昼をかなり回ってから、買い出し部隊が帰還した。
アメリアのご機嫌がやたらよさそうなトコを見ると、買い物と昼食だけでも充分デートの真似事くらいにはなったようだ。
ゼルはいつも通りのポーカーフェイスだけど、そこはそれ、長い付き合いだから機嫌くらいわかる。
――ったく、さっさと意思表示しないと、横からかっさらわれても知らないぞ。
「はい、着てみてくださいね」
アメリアが一揃い渡すと、ガウリイはバスルームに消えた。
「――で? どうだった?」
あたしの問いに、ゼルは肩をすくめて見せた。
「特に、いつもと変わったコトはなかったぞ」
「真っ昼間だから、目立つのを嫌がってるのかも」
「それでも、私達が力を合わせれば大丈夫ですよ!」
「アメリア、声でかい」
慌てて口を押さえるアメリア。
「おまえの方は?」
あたしも肩をすくめる。
わかったコトと言えば、ガウリイの記憶がホントに真っさららしいってくらいだ。
「警察に電話は?」
「ずっとガウリイと一緒にいたんだもの、かけられるワケないでしょ?」
「それはそーですね」
「タイミング見計らって、部屋に戻ったらかけてみるわ」
「おーい、こんなんでいいか?」
ガウリイの乱入に、3人共飛び上がりそうになる。
「どうした?」
「いっ、いえっ! とっても似合いますよ、ガウリイさんっ!」
――あら、ほんとだ。
単なるセーターとジーンズなのに、ミョーにキマってるねぇ。
「なあ、着替えたんだから、ちょっと外へ行ってもいいか?」
――お子ちゃまかい、あんたは。
それでも、体調がいいなら、頑固に引き留めておく理由もなし。
まだ犯罪絡みの可能性が消えたわけじゃないけど、それもここにずっと籠もっていたからって解決するわけでなし。
「わかったわ」
ガウリイの顔が輝く。
おいおい。そんな顔されたら、止めようがないじゃないの。
「――あたしが付き合いましょ。
ちょっと支度してくるから待ってて」
「支度なんかいいじゃないか?
その辺歩いてくるだけだぜ?」
こいつぅ、カノジョいなかったクチだな。
「女の子はただ外に出るだけでも、必要なの。
だいいち氷点下の世界にこのまま出かけたら、風邪ひくわよ」
「――そんなもんなのか」
「出てみればイヤって言うほどわかるってば」
自分の部屋に戻ったあたしは、そのまま電話に手を伸ばす。
ガウリイはゼル達が時間稼ぎをしてくれるだろう。
別にあたしが悪いコトしてるってワケじゃないのに、どうして緊急電話ってこんなに緊張するかなぁ。
何度目かのコールの後、警察を告げる声がした。
「すみません、ちょっとお伺いしたいコトがあるんですけど――」
「オンナノコの支度ってヤツは、随分手間かかかるもんなんだなぁ」
腰までのダウンジャケットを羽織ったガウリイの、ぼやきながらも嬉しそうな声。
玄関先ですでにスタンバイしていたらしい。
「文句言うなら、行かないわよ?
あたしとしては、寒い野外よりはウチの中でぬくぬくしてたいんだから」
「わかった、わかった」
先にガウリイを玄関から出してドアを閉めながら、中の二人に向かってバツ印を宙に書く。
アメリアのがっかりした顔が、一瞬見えた。
「おお〜! 寒い、寒いっ!
