<3>
祖父の家に意気揚々と軽い足取りで戻って来た一群は、自分達の寝室に宛われた一室へ向かおうとして――その主に声をかけられた。
「――おかえり?」
「ルナおばしゃん?」
『わーっ! レイナっっ!!』
思わず素直に返事をしてしまった末妹の口を塞いでも、時すでに遅し。
わずかな月明かりの中、ストレートの黒髪に鋭い眼差しをした、彼等の伯母――ルナが仁王立ちしていた。
「――あんた達、揃いも揃って、こんな夜更けにどこに行ってたのかなぁ?」
にっこり微笑んで口調も軽いが、目が笑っていない。
男の子達は、脂汗をだらだらと流している。
「んーとね」
また答えようとするレイナの口を塞ぎ直すガルデイ。
「マイバの散歩だよっ!」
「そう! こいつ、レイナに会いに来ちゃってさ、遊ぼうって言うから……」
これは半分本当なのだが、問題はその散歩へ行った先なのである。
「双子、相変わらず息ぴったりだことぉ」
ダシにされた白い大型犬、不穏な空気がわかるのか、とりあえずレイナのすぐ側にお座りしている。
「リナから、夜遊びはダメって言われてないのかしらぁ?」
ぶんぶんと頭を振る子供達。
「さっきガウリイも言ってたわよねぇ。
『大人しくしてるんだぞ』って」
今度は縦に大振り。
「そおぉー。
あのね、伯母さんも教えてあげるわ。
言うこと聞かない子達は――お仕置きだってこと!」
言うなり、手にしていた――多分歯ブラシらしき――モノが振り下ろされた。
ただの一撃ではない。
『赤い竜神の騎士』の名を冠する伯母から放たれたモノである。
空気を切り裂く音と共に、地面に一直線に衝撃波の跡が残った。
反射神経に長けた男の子達は自力で、反応出来ない末姫は、とっさにマイバが背に乗せて何とか避けた。
「ほほぉ、おとなしく愛のムチを受けないってのね?」
「なぁにが『愛のムチ』だよっ!
こんなのまともに受けたら死んじまうじゃないかっ!」
真っ先に文句を言ったバクシイに、さらに一撃が飛ぶ。
今度は避け切れずに、勢いで吹っ飛ばされた。
「伯母さんっ! 近所めいわくだってば!!」
「夜に子供が勝手に出歩く方が、よっぽど迷惑だっての!」
ラグリイの理論反撃も、ルナには通じない。
もちろん手加減しているにしても、常人――まして子供相手には強烈過ぎる伯母の連続衝撃波攻撃が、男の子達に炸裂する。
運動能力では一番のガルデイだけが、ひょいひょい逃げ続けているものの、こんな時にはかえって怒りを招く効果にしかならず――。
「おばしゃ〜ん、おに〜しゃんたち〜〜」
末姫を乗せたままのマイバといえば。
単なる動物の本能なのか、ゼフィーリアという土地柄は犬まで強〈したた〉かなのか、隣家――彼にとっては自分の家という安全地帯にしっかり避難していた。
その境の植え込みの上から、レイナはひたすらはらはらして覗いている。
ルナが気付いていないはずはないのだが、さすがの彼女とて、この壊れ物の姪っ子ととばっちりの犬コンビに直接攻撃は仕掛けていない。
もっとも、レイナにとっては自分より兄達が攻撃される方が、はるかに堪えるのを知っているからでもあったのだが――。
「ふわっ!」
ばしゅっ!
「いよっと!」
ざしゅっ!
