いつもの小首を傾げるしぐさで、不思議そうな顔をしている。
うううっ。可愛ひ(はぁと)。
みんなで待ち焦がれて、あんなに苦労して産んだこの子を、どーしょうもない屁理屈とむこうの勝手な都合で取り上げようなんて、許し難いコトこの上ないっ。
「ねー、レイナっ。
お母さん達と離れて、勉強しに行ったりしたいと思う?」
この質問に、本人からではなく周りの男衆全員から一斉に、抗議のブーイングが来た。
「母ちゃんっ! どーいうことだよっ!?」
「レイナをどっかにやるってのか?」
「ぜったいそんなのダメだからなっ!!」
「……おい、リナ…」
あたしの言った意味がわかったのか、それともみんなの大声の抗議に驚いたのか、レイナが泣き出してしまった。
男衆の声が、ぴたりと止む。
レイナはもう思いっ切り泣いてしまっている。
焦るあたしの横から、ガウリイがいつものようにひょいっと、娘を持ち上げた。
「ほら、レイナ、泣くな。大丈夫だから」
左腕で抱きながら揺すって、右手でぐしぐしと頭を撫でる。
「…ふぇ…、おとー…ひっく、…しゃあんっ…」
レイナはぐしゃぐしゃになった顔で、父親の広い胸に擦り寄った。
「安心しろ、レイナっ。
おれたちぜーったいに、おまえをどっかやったりしないからなっ!」
ラーグが頭上の妹に向かって叫ぶ。
「んなコト言いに来たのかよ、あいつ」
どっちかっつーと温厚なガルがスゴんでいる。
よっぽど腹が立っているに違いない。
「兄ちゃん、今度あいつが来たら、シメてやろーぜっ」
こらこら、そーいう言葉ばっか覚えてどーするバーク。
いや、気持ちはよーっくわかるけど。
――居間が外とつながってしまったので、あたし達は隣の食堂でおやつタイムになだれこんだ。
レイナはまだ泣きじゃくってて、ガウリイから全然離れない。
すまんのぅ、娘っ。うかつなコト訊いた母さんが悪かった。
――って、なんであたしが謝らなきゃならんのだいっっ!!
ちくそうっ!
バークじゃないけど、二人とも今度会ったら、もっと懲らしめちゃるっ!
「…リナ。いったい、何だっていうんだ?」
ガウリイがあらためて訊いてくる。
「…うーん…」
別に、言い辛いわけではない。
ただ、この子供達と同レベルの理解力しか持たない父親〈ガウリイ〉に、どー説明すりゃーいいのか、悩んでいたのである。
けれど皆にはそれが、大変なコトというイメージに写ったらしく、雰囲気がどっしり重くなってしまった。
あたしはナッツ・クッキーを一つ、口に放り込んで時間稼ぎ。
「――えーと、要はね。
レイナは天才だから、この国の魔道士協会の本部に連れてって、あっちで本格的に教育したい、ってゆーわけ」
再び一気に押し寄せる、男衆のブーイングと娘の号泣の嵐。
あああああっ! あたしが言ったんじゃないのにぃぃっ!!
あいつらぁっ! 今度会ったら、『竜破斬〈ドラグスレイブ〉』だぁぁっ!!
「ここの協会じゃ、どうして駄目なんだ?」
一応、父親らしい言葉を吐くガウリイ。
「いい講師がいない――とは言ってるけど、本音は貴重な才能を上手く育てられなかった場合の責任を、とりたかぁないんでしょうね」
「――そんなに難しいのか?」
ガウリイが泣きじゃくっているレイナの頭に、頬ずりする。
「教える方は、天才じゃないからねぇ」
「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃん」
ガルがぶーたれている。
「天才って、けっこうデリケートなもんだからね。
変な育て方したら、台無しになりかねないし」
「レイナがすごいのが悪いのかよ」
バークの抗議をラーグが受ける。
「じゃあ、レイナみたいにすごい人が、教えてくれればいいんじゃないの?」
「そうだけど、ウチの支部にはねえ…」
――いたか? んな優秀な教官が?
