2.末姫様、牛小屋へ行く
そのにい
朝御飯が済んで、一通りの準備などが終わった頃、タイミング良く馬車がやって来た。
子供達は馬車馬が珍しいらしくて、駆け出して行く。
近所の人は馬車が珍しいらしくて、玄関や窓から覗いている。
あたしとガウリイが荷物を抱えて外に出ると、玄関前にいたのは―――、三頭立てのやたらと立派な馬車。
うっひゃあっ。
おそらく王宮から直に差し向けるのでは、時間的に間に合わなかったので、この街の役所で貴賓客が来た時に使うモノを寄越したのだろう。
王宮仕様や大貴族などの豪華さには及ばないが、ちゃんと窓付きのホロが付いているし、仕立てもいい。
庶民のあたし達が使う乗合馬車より、よほど立派だ。
こりゃあ、近所の衆目の的になるはずだわ。
「へぇ」
ガウリイはそう漏らしてから、荷物を乗せ始めた。
そろって動物好きの子供達は前に回って、馬になつきまくっている。
「かわいいなぁー」
「力持ちなんだな、おまえたち」
「おウマしゃーん(はぁと)」
「手さわりいいぜっ」
「こらこらチビちゃん達、こっちの芦毛のヤツは、えらく気が荒いんだ。蹴られても知らないぞっ」
ちょっと頭頂部の淋しくなった黒髪の御者は、子供好きなのか暇なのか、柔和そうな笑顔で相手をしてくれていた。
まあ、単にレイナに溶けているだけかも知れないけど。
「『あしげ』って、まえにいるしろぶちのおウマしゃんのこと?」
その愛くるしさの化身が、ちょこちょこと寄って行く。
「お、お嬢ちゃんっ! あ、危ないよ!」
『だいじょぶ、だいじょぶ』
兄達がハモる。
「おウマしゃん、よろしくねっ(はぁと)」
にっこりと溶解度まっくすの笑顔を浮かべる小さなレイナを、件の馬はまだ芦毛と鹿毛の混じる毛並の顔で、じっと見つめている。
「レイナの勝ちだな」
ラーグは面白そうだ。
「気むずしいだけだと思うぞ」
ガルもうなずく。
「とけてるとけてる」
バークもにっと笑った。
「おいおい、兄ちゃん達…」
御者のおぢさんの心配は全くの杞憂だとわかっているので、あたしもガウリイも、もちろん止めたりしない。
小首を傾げたレイナに、かの馬は首をすっと下げ、すりすりと擦り寄った。
嬉しそうな声で笑う妹の元に、兄ちゃん達も寄って行って、便乗よろしく撫でまくる。
気の荒い馬でさえこれなのだ、残りの二頭など言うまでもないだろう。
あたし達が荷物を積み終わる頃には、もう子供達と馬達は大の仲良しと化していた。「おとーしゃん、おウマしゃんみえないの?」
ガウリイに抱きかかえられて乗り込んだレイナの一言で、御者殿はホロの前側を上げてくれた。
ほほ、もーこれは、彼も末姫様の虜だわ。
「これでいいかい、お嬢ちゃん?」
レイナは嬉しそうに手を叩く。
「ありがとう、おじしゃんっ。
うーんと、しょれからね。おじょーちゃんじゃなくて、レイナでいーの」
「そっか。レイナちゃんって言うのか」
ぐしぐしと娘の頭を撫でてから、彼は子供達の方に視線を寄越した。
察しのいい子供達は、次々に自己紹介していく。
「バーク」
「ガル」
「ラーグ。よろしくね、おじちゃん」
「テスでいいよ」
「テスおじしゃん?」
「そうそう。よろしくな」
すっかり和やかな雰囲気になった処で、馬車は出発となった―――。
子供達は初めての馬車に、もうはしゃぎっぱなしだ。
それに、ガウリイと御者のテスが加わって、ほとんど気分は物見遊山。
もちろんあたしも、賑やかなのは嫌いじゃないので、輪に加わって楽しむ。
―――ところが。
街中を抜けるまでは、それでよかったのだけど―――。
元々街道ってヤツは、人が付けた獣道が、だんだんに大きく太くなって出来たモノがほとんどだ。
街中ならいざ知らず、旅行者や行商人しか通らない辺りは、もう整備など行き届くはずもなし。
歩いている時には気付かなくても、小さな窪みや穴、石やでっぱりなどが、馬車にはけっこう大きな振動になってしまう。
小一時間位進んだ頃には―――、生来の元気者のガウリイやガル、あとはバークが辛うじてしゃっきりしているが、ラーグや壊れモノのレイナなどは、すっかり静かになってしまっていた。
