1.末姫様、魔道士協会へ行く
そのよん
魔道士協会へ行くまでの4日間、あたしはとりあえず、レイナに字を教えて過ごすことにした。
ちょうどガウリイに、近郊でのデーモン退治の依頼が来たので、兄ちゃん達はぞろぞろとひっついて、勇んで出掛けて行った。
こういう時いつも一緒にいくのは、ガルデイだけのコトが多かったのに、今回は識字を習う必要がなくて暇な双子達も便乗したようだ。――まあ、あのお祭り好きの連中のことだから、単に面白がっているだけなのかもしれないけど。
また例によって、同行する依頼主の関係者が、子連れの図に思いっ切り難色を示していたものの、ンなことは当然知ったこっちゃない。
たかが、下級デーモン位でどーにか出来るほど、ウチの家族はヤワじゃないって。
雑貨屋の方は母ちゃん達に頼んで心配ないとなれば、やたら元気あまりまくりでやかましい連中が留守になった我が家は、勉学にはもってこいの環境になっていた。「おかーしゃーん。おべんきょしよ?」
昼寝も忘れて、何冊かの絵本を胸に抱いたレイナが、片づけをしていたあたしのトコにやって来た。
信じられないことに、この子にとっては、勉強も遊びのように楽しいモノらしい。
「はいはい」
「だっこー」
「はいはい」
末っ子の常なのか、この娘は特に甘えん坊だ。
でも何せこの愛くるしさである。
ついついせがまれなくても、抱っこしたい気になってしまう。
中でも、ガウリイと兄達はもう地にも置かないという有様である。
ただ、レイナを抱くといつも、表現不能な安堵感がわいて来てしまう。
母性本能と言ってしまえばミもフタもないのだけど、――どーも何か違うような感じなのだ。
色々と不思議なトコのある娘なので、――もしかしたら、あたしの気のせいではないんじゃなかろーか?
「おかーしゃん?」
――ま、いいか。別に害のあるコトじゃなし。
あたしは居間の長椅子に、レイナを抱っこして陣取ると、おもむろに本を広げる。
「はーい。午前中の復習ね。
この字は、何て読むのかな?」
あたしの問いに、すらすらと答える愛娘。
勉強を始めてから再認識したんだけど、この子は本当〈ほんと〉に頭が回る。
まあ、この年頃は何でも頭に入ってしまうとはいえ、単に物覚えがいいだけじゃなくて、ちゃんとそれなりに理解出来ているみたいなのだ。
親のひいき目を抜きにして、上の3人もそれなりに頭いいと思っているけど、レイナはさらにその上を行くのは間違いなし。
――もしかしたら、あまり体力に恵まれてない分、こっちの方に回ってるのかもしれない。
その面も、あまりに強すぎる魔力に生命力が吸い上げられているような感じがあるんで、ちょい楽観出来ないモンがあるんだけどね――。
けどまあ――、子供達が生まれた時、頭だけはガウリイに似ないでと祈ったあたしの願いは、十分過ぎるほど適えられたようである。
これであとはおかしな方に走らないでくれれば、文句はないんだけどね。
結局レイナは、最初の1日で、文字を全部覚え――。
2日目に、絵本に出ている単語と、家族の名前を読み書き出来るようになり――、
3日目には、簡単な文章を読んで書けるトコまで行ってしまった。
帰ってくる頃には、もう追い越されてるかもしれないぞ、兄ちゃん達。
―――凄いぞ、我が娘ながらっ!