まぶしいなぁ!」
本当に子供だわ、これは。
大男のガウリイは、手をかざしながら、楽しそうに辺りを見ている。
「あんまり雪面ばっかり見ない方がいいわよ。『雪目』になるから」
「『雪目』ってなんだ?」
振り返ったガウリイと目が合う。
仰ぎ見た真冬の空がそのまま写ったような瞳の蒼。
「新雪の雪面って、太陽の光をすごい反射するのよ。
そのまま見てると、紫外線で目を痛めるコトもあるわけ」
「へー、それをそう言うのか」
「特にあんたみたいに色素の薄い目はなりやすいの」
「じゃあ、サングラスでもかけりゃいいのか?」
「ちゃんと紫外線避けの入ったのをね。
長時間外にいると、アゴの下が日焼けしたりするくらい強いんだから」
「なら、日焼け止めもいるんだな」
「そうね、あんた肌も色薄めだし…」
典型的な北欧系と言おうとして、思いとどまる。
これも身元探しのヒントになるかもしれない。
今のところ、ガウリイがわざと身元を隠してるような気配はなく。
むしろ、巣穴から世界に初めて出た動物の子供のように、何もかもが好奇心と感動の連続のようだった。
あたしはまるで、頼りなくて危なっかしいヒナを見守る親鳥のような気分で。
――にしてもでっかい子供だわ。カッコウの託卵でもあるまいに。
ゼルが言った通り、ご近所はいつもの風景と何の変わりもなかった。
通りかかる人や車も、特にアヤシいという雰囲気はない。
あたしはあえて楽しそうなガウリイを止めるコトもなく、のんびりと歩いていた。
「なあ、リナ。
何でこんなに寒いのに、上着の前を開けて歩いてるヤツがいるんだ?」
「――慣れでしょ? お日様が当たってれば、けっこー暖かいし」
「――あったかい?」
ガウリイは身をすくめた。
「そろそろ寒くなってきた?」
「寒いのは最初から寒いぞ」
おいおいっ。
「もう戻りましょ、風邪引くわよ」
露骨に渋い顔をするガウリイ。
「――わかった。通りを渡った自動販売機で、熱いコーヒー買ってから、ね」
「おう!」
通りに近付くにつれ、道路の状態が単なる圧雪から変わってくる。
「あ、そこ……」
あたしが言うより先に、ガウリイの長い両足が宙に舞っていた。
どさっ!
「ちょっと、大丈夫!?」
「ててて……、なんだぁ?」
長身を道に投げ出したまま、ガウリイがぼやく。
真上から覗き込みながら、説明してやる。
「アイスバーンで滑ったのよ。
頭打たなかった?」
「アイスバーン?」
「こんな風に道路が凍って、つるつるになってる状態のコトよ。
昼間の気温が高めだったりとか、タイヤの熱で表面だけ溶けたのが、凍って氷になるの。
スケートリンクと同じ状態だから、歩き方気を付けないと――」
「――キレイだなぁ」
「は?」
「木の枝が真っ白になってる」
ガウリイの視線を追うと、氷結した枝。
確かに、青空と白い木のコントラストはキレイだけど――さ。
「今日は真冬日だから、溶けてないんだわ」
「真冬日って?」
「一日中、気温がプラスにならない日のコトよ――って、いいかげん起きないと、あんたの熱でアイスバーンが出来ちゃうわよ」
起きあがったガウリイに付いた雪をはらってやる。
「いてて、もうちょっと優しくしてくれないか? 叩かれてるみたいだぞ」
「叩いてるんだもん。えい、えいっ!」
わざとばしばし叩いてやると、ガウリイは笑いながら身をかわそうとして、再び足を滑らせる。
「あぶないっ!」
あたしが抱きとめるように支えて、何とか事なきを得た。
ガウリイのダウンジャケットで視界が埋まる。
直後――心臓が跳ねた気がした。
――あたし達はそのまま動けなくなっていた。
もちろん、ガウリイが足場を確保しなきゃってのもあるけど――。
わかっていても――心臓が勝手にとくとく鳴るのは止められなかった。
バスの発車クラクションで、ようやく金縛りから解放された。
「だ、だ、大丈夫?」
「あ、ああ。すまん」
まるで機械仕掛けにでもなったようなぎこちない動作で、あたし達は離れた。
「――ア、アイスバーンの歩き方――教えなきゃ――ね」
「う、うん。そう――だな」
「あら、リナさん?」
いきなりの呼び声に、必要以上に驚いてしまった。
どうやらバスから降りたらしい、手に紙袋を下げた長い黒髪の楚々とした美人が、近付いてきていた。
「シルフィール。
こんにちは。今帰り?」
「こんにちは。ええ、買い物に行ってきたもので――」
言いかけたシルフィールとガウリイの視線が合う。
「あ、ガウリイ、こちらシルフィール。あたしの下の部屋の住人なの。
シルフィール、このヒトはガウリイ。
えっと――ゼルのイトコで、遊びに来てるのよ」
あたしの紹介に、二人は笑顔になって挨拶を交わす。
「そうでしたの。ごゆっくりしていってくださいね」
「ありがとう。よろしくな」
ガウリイが差し出した大きな手を、シルフィールは一瞬ためらいながら握り返した。
「こちらこそよろしくお願いします」
美男美女の握手は、やたら絵になる。
ちょっとだけ――あたしは落ち着かない気分がミックスされたような感じを覚えていた。
★ つづく ★