Eisbahn

2



 時間とは、個体の認識する感覚に過ぎない。

 ―――って、そんなコトを悠長に考えてる場合じゃない。
 このフリーズした状況をどーすりゃいいのだ。

 それにしても、やっぱ美形だなぁ。
 典型的な北欧系ってヤツ? 色素が全体に薄め。

 ―――だからぁ! 今はそんなコトをだね……

「気が付いたか?」
 あたしの葛藤は、ゼルの冷静な声であっさり打ちきられた。
 動揺してると言うなかれ。
 行き倒れを介抱する事態に遭遇慣れしてるなんて、救急医療センターとか警察関係くらいなもんだろうって。

 けれど、件〈くだん〉の金髪碧眼美青年は、反応もなくぼーっとしているだけ。
 視点もまだイマイチ合ってない感じだ。
 まあ、目が覚めたらいきなり知らない部屋で、知らない人間ばかりがいたんじゃ、ちゃんと認識しろって方が無茶だろうけど。
「リナ、カップにぬるま湯を持って来てくれ」
「あ、はーい」
 用意しているあたしの背後で、ゼルが『彼』にさらにあれこれ声をかける。
 なのに返事どころか、一向に声すら出さない。
 あたしは――ちょっとヤな予感を覚える。
 吐息のかすかな香りからしても、『彼』が多少なりとも酔っているのは確か。
 でも、酩酊して寝込んでしまったにしても、見付けてからだってけっこう時間が経っている。
 目が覚めたってのは、酔いが醒めてきてる証拠だろう。
 なのに、ここまで反応がないって――ヘンじゃない?
 ――薬?
 あたしは薬学を学んでいるから、自然そういう発想になってしまう。
 アルコールと同時に摂取すると、相乗効果で度を超して効きすぎる類いもあるのだ。
 たとえば――睡眠薬の系列とか――。
 もしも『彼』が自殺志願者とかなら、そのカクテル効果――あ、取り合わせのコトね――で氷点下の野外に一晩いれば、間違いなく目的は完遂出来る。
 とは言え、そんな人間なら人目に付かない場所へ行くだろう。
 間違っても、こんな住宅街の真ん中などでやらないと思う。
 不意に、ゼルの推理がリフレイン。
 ――もし、他の人間の手でそうされたなら?
 毎冬、この地方では酔った末の路上凍死者が出るのは珍しくない。
 郊外などで自殺の偽装をするよりは、そのパターンの方がはるかにお手軽で疑われにくいだろう。
 もしあたしだったら、そちらを選ぶと思う――。
「おーい、早くしろ」
「はーいはい」
 ゼルは『彼』の上半身を起こして、毛布から両手を出させていた。
「はい、どーぞ」
 あたしはまだ氷のように冷たい手に握らせるようにして、カップを渡した。
 『彼』が顔を少し上げ、視線が合う。
 ゼルの水色の瞳より、もっと濃い目の蒼。
 さっきより少しだけ、光が戻った印象。
「あなた、名前は?」
 『彼』はわずかにもどかしそうに目を細め――。
 ゆっくりとカップのお湯を一口すすり。
「―――ガ――ガウ――リイ―――」
 おお、喋れるじゃん?
「ガウリイ?」
 あたしの促しに、かすかに首が縦に動いた。
「――だって」
 横にいるゼルに言ってやると、軽いため息が返ってくる。
「おまえが訊いた途端に反応するってのもなぁ」
「やっぱり野郎より美少女の方がいいんでしょー?」
「誰が美少女だって?」
「ああら、ここに他に女の子がいるのかしらぁ?」
 くす。
 二人同時にガウリイと名乗った『彼』を見ると、少しだけ微笑んでいた。
「ようやく意識がはっきりしてきたようだな」
「――ここ――は?」
 うん、まだ声に力はないけど、反応はまともになってきたみたい。
 これなら、会話が成立するかな?
「ここは学生アパート。このゼルの部屋よ。
 公園で寝込んでたあんたを、あたしが見付けて運び込んだの」
 ガウリイはゼル、あたしと順に視線を巡らせた。
「あたしは、リナ。リナ=インバース。
 隣の部屋の住人よ」
「俺はゼルガディス=グレイワーズだ。
 あんた、フルネームは?」
 至極当たり前な問いかけ。
 なのに――反応は違った。
 ガウリイのカップを握った大きな両手が震えている。
 瞳には明らかな混乱の彩〈いろ〉
 あたしはゼルに視線だけ向ける。
 ゼルは無言で目配せして見せた。
 何だかこれは――チープなサスペンスドラマもどきの展開がやって来そうな成り行きである。
「―――オレは―――誰だ―――?」
 あああああっ! やっぱりそーきたかいっっ!!