ただ、3歳児の悲しさ。
いくら難しいモノを読めて書けるようになっても、やっぱツッこんだ具体的な意味まではまだまだわかってない。
要は、ボキャブラリーと知識のバランスが取れてない、ってやつね。
――3日目の午後、思いもかけない客人がやって来た。
「おじーしゃんっ!?」
居間の長椅子でおやつのプディングを頬張っていたレイナが、いきなりスプーンを持ったまま立ち上がって、すたたたと玄関へ走り出す。
「お爺ちゃん? ちょっとレイナっ! 雑貨屋の爺ちゃんが来たの?」
ちなみに、『雑貨屋の爺ちゃん』というのは、あたしの実の父ちゃんのことだ。 誰にもなつきまくるレイナには、『おじーちゃん』と呼ぶご老体の友達が山盛りいたりするので、『××の…』と付けん日にはもー何が何やら。「おおおーっ! レイナちゃんっ! 久し振りじゃのぉーっ!!」
「おじーしゃんっ!」
玄関で抱擁していたのは、通称『坂の上のお爺ちゃん』だった。
「爺ちゃん、わざわざどうしたの? 何か急用?」
白髪頭の爺ちゃんは、皺だらけの手でレイナをしっかり抱きしめたまま、あたしを睨むように見上げた。
別にあたしの方が特に敵意を持たれてるというわけではない。
このヒトはあたしとガウリイがここに腰を落ち着ける前から、いつでも誰にでもそうなのだ。
身内がことごとく早逝したせいで、坂の上の一軒家で一人暮らしなどしているからか、ほんとに偏屈を形にしたような御仁だったらしい。
『だった』と過去形なのは、この偏屈モンをあのガウリイが馴染ませてしまったからなのである。
あたしの実家の雑貨屋の一応お得意サンだったらしく、傭兵仕事がない時は店の手伝いしているガウリイがよく届け物などしていたのだが、やはり最初はいつものごとくだったようだ。
けれど、そこはそれ、全然気にしない、イヤなこともすぐ忘れるダンナだから――、行く度にあの生来の明るさと屈託のなさで、だんだん偏屈を解きほぐして行き――とうとう、馴染ませてしまったらしい。
それからはもう友達づきあいになり、生まれた子供達も順々になついていき。
特にレイナは大のお気に入りと化して、配達の時は必ず連れてこいというリクエストがあったという話だ。
レイナの可愛さに、正体を無くすほど心酔したヒトは何人か知ってるが、この爺ちゃんも間違いなく、その筆頭に入るだろうなぁ。
――まあ、単に偏屈だっつーだけで、別に性根の悪い人じゃないし、子供達はもれなく可愛がってくれてるしで、あたしも嫌いじゃないけど。
――けど、この爺ちゃんの場合、街の人達でも、本名知ってる人はいるんだろうか?
念のため、あたしも知らない。
レイナや子供達は、はなから気にしていない。
ガウリイは聞いたらしいけど、――忘れてた。
「ガウリイはそう長くはかからんと言うとったが――、さすがに3日もレイナちゃんに会わんと、具合悪くなったりしてないか気になってのう。元気じゃったか?」
「うんっ」
――おいおい、じーちゃん。
あんた、足腰弱ってっから、ガウリイにずっと配達頼んでんじゃなかったっけか?
それが、レイナに会いたい一心で、わざわざウチまで来たんかい?
「と、とにかく、玄関じゃ何だから、入って休んで。
今、レイナもおやつしてたトコだから、一緒にどうぞ」
「おじーしゃん、いっしょにたべよーよ」
「おお、おお、そうか。じゃあ、邪魔するかの」
すっかり顔の溶けたじーちゃんは、レイナと手をつないで、ほてほてとゆっく り歩き出した。
――このスピードで歩いて来たってことは、いったい家を何時に出て来たんだぁ?「おじーしゃん、ミルクとおちゃどっちがいーい?」
レイナはすっかりはしゃいでいる。
「そーじゃなぁ、レイナちゃんと同じミルクをもらおうか」
「はーいっ」
とてとてと台所からミルクを入れたカップを運んで来る娘を、じーちゃんは実に嬉しそうに眺めている。
――普段の気難しい顔とは、まるっきり別人のように和やかになっているなぁ…。
街の人達が見たら騒ぎになるこたぁ、うけあうね。
「あのねぇ、おじーしゃんっ。
レイナねぇ、おかーしゃんから、じをならってるの」
「字? 文字を覚えてるのかね?」
「うんっ。みんなのおなまえ、かけるし、よめるようになったんだよ」
「ほおお。レイナちゃんはお利口さんだなぁ」
「そーだ。おじーしゃんのおなまえ、かいて。レイナ、よむから」
言うなり、レイナは爺ちゃんの膝から降りて、自分の部屋から紙を抱えて戻って来た。
「はい。かいて。いっちゃだめだよ。レイナがよむの」
「はいはい。ワシの名はなぁ…」
実に嬉しそうに爺ちゃんは、膝に抱いたレイナに見せるように、ゆっくり大きく字を書いていく。
「――さあ、読めるかの?」