単に優れた魔道士なら、いいという訳ではない。
他人にモノを教えるとゆーことは、技や能力に加えて、それなりの人格や器というのが必要なのだ。
まして、天才とはいえこの幼い子が相手である。なおさら、誰でもいいと言うわけにはいかない。
「――なら、おまえが教えればいいんじゃないか?」
「へっ?」
一同の視線が、一斉にガウリイに注がれる。
「おまえ、よく『あたしは天才魔道士!』って叫んでただろ。
おまえならレイナも習いやすいし、いいんじゃないのか?」
い、いやそれはそうだけど――、どーしてそんなコトばっか覚えとるんだ、おまいはっ!
「そっかー! 父ちゃん偉いっ!」
「なら、おれたちも母さんに習いたいよなぁ」
珍しく穿った父の意見に、子供達は両手〈もろて〉を挙げて賛成する。
「けどよぉ、失敗するたんびに『火炎球〈ファイアーボール〉』食らったら、たまらんぞぉ」
「バークぅ。何か言ったぁ?」
「気のせい、気のせいっ」
そーいうかわし方ばっか、覚えるんじゃないっ!
「…おかーしゃんが…、…おしえて…くれるの?」
いつの間にかレイナまで、まだ涙の乾いていない目を向けていた。
その顔が、いじらくして、切なくて――
ああああっ!
母の弱点をつくんじゃないっ!
「どうするんだ? リナ」
迫るな、ガウリイっ!
今度はあたしが視線の的だ。ううううう……。
「……わーった。わかったわよ。あたしがレイナを教えるわ」
何と言っても、実の娘だ。
細かいフォローをしてやりやすいコトは、間違いないだろう。
狭い食堂に、万歳三唱が起きる。
「おかーしゃんっ!! だーいしゅきっ!」
いきなりレイナの小さな身体が飛び付いて来て、あたしはとっさに受け止め切れずに落としそうになってしまう。
「うひゃあああっ!?」
「おいおいっ!」
ガウリイが辛うじてレイナの足を掴んでくれたので、逆さに宙吊りになりながらも、何とか落下だけはまぬがれた。
「レイナっ、もー、あんたって子はっ。また骨折りたいの?」
しっかり抱っこして、タオルで顔を拭いてやりながら怒るあたしに、娘はにっこり笑って見せる。
「ごめんなしゃーい」
その笑顔がもう、可愛くて可愛くて―――、やれやれっ。
このリナ=インバースともあろう者が、愛娘だけには敗北宣言するしかないのねっ。
『母さん、おれたちも教えてほしいなぁ』
双子のハモリ攻撃。
「おかーしゃんっ、レイナもおにーしゃんたちといっしょが、いーなぁ」
こひつらっ。
「あんた達は一応、受講生として迎えられてるんだから、そう簡単にはいかないわよ。
あたしが魔道士協会に話を通すから、それまで待ってなさいっ」
『はーいっ』
「けど、あたしがレイナを教えるとなると、今よりずーっと忙しくなるわよ。
あんた達、ちゃんと手伝いしてくれるのかな?」
子供達は全員、こくこくとうなずく。
「オレも手伝うぞ」
「あんたは当然」
「レイナもおてつだいしゅるっ」
胸の中の娘も騒ぐ。
「はいはい。嬉しいけど、危ないコトしないって約束出来る?」
「うんっ(はぁと)」
ほんとか!? あんたはねぇ――
なんてツッこもうとする前に、すりすりと擦り寄る娘の攻撃を食らい、あたしはいわゆる『母の喜び』とゆーモノにどっぷり浸り込んで、ぎゅーっと抱きしめてしまい――
しっ、しまったーっ! で、でも――
ふにふにした感触と温もりが、とーっても心地いい(はぁと)。くふふ(はぁと)。
やっぱ、このとびっきり可愛い盛りの娘を、いくら教育のためとはいえ、あんなしょーもない奴のいるトコになぞやれるモンかっ。
「母さん、顔とけてるって」
「まあまあ、こうな限り、リナはレイナを離さないさ」