『……兄ちゃん……すげ…』
いくらインバース家の庭限定で手加減付きというハンデがあるにしても、ルナの連続攻撃をかわしまくる齢十歳の子供と言うのはとんでもなさすぎる。
さっさとお仕置きくらって撃沈してしまった弟達は、呆然とするばかりだ。
しかし、この庭先の喧騒にも、近所からの反応はない。
昔はルナとリナの姉妹が、今はさらにリナの子供達が騒動を起こしまくっているのを、充分承知しているからなのだろう。
とばっちりに合ってもかなわない、とでも思っているに違いない。
唯一、祖父母が窓から覗いていたが、こちらはこちらで孫達の耐久力とお仕置きの必要性を知っているので、あえて止めたりもせず。
むしろ、先行き頼もしそうな長兄の逃げっぷりを、面白そうに見つめていた。
けれど――不可抗力と言うのはいつでもあり得るもので。
いくら『赤い竜神の騎士』と言えど、その呪縛からは逃れられず。
「ガルっ! いいかげん、往生なさいっ!」
ガルデイの着地点に向かって放った一撃は、また間一髪で避けられ――真後にいたレイナとマイバに直進して行った。
「しまっ…!」
『レイナっ!!』
「――――!!」
レイナが何を叫んだのか、誰も聞き取れなかった。
だが次の瞬間、ルナの放った衝撃波がマイバに当たる寸前で、跳ね返されたように破裂音と共に前方に拡散した。
植え込みの葉が千切れ、高く舞い上がる。
これにはガルデイも吹っ飛ばされ、ルナも風圧でバランスを崩してしまった程だ。
位置的に両脇にいた双子は、直接被害はない代わりに、状況が把握できてない。
反動で背中から転がり落ちてしまったレイナのびっくり顔を、マイバが必死に鳴きながら舐めまくる。
家の中から祖父母が飛び出して来た。
「ふみゅ〜、だいじょーぶだよ、おじーしゃん、おばーしゃん」
「おまえの大丈夫がアテになったことがあるかっ!」
ルナも兄達も――自分のコトは棚上げして――かなり過保護だと思ったが。
実際、脆い上に痛みに疎い自覚皆無の末姫の認識が、全くアテにならないのも事実で。
今回は魔力の急激な放出や、落ちた弾みで頭を打ったりして、気絶していないだけマシかもしれない。
わたわたと家に運び込む人々の中。
いつもながらの分析坊主、ラグリイだけが炸裂した地点を調べていた。
それから、玄関先で心配そうに鳴いているマイバの頭をハグして。
「レイナは大丈夫だって。護ってくれてありがとな」
念のためにと、祖父がかかりつけの魔法医を呼びに行き、祖母がレイナに寝支度させている間に、男の子達は井戸で草と泥だらけになった身体と服を洗ってきた。
「ラーグ」
レイナのいる部屋の前に立っていたルナが呼び止めた。
「――さっきのあれ…」
ラグリイは苦笑している。
「マイバがいてよかったね、伯母さん」
不思議そうな表情になった伯母に。
「レイナはとっさに自分は護れないけど、他の相手だったら護れるんだよ」
「――つまり、呪文はあの犬のため…?」
「『沈黙〈サイレンス〉』の応用――なのかな。たぶん、とっさに空気をぎゅっと集めて盾にしたんだと思う」
ルナは少し黙って――ふうっと息を吐いた。
「もう夜出歩いちゃダメよ」
「うん、わかった」
「――伯母ちゃん、ごめんね」
戻って来たガルデイが、神妙な顔で言った。
「謝る相手が違うでしょ?」
「わかった」
伯母のさっぱりした物言いに、長男坊は晴れやかな表情になって、こっくりと頷いた。
その後で戻ってきたバクシイは。
「――母さん達に言う?」
「――今晩は言わないわよ」
「さっき、父さんに『今晩はリナを解放してやんなさい』って言ってたから?」
茶化すような次男坊を、ルナの拳が軽く小突いた。
「立ち聞きもやめなさいね」
「はーい」
ベッドに押し込まれた姪の回りに集まった、ちっともヘコんでいない甥っ子達を見つめながら――、ルナは何となく妹の苦労が少しわかったような気がした。
「なっ、なっ、何よこれっっっっ!?」
いつもより遙かに遅い朝。
再びリナの叫びが、ガブリエフ家中に響いた。
「どーした? リナ」
もっとも今朝は、まだシャツの前も開きっぱなしなのほほん旦那しかいないのだが。
「……何だ、こりゃ?」
ドアを開いて立ちつくしているリナの頭越しに、末娘の部屋を覗き込んだガウリイが訝しげな声を漏らす。
「いったい何があったって言うのよっ!?」
リナの拳がぶるぶると震えていた。