「えーっとぉ、ラ・ス・タ・ン…、エ・セ・ル。ラスタンってゆーの?」
「おお、ほんとうに読めるようになったんじゃなぁ」
ほぉー、んなイイ男っぽい名だったとは。
今目の前でレイナをかいぐりして、とろけまくってるシワシワの姿からは、ちーと想像し難いモンがあるけど。
「ラスタンおじーしゃんっ。
レイナね、こんどはまほーならうの」
「そうかぁ。レイナちゃんなら、きっと立派な魔道士になれるぞ」
「レイナね、まどーしになったら、おじーしゃんのからだ、なおしてあげっからね」
おいこら娘っ。それは巫女や神官の話だぞ。区別ついてないでしょ、あんたっ。
けど、淋しい年寄りには感激モンの発言だったようで、ラスタン爺ちゃんはもう感涙しながら、頬擦りしまくっている。
「嬉しいのぉ。ほんとにレイナちゃんはいい子じゃ」
レイナもあの愛くるしい笑顔を、満面にたたえていた。結局、あたしとレイナはラスタン爺ちゃんを、家まで送っていった。
何せ『坂の上…』の形容通り、彼の家は長い坂の上にあるのだ。
来る時は下り坂でも、帰りの上り坂をこのゆったりした足取りでは、着く頃には真夜中になってしまう。
坂まで来た所で、『翔封界〈レイウィング〉』。
じーちゃんは驚いていたが、レイナがやたらはしゃぐので、気が紛れたようだ。家の前で降ろされたものの、まだかなり名残惜そうである。
「いや、わざわざすまんかったの。
レイナちゃん、父さん〈ガウリイ〉が帰って来たら、また一緒に来ておくれよ」
おおお、この爺さまの口から、お礼が聞けるとはっ。
「うんっ。じぇったいくるから、まっててね」
「気を付けてお帰り」
頭を撫でられて、レイナはにっこりと笑う。
「じゃあね、おじーしゃんっ」
ほんとにこの子は、こんな風に周りに愛情あふれさせるために、生まれてきたのかもしれない――なんて、あたしにすら恥ずい想像起こさせちゃうような不思議な存在だことっ。そして、その晩――。
「ほら、レイナ、大人しくして。
ちゃんとパジャマ着ないと、また風邪ひくんだからね」
「はーい」
ピンクの細かな花柄のパジャマを着せ、髪を軽く三つ編みにして、先にボンボンの付いた同じ色の三角帽子をかぶせる。
わはは、あたしのお手製だが、よく似合うわ(はぁと)。
レイナもボンボンが気に入ったらしく、ぽんぽんと手でじゃれている。「さ、寝ようか。肩まで潜んなさいよ」
あたし達の寝室のベッドに一緒に潜り込んだレイナは、何だか淋しそうに見えた。
とびっきりの甘えん坊であるこの末姫様は、今まで一人で寝たためしがない。
いつもなら日替わりメニューで、ここと兄達の2つの部屋を渡り歩いているのだ。
「お兄ちゃん達いなくて淋しい?」
5日間の予定というのは、かなり長い方になる。
こんな状況じゃなかったら、あたしだってついていったろう。
ま、ガウリイのこったから、速攻で終わらせて、全速力で帰ってくるんだろうけど、ね。
「…うん。おとーしゃんにもあいたーい。おかーしゃんもでしょ?」
素朴な問いに、かえって照れてしまう。
「――そーね。だけど、レイナがいてくれるから、大丈夫よ」
あたしの言葉にレイナは大きく瞳を見開いたものの、すぐ、満面の笑みを浮かべて抱き付いて来た。
「おかーしゃん、だーいしゅきっ(はぁと)」
「ありがと(はぁと)。お母さんもレイナが大好きよっ」
すりすりと擦り寄る柔らかな感触と暖かな体温が、幸せ度を上げてくれる。
おかげで、ガウリイのいない広いベッドも、そう淋しくはなかった。「ねー、おかーしゃん」
「なぁに?」
しばらく抱擁した後、腕の中でレイナが呟いた。
「レイナね、まほー、いっぱいおぼえたいの。
だけど――、どこにもいかなくて、いいんだよね?」
すがるような切ない瞳を向けている娘に、ずきんと胸がうずく。
――うーん、まだそんなに気にしてたとは。よっぽどショックだったのかっ。
こりはいかん。変なトラウマ化したら、やばいって。
思いっ切り、包み込むようにしっかり抱いてやってから、耳元で念を押してやる。
「安心しなさい。みんな、絶対にレイナを離したりしないから。
誰が来ても、何があってもね。あんたも、どこにも行っちゃ駄目よ」
「うん。じゅっといっしょね」
「約束よ」
「うんっ。やくしょく」
頭の中身がどーだろうと、魔道の才能がどーだろうと、やっぱりこの娘は、何物にも代えられない、あたし達一家の大事な宝物なのだ。
レイナにとっても、たとえどれ程将来を約束されようと、才能を嘱望されようと、あたし達から離れることなど考えられないに違いない。
何たって、まだまだこんなにちいっちゃいんだから。
今はたーっぷり、甘えてていいからね。
「――けどレイナ。あんた人なつっこいのはいいんだけど、知らない人についてくのは、もうなしよ。