 ――どうどうどう、落ち着け。
 ドラマの定番よろしく、こちらまでノッてやる義理はなし。
「アムネジア――か」
「まだそうと決まったワケじゃないでしょ。
 深酒で記憶がぶっ飛ぶとか、薬の副作用で混乱するなんてのもあり得る話よ。
 影響が抜けるまで確定は出来ないわ」
「少なくとも頭部の外傷とかはなかったぞ」
「内因性ショックで、一時的に神経パニックとかかも」
 あたしとゼルの会話を、苦悩するのまで忘れ去って見つめているガウリイ。
 大男がガタガタ震えながら、きょとんとした顔をしているのは、どーにもミスマッチ。
「おまえさん達――って――」
「単なる医者と薬剤師のタマゴの会話。
 そんなコト気にしてるヒマがあったら、自分のコトを少しでも思い出しなさいね」
 バツ悪そうに後ろのソファにもたれかかると、ガウリイはぬるま湯をゆっくりと飲み始めた。


 ガウリイの震えは一向に治まらない。
「寒い?」
 頷くガウリイ。
「冷え切っていたのが少し暖まって来たせいもあるんだろう」
「――シャワーとか――浴びられ――ないか?」
 おー、ようやく、現状認識出来てきた?
「ボツ。
 酔いもそうだけど――、薬効が切れるまでは、血行を良くしすぎない方がいいわ」
「――酔い――?」
「それも覚えてないのね」
 ゼルがガウリイの首筋に手を当てて言う。
「だが、このままじゃ良くて風邪引き、悪けりゃ肺炎確定だぞ」
「うーん、何かいい手ない?」
 確かにガウリイの顔色は真っ青だ。
 ――起きてみて初めてわかったけど、ずいぶん前髪も長いんだなぁ。
 似合ってるから見目にはいいとして、邪魔じゃないんだろうか?
「そうだ」
 あたしを見て、含みのある笑いを見せるゼル。
「人間一人は、百ワットの電熱器に相当する熱量を常備発散出来る優秀な発熱機関だ」
「つまり――何が言いたいわけ?」
「だから、おまえが人肌で――」
 ごきっ!
 ガウリイの目が点になる。
「乙女に失礼なコト言うと、鉄槌制裁ってのがお約束なのよぉ」
 あたしは極上の微笑みを浮かべてから、突きだした拳を引っ込めた。
「どうしても人肌暖房したいなら、野郎同士で遠慮なくやんなさい。
 どーせ男なんて、無駄に体温を外に発散しまくる構造になってんだから」
 ゼルとガウリイは顔を見合わせて、冷や汗一筋。
 男同士の意見はどうやら一致したらしい。
「――ったく。
 それなら、ゼルがバスルームに付いてって、様子見ながらシャワーかけてやれば?
 抱き合って暖を取るよりは抵抗ないでしょうに?」
 男衆、こくこくと同意。
 やれやれ、世話が焼けるんだから。
「その間に、何か暖かいモノでも作っとくわ。
 ゼル、あんた夕食は?」
「後で何か買いに行こうと思ってたんだが――」
「もう、男の一人暮らしってこれだから。
 栄養のコトも少し考えなさいよね」
 あたしは冷蔵庫チェックして、さっき買い込んできた食材を取り出して始める。
 この部屋に入り浸っていると言っても、あたしが一方的に環境を享受してるワケじゃない。
 料理は得意なので、よくゼルのご飯の面倒をみているのだ。
 実際、一人暮らしの自炊なんて不経済この上ないから、合理的でもあるし。
 野菜を刻みながら気配を感じて振り返ると、ガウリイがまだ頼りない足取りでキッチンに近付いてきていた。
「ちょっと、まだ歩き回らない方がいいわよ。ゼルは?」
「――んと、用意してくるってさ」
 言って、さっきのカップを差し出す。
「こんなの置いといていいのに―――って……。
 ―――あんた、ずいぶん背が高くない?」
「――そっか?」
 そっかじゃないって。
 あたしの視線の高さ、ガウリイの腹だよ。
 かなり見上げないと視線が合わない。
 逆にガウリイの方は、当然かなりうつむく恰好で、落ちてくる髪をうっとおしそうにかきあげている。
 ―――あれ…?
「おーい、ガウリイの旦那」
「――ありがとな」
 向けた背中も――でかいわ。
 それにしても――何だろう、今の――違和感――?


★ つづく ★


※ アムネジア(amnesia)
記憶喪失・またはその人、記憶消失、健忘症などの意味(笑)


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