★8★
翌日は――霧とも雨ともつかない重たい湿気が、辺り一帯に満ちていた。
「今日は止めとけ、足下危ないぞ」
「こんな天気の時じゃないと確認出来ないトコがあるのよ。
だいじょーぶ、飛んでくから」
「木や岩にぶつかったらどーする」
「……付いてきたいって、素直に言ったら?」
「一緒にいたくないのか?」
お互い、少々目が赤いコトを言及出来ないほど、ぎくしゃくしているのかもしれない。
それでもリナが言い出したら聞かないことを、ガウリイはよくわかっていたし。
ガウリイが普段の言動ほど何も考えていないわけではないことは、リナはもうわかっていた。
そして何より――お互いの能力の高さとコンビネーションの良さは認めるところで。
二人でいる時の戦力が、単純な数の増量だけではなく――ほとんど無双に近いのではないかと、どちらも感じていた。
だからと言って、一応は想い人である。
出来るなら危ない目には遭わせたくないと思うのも、ごく自然な感情だった。
「ほら、そこでっぱりがある、気を付けろよ」
「…っと。あんたって、いったいどーいう目してんのよ?」
「便利でいいだろ。――ほら」
「――はあ?」
いきなり差し出されてきた手に、リナは目を瞬かせる。
「ちょ、ちょっと! そんなに頼りないっての!?」
「――手を握りたいと思ってろって」
リナの左手を強引に大きな手で掴んで、また先に立って歩き出すガウリイ。
口ではブツブツ言いながらも、どうせなら素手同士ならよかったのになどと、内心思っていたりするリナだった。
リナが確認したいと言った辺は、陥没し崩れた岩が囲み窪地のようになっているはずだが――、今は霧に沈んで何も見えない。
「ああ、あそこか。
時々何かヘンな感じがするトコだろ?」
「あんたもそう思うんなら、本物ね。
――ほら、霧が何かおかしな動きしてない?」
岩の上から手を伸ばして示すリナ。
「渦巻いてる――ってまではっきりしてないが、淀んでるってのでもなさそうだな」
「こんなトコだと、普通は淀むか――風の方向に流されるかなのに、どうもヘンなのよね」
「デーモンがやたら出てくるのが、ここのせいってか?」
「――とも言い切れないから、困ってるんじゃない」
「まあ、瘴気って程じゃないしなぁ」
言って、隣のリナが降りようとしているのに気付く。
「お、おい!?」
「確かめないってテはないでしょーに」
「――ったく」
ため息を吐くと、ガウリイは岩に手をかけ、さっと身を翻した。
今度はリナが驚く。
いくらガウリイの目がいいと言っても、こんな状態では危険すぎる。
「ガウリイっ!?」
「はいよ」
「……はあ?」
やたら近くから聞こえた声に覗き込むと――、ガウリイが左手で岩を掴んだままぶら下がっていた。
「な、何やってんの?」
「こうすりゃ、地面が近くなるだろ?」
あっさり言って、手を離す。
軽い着地音と甲冑の擦れる音がして、霧の中に立ち上がったガウリイの金髪が見えた。
確かに、ガウリイの長身分地面が近くなるなら、危険度ははるかに低いだろう。
「ほら、来いよ。受け止めてやるから」
呪文で降りると言おうとして――風の結界で空気の流れを乱したらまずいと思い当たる。
「ちゃんと受け止めないとひどいからね」
「おまえを落としたりするかよ」
赤面するようなコトばかり言われて、もう反論する気も失せてしまう。
ガウリイほど距離は稼げないにしろ、リナも一度ぶら下がってから、身を躍らせた。
胸甲冑を着けているはずのガウリイが、信じられないほど柔らかく受け止めてくれる。
耳元で、「ったく」と言う小さなぼやきが聞こえ、一瞬唇が塞がれた。
何があったかわからないうちに、リナは地面に下ろされていた。
「ちょ、ちよ、ちょっ……!?」
「何か――ヤな空気だな」
少し不快そうな含みのあるガウリイの呟き。
確かに地形のせいなのか、天候のせいなのか、空気が妙に濃密な気がする。
リナも気を取り直して、辺りを探り出す。
「おい、リナ?」
「少し探ってみるわ。
あんたも何かおかしなトコあったら教えてよ」
「――ああ。気を付けろよ」
壁のようになった岩に沿って、ぐるっと歩いてみる。
特に変わった所はないと言えばないのだが――、気のせいで済ますには今ひとつ釈然としない。