そのたんびに、お母さん達がどんなに心配して探してるか、忘れないでね」
レイナは、きょとんとしている。
――実際、何回も行方不明やら誘拐未遂やらを起こし、その上、魔力の使い過ぎで倒れられた日には、こっちの身が持たないんだからね。
罪の意識は皆無だとは言え、これだけはあんたの欠点なんだぞ。
一応、男の子達の誰かをお守りに付るようにはしてるけど、あいつらの欠点は、遊びに夢中になると、使命をすっかり忘れ去ってしまうことなんだな。
そうならないのは、ゼルとアメリアの長男坊・アルくらいか。
まー、あの子の場合、もうレイナを生涯の伴侶――お嫁にするなんて、並々ならぬ決心をしちゃってるようなので、例外中の例外であるが。
「アルだって、セイルーンですっごく心配してるよ」
レイナは困った表情を浮かべた。
「アルおにーちゃま?」
「そう。側にいられない時だって、レイナのこと、いっつも気にかけてくれてるんだからね。無茶したら、悲しんじゃうよ」
これは誇張でもなんでもない。まぎれもない事実である。
大人の目から見れば、気にし過ぎなくらいだが――。
あまりに繊細過ぎて、王宮暮らしにパンクしてしまったような子だから、仕方がないのかなぁ。
あの子もウチの子供と同じなんだもの、上手く育って欲しいんだけど。
「しょーなの?」
「そーなの。レイナはアルのこと、好きでしょ?」
「うん、しゅごく、しゅき(はぁと)」
喜べ、アルディス。前途は明るいぞっ。
「じゃあ、泣かせたりしないね?」
「うん。――でも、アルおにーちゃま、こんどはいつ、きてくれるの?」
うっ。
――難しいトコだなぁ。
腐っても――あ、いや、何たって、現在のセイルーン王家三世代目唯一の男子だ。
おまけに嫡子――まあ、あのゼルやアメリアが外に子を持つなんて、ありえっこないけど――とくれば、文句なしで将来の国王へ、最大至近距離にいる存在。
いくらいろいろ不都合があったとしても、その大事な後継をそうそう、しょっちゅう国外へ出すなんてのは、両親やフィルさんはともかく、周りが簡単に納得すまい。
これで、ナーガあたりに子供でも出来れば、全然話は違ってくる――うわぉぉっ!
怖い想像をしてしまった。
あのナーガが妊婦する図なんで、頭の隅でも考えたかないぞっ。
だいたい、ナーガの正体がアメリアの姉のグレイシアだったってだけでも、十分脳死しそうなのに。
それが発覚した時のコトを思い出すと、今でも叫びたくなるぞ、あたしゃっ。
――いや、忘れよう。忘れるんだ。
忘れんと身がもたんわっ。
「おねがいしても、だめかなぁ…」
「そ、そうね。今度、アメリアおばちゃんかゼルおじちゃんに、頼んでみましょ」
「うんっ(はぁと)」
「さ、もう寝ようね。おやすみっ」
額にキスしてやると、レイナはにっこり笑った。
「おやしゅみなしゃーい」
4日目の午後――。
レイナにお出掛け用の身支度をしてやっている最中に、我が家の喧騒が大挙して舞い戻って来た。
『母さんっ!! ただいまぁっ!』
「やっほー、母ちゃん、レイナっ」
「帰ったぞー」
「おとーしゃんっ!! おにーしゃんっ!!」
「こら、レイナっ! まだスカート履いてないでしょっ!!」
「おー! レイナっ。ちゃんと留守番してたか?」
『父さんっ! レイナをひとりじめすんなよっ!!』
「レイナぁ、字は覚えたか?」
「うんっ。おにーしゃんたちもたのしかった?」
『すごかったぞー! あのなぁ…』
「あんたらっ! まず手を洗って来なさいっ!!」
――もうめちゃくちゃ。井戸の所で顔やら手を洗っている兄達に、レイナがタオルを運んで行く。
まとわりついているのはいつものことなのだけど、今日はやたらぴとぴとくっついている処をみると、やっぱり淋しかったんだね?
あたしはガウリイと一緒に、子供達の荷物を運ぶ。
「ちょうどいい時に帰って来てくれたわ。これから、レイナを連れて魔道士協会へ行くトコだったのよ」
「何か用か」
ぴき。
あたしの怒りの波動が伝わったのか、ガウリイの頬に冷や汗が流れる。
「あ、あ、あっ、そうか。えーと…、レイナの話だっけか?」
「――よくできました。あたしぃ、そーんな大事なことまで忘れてるかって、もー少しで『竜破斬〈ドラスレ〉』唱えちゃうトコだったわぁ。よかったぁ。思い出してくれてっ。おほほほほ」
「―――いやー、よかったなぁ。あははははは」
乾いた笑いを交わし合うあたし達に、末姫様はいたってのんびりと宣う。
「おとーしゃんかえってきたから、おかーしゃんよろこんでるね」
妹の死角で、長兄が違う違うと手を振っていた。
ガルデイ、世の中には知らない方が幸せなコトも沢山あるんだからねっ。
―――ま、それが不幸を招く場合も、多々あったりするけどさ。