「取られてたまるかよっ」
「今度ンなこと言って来たら、みんなでノシちゃるっ」
何かえらく、前途は多難という気もするけど、ま、家族の平和のためだ。
頑張るっきゃないか――。
その後約束通り、割れた窓を修理に男衆全員が奔走し――ご褒美とストレス解消のための晩餐が催されて。
後片付けも総動員で早々に終わったので、あたしは地下の書庫から何冊か本を持って来た。
一応どの位までわかっているのか、はっきり把握しておきたかったのだ。
兄ちゃん達も面白そうと思ったのか、いつも夕食後は自分達の部屋で遊ぶのに、今晩は居間にしっかり陣取っている。
あたしは長椅子でレイナを膝に抱いて、まずはこの位の年の子供が読むレベルの絵本を開く。
「はいレイナ、好きなトコ読んでみて」しーん。
男の子達が、末姫を見ている。
「……レイナ? これ嫌い?」
「…ううん。えはしゅき」
「じゃあ…?」
「レイナ、よめない」
「は?」
「レイナ、じ、よめないよ」
「……はあ???」
あたしのすぐ下の床に座り込んでいたラーグが覗き込んで、くすくす笑い出す。
「…何よ、ラーグ…」
「母さん、そっちの『まどうしょ』取ってよ」
双子の弟が指したのは、あたしが読むためについでに持って来ていた白魔法のかなり高度な本だった。
「ちょっと、あんた…」
ラーグは長椅子の上に登って来て、その本をパラパラとめくる。
「――うーんっと…、あ、これがいいや。
レイナ、ほら」
レイナはその小さな手を、ページの上に置く。
「…えーと、『ほーりぃ・ぶれしゅ』?」
げっ!?
「な、な、何でわかんのっ!?
あんた達、あたしをグルになって、からかってんじゃないでしょーねっ!?」
「……んな、母ちゃんじゃあるまいし…」
「何か言った? ガルデイ」
「…えーと…、…レイナが字を読めないのは、ほんとだぜ。
カンバンなんかは、おれとかも読んでやるくらいだから。
なあ、――父ちゃん?」
「だよな」
ガウリイの同意に、長兄はうなずく。
「…じゃあ、なんでよ?
識字の出来ない幼児が、どうして日常会話にも出てこない魔法の名前がわかんのよっ!」
騒ぐあたしに、レイナが戸惑った顔をしている。
「ちがうよ、母さん。読んでんじゃないんだ。
感じてるだけさ」
レイナをあたしから取って、抱っこしたラーグが解説してきた。
「は? 『感じる』って何を」
「だから、この本てさ、母さんとかが使ってるモンだろう?」
「そうよ、だから?」
「これを書いたヒトとか見たヒトは、この呪文、読んでるわけだよね。
それがこの本に、うーんっと――のこってるんだ。
それを、感じ取れるんだよ。
なー、レイナっ」
「うんっ。ラーグおにーしゃんもだよねっ(はぁと)」
まるで楽しい遊びの話をしているように、兄妹は微笑み合う。
―――――――――なんですとぉ!?!?!?
「……悪い、母ちゃん、通訳たのむ」
そう言うな、長男。あたしも欲しいんだって。
「おい、ラーグ。
おまえがよく言ってる、『そこでむかし、何があったかわかる』ってヤツか?」
さすが双子はツーカーらしく、バークにはかなり意味がわかっているようだ。
「そうそう。何でもってわけじゃないけどさ。
特にこういう呪文の本って、何回も何回も、くりかえしれんしゅうするじゃん?
しっかりそこにしみ込んでるんだよな」
「……おい、リナ。どーいうことなんだ?」
「あたしに訊かないで…」
レイナが楽しそうに、ぺちぺちとページを叩く。
「しゃわるとねぇ、じゅもんとなえてる、おかーしゃんのこえがきこえるの。
いんをむしゅんでるのも、みえるよ」
――――――――頭、壊れるかもしんない……。