あたしは慣れてるまでいかないけど、予想できていたので、何とか平気。
がっくんっ。
いきなり馬車が大きく揺れた瞬間、クッションの中に埋もれていたレイナの小さな身体が、軽々と跳ね上がった。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
「レイナっ!!」
間一髪。
しがみついたクッションもろとも馬車から落ちそうになった娘を、ガウリイが何とか掴まえてくれた。
さすがに並の反射神経ではない。
でなければ、今頃どーなっていたことか。―――考えるだに恐ろしい。
テスも馬達もこれには驚いて、急停止した。
「おいっ! 大丈夫かっ!?」
振り返って叫ぶ彼に、ガウリイが笑顔を向ける。
「心配ない、心配ないって」
レイナも少々青褪めて、まだびっくりしたままのようだけど、少し微笑んでうなずいて見せた。
テスは安堵の息を漏らすと、また馬を走らせ始める。
「レイナ、どっか痛くない?」
あたしの問いにも、同じようにうなずく。
「大丈夫だ。オレが抱っこしてくから」
オプションよろしく、娘をしっかり抱え込んだガウリイの答えに、また兄達がししゃり出る。
「おれが抱っこしたいな」
「そんなら、おれ」
「おれだって!」
兄ちゃん達のラブコールに、レイナは嬉しそうに笑った。
「駄目だって。おまえ等ごと、レイナがふっとんだらどーする」
父親の却下にぶーたれながらも、全員しぶしぶ納得する。
いくらどの子も、同い年の子達より力があるって言ったって、大事な末姫様を支え切る自信はないようだ。
それからさらに、一時間ほど―――。
「テスおじちゃんっ! 止めてっ!!」
いきなりでかい声で叫んだのは、いつもはあまり率先して騒いだりはしないラーグ。
「な、何だぁ!?」
テスもびっくりして、反射的に手綱を引く。
この急停止には、人も馬も驚いた。
「どうしたのよ、ラーグ!?」
「父さん、レイナがもうダメだよ。おろしてやって!」
「あ?」
ガウリイの胸に顔を埋めて、静かに眠っているとばかり思っていたレイナを起して見る。
「…おい、リナ…」
「…ちょっと、ガウリイ…」
あたし達は顔を見合わせる。
状況のよくわかっていないガルとバークが、覗き込んできた。
「母さん、そんなゆうちょうにしてる場合じゃないんだって!
早くおろして、水でもやってよっ!」
事の次第を最も把握している末兄が叫ぶ。
レイナとは不可思議な感覚で繋がっているこの子が、こんなに興奮しているということは、けっこーヤバい事態と考えるのが正解なんだろう。
さすがに反応のいいガウリイは、レイナを片手で抱えたまま、さっと馬車から降りた。
あたしも水筒を掴んで続く。
「レイナ? おい?」
木陰の草の上に横にされた小さな娘の顔色は真っ青だった。
額に手を当ててみると、そんなに高くはないが、ちょっと熱があるようだ。
あたしは振り返って、馬車から降りようとしていた長兄に声をかける。
「ガル! タオル出して、そこの小川で冷やして来て!」
「熱あんのか?」
「大丈夫よ、少しだけだから。頼むわね」
「おう」
フットワークの良さは定評のある長男だ。
さっとタオルを引っ掴むと、街道のすぐ脇にある土手を駆け降りて行った。
次男と三男の双子は、心配そうに妹の脇にしゃがみ込んでいる。
御者のテスも、馬車を樹に繋ぐと寄って来た。
「具合悪いのか?」
「馬車に酔っちゃったみたいね。この子、脆いから」
「…病弱ってコトか?」
「そーじゃなくて―――。単に体力とか耐久力が極端に無いのよ」
あたしの説明をまだ承服しかねているようだけど、とりあえず今はそれどころではない。
「うおっ…とっとっ!」
駆け上がって来たガルが、勢いで馬車の方まで行ってしまう。
「こらこら。落ち着きなさいってば」
「だいじょぶなのか?」
受け取ったタオルでレイナの顔を拭いてやると、小さく呻いて目を開けた。
「レイナ?」
「……ふに…?」
「どっか調子悪くないか?」
そこは筋金入りのお父さん子らしく、ガウリイの声でようやく意識が戻ったようだ。