2.末姫様、牛小屋へ行く
そのいち
すぐに出立と言っても、旅慣れした自分の身一つとは訳が違う。
男の子共はいざ知らず、何せレイナに至っては物心付いてから初めての旅なのだ。
まして今回の主役、ゼフィーリア王に拝謁とくれば、それなりに色々気を使ったりする。
居間で用意したザックに、子供達の着替えやら何やら詰めているあたしの所に、問題の大元・レイナがとたとたとやって来た。
「おかーしゃん、これももってっていーい?」
にこにこした娘が抱えていたのは、あたしの手作りの例のボンボン付き三角帽子。
「……なぜ?」
「だってー、これだいしゅきなの(はぁと)」
………うっ、嬉しいん…だけど…………、な、何か違うような気が……。
「だめ?」
「…だ、駄目じゃないけど…、でも、もし野宿になったら、使えないんだよ?」
「しょーなの? でも、いいの。もってきたい」
「そんなに気に入ってるの?」
「うんっ。これかぶってるとねー、おかーしゃんになでてもらってるみたいなの」
――――――はぁ…、さいでっか。
ほんとに不思議な子だね、あんたは。
でも、まあ―――。喜んでるんだから、よしとしましょう。
「わかったわ。でも、今晩無いと困るんでしょ?
明日の朝、詰めてあげるから、持ってらっしゃい」
「はーいっ」
『ただいまーっ!』
毎度のことながらやたらと元気大爆発で、ガウリイと男の子達が戻って来たのは、もう夕方のことだった。
「ほれ、リナ。食料だぞ」
「ごくろーさん。用事はみんな足してくれた?」
台所のテーブルの上に大きな布袋を置いた旦那に訊くと―――、例のごとく例のごとしの反応が返って来る。
「えーっと…、雑貨屋のじーちゃんトコだろ…、それから………………」
考え込んでしまったガウリイに代わって、父親のミニチュア版ことガルデイが救援を出してきた。
「坂の上のじーちゃんトコと、ルナおばちゃんトコ、おとくいさんトコもぜんぶ行って来たよ。
坂の上のじーちゃんなんて、『レイナはちゃんと帰って来るのか!?』だってさぁ」
――さてはあのじーちゃんも、この間のコト引き摺っとるな?
『すいませーんっ、リナ=インバース=ガブリエフさんはおいででしょーかぁ!?』
玄関先で聞き慣れない声がした。
「はーい?」
出迎えようとするあたしの足元を擦り抜けて、子供達が勢揃いで走って行く。
『はーいっ、どーなたですかー!?』
さすがに4人の子供にわらわらと出迎えられて、お客人はビビッたようだ。
「こらこらっ!
もー、すみませんっ。
―――で? 何でしょ?」
玄関に立っていたのは、ひょろりと背の高い、まだ年若いが――格好だけは確かにお役人だった。
この類いのヒトが、直に個人の家に来るのは珍しい。
「あ、リナ=インバース=ガブリエフさんでらっしゃいますかぁ?」
やたら腰は低いが、何か気が抜ける話し方な奴だね。
「はい。で?」
「ゼフィーリア王家からの書状ですぅ」
「…は?」
彼が恭しく懐から出したのは、一通の書状。
「お受取り下さいぃ」
受け取って、封蝋を見ると―――。わお。確かに王家のだわ。
何なんだい?
「――返事は直接聞けとのご達し?」
「あ、いえぇ。それから、こちらをぉ」
と言って出て来たのは、小さな革袋。
「これは?」
「当座の旅費だそうですぅ」
「…は?」
「女王様からのお達しだそうでぇ」
あたしは軽く振ってみる。
『盗賊殺し〈ロバーズキラー〉』の名はダテではない。こうすれば大体の量はわかるのだ。
もし中身が銅貨とかゆーのでなければ、けっこーな額である。
「それでは、私はこれで失礼致しますぅ」
あくまで力の抜ける言動のまま、やはり力の抜けたような歩き方で、お役人さんは帰っていった。
「変な奴ぅ」
バークの酷評を、ラーグが受ける。
「あれでもお役人なんだろ?」
「おかーしゃん、なんなの?」
子供達の衆目を受けて、あたしはその場で封を切る。
読んで正直――めまいがした。
「母ちゃん? おい、どーした?」
固まってるあたしを心配してくれたのか、レイナがガウリイを呼びに行ったらしい。
「おい、リナ? どーした?」
あたしは黙ってうなだれたまま、書状を渡す。
怪訝そうな表情で、ガウリイが読み上げる。
「…えーっと?
『この度、貴女の御令嬢レイナ=ガブリエフ殿の――登城に関して…?
幼き身に長旅は負担と慮り、女王の名において、馬車一台を遣わすものとする。
明朝、貴女宅まで差し向けるゆえ、仕度して待たれたし…』―――、何だこりゃ?」
「…どーいうことなんだぁ?」
「おとーしゃん、レイナのこと?」
全員意味がわかってない。ま、無理ないか。
仕方なくあたしは説明する。
「―――つまり、『レイナはまだちっちゃくて、お城まで歩いて来るのが大変だろうからって、女王様がわざわざ明日の朝、ウチまで馬車を迎えに寄越してくれる』ってさ」
今度は全員固まっている。ま、無理ないわな。
仕方なくあたしは補足する。
「――おまけに旅費付きとはね。これって、ほとんど貴賓待遇よ。
出所はどこか知らないけど――、まあ多分アルかフィルさんじゃないのかしらね。
『大事な娘だから』とかって、強調したんじゃない?」
「――アル? アルおにーちゃまがどうしたの?」
――肝心のこの娘は、まったくわかっとらんな?
