Eisbahn

10



 大きくて立派な屋敷で、たっぷりのごちそうにありつき――。
 ゆったりなお風呂をいただいたあたしは、あてがわれた部屋に戻った。
 そこはいつもここにお泊まりすると使ってるので、もう見慣れている。が。
「相変わらず、でっかい部屋だこと」
 アパートはもちろん、実家の自室より広い。

 タオルなどを干して、みんなのいる居間へ戻ろうとして、ふと足を止める。
 閉められていたカーテンを開いて、ライトを消すと――。
 窓の外にはあたしの期待した通りの世界が広がっていた。
 外は晴れ渡って、ひどく静かで。
 何だか今までの喧騒がウソみたい。
 あたしは窓際に座ると、ゆっくりと堪能するコトにした。


 こんこん。
 ノックの音が、現実を引き戻した。
 こんこんこん。
「はいはいはい、今開けるわよ」
 不機嫌モードでドアを開けると、目の前はセーターだった。
「寝てたのか?」
「んなワケないでしょ」
「だって、部屋真っ暗だぜ?」
 相変わらずデリカシーとは無縁な大男だ。
「――ったく。雪あかりで庭見てたのよ」
「雪あかり?」
 ――ああ、そっか。
「根雪があるとね、夜でもほんのり景色が浮かんで見えるのよ」
 窓の方へ、ガウリイを先導するように戻る。

「おー」
 あたしの上から覗き込むようにして、ガウリイが感嘆の声を漏らした。
「キレイでしょ?」
「ああ。こんなにくっきり見えるもんなんだなぁ」
「昼間の光とはまた違って、蒼っぽいモノトーンの絵みたいな感じなのよね。
 暗くはあるんだけど、細かな枝まではっきりわかる位のビミョーな明るさで。
 月や街灯がなくても、歩くのには全然支障ないし、行き倒れてる誰かさんも見付けられるし」
「おかげで助かった」
 ガウリイが景色を見つめたまま、飄々と言う。
「部屋に引っ込んだのって、これが見たかったからなのか?」
「――それだけじゃないけど…。
 ウチのアパートだと、すぐ隣が建物だからあんまり見られないじゃない。
 でも、ここって庭が広くて堪能出来るから」
「そっか」
 何か安堵したような声音。
「――なによ、心配でもしてたっての?」
「――まあ、な。厄介事に巻き込んじまったし。
 それに――」
 振り仰ぐと、ガウリイは覆い被さるようにして、あたしを見ていた。
「……それに?」
「――おまえさんと一緒にいたかった」
 頬が染まったのが自覚できた。
 ちょ、ちょ、ちょっ!?
「あ、あ、アメリア――アメリアとゼルはっ?」
「居間にいる。
 あっちも二人っきりにした方がよさそうだったんでな」
「そっ、そっ、そう」
 そんなトコばっかり気を利かすかぁ!?
 い、いかんっ、パニくってる間に、ガウリイが勝手に距離を縮めてきてるっっ!
「――リナ……」
 ひゃあ〜! ドアップっっ!!
 な、なんか、気を逸らすコト、なんかっっ……!


 ―――――――――はっ。


「やばいっ!!」
 あたしの唐突な叫びに、寸前でガウリイが硬直した。
「やばいっ、まぢヤバイってぇっ!!」
 あたしはガウリイを押しのけるようにして、部屋を飛び出す。
「お、おいっ!? リナっ!?」
 追ってくるガウリイは放っておいて、居間に駆け込む。

 こっちはこっちで何かになりかかっていたのかもしれない。
 二人で硬直してる。
 しかし、今はンなコトは知ったこっちゃない。
 血相変えたあたしに、さすがに何か異変が起きたとは気付いたらしく。
「な、何なんだ、リナっ!?」
「ガウリイさんが何かしたんですかっ!?」


「―――水道、落としてくるの――忘れた」


 一息遅れて辿り着いたガウリイは、居間で騒ぐ北国の民・約3名を見るコトとなった。

 そのすぐ後。
 急いで支度をしたあたしは一人で玄関を出て、再び運転手さんに出してもらった車に向かう。
 まだ付いてこようとするガウリイに向かって、叫ぶ。
「一人で大丈夫だからっ! たかだか、水道落としに戻るくらいっ!」
 だいたい、狙われてるかもしれないから避難してるってのに、その当人がわざわざ戻ってどーするってんだ!?
 ガウリイはすっかり困惑した顔で、ぼそっと言った。
「――だからぁ、いったい何のことなんだ?」