「ねぇ、何かあった?」
振り返ると――ガウリイの姿が見えなくなっていた。
急に不安がこみ上げて来る。
理屈ではなく、何かの警告のような気がした。
「ガウリイ!」
声のした方に駆け寄ろうとして、何かに足をすくわれた。
「リナっ!」
濃い霧越しでも、勢いよく近付いてくる地面が見え――衝撃を覚悟する。
次の瞬間、予想していたよりはるかに軽いショックと共に、倒れ込む勢いが止まった。
「――ったく、だから危ないって言ったのに」
身体の下に滑り込むような体勢で、ガウリイが抱きとめてくれていた。
「ご――ごめん……」
呟きながら、リナはガウリイにしがみついていた。
不機嫌そうなモードから一転、動揺するガウリイ。
「お、おい?」
「…ありがと」
ゆっくりとガウリイも抱きしめ返す。
「――ホントに目が離せないんだから」
「――離さないで――いてよ」
「だから――いるだろ?」
ガウリイの手がリナの頬を優しく撫でる。
そのまま誘われるように、唇が重なった。
先ほど感じた不安より、幸福の方が勝ってくる。
昨夜からの気まずさは、すでに消え去っていた。
どのくらいそうしていたのか――。
不意にガウリイの身体が強ばった。
すっかり抱擁に酔っていたリナはわずかに戸惑ったものの、すぐに理由を悟る。
リナの背中側に――今までなかったはずの、負の化身が出現していた。
二人は何も言わずに、離れ際、素早く目で合図を交わす。
「はあっ!」
ガウリイが抜き打ちで、霧に浮かぶシルエットに攻撃を掛けた。
リナは身を翻して、ガウリイを追うタイミングで呪文を放つ。
「炎の槍〈フレア・ランス〉!」
デーモンなら精霊魔術は効かないのは百も承知だが、今は別の目的があった。
シルエットに当たって燃え上がった炎の熱が、窪地の霧を消し去る。
一気に視界が晴れ、シルエットの主――大きなデーモンの姿が露わになった。
そこへ再びガウリイの斬撃が見舞い。
「烈閃槍〈エルメキア・ランス〉っ!」
続けて放たれた術が、とどめとなった。
デーモンが塵と化しても、しばらくは熱のせいか窪地の中は晴れたままだった。
あらためて調べ直したものの、やはり収穫らしいものはなく。
「――あんなモノがいたら、あんたが気が付かないハズないわよね」
「そーでもないかもしれんぞ」
「へ?」
「おまえさんとくっついてると、他はお留守になっちまうからなぁ」
飄々とした物言いに、リナは耳まで真っ赤になってしまう。
「ほ、ほらっっ、つかまってっ。長居は無用、呪文で帰るわよっ!」
背中を向けたまま差し出された腕を、ガウリイが強く引っ張った。
「ひゃ?」
また体勢を崩したリナを抱きとめ、そのまままた深く口づける。
最初はもがいていたリナも、やがて静かになり――、自分から抱きしめていた。
何だかわからないうちに――耳朶に唇を寄せられて、リナは飛び上がりそうになった。
「ひゃうっ!?」
「…おいおい」
「だ・だ・だってっっっ」
「ったく。これじゃ夕べと同じだな」
「――ちょっ――! ……気が付いてた……の?」
「そりゃあ――あんなに緊張してガチガチになられりゃ、フツー気付くと思うぞ?」
「――知っててわざとやったわけ?」
上目使いで睨むリナに、ガウリイが苦笑いする。
「そうでなきゃ――そのまま止まんなかったさ」
その意味がわかったリナは、また湯気を噴いた。
「あれで我慢しただけ褒めてくれよ」
「――今――も?」
胸の大騒ぎを露呈するように、声が震えてしまう。
ガウリイはその華奢な身体を包み込むように抱きしめ。
「――いつでも――だ。
おまえさんが――欲しい」
「………ガ………ウ………」
喉まで鼓動が競り上がって来たみたいで、言葉が出せない。
「――無理強いはしないから、安心してろ」
緊張を解すように背中をぽんぽんと叩かれ、リナは大きく息を吐いた。
「………ばぁか………」
「……ああ、わかってる」
「……ほんとに……ばか……」
「それでも――惚れちまったんだから、しかたないさ」
「……もっと……離れられなく……なるんだから……」
「…………リナ?」
「………………………………………家までくらい………我慢しなさい…よね…」
「!!!!!!」
待てば海路の日和あり。(違)