「…何で、そーなるんだ?」
――このクラゲも、まったくわかっとらんか…。
「つまり、さ。アルの奴が、女王様にたのんでくれたってことかい?」
おお! ウチにもまともな奴がいたか。偉いぞ、三男坊っ!
「そうね。アルから直接かどうかはわからないけど、そんなトコでしょ?」
「…アルの奴、きっと『ぼくのお嫁さんになる娘なんです!』とか言ったんじゃないのか?」
どーして、そーいう理解は早いんだ、次男坊。
「…ってことは、てこてこ歩いていかなくていいってワケ?」
はい、正解だよ、長男坊。
「――って、こーしゃいられないっ!
ガウリイ! あんた達っ! 家中のクッション集めて来てっ!」
あたしのいきなりの指示にも、みんな反応が鈍い。
「そんなものどーすんだ?」
まだ大ボケしている亭主を、思いっ切りぶん殴る。
「あほたれっ! あんただって旅暮らししてたんだから、一回くらい馬車に乗ったコトあるでしょうがっ! いくら王室御用達のだって、馬車は馬車っ!」
子供達の方を向いて、さらに言い放つ。
「馬車ってヤツはねぇ〜、揺れるのっ! 舌噛みそーなくらい、揺れるのよっ!
クッション無しで乗った日にゃ〜、も〜ヒサンな結果は目に見えてるわっ!!
レイナなんて壊れること間違いなしよっ!!」
『レイナは壊れモノ』という不文律はさすがに効いたようで、男の子達は一斉に部屋へと走って行く。
つられて、まだよく訳のわかってないレイナまで行ってしまった。
「――そんな面倒なモンなら、断ったらどうなんだ?」
ガウリイは飄々としたまま、長椅子のクッションを集めている。
「そーはいかないわよ。何せ相手は『王様のご好意』って、厄介なシロモノだし。
第一、ムゲに断ったりしたら、セイルーン王家の面目も立たないでしょ?」
「なあ、気のせいか――、なんだか大事〈おおごと〉になってないか?」
「それはあたしもそう思う……」
その大事の主が、レースのフリル付きの小さな自分のクッションを、抱っこして戻って来た。そのままあたしを、いつものように小首を傾げて覗き込む。
「おかーしゃん、レイナ、おしろまであるいてくよ?」
「へ?」
「だって、レイナがたいへんだから、じょおうしゃまがおウマしゃんくれたんでしょ?」
――いや、くれたわけではないと思うけど…。
「レイナね、おとーしゃんやおにーしゃんたちといっしょに、たびにつれてってもらえるの、うれしいだけなの。
ね? いつもみたいに、みんなであるいていこうよ」
「…レイナ…」
じいぃぃ……ん。
ほんっと、この子は…………大人のツボを心得過ぎっ!!
溶けまくって抱きしめるあたしを、さらにガウリイがダブルで抱きしめた。
レイナが嬉しそうに、すりすりと擦り寄って来る。『あ―――――っ!!』
戻って来た上の子達が、その情景を見て一斉に叫ぶ。
「ずるいっ! 父ちゃんたちばっか!」
「おれもっ!」
「おーっし! タックルっ!!」
居間の真ん中で、家族全員がクッションと共にダンゴ状態。
怒らなきゃ、と思いつつ、何かとっても幸せの情景のようで、あたしは子供達とガウリイにもみくちゃになっていた。
―――結局、気候が良くなっていたのと、荷物を居間で作ってたのもあってか、妙に盛り上がった余波のまま、あたし達一家は野宿のリハーサルよろしく、そこでごろ寝して朝を迎えたのだった―――
一人そこから抜け出して、しげしげと見下ろすと――誰がしたのか、レイナだけはしっかり毛布に包〈くる〉まれている。
例のレースクッションを枕に、頭にはしっかり三角帽子。
思わずくすっと笑いが漏れてしまう。
まあまあ、ウチの男共はフェミニストですこと。―――しかし、顔を洗って戻って来ると、すでにそこは混乱の渦。
「おれのこと蹴っとばしたろ、ラーグっ!」
「おれじゃねぇよ、兄ちゃんだろ?」
「おれはレイナをはさんで反対かわにいたんだぞ、出来るかよっ!」
「…じゃあ、父ちゃんか…?」
眠い目を擦っているレイナを、床に座ったまま抱っこしているガウリイは、三人の息子の冷たい視線に晒される。
「……やー、寝てたからなぁ…、覚えてない」
『いっつものことだろーがっっ!!』
あっという間に、またもみくちゃ状態。
しかし、今度は微笑ましいではすまない。「さっさと仕度しなさ―――いっ!!」
今度こそ、あたしの怒号が響き渡ったのだった―――。