 ――すいません、パニくって説明忘れてました。

 結局、時間がもったいないと言うことで、車の中で事情を話すことにする。
「水は凍ると膨張する。これはわかるわよね?」
「ああ」
「水道管の中には水が通っている。これもおっけー?」
「おい」
「水道の本管から、各家庭には水道管が引き込まれてるわよね?」
 うなずくガウリイ。
「根雪には保温の効果もあるから、土の中にある分の水道管は平気だけど、地面から蛇口まで来ているトコは、外気にさらされたりしてるでしょ?」
「だから?」
「そこが凍ったらどうなる?」
「…………」
「水道管が破裂するんですよ」
 あたし達の会話がまだるっこしいと思ったのか、運転手のクロフェルさんが口を挟んだ。
「――で?」
 ガウリイのわかってないセリフに、思わず首を絞めたくなる。
「だぁかぁらぁっ!
 水道管が破れちゃったら、そっから水吹き出しまくりじゃないのっ!
 あたしのアパートだったら、下の部屋まで水浸し、他の部屋は断水よっ!!
 修繕工事頼まなきゃ直んないし、その費用は当然全部こっち持ちなの!
 どんなにオオゴトかわかったっ!?」
「――わ、わかった」
 どっちかっつーと、あたしの剣幕で理解したよーな気もするが、わかったんなら良しとしよう。
「で、どーすればいいんだ?」
「各家庭に、水を土の中の水道管まで戻す装置が付いてるのよ。
 蛇口を全開にして逆流させてやれば、凍りそうな場所には水がなくなるってワケ。
 それを、通称で『水を落とす』って言うの。
 TVで注意報出たりするんだから」
「へー。けどよ、そんなに冷えるモンなのか?」
「冷えるわよ〜、今日みたいに晴れ渡った日にはね」
 地表の熱が奪われて冷え込む――放射冷却現象と言うのだそうだけど、そんなコトをこの脳クラゲに説明しても仕方あるまい。
「私の故郷なんかでは、長期の留守の時は水洗トイレに車の不凍液を入れておけ、なんて規定のあるアパートがありますよ」
 びっくり反応のガウリイに、クロフェルさんが笑った。
 ――うーん、ここはそこまでじゃなくてよかった。


 わざとアパートから少し離れた、正面側から見て陰になる場所に止めてもらい、一人で車を降りる。
 ガウリイには絶対車の中にいるように厳命してから、部屋に向かう。
 階段を上がる音が、寒さのせいかやたら響いた。
 ポケットから鍵を出そうと視線を落とした時――、あたしは雪あかりの風景の中に、違和感を覚える『モノ』を見た。
 けれど、ここで騒いだりするのは禁物。
 そのまま何事もなかったように部屋に入って電気を付け、まずは当初の目的を果たす。
 やっぱり落としてなかったよ。あっぶなぁ。
 さて。
 再び電気を消してから、レースのカーテンを少し開き、『モノ』があった方を覗いてみる。
 それは――1台の黒っぽい車だった。
 ガウリイの待ってる車とは反対方向の――アパートがギリギリ見えるか見えないか位の位置に駐車している。
 中に人が乗っているようだけど、一向に動く気配はない。
 それだけなら別に誰かデートの真っ最中だろう、でカタが付いちゃうんだろうが――、車が妙。
 やたらごっつい――学生が多くて、あとは中流家庭ってこの辺りでは、浮きまくる高級車。
 ………今乗ってきたのは別よ。
 つまり、そんなコトでもなかったらいないだろう、ってレベルなの。
 とうとう、何か動いてきたか――?

 目一杯さりげない素振りで部屋を出て、鍵を掛け。
 階段を降りきろうとした時。
「――リナさん?」
 いきなり、背後から声がかかった。
「………シルフィール!?」
「驚かせてごめんなさい」
 ――本気でびっくりしたぞ。
 あたしの真下になる部屋から、上着を羽織っただけの出で立ちで、シルフィールが小走りで近付いてきた。
「な、なに? あたし、車待たせてるんだけど――」
「ええ、わかってます。すぐ済みますわ。
 待ってる方は――昼間の?」
「う、うん。そうだけど…?」
 きゃあっ、とはしゃぐシルフィール。
 あ、あのーーー?
「ごめんなさい、取り乱しちゃって。
 これご覧になってくださいな」
 言って出したのは、いわゆる――ファッション雑誌。
 付箋の貼られていたページを開くと、あたしに差し出す。
「―――! これって………」
「ね、やっぱりそうでしょう?」
 そこには―――――


★ つづく ★




9話目へインデックスへ